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氷華の罪


不味いな・・・、と行秋は直感的にそう思った。ある程度の危険は承知の上で乗り込んだドラゴンスパインの探索であったが、まさかこんな事になるなんて誰が想像できただろうか。『調べ物』だってまだ半分残っている。家に持ち帰って研究を再開しようと思っていたのだが・・・思わぬ邪魔が入ってしまった。

「ねぇ・・・聞こえてる?僕もここでくたばる訳には行かないんだ。」

すらり、と空中から細い剣を顕現させる。もちろん殺すつもりは無い。峰打ちで意識を飛ばせるのが一番いい方法だろう。・・・そう簡単には行かないけれど。

「・・・黙ってないで何か言って欲しいな。」

黙り込んだまま、ギラギラと殺意と敵意の滲んだ瞳を向けてくる相手に負けじと目を見つめ返す。琥珀と薄氷の視線が交わり、相手を射抜こうとする。勝ち目はあるのだろうか。いや、無いだろう。こっちは細身の剣で水元素。対してあちらは両手剣の氷元素。力としても元素爆発としても、こちらに勝るものはない。それでも進まねばならないのだ。それでなくても、こちらは怪我を負っているのだ。足の傷がじくじく痛む。これって結構不利ではないだろうか。

「重雲・・・お願いだから大人しくやられてくれ。」

白銀に輝く剣を、正気を失った彼へと向ける。既に行秋の体力は止むことの無い寒風と怪我によりすり減っている。足はかじかみ、手は震える。大してあちらは寒いのをものともせず、大剣を振り回すのだから厄介である。勝ち目はない。そもそも勝とうと思ってない。それでも放って置く訳には行かないだろう。彼は行秋にとってかけがえのない幼馴染であり、親友であり、・・・好きな人なのだから。緊迫した雰囲気の中、行秋はこの前の日の出来事を思い出していた。燃え盛る太陽の下でのことである。

* * *

重雲の純陽の体質の暴走には善性と悪性のものがある。善性は今までのように酔っ払ったようになり興奮作用を伴うものである。辛炎のライブに乗り込んだことや、香菱の店で暴れた時などがそれに当てはまる。では、悪性とは何なのか。きっとそれを知っているのは行秋だけであろう。悪性は心の奥に潜む破壊衝動を引き出される。大切なものほど壊したくて、壊したくて・・・殺したくて。その悪性に気づいたのは重雲と行秋で妖魔退治に出ていた時のことである。あの日は炎天下、重雲にとって最悪のコンディションであったに違いない。行秋ですらその暑さにうんざりしていたのだから、重雲も相当体調に来ていたに違いない。それでも山奥だからか、休める場所は無さそうであった。流石に見兼ねた行秋が休憩を申し出た際にそれは起こった。

「重う・・・・・・っっっ!!」

振り返り、限界を迎えてそうな友人へと口を開いた瞬間細い喉を片手で掴まれる。

「あ、ぐぅ・・・・・・っ」

苦しさに足がジタバタと宙をかく。首を絞めているのは重雲であった。いつもよりも冷めたような視線を纏いながら淡々と首を絞めあげていた。

「ちょ、うんっ・・・っ・・・!ちょう、うんっっ!」

必死に呼びかけるも眉ひとつ動かさない彼に恐怖心が芽ばえる。しかし、ここで己が死んでは目覚めた重雲がどれだけ悲しむか、悔いるか・・・そう考え直し、残った力を振り絞り鳩尾あたりを思い切り蹴飛ばす。流石に効いたのか首の拘束が緩み二歩、三歩とよろめき、そのまま膝から崩れ落ちた。やっとの事で呼吸が自由になった行秋は激しく咳き込みながら同じように膝をつく。呼吸を整え重雲を方を見ると地面に横たわりこちらの事など放ったらかして、すぅすぅと穏やかな寝息を立てている。あまりの情報量の多さに脱力する。なんだったんだ今のは。衣服についた泥を落としながら重雲の方へ近づく。額に触れるといつもより高い熱が指先に伝わってくる。どうやら純陽の体質が暴走したようだった。

(でも・・・今までこんなことは無かったのに。)

今まで体質の暴走といえばテンションが上がり随分とはっちゃけている印象だった。しかし今はどうだ。口煩いほどのテンションは鳴りを潜め、仄暗い光が薄氷の瞳を満たしていた。口はきつく結ばれ、冷酷さを帯びていた。思い出すだけでもゾッとする。行秋と重雲は幼馴染でそれなりに喧嘩もしてきた。けれど大体は重雲が怒鳴り行秋が澱みなく言い返すといったものである。

(体質の暴走の・・・ステージ化?だとしたらかなり危険だけど。)

とにかく、重雲を連れて家に帰ろう。意識の失った人間の体は重いが行秋とて男でありそれなりに鍛えている。重雲ぐらいなら背負って帰れるだろう。帰ったら大人に相談して対策を・・・。そこではた、と考え直す。本当に大人に伝えるべきなのだろうか。行秋は一応これでも飛雲商会の御曹司という立場だ。体質の暴走とはいえ、方士が御曹司を殺めようとした・・・というのは些か外聞が悪い。恐らくは行秋の家も重雲の家も、接触禁止令を出してくるだろう。それに何よりことの真相を知った重雲がどれだけ心を痛めるか・・・そう考えるとこの日のことは誰にも伝えない方が得策のような気がした。子供に出来ることは限られているが、仕方ない。暫くは様子見で行くしかない。次また暴走した時に重雲が誰かを殺しそうになった時は・・・身を呈してでも守らないといけない。



しかし重雲は予想を裏切り、皆の前で体質が暴走した時はいつものように顔を赤らめテンションMAXパーリナィしているだけであった。この前なんて辛炎のライブ中にマイクを奪い僕の手を掴みながら「愛してるぅうぅうううぅぅ」などと宣った。もちろん覚えていないのだろうが。全く心臓に悪い。恥ずかしさのあまり重雲の首に手刀を叩き込みそそくさと会場を後にした。会場にいた人たちの生温い視線がもっといたたまれなかった。
けど、それは皆の前でのことだ。2人きりになると途端に重雲は行秋に危害を加えようとした。ある時は首を絞め、ある時は崖から突き飛ばした。行秋は何とか持ち前の機転で大怪我を免れていたが、やはり多少なりとも怪我をしていく。夏だからか重雲の純陽の体質は暴走しやすく、行秋といることが多いこともあり、自然と怪我が増えていく。服の下に隠せるものは隠すが脚や手に出来た傷は何とか誤魔化してやりくりしていた。・・・流石に、短剣を持ち出された時は焦ったけど。そんな日々を続けていくうち、行秋は何となく推察を深めていっていた。

・純陽の凶暴化は行秋にのみ起こること
・数が重なっていく度に狡猾性が増していること
・行秋の命を本気で狙っていること。

なぜ自分を狙っているのかは分からないけれど、早急に対処しなければならない。しかし、どうやって?ただでさえ純陽に対しての資料は少ない、稀少な体質なのだ。流石に重雲に実験をしかけるわけにはいくまい。純陽を無くすことは不可能に近い。それならば何とか制御する方法を編み出さねねば。そう、制御・・・・・・つまりはずっとアイスを食べ続けているような、所謂冷却状態を保たねばならない。そこで考えたのが、ドラゴンスパインの調査であった。ドラゴンスパインはモンドと璃月の間にある氷山だが、何故かあの場所だけ異様に凍えている。モンドも璃月もどちらかといえど過ごしやすい気温なのに、あそこだけはかなりの寒さとなっているのだ。その仕組みを理解出来れば純陽の制御に至る発送が思いつくかもしれない。行秋は単独でドラゴンスパインに乗り込むつもりであったが、それに難色を示したのは当の本人である重雲であった。「不安だ、」「ぼくも連れていけばいいだろう」と不服そうな目で見られては断るのも不審な気がした。というより後を付けてきそうな勢いだ。しかし調べ物の内容を重雲に明かすわけにはいかない。ここはあくまで、ただの調査という風を装うべきだ。本命の調べ物の時は少し席を外してもらおう。適当に嘘をつけば数分程度の暇はできるだろう。そんな今思えば甘すぎる考えで重雲と共に雪山調査に乗り込んだのが運の尽きだった。



* * *

「うーん、やっぱり寒いね・・・」

「ぼくは少し心地いいけど・・・」

寒そうに手を擦り合わせている行秋を見兼ねたのか、重雲がおずおずといった様子で手を握りこんでくる。昔はよく手を繋いで野山を駆けていたのに、その体温が離れていったのはいつ頃だろう。懐かしい暖かさに思わず頬が緩む。ぎゅっと握り返すと、重雲は手を強ばらせた。そのあまりにも初心な反応にニヤニヤと笑っていると、バツが悪そうに目を逸らされる。しかし手は離さぬままドラゴンスパインの雪土を踏み締めて行く。ちょうど中腹に来たあたりで、足を止める。

「重雲重雲、少しここらで二手に別れないかい?」

さも今思いついたかのように告げると訝しそうな視線が返ってくる。

「・・・一人は危険じゃないか?」

「でもどうしても調べておきたいことがあるんだ。2人で分担しなきゃ夜になるかも。」

上目遣いにお願いすれば重雲は渋々了承してくれる。これは幼馴染として培ってきた重雲のノウハウである。案の定重雲は溜息を吐きながらも分かった、と返事する。内心でガッツポーズをしながら重雲の手にある地図になるべく遠くの場所に印をつける。

「ここらへんの土を取って来てくれるかい?集合場所は・・・ここかな」

「もし何かあったら絶対ぼくを呼んでくれ。」

「重雲こそ、無茶はしないでよね」

お互いの無事を祈りながら別々の方向へと爪先を向ける。懐かしい体温ともおさらばだ。少し名残惜しいけれど。遠ざかっていく重雲の背に幾ばくかの罪悪感が過ぎる。しかし、巡り巡って重雲のためになるのだ。少しばかりの嘘はご愛嬌として許して欲しい。

「・・・さて、」

少し進んだ先には壊れかけた橋と、研究所がある。おそらくモンドの白亜先生の研究室だろう。勝手に忍び込むのは申し訳ないが、いつだったか旅人が無料開放みたいなもんだと豪語していたのを思い出す。確かに鍵もなければ外から丸見えの研究所は極秘情報などを置いておくわけもないだろう。上手く風の翼を利用して橋を渡る。随分と不便な場所に研究所を設けているものだ。本棚へと近づき、ざっと背表紙に目を通す。今この場で目を通せるものと家でじっくり調べたいものを瞬時に分別し、数冊の本を手に取る。パラパラとページを捲り、速読の要領で内容を頭に入れていく。資料もそうだが、実際に土地を調べてみたい。あまり資料に時間をかけていると重雲が戻ってくる可能性もあるのだ。
一通り気になる本の内容を覚え、研究所を離れる。焚き火のある暖かな研究所を離れると劈くような寒さが襲いがかってくる。なるほど、確かに遭難者が絶えないはずだ。おまけに魔物まで出てくる始末。まだ魔物とは出くわしていないが、水属性である行秋はあまり雪山探索に向いていない。(重雲もだが。)ここは胡桃や香菱も連れてくるべきだったか。・・・いや、連れてきてもこの段階で別行動するなら本末転倒だ。ここは魔物と遭遇しないよう気をつけながら進むしか・・・・・・と、思っている傍から怪しげな影を捉える。警戒しつつ死角になっている峡谷へと目を向ける。相手はおそらく気づいていない。多少ルートは変更されるけれどここは逃げることを優先すべきか。そんな思いは虚しく、怪しげな影が峡谷の端から姿を現す。

「これ・・・はっ、」

のそり、と土を踏み締め現れたのはヒルチャールの中でもかなり体の大きい・・・霜鎧であったのだ。
最悪だ。よりによって当たりたくない敵に当たってしまった。霜鎧はこちらに気づいたのか地割れするような雄叫びを上げ臨戦状態に入る。ここから逃げれば追跡を外れ何とか重雲と合流できるかもしれないが・・・悲しいかな、行秋は義侠心が人一倍強い少年であった。これほどまでに大きな魔物であれば他の一般人に被害を及ぼし兼ねない。ここは多少無茶でも相手をするべきだ、とその場に踏み止まる。
剣を構え、霜鎧の懐へと入り込み剣を一閃する。手応えはあれど大した痛手にはなっていない様子だ。暴れだした霜鎧の剛腕を避けるように二、三度後ろへ飛び跳ねる。再び剣を構えると、地面から水色の光が溢れ出す。

「しまっ、」

言い切る前に地面から鋭い牙のような氷棘が突き出す。避けるタイミングを逃し、細く白い足から紅色が飛び散る。それは積もった氷雪にも跳ね、そこだけ紅い花が咲いているようだった。思わず膝をつきそうになるが敵とて痛みが引くまで待ってくれる訳では無い。剣を地面に突き刺し、何とか体勢を保つ。しかしそんな努力を嘲笑うように霜鎧はその巨体でこちらへ突進してくる。

「ぐ、はぁッッ」

全身の内臓を揺さぶられるような衝撃と骨が軋む感覚に目眩がする。肺から押し出された空気を吐き出し、投げ出された体は雪土の上に倒れ込む。朧気な視界の中でこちらに詰寄る霜鎧を認識する。剣を握り直し、痛みに震える体を叱咤して立ち上がる。ふと後ろを見ると断崖絶壁となっていることに気づく。しかもここはかなり高い場所だ。下に雪が積もっていたとしてもかなりのダメージを負うことになるだろう。そのことを意識しつつ、剣に水元素を纏わせる。足の傷も殴打した体も、動く度に痛みが増す。顔を顰めつつ、やはり逃げる選択肢は選ばぬまま霜鎧へと剣を向ける。そのまま駆け出し、青に輝く剣筋を霜鎧へと叩きつけーーーる前に、霜鎧の姿は消え去った。勢いつけた剣先は対象を失い虚しく宙を切る。呆然としたまま立ち尽くす行秋の元に段々と影が押し迫る。

「・・・まさかっ!!、」

上を見上げると、大きく飛躍した霜鎧が今まさに小バエを踏み潰さんとして行秋目掛けて飛び込もうとしている。ぐっ、と足に力を込め後ろへと飛び下がる。次の瞬間、轟音を立てながら霜鎧が着地する。舞い散る粉雪が視界を白く染めると共に強い衝撃波が当たりを包み込む。

「・・・・・・・・・・・・あっ、」

直撃こそ免れたものの、衝撃波までは行秋を逃がしてくれない。元より軽い体は大きく跳ね、宙に浮く。情けなく小さく声を漏らしたのは痛みによるものでは無い。・・・後ろが、崖だったことを思い出してしまったのだ。スローモーションのように舞い上がった体は遥か下へと急降下を始める。遠さがっていく霜鎧を横目に、流石の行秋も死を覚悟する。

(・・・あ、重雲、どうしよう・・・)

未だ自分のお願いした意味の無い調べ物を一生懸命手伝ってくれているであろう親友の姿が瞼に浮かぶ。僕が死んだら、中々戻らないことを心配して探しに来てくれる。そして崖下で見事にひしゃげた死体を発見して・・・重雲はどんな反応をするのだろう。怒って、くれるだろうか。悲しんで、くれるだろうか。・・・生きて、くれるだろうか。

「ちょ、・・・うん・・・」

掠れた声で恋い慕っている男の名を呟き、意識は幕を閉じていく。
最後の最後、誰かに抱き留められたような気がした。



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