捻れた世界は待ってくれない
人通りの少ないベンチで、さらさらとスケッチしていく。隣のエースが大きなあくびをしていた。
エースがスケッチブックを覗きこんだ。
「意外な才能だよな。音楽はからっきしなのに」
「ん?オンチて言いたいの?」
「自覚してるじゃん!……とっ、ヤバっ!じゃあ、オレ部活行くわ」
「行ってらっしゃい」
急いで駆け出したエースを見送り、再び描き始める。美術の授業でペアを組むのもあるので、エースやデュースに見られるのは慣れてしまった。
真っ白な紙に、人や景色を描いていくのが好き。
そこに色んな種類の画材で色を塗っていくのも好き。
美術の時間が一番好きだった。
静かに描くのも好きだけれど、この仲のいい友達みたいに雑談しつつするのも好きだと今は思う。
「………カントクセイちゃん、絵が上手だね。マジカメにあげていい?」
「ひょお」
「なにー?その驚き方」
「ダイヤモンド先輩、マジカメはNGです」
ケラケラ笑うケイト先輩。エースと入れ替わるように背後からにょきと現れる。陽キャに絵を見られるて最大の大惨事なんですよ!?と言葉はでない。トラウマ級NG台詞が出なかっただけマシか。これから軽音部の集まりがあるんだと話しだす、ケイト先輩と雑談する。
「冗談だよ!あと、ケイト先輩でいいよ⭐︎ファミリーネームてごつく感じるし」
「えっと、じゃあケイト先輩て呼びますね」
「うんうん!デュースちゃんは頑なに、先輩だからて呼んでくれないんだけどね〜」
「デュースはヤン……パイセンに敬意を払っているんですよ」
「どういうこと!?」
「そういうことです。なんかこうやって名前で呼んで、喋っていると仲良しですよね」
このノリの軽さは自分的に最大のイベント。名前呼びイベントが発生しすぐに終了した。こうもずけずけ迫りくるとあわあわしちゃう。先輩と仲良く話をしているとポロッと溢れてしまった。
学校に通ってて、先輩とこんなに親しいと感じるなんて〝私〟には無かった。
「オレとキミが仲良し?へぇ〜ウケる」
「えっ!?」
「………なぁにその顔!嫌だってなんて言ってないじゃん」
「へ?はい、そうですね!」
「テンパりすぎだよ〜マジメにそゆこと言われると反応に困るっていうか」
ーーーケイト先輩なら笑って流すだろうと思っていた。返ってきた反応が意外すぎて固まる。だって、その態度はどこかで感じたことのある空気だったから。自分は仲良しだと思っていたのに、相手はそこまで……という微妙な空気感だったから!やっち、まった!先輩相手に仲良しですねとか早計すぎた。うかつな距離なし発言に先輩引いてるじゃん!
「ごめんなさい」
「あはは…え?」
「よくエースとかに言われるんです。お前はマジレスしすぎだ、て」
「あー、うん。カントクセイちゃんてマジメすぎるよね……誰かに対してそこまでセイジツじゃなくていいんだよ」
からりと笑う表情の中に、ほんの、ほんのちらり灰暗いものが見えた。
「ね⭐︎」
見間違いだと思って見ないフリをした。これ以上は深入りしてはいけないというあの独自の感覚が戻ってきていた。表面上はなにも気にしてないフリをしてしばらく雑談を続ける。それから先輩は軽音部の集まりがあるからと去っていった。姿が見えなくなると、深いため息をついた。びっくりした。先輩もああいうダウナーな一面があるのか。ムードメーカーなイメージしかなかったから意外すぎる。
(今度から距離の接し方気をつけなきゃな)
放心していると、グリムがいつの間にか隣で陣取っていった。気持ちを入れ替えるように、グリムを引っ掴かんでモフモフタイム。非難の視線を感じたがスルーだスルー。
「人間関係て難しいな」
「急にオレ様に言われても困るんだゾ」
「近くて遠い距離だな、と」
「落ち込むなよ。人間はメンドーなんだゾ」
たしたしと腕を慰めるように叩くグリムを、ギュむと抱きしめた。私は、先輩の新たな一面を見たような気がした。
昔と違う環境が、変わっていく心境の変化が口を滑らせた。
みんなと騒ぐ日々も楽しいなと思う反面、あの一人の時間も恋しいなて思う。この学園は協調性ないのがデフォルトだから、比較的に協調性があるように見えるんだろうな。環境が変われば、私という個人の見方も変わるのを肌で感じる。人が良い、と言われる。でも、それはまたイメージ通りの行動をしなければ責められる。ぐるぐるとそんな思考に飲まれていた。
ある日の放課後。
「奇遇だね。キミもここで勉強かい?」
後ろから声が聞こえた。振り返ると、分厚い本を何冊も持つリドル先輩がそこにいた。仲直りのなんでもない日のパーティー以来だ。最近、図書室で会話することが多いから、意識して小声で会話する。見渡しても自分しかいないから、そんなに気にしなくていいかも。
ちなみにグリムはいない。探し回る時間が惜しいので、問題を起こしていませんようにと祈りながら勉強していた。勉強するていうと寝るか全速力で逃げるからな。そんなんじゃ大魔法士になれないぞ。
「こんにちは、ローズハート先輩もですか?」
「………ローズハート?」
「どうかしましたか?」
「この前名前の方で呼ばれていた気がしたからね」
「あ、あの時はつい名前の方で呼んでしまってすみません。自分の故郷ではファミリーネームで呼び合うのが主流といいますか」
心の中でなら呼べるけど、自分はあまり名前を呼び慣れていない。名字で呼ぶのはそれが普通だったから。名前で呼ぶのと、名字で呼ぶのではまた違う。というのは言い訳でコミュ症なだけです。外国っぽいところだからネームで呼び合うのが主流っぽいけど、それを実際に実践するとなると勇気がいる。変なところで不器用だと、数少ない知人のような友人が言っていたな。エースにはボッチだと話したが、一人二人くらいは友達いますしと誰に言うでもなく心で弁解したり。
「リドルでいいよ。キミはもう知らない人ではないし」
「はい!?」
「ボクもキミのことを名前で呼ぶよ」
「リ、リドル先輩て他の人、名前呼びでしたね」
「そうだね。あんまりそこら辺気にしない方かな?」
「あの、改めまして、リドル先輩。これからもよろしくお願いします」
「ふふっ、なんだい。今更よそよそしいね。よろしくね、ユウ」
思い出に耽っていたところ、リドル先輩から爆撃を受けた。この人こんなにフレンドリーな人だったけと失礼なことを思う。謝り会あったとはいえ、和解した日はそう日にちが経っていない。リドル先輩てあまりそういうの引きずらないタイプ?
「隣いいかい?」
「ど、どうぞ」
分厚い本を机に置く先輩は、自分の隣へと座る。
「ユウはなんの勉強しているんだ?教えてあげようか?」
「すごくありがたいんですが、リドル先輩も自分の勉強があるのでは」
「ああ、これは。この前習ったところが三年生で応用するらしく、それを調べようと思ったんだよ」
「三年生の範囲!?先輩、二年生じゃ!?すごい!」
「勉強する範囲に区切りは必要ない」
「あの……なおさら、この世界の一般常識が自分にはないので」
「遠慮しなくていいよ。いきなりが難しいなら、ボクがこの世界に必要な知識をわかりやすくテキストにまとめてこようか」
「そこまでしてくれるんですか!?」
リドル先輩は学年で成績トップだと、トレイ先輩から聞いたことがある。それでもさらに勉強している姿に驚嘆する。勤勉家で努力家だから成績維持ができているんだな………本当にこんな頭のいい人が自分みたいなのに関わっていいの?足引っ張る自信しかないんだけど!?すごい親切すぎて、どうしたらいいのかわかんなくなる。同じようにもう一人親切にしてくれる先輩がいるんだけど、あのヒトは利害が絡んでいる部分があるからなぁ。ある意味やりやすいからいいけど。
「先輩にお返しできるものやこと、自分にはありません」
「お返して……いらないよ。ボクがしたいようにキミに接してるだけさ」
「神ですか」
「女王扱い強要していたけれど、神扱いされたのは初めてだよ」
雑用や貸し一つや対価や、自分も納得して行っていることだけどそれに慣れすぎて、リドル先輩の純粋な厚意が私のハートに爆撃される。不意打ちに弱いんです私という人間は。
「せめてストレスのかからない後輩になりたいです」
「そ、そんなに?」
若干引いているような態度だが見慣れた反応である。
「キミがよければだけど、ハート女王の法律知ってくれたら嬉しいとは思っている」
「え!?それも教えくれるんですか?女王の法律とか主にハリネズミとかハリネズミとかハリネズミとか気になっていたので、教えて頂けたらこちらも嬉しいです」
「ハリネズミが目的だよね?ノリ気だと思わなかったよ。なら、それもまとめたテキストを用意するよ」
「約束してくれたとはいえ、強制なんかじゃないので無理とかしちゃダメですよ」
「ほどよく休憩はしているさ。この前暴走したばかりだし…ね」
ついでにいつかお願いしようとしていた、ハリネズミとのふれあいチャンスが到来したので全力でアピっといた。リドル先輩から続々とありがたい申し出がされるのだが、先輩は頑張り屋だから頑張りすぎて自分のせいでまたオバブロったら笑えない。でも、今までより息抜きの仕方や加減ができるようになったのかも。
「つい詰め込もうとしてしまうのは、家庭環境にもよるんだ……癖がついてるのかな」
「………先輩が今してることて楽しんでやっていることですか?学ぶ楽しさが強要されていないのなら、またそこに加わる意味合いも違ってくるなと思います」
「………そうだね、これはボクが知りたいと思ってやってることだから、とても楽しいよ」
「先輩が楽しくてよかったです」
「キミは不思議な子だね」
「おかしなやつてことですかね」
「そうじゃないさ」
一瞬表情が曇ったような気がして、思わず声をかけた。先輩の家は複雑すぎて気安く話題にしてはいけない。頭は良くないなりに、伝え方を慎重に選んだ。ニコニコと笑う先輩の反応に、地雷は踏んでいないようだ。やっぱりリドル先輩はニコニコと笑っていた方がいい。
自分は今後どうなるのかわからない。まだまだこの世界にいるのなら、この人の支えにほんの少しでもなれたらいいなと、その笑顔を見て思った。欲張りな願いだ。
(あなたが変わろうとするように、私も変わることができるだろうか)
数日後のことだ。
先輩が超自信満々の表情で、ハートの女王の法律関係と一般常識の約合計1000ページありそうなテキストをプレゼントされた。目次と索引もついているそうだ。これ全部覚えなきゃいけない系!?
「リドルがやたらと張り切っていたのは、理由はお前だったんだな」
「カントクセイちゃんがんばれ⭐︎リドルくん超スパルタだよ」
「無自覚に焚きつけたんじゃね?」
「お前なら大丈夫だ!」
ハーツラビュル組から声援を頂いたが、止める者はいなかった。リドル先輩からハートの女王とやらの片鱗を見てしまったのだった。お手柔らかにお願いします!リドル先輩!
最初からフレンドリーに、仲がいいと思っていたケイト先輩。
敵対していたのに一連の事件で仲良くなったリドル先輩。
二人の先輩との距離は縮まるのを感じるのに、そこには見えないような差があるとなんとも不思議な気分になった。