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氷華の罪


酷く耳障りな雄叫びが聞こえ、妖魔かと思い重雲は土壌の採取を中断してその場へと向かった。声の大きさからしてかなり大きな妖魔に違いない。その巨体では速くは逃げられないだろうと、妖魔との対面を少しばかり期待しながら駆ける。
しかし、声の位置から推察して向かったために大きなミスをしてしまった。目の前に聳え立つ壁に手をやる。この遥か上の方に例の妖魔はいるらしい。さすがに登っていけないし、土地勘が無いため回り道にも自信が無い。どうしたものか・・・、上の方を睨みつけていると、ちらりと見知った姿が現れる。

「行秋?!」

どうやら妖魔と対峙しているのは同行者である行秋なようだ。見えづらいが、押されているようにも見える。尚更早く合流せねばと当たりを見回したときであった。影の上から淡い藍色が空へと舞った。それが行秋であると認識した瞬間、近くにある岩場へと飛び乗り、地面に着地する前に行秋の体を抱き留める。意識のない体、血まみれになった足、皺のよった服・・・その凄惨な視覚情報に眉を顰める。着地する前に翼を開き、衝撃を和らげる。もしも骨が折れているようなら微かな刺激でも痛みに繋がるからだ。しかしそっと地面に降り立ったとき、それは起こった。

「う、ぁ・・・・・・・・・?」

行秋の体は抱きとめたまま、ゆっくりと降り積もった雪へと膝をつく。そのまま腕を降ろして行秋を雪の上へと横たえる。力が、抜けていく。頬が上気する。これは・・・

「純陽・・・?」

どうやら咄嗟に動いた折にかなりのエネルギーを使ったらしい。はぁはぁ、と息を荒らげ火照った体を雪の中へと沈める。しかし意識を手放すわけにはいかない。行秋を医者の元へ連れていかねばならない。その意志とは裏腹に意識はどんどん薄れていく。横を見ると、体が雪の上に投げ出された行秋の姿が目に入る。その白く冷たい手を握り、引き寄せる。ダメだ、頼むから今だけは純陽が暴れないでくれ。行秋を助けなきゃならないんだ。その懇願は届かず、今度こそ重雲は意識を手放したのであった。



* * *


「・・・・・・ん、ぅ」

突き刺すような寒さに目を開ける。白銀の世界に、一瞬ここがどこだか分からなくなる。自分がヒルチャール霜鎧の衝撃波で投げ飛ばされたことを思い出し、体を起こす。倦怠感や鈍い痛みはあるが、どうやら死んではいなかったらしい。最後に誰かに抱きとめられた気がして、辺りを見渡す。ふと、手に温もりがあることが伝わった。その手の先を目線で辿る。

「重雲・・・!」

半ば雪に埋もれている親友の姿がそこにはあった。なんで、どうして、と疑問が次から次へと湧いてくる。体に積もった雪を払い除け容態を確認する。どうやら怪我はしていないらしい。崖下に居たのだろうか。指笛を鳴らし、伝書鳩を呼ぶ。お父様達にヒルチャールの霜鎧に襲われたこと、自分も重雲も動けないから救援を寄越すよう言付け、璃月への方向へと送り飛ばす。この足の怪我では重雲を背負って山を降りることは不可能に近い。ここは何処か暖かい場所に避難しておくのが懸命だろう。近くに洞窟のような場所を見つけ、重雲の体を抱き起こす。

「・・・あ、れ。重雲・・・ちょっと、熱い?」

あれだけ雪に埋まっていたというのに不自然な熱の上がり方。これが病気の熱ならまだしも、最悪なのは・・・。『純陽』の2文字が脳内を掠める。もしもこれが純陽による暴走の一歩手前ならば・・・焚き火のそばに寄せるのは少し危険かもしれない。ここに放置していくのも気が引ける。そうだとしても、雪が降り注ぐこの場所に長時間いるのは避けたいところだ。火はつけずに洞窟に居た方がいいかもしれない。
ゆっくりと手を解き、洞窟を見やる。中に魔物が居ては本末転倒だ、先に下調べしておこうと痛む足で立ち上がる。そのまま歩こうとした瞬間だった。
後ろの方で誰かが立ち上がる気配がした。誰か、なんて分かりきっているが。それでも静かに立ち上がったことに違和感を覚える。誰だ。後ろにいるのは、誰だ。本能が警鐘を鳴らしている中、落ちている剣を拾って振り返る。

(あぁ、やっぱり・・・最悪だ。)

冷酷な瞳をした重雲がこちらに向けて大剣を構えていた。避けられぬ戦いが幕を開けたのであった。





そして、物語は冒頭に至る。
未だに一触即発の空気が辺りを漂っている。どちらが先に切り込むか、動くか。正直、純陽暴走状態での重雲は基本的に素手で殺しに来ていたため、大剣を携えた彼と一戦交えるのは初めてのことだった。

「・・・・・・はっ、!!」

埒が明かないと判断した行秋は峰打ちを入れるべく重雲の後ろへと回り込む。重雲は大剣を回転させながら行秋の攻撃を防ぐ。その一撃の重さに思わず行秋が顔を顰める。引き下がり、体勢を整えると重雲が高く振りかぶった大剣をものともせずに振り下ろす。重く鈍い音が地面に当たり、地がひび割れる。なんでそう本気でかかってくるんだ。三枚おろしにしたいのか。重雲は心のどこかで僕のこと嫌いなんじゃないか。そう悪態をつきたいけれど、今の重雲に冗談が通じるはずもなく。二度、三度と重たい斬撃を繰り出すのを防ぐしかできなかった。しかも防ぐ度に力を込める足からは止まりかけていたら血が再度流れ出し、痛みが伝わる。

「重雲っ、君・・・怪我人相手にどうなんだい、その戦い方っ!!」

「・・・・・・・・・・・・」

「無視しないでよ・・・!」

黙りこくっている重雲が何となく不気味で、尚のこと早めに対処したい。しかし、大剣を体の一部のように扱う重雲に隙ができる訳もなく、膠着状態が続いている。永遠に続くかと思われる時間。行秋は体力的にも精神的にも摩耗していた。そのため、思考が乱れ、雑になったとしても誰も彼を攻められない。

(いっそ・・・重雲に僕を殺させたら・・・?)

重雲の目的は行秋を殺すこと。それならそうさせてあげればいいのではないか。もしかすると、目的が達成されたことで純陽の体質が改善されるかもしれない。それでなくても、あの重い斬撃を受け止める気力はどこにも残っていなかったのだ。・・・死ぬのなら、最期にこの想いを告げることも許されるのだろうか。いい、どうせ重雲は覚えていないのだから。大剣を構えて突っ込んでくる重雲を今度は避けない。正直あまり痛くして欲しくないな・・・、なんてことを考えながら剣を手放す。どすっ、と鈍い音と共に腹から暖かいものが流れ出す。向かい合わせになるように密着している体に何処か安心して、そのまま全体重を重雲へ委ねる。腹を貫いた大きな蒼剣は背中から突き出した切っ先が紅く染まっている。大剣の持ち手を握り、思い切り引き抜く。

「思ってた・・・より、痛くは、ない、かな。ご、ほッッ」

嘘だ、痛いに決まってる。けれど既に感覚は麻痺してしまっているのだろう。重雲の胸を軽く離し、口に手を当てる。ぬるり、と紅い液体が零れる。どうやら内臓もやられているらしかった。何度も咳き込み、血を吐きだす。内臓にも痛みはあるのだろうが、感覚が薄れていっていた。ふと重雲の顔を見上げると、戸惑いと恐怖に彩られた顔があった。あの、冷徹な瞳はどこにもない。

「・・・な、んて・・・顔、してる、んだい」

血が着いたままの手で重雲の頬に触れる紅い跡がつく。重雲は何が起こったか分からないように目を見開いている。もしかしなくとも、純陽の暴走が解けたのかもしれない。

「行、秋・・・どうしたんだ、その怪我・・・なんで、」

「よか、った。目が・・・覚め、たんだね。僕は・・・ちょ、っと持たない、かも」

「行秋っ!!」

重雲は抱きしめ合っていた体を離し、横へと抱き変える。うっすら目を開けると泣き出しそうな顔があった。

「もうじき・・・応援が、くる。だ、から・・・大丈、夫。」

「大丈夫じゃ、無いだろっ・・・!!頼む、行秋死ぬな・・・!こんなとこで死ぬのは、ダメだ!!」

「・・・・・・僕、僕、さ。君に、聞いて、ほし、いこと、が、・・・」

「大丈夫、ちゃんと聞くから・・・聞くから、眠っちゃダメだ!!応援が来るまで頑張ってくれ、」

「・・・す、きだよ」

いつもより焦る重雲が何だか新鮮で、必死に体を温めて腹の血を止めようとしているのが嬉しくて。存外晴れやかな顔で告白をする。本当はこんな血みどろな場所でやりたくなんてなかった。・・・拒絶されてもいいから、返事が聞きたかった。重雲が口を開く。もう、何も聞こえない。何を言っているのかすら分からない。視界だってもう朧気なのに。握り締められた手に熱い雫が落ちる。重雲が泣いてる。もう、本当に重雲は泣き虫なんだから。涙、拭ってあげないと。
涙を拭おうと頬に触れた手は眼に届くことなく、糸が切れたように雪の中へ沈む。
その後駆けつけた千岩軍が目にしたのは、赤く染まった雪の華と親友を抱きしめ叫ぶように泣いている方士であった。
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