知り合った先輩は人魚らしい


「監督生さんも、締めてしまいましょうか?」

顔に血のついた先輩は、優しい微笑みで私に笑いかけた。
それは、初めて見る表情だった。



ある日の放課後、別の先生にあんまり使わない場所の掃除を頼まれた。己に利益のないことは絶対したくないマンなグリムは、自分を見捨てて寮に帰ってしまった。デュースがそこら辺不良が多い噂があるからついて行こうかと、わざわざ部活を休もうとしてくれたから断った。もうすぐ運動部活系は秋大会があるから、不要な休みはご法度なはずだ。ちなみに、同じ運動部活系のエースはトレイン先生の授業で爆睡してしまい補習テストを受けている。

「大丈夫!一応、デュースパイセンのケンカ塾に通っているんだし!」
「あんなの付け焼き刃だ。ユウ、気をつけろよ?危なくなったらダッシュで逃げろよ」
「うん、わかった」

デュースの伝説の戦い(ただの派手な喧嘩)を見てから、感銘を受けた自分はデュースに喧嘩塾を申し込んでいた。それが最近、許可され教わりはじめた。デュース式喧嘩の作法は大変勉強になる。まだ自分は筋肉を鍛えてないので、まわりにあるものを利用するのもコツだと教えてくれた。投げ方の練習もする。

「無事、掃除が終りますように」



掃除は無事終わったが、問題が起こった。なんか校舎の裏っぽいところでリンチが開始されようとしていた。片付けようとしていたバケツと雑巾を片手に咄嗟に隠れた。茂みからそれを覗く。

(まじで不良がいるよ〜〜〜!)

一人を取り囲むように五、六人が取り囲んでいる。取り囲んだ野郎たち頭の上には奇妙なものが生えていた。なんだろ、あれ。それよりも自分が動けない理由がもう一つあった。

(あの取り囲まれた人、ギザ歯先輩じゃん!?)

他の人より頭二つ分飛び抜けているが、特徴的な色彩の色と髪型で遠目からでもわかる。声は聞こえない。高めに上げられた手がまあまあと諫めているように見える。まわりの野郎どもが興奮したように声を荒げているが、がなりすぎて解読できない。一人の男が、ギザ歯先輩を殴った。ギザ歯先輩は色白だ。白の肌に赤の色が滲む。そこから少し蹲るように、ギザ歯先輩の姿が野郎たちの背より沈む。高笑いする男たちから、たいしたことねぇなという言葉が聞こえてきた。じわじわと囲んでいた輪が縮まっている。

(ヤバイ!)

先輩はデカいわりに細身だ。取り囲んでいるのは筋肉質が多い。ケモミミ系もいる。思わずその場から立ち上がった。どうしよう。援軍を呼んでる暇はない。自分なんか助けに向かっても返り討ちされる。

その時だった。

取り囲んでいた男が一人吹っ飛ばされた。先輩の長い足が片方宙に浮いていた。顔を拭うように制服の手首の裾で拭く仕草をした後、まわりの男たちが一斉に襲いかかった。彼はそれを躱して、軽やかに潰していく………手首しか動いていないように見えるんですけど。襲いかかる男たちの体の一部を触ると断末魔の叫びが上がり、苦しみながらのたうち回っている。

(なんかわからんがエゲツネェ!ていうか、先輩TUEEEEEE!)

またデュースの時とは違い動作にこなれた感じがする。先輩も武闘派タイプだったんかい。この学園、強者多すぎ。残り二人に先輩が近づいたーーー背後に倒れていた男が立ち上がりマジカルペンを構え、先輩に魔法を使おうとしていた。

その瞬間。
私は動いていた。

手にあるものを掴む。その場に全力疾走で近づいた。私闘で魔法はご法度。複数でリンチ紛い。

「一人に多勢とは卑怯なり!………男ならタイマンでキメろやあああああ!ソォォイイイ!」

背後から襲おうとした不良の顔面に、手に持っていた濡れた雑巾(威力高)を投げつけた。突然現れた私に、男たちと先輩がギョッとしている。チラッと見えた先輩の表情は〝なんでお前がいる〟だった。

「フゴォ!」

球技は不得意だが、見事命中したようだ。濡れた雑巾の威力は凄い。鼻から水も吸ったし咽せている。もっと水を染み込ませておけばよかった!

「なんだテメェ!」
「あ、」

それがいけなかった。当たったことに満足して気づかなかった。残党がいたらしく目の前に拳が見える、避けきれない。目を閉じることも忘れて。

(殴られる)

「監督生さん」

眼前に迫る寸前で、物凄い力で引っ張られ抱きこまれた。体の横を早いナニカが通りすぎる。目の前にいた不良の顔面に足首がめり込んでいる。靴の形にめり込んでいる。私を挟んでいるのに、足が届いているだと!?

「ガァッ」

潰れた声で、どさりと崩れ落ちた。うへぁ!痛そう!頭の中でK.O.の文字とカンカンとコングが鳴ってる。

「ヒィ!」

生き残っている残党一人が悲鳴を漏らし逃げていく。スッと抱きこんでいただろう先輩の腕がどけられると、ビュッと風が吹いた。ありえない速さと大きな一歩で詰め、逃げていた不良の背中が沈む。先輩が攻撃を繰り出したらしいが、自分の動体視力ではとらえきれなかった。ミシリッと音が鳴る。骨の砕けそうな音。先輩が気を失った不良を転がし、その腹を何度も足で蹴り上げる。不良から苦し気な声が小さく漏れている。おわあああ。コワイコワイコワイ!それ以上やったら死んじゃう!

「せ、先輩!」

一心不乱に殴り蹴る先輩の腕を掴むと、ピクッと、ピタリと止まった。

静かにこちらに顔を向けられる。頰に血のついた真顔で瞳孔がかっぴらいていた。

(イヤアアアアア!こええええええええ!)

怖い、怖いんだけど、デュースの時みたく何かが違う。本気でコロしてしまいそうな、イヤなかんじ。腕から手をギュッと掴み直した。大きな手だ。同じ男なのに、ここまで差があるのか。

「せ、せんぱい。じ、人体は脆いです。それ以上やると、し、シんでしまいます」
「…」
「せ、先輩。彼はもう既に虫の息です」
「…」
「先輩、怪我してるでしょう。手当てしましょう」
「…」

総無言。何か言ってくれ。目を逸らしたら逃げたくなるので、逸らせない。むしろ蛇に睨まれたカエル状態。実際に間近で見るガチギレイケメンコワイ。

「先輩、どこか」
「黙れ」
「ヒッ」

「…………監督生さんも、締めてしまいましょうか?」

顔に血のついた先輩は、優しい微笑みで私に笑いかけた。
それは、初めて見る表情だった。こんな状況じゃないときに見たいやつ。

(〆る!?)

割り込んじゃいけない状況だったと分かったが、やってしまったのはしかたない。止めなきゃ、先輩がサツジンをおかしてしまう。それはダメだ。それはイヤだ。もっと話したいことあるし聞きたいことがある。人魚姿も見ていない。

「受けて立とうじゃありませんか!〆る前に私が〆てやらあああああ」

先輩に抱きついた。投げ捨てられたら終わりだけど。動きを封じたぞ。抱きついて分かったが、意外と筋肉質だった。着痩せするタイプだったのか。短時間で属性の追加がされていく。

「……『締める』じゃなくて『抱き締める』方では?」
「自分は先輩が殺人を犯すのを見過ごせません!」
「……話を聞いてくれませんか?」
「こちとら、〆られる覚悟だ!」
「は?……あぁ、そちらの〆る…………は、あはははははは」

イヤアアアなんか嗤いだしたあああ。心の中で怯えていると笑い声が止まる。一方的に抱きついていた自分を抱き返すようにギュッと締められた。

「グエッ」
「困りましたねぇ……これは本来、兄弟の得意分野なんですけどね」
「せ、先輩、ご兄弟いらっしゃるんですか、てか、くる、しい」
「おやおや、威勢のいい啖呵切ったわりに、もう根を上げているんですか?」
「グエえええ、ギブ!ギブ!ギブアップ!」
「なんとなく兄弟が締めたくなる気持ちがわかりました」
「それヤバイ奴じゃないですか!」

いつの間にか普段の先輩に戻ったのに、気が済むまでずっと抱きしめられていた。周りにはぼろぼろに屍化としている不良たち。その中心で抱きしめあう男と男……なんだコレ。



先輩の顔面を手当てして掃除道具を片付けて、不良は放置した。

「いいんですか、この不良たち……放置して!?」
「放っておきなさい。その内目が覚めて自寮に戻るか、見回りに来た先生に発見されて保護されるでしょう」
「シにませんか!?」
「まだ気にしてるんですか。この学園の生徒は生きしぶといのでこの程度で死にません」
「この学園こそ修羅か」
「ほらほら、行きますよ。だいぶ遅くなってしまったので、オンボロ寮へ送ります」
「は、はーい」

先輩は自分の歩幅に合わせ一緒に、オンボロ寮の帰り道を、とぼとぼと歩いていく。会話はあれからしていない。気まずい。非常に気まずい。今回のアレ、見てはいけない類のものだったのでは。これから、今までみたいな関係は築けないんだろうか。

「監督生さん、着きましたよ」
「あ、はい。送ってくださりありがとうございました」

気がつくとオンボロ寮の前だった。このまま何も言わず別れるのか、先輩とは明日どうなっているかわからない。かける言葉が見つからない。

「聞かないんですか?」
「はい?」
「先ほどのことですよ」
「それは気になりますよ」
「怖かったでしょう?」
「怖かったです」
「なら、何故あのような行動を?」
「体が勝手に動いていたんです」
「どうして?」

話を切り出してくれたのは、先輩の方だった。質問に答えていくような会話は止まらない。

「親しい先輩が襲われてたら助けにいきます。その勇気を、この世界で見つけたんです。先輩が話してくれるなら聞きます。話してくれなければ聞かないだけです」

先輩はヤバイ奴だ。あんなキレ方尋常じゃない。それに、彼に対する情報は知らないことばかり。話してくれないこともあるのに。なのに、このまま関わり合いがなくなるのは寂しいと思ってしまった。

「……降参です」
「ん??」
「アレを見られたら、大概の人間は逃げるか距離を置くというのに、貴方は馬鹿ですね」
「なんで罵られてるん??」
「ふふ、無謀を勇気と履き違えている馬鹿でよかったと、思うのは意外でした……」
「えええ、いい話風に纏めようとしてます?」
「ええ、そうです。改めまして、オンボロ寮の監督生のユウさん。僕の名前はジェイド・リーチです」

先輩はいつもの笑みで笑った。



先輩が帰ったあとも、呆然と立ち尽くしたままだった。その日、ようやく私は先輩の名前を知った。



「ユウ!帰りが遅いから探しにいくとこだったんだゾ!」
「……あぁ、グリム……」
「ユ、ユウ。ど、どうしたんだゾ?」
「なんか、なんか、危ない男に引っかかってしまった気分なんだけどーーー!?」
「どういうことなんだゾ!?」

会うたびに色んな面が見えてくる先輩は不思議だ。優等生、品方向性な見た目で喧嘩強いしギャップがすごい。

決まって、自分1人の時に出会うので、ユニーク魔法かなんらかの魔法使ってるか、特殊訓練を受けているに違いないと推理している。推理は外す自信しかないけど……うん、出会いすぎだよね。今日は修羅場を目撃しちゃったし。

(あの人何者なんだろう…?いや人魚か)

気になる人魚との交流は、まだまだ始まったばかりである。
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