捻れた世界を知っていけ
見慣れはじめた狸が、こちらへと吠えている。この前からちょこちょこ、うろついている連中がまたちょっかいでもかけに来たと思った。鬱陶しいが、適当にのらりくらりとかわせばいいかと、軽く考える。
「ラギー・ブッチ、選手候補連続傷害事件について聞きたいことがある」
───どこで、バレた?
(………ハーツラビュル寮の寮長がお出ましか。こりゃ、マズイ)
リドル・ローズハートの言葉を聞いて、ラギーはたらりと汗が滲んだ。昨日接触してきてから、この短期間で目星をつけられるとは。ハーツラビュルの連中とおまけが嗅ぎ回っているが、たいした脅威ではないという判断は早計すぎたか。直々に、他寮の寮長が出向いてくるのなら、少々マズくなる。
以前、リドルのユニーク魔法は頻繁にお披露目されていたので、校内にはその能力は知れ渡っている。あの事件からその使用頻度も控えめになったと聞くが、あの『首輪』はルール違反の証として有名だ。そんなもの、期間があるとはいえつけられてしまえば、薄暗いことをしている実行犯のラギーは動きにくくなる。首輪つけられたところで、ラギー自身の『身体能力』には問題はないが、何も知らない周りには印象づいてしまう。
確実に厄介になる。
この場面の目撃する野次馬は何人かいる。下手に抵抗すると、噂にもなりそうだ。ラギーは大人しく従うフリをして、相手の出方を『観察』した。彼らも、こちらを『観察』していたが動作は鈍い。
隙を見つけた。リドルはラギーをどうしようかと、[[rb:逡巡 > しゅんじゅん]]している。チャンスだと、思った。宝石は盗ってくださいと言わんばかりに、胸元のそれはガラ空きだった。それは、もう片方の上級生も。厄介なこの二人を狙えば、あとはどうにでもなる。残るは、魔法が使えない人間。魔法が使える狸は、昨日のマジフトでコントロール力は把握済みだ。
───ああ、よかった。鈍臭い坊ちゃんたちで。
ほんのり口端が、吊り上がる。嘲るような声音は抑えられない、目の前の連中は予想通り騒ぎだす。狸が見当違いな言葉を言うが事実を伝えてやる。魔法を使わなくても、鈍い人間からモノを盗るのは朝飯前だ。目をつけられた時点で、行動を監視されていくのは間違いないが。この場を凌ぎきってから今後を考えよう。チラリと見えた、リドルは彼特有の表情で真っ赤に染めあげていた。場所を移動しようと、ハイエナは駆け出した。
手に持った二つのマジカルペンは、場違いにとても綺麗な色で輝いていた。
途中で合流したらしいハーツラビュルの一年生たちは、必死にラギーを追いかけてきている。上級生の姿は見えないので、バトンタッチされたようだ。飛行術以外、リドルの運動オンチは見たことあるから、その判断は適切なのかもしれない。ときどき、立ち止まっては会話の相手をしてやるが、一年生二人と狸に捕まえられるわけがない。遠くからもう一人、あの少年も追いかけてくるがまた引き離されるだろう。ふと、自寮の生意気な後輩ならどうだ?或いは、と考えるが、今は関係ない。煽っても無駄に根気はある『諦めない』姿勢は少し評価してやってもいい。追いつく気配はさらさら無いけど。
「シシシッ!三人がかりでも大したことないッスねぇ?」
中庭に辿り着いた頃には、追いかけていた連中はかなり息切れして、崩れ落ちるように座り込む。正確には二人と一匹。最初から遅れていた一人は省いている。ようやく、追いついたようだ。運動がてら考えた言葉で、一年生たちに諭してやる。
「今、ここでオレを捕まえても実証できるんスか?」
「なんだと?」
「怪我をさせた証拠、オレが魔法使うところ、そんでその場面の写真や動画………ないっスよね?」
「………そ、それは」
(ホラ、何も言い返せない)
リドルは、聞きたいことがあると言っていた。確信はあっても、ラギーを学園長に突き出すほどの、具体的な証拠はなさそうだと考えた。取調べで自身に吐かせるつもりだったとしても、もっと獲物の追いつめ方を慎重にすればよかったのに。勘づかれて取り逃した、お粗末な狩りだ。
「卑怯者〜!」
意外にも、言い返してきたのは悔しそうな表情したあの少年だった。今回の件で、少年の中の自身の印象も変わってしまっただろう。どうでもいいが──不思議なことに、複雑そうな表情には、嫌悪の色を見られなかった。
「卑怯者?褒め言葉ッスわ」
鼻を鳴らすとそう言い返す。ハイエナの種族からしたら、昔から散々言われてきた言葉だ。
さて、おちょくるのもこの辺にしておこう。盗んだ二つのマジカルペンを、その場に置いておく。次は、もっとマシ狩りの仕方を学んでくるといい。
「無理だろうけど」
「今回は撒けたのはいいとして、今後の方針どうしよっかな」
ラギーは、独り言をぼやいた。
広い広い校内には、人気の少ない隠れ家スポットがいくつか存在している。その一つ。一年生時に良くお世話になった場所で、時間を潰していた。
午前の授業はサボるつもりはなかったので、タイミングを見計らって授業に参加しようと思う。レオナからの知識面のカバーがあるとはいえ、油断なんてしていたらすぐさま追いつけなくなる。いくら校内の治安が悪くて、名門校の授業進行度は速い。ついていけなくて、振るい落とされていく奴にはなりたくはない。
(これからはマークされそうっスよね。ひとまず実行は様子見か。大方、目をつけていた相手は潰せたから、計画に支障なくてよかった〜)
後はレオナが例の寮と話をつけて、例のブツを大会当日に使用できれば、計画通りに自分たちは野望を果たせる、が。
「………オレのユニーク魔法が、リドルくんに認知されたのは誤算だわ」
だいたいユニーク魔法の保持者は、近しい間柄にしか知られていない場合がほとんどだった。リドルのように知れ渡っているのは珍しい方。ここの生徒たちは、腹に一物隠し持っている輩が多い。その一つとして、自身のユニーク魔法を隠している者が何人もいた。未熟成な一年時は別として、二年時にもなるとほぼ取得している。取得しているのか、していないのかも駆け引きの材料になり。ユニーク魔法の種類によって、警戒されるのがマズイのも事実である。
ラギーも例外ではなかった。自身の有利になるモノは、なるべく隠しておきたい。よって、多寮生のほとんどは、ラギーのユニーク魔法を知っている者はいないだろう。
それなのに、どこかで情報漏洩してしまった。
(うちの連中は脳筋だらけっスけど、レオナさん直々に統率している今回の件で、ヘマやらかそうとする奴はいないんスよね……)
一人、不穏分子はいるが、あの後輩の性格上、他者へ協力を仰いで情報を流すというのも、今のところ考えにくい。
あると、すれば───
『オレ様のデラックスメンチカツサンド───!!』
『こら!自分で交換したんだからやめなさい!引き止めてしまってすみません!』
いつぞやの食堂での出来事。
「………まさか」
彼らの前で、披露したことがある。あの時は、なにかと急いでいたから雑な対応をした。昨日会ったとき、気づいている素振りなんて見られなかった。大したことでもないから、自身もそれを忘れていたし。
しかし、彼らがそのことを強烈に覚えていたのなら。
「………しくじった」
[chapter:見くびっているのは、彼も]
余裕を取り戻していたハイエナは、その一連の流れを見ていたオオカミの存在に、最後まで気づくことはなかった。