捻れた世界で生きてゆけ
いつも大きなお屋敷の窓際で、勉強しているあの子が気になっていた。
地元じゃ有名な魔法医術士の子どもで、話す機会なんてほぼなかった。ケーキ屋の息子の俺と住む世界が違う存在。でも、いつも一人で勉強をし続けるあの子は、寂しそうで苦しそうで、俺たちと一緒に遊んだらそんなの吹き飛ばしてやるのにと思っていた。
『そんなに気になるなら話しかければいいにゃあ』
『そんなの無理だ。俺たちなんか門前払いだよ』
『なにも、正面から行く必要ないがね。じーちゃんが言ってたにゃあ、オトナの目を欺いてこっそりやるのもカシコイやり方だってぇ』
『それ狡賢いて言うじゃないの、おまえのじーさんてばっ…』
悪友兼親友は、このモヤモヤを相談してみたらそんな返答をもらった。この友人は、相手が誰であれそんなの気にせずあるがままに自由に生きている。自身もそんな奴と友達なので大概だが。
『あいつのかーちゃんが、どこか行ったときを狙って話しかけてみるにゃ!』
『…悩んでても仕方ないか、実行あるのみ!』
友人は友人なり気になっていたのかノリ気でいたので、自身も腹を括った。それからはあの子の家の人の動きを観察して、あの日、あの窓をノックした。
子どもの頃の〝あやまち〟をずっと後悔している。あの日誘わなければ、あの日もっと時間に気をつけていれば、あんなにお前を苦しませることはなかったのに。子どもの頃の自分を、今も責め続けている。それは、何年経った今でも。
あいつがナイトレイブンカレッジに入学が決まったとき、俺はひっそり喜んだ。この学園は全生徒が全寮生。四年は少なくとも長期休暇で帰る時いがい、あの家から引き剥がせると。〝親〟の監視もないので女王の法律を守りつつ、あいつ、リドルに好きなものを食べさせてやることができた。
親の影響で性格がキツくなってしまったあいつの機嫌をコントロールするために、俺が作ったものじゃなくてもご機嫌を取れるものならなんでも利用した。
親切では、愛情では、親愛だけでは、どうにもならないことがある。
今度は失敗しないように。まわりに手の内は見せないようにしないと。まわりをもっとちゃんと観察して、警戒しないと。いざとなったら牽制できるように隠しとかないと、またあの時のあやまちを起こすことになる。そうやって、本心を隠す癖がついてしまった。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。ほんの少し期待していた。親元から離れれば、もしかしたら………だが、無理だった。
あいつは今も、あの家にあの母親に囚われ続けている。
一年前のあの日。寮長になった日から一年間、新学年の騒動、マロンタルトを作った日の夜、なんでもない日の出来事、今日の朝の出来事。造られたルール主義に雁字搦めで、どんどん追い詰められて孤立していく、あいつを見ているだけしかできなかった。寮生たちがつきあいきれないと暴発寸前の今の状況に、俺は。
「俺にはどうすることもできないよ」
〝気づいていること〟はたくさんあるのに。
そんな俺ができるのはお前の側にいることしか。
俺にはお前を止める、その権利などない。
そんな〝普通〟の男だよ。
[chapter:女王様を止められる、など]
エースに言われたことは、言い返せなかった。
言い方がアレで青筋がたちそうになったが、思っていたことをすべて言い当てられてしまったから。あいつはそれに気づいているのか、いないのかはまだわからないが。
それなのに監督生のあの〝少年〟が喧嘩をしはじめるので、それどころではなかった。冗談や茶化しではなく真剣な表情で、リドルの親をぶっ飛ばしに行こうと言い出したときは、意味がわからなくて毒気を抜かれる。
出会った時から話す機会があるたびに、どんなに言われてもどんな相手にも一生懸命に対話しようとする姿は好ましい。けれど、その生き方は生き辛そうに見えた。見ていて、人と争うことや、怒るのは苦手なことはわかっていたから。世渡りがよくなければ、真面目で誠実な人間ほどまわりに利用されて振り回されて、貧乏くじを引かされてバカをみる。この学園じゃなおさらだ。その人柄を利用しようという連中は残念なことにわんさか居る。大きな声で言えないが、[[rb:学園長 >トップ]]からそうなのだから。
自覚がないのかと言えば自覚があるようで、意外なことにその生き方に腹を決めていた。それだけじゃなくて、申し訳なさそうに自分を卑下していた。なのに、まわりの人間を良い方に見ている。
呆れはするし、その生き方は羨ましくはない。
だがーーー対峙した揺るぎのない真っ直ぐな瞳は、欺きの影は見えない。
その姿に眩しく思った。