強制的に自覚させられた


 フロイド・リーチは、オンボロ寮の監督生をそれなりに気に入っていた。

 最初の接触時はそれほど印象に残ってないが、イソギンチャク事件の接触時の間は結構楽しかった。完璧にこちらが勝つのがわかっていて、相手側は確実に不利の状況で遊んでやっていた。そこからまさか一発逆転して、反撃してきたのには正直焦った。アズールがどエライことになっていたが、それはそれ、結果無事だったのでよしとした。フロイドは良くも悪くも、面白ければいいという判断基準の持ち主だった。
 思い返してみると、よくもあそこで諦めなかったものだと素直に感心。後ろの方に飛び上がる小さなエビに少しは興味がでた。それからは機嫌がいいときにちょっかいだして遊ぶ。あいかわらずビクビクしていたが、時間が経つにつれこちらに慣れてくる図太さがあり。それでも印象は、誰かが守ってやらなければならない弱っちい小エビのまま。
 その印象がガラリと変わったのは、大きく関わることとなったウィンターホリデー。
 ホリデーに寮に残ると聞いて、暇つぶしになりそうだと声をかけた。露骨に相方のアザラシには拒否されたが、小エビ本人は曖昧に困惑した表情。それもその時の気分だったのですっかり忘れていた。再び会ったときは、ボロボロの状態で絨毯ともに飛び込んできた。助けを求められて、アズールが承諾したので追い返して理由を聞けば、おもしろい状況に巻き込まれていた。
 監禁されて脱出するためにスプーンで床を掘って、たまたま隠れた宝物庫から魔法の絨毯借りパクして操縦しきれず、オクタヴィネルにピンポイントに突撃してきたというくだりで大爆笑。
 アズールは半目になっていたし、ジェイドは口元を隠して笑うのを堪えていた。話す内容とその話している本人の見た目が合致しない。もう関わりたくないという体でいるのに、トラブルを引き連れて登場する姿は強烈だった。三人とも暇すぎて暇だったので、ちょうどいいオモチャが転がりこんだと密かに笑いあったものだ。その後も空に吹っ飛ばされたり、鋭い一言を言い放ったり、長時間人魚に乗っていても地味にそれを楽しんでいたりとボロボロと印象は崩れていく。弱っちいように見えて存外強かな性質だと知った。極め付けはスカラビアで過ごすさい、ひとまとめに部屋に押し込まれたときだった。本人からさらっと暴露された。
『あ!一応言っときますね。自分、実は女なんですよ』
 アズールが飲んでいた水を吹き出したのを、墨をはいてるみたいだなと思った。言われた意味を理解すると色々マジかとなる。小柄でそこかしこ棒切れみたいな腕や足。頭から爪先まで見直してみると納得した。なんで今まで気づかなかったのか疑問。フロイドは考えれば、小エビの行動に興味があるだけで本人のプロフィールなぞ気にしていなかったのである。ジェイドの方を見れば笑いを少しこらえながら、一連の流れを動画にとっていた。
 あ、こいつ。知ってたな。
 撮られてるアズールはジェイドに文句をいっていた。
 一応世界柄レベルの教育で女子には配慮した方がいいのかな、という良心はあったフロイドは小エビに尋ねてみた。返事は意外にも『いつも通りに接して欲しい』とのことだった。それならとその通りに接した。でも、少しは手加減してあげる。フロイドの性格上柄ではないので、細かな気遣いはアズールとジェイドにぶん投げた。
 性別を知った後でも変わらない態度に安心している小エビを変な女の子だなと思う。異性対して淡白すぎると聞かれたら、興味がないわけではない。フロイド自身男女のアレコレは人並みには知ってるが、天性の飽き性と気分屋で興味が長続きしないのである。そういう話に興味があるときもあるが、ないときはない。そういうカテゴリー。小エビはそんな対象になるのかと問われれば、そんな対象にはなりえなかった。だからといって何も思っていないわけでもなく、小さくて反応が面白いからかわいいと思う。
 なにもかも小さすぎて稚魚ではないかという認識であり、小さい生き物を可愛がる感覚と似ていた。リドルやカリムと一緒にいるときは、ちょっかいかけるのがより一層楽しくなった。
 月日が経つにつれ、ちょっかいをかけにいく頻度は少しづつ多くなった。自身のことを話したり、オクタヴィネルに誘い込んだり、作った魔法薬やクッキーなんかあげたりして、機嫌がいいときは大層可愛がったつもり。気分じゃないときにべたべたしてきたら脅したり素をだして、ビビリちらかしていたが適応してたりする。運が悪い小エビなので、不機嫌なときも関わったりして、怯えさせたりしたが、次の日はけろりとしている。そんな図太さを気に入っていた。
 ある日の何気ない会話だった。小エビがアズールにあだ名はつけないのかと聞いたことがある。
『アズールはアズールじゃん?』
 あたりまえのことを返したら。
『アズール先輩はアズール先輩なんですね』
 嬉しそうな顔。喜ぶ要素がどこにあるのだろうという疑問に思ったが、にこにこ笑う姿に妙にくすぐったくなった。
 フロイド・リーチは、オンボロ寮の監督生をそれなりに気に入っていた。いつか帰るべき場所に帰る人間だから、いつかはさよならしなくちゃならない相手。その時はちゃんと見送ってあげるくらいの関心は持っていた。それに、たぶん…しばらくは、寂しいとは思うかもしれないとも。それくらいおもしろい反応が返ってくる、お気に入りのおもちゃだった。
 ただ、それだけだった。
 小エビに──その少女に表し難い感情なんて、抱くはずはなかった。





 夏のある一日。気分の悪い日だった。常にイライラしたけれど、従業も受け、ラウンジの仕事ちゃんとこなして、ようやくベットで寝れると思ったらジェイドに起こされた。
「アズールから連絡が来ました。寮の中に侵入者がいるようです」
「…………えぇ──、ジェイドだけ行けばいいじゃん。オレ、もう眠いし」
「もう片方は魔力が感じられないので、監督生さんかと。メッセージに書いてありますね」
「へ?小エビちゃん?またなんか巻き込れてんの?しかも、こんな夜更けにカワイソー」
「最近は納まりつつあるとはいえ、時間帯からして緊急事態のような気がします」
「うーん……まぁ、小エビちゃんが絡んでるなら、ちょっとは覗いてもいいかな」
「どんな理由か知りませんが、あまりオクタヴィネルに頼らない監督生さんです。想像以上のことが起こっているでしょうねぇ」
 片割れが夜更けだというのに好奇心旺盛だ。これはこれで、小エビをおもしろく『観察』しているようなので、それが関わっているのだろう。その日も〝いつも通り〟のようなトラブルに巻き込まれているものと、思っていた。
【────助けてっ!!アズール先輩!フロイド先輩!ジェイド先輩!誰か助けて!『私』を助けて──っ】
 声量で名を馳せているディアソムニアの一年生よりも、大きな声が響き渡る。キーンと音が鳴り鼓膜が震える。切羽詰まった声でも、普通にうるさかったので機嫌は急降下。ただ名指しで助けを求められたのは初めて、だなとぼんやり思う。
 ジェイドを置いて、文句を言おうとして視界に入れた光景は、大柄な男が小さな体を踏みつけ、首を締めようとしていたので『これはヤベェんじゃね?』と思い蹴り飛ばした。上の物体がいなくなったのにも関わらず、そのままうつ伏せの状態。酷く痛めつけられたらしい。一応女の子なので、このままじゃあんまりだろうと思い起こそうとしたら。
 強烈な違和感を感じた。
『女の子』
 今の小エビは完璧に『女の子』だった。
 昼間はサイズの合っていないぶかぶかの男子制服を着て、側には獣がいて、あの二人がいて、それに混じるとなぜかそれらと溶け込むような『少年』の姿。夜はウィンターホリデーのときに、性別を告げられその姿を見ても気にしなかった。少女は常に少年でいようとしていたから。だから、今はやけに嫌な気分にさせる。その纏う雰囲気は、取り繕うとしていたものがまったくなかった。どんな時でも、それが崩れることなんてなかったのに。
 掠れた声で自身の名前を呼び、こちらを見たその顔は一層に酷い。殴られたとわかる頰の青アザや、両鼻から流れる血、あちらこちらについた傷。顔だけじゃなくて体も似たようなものだ。それだけなら幾度か喧嘩に巻き込まれて酷い目にあった姿を見たことあるし、助けてやったりしたこともある。自分もけっこう雑に接したりしてるので大きな声で言えない。それなのに、少女は安心したような息をはく。
 渦巻く思考に整理はつかず、いつの間にか近くにジェイドがいた。中断した言葉の代わりに、息を呑む音が聞こえる。一目見ただけで、違和感に気付いたようだ。もう一人を視界に捉えた少女は、精一杯叫んだ。
「対価を支払うので助けてください!!」
 泣きじゃくりながら、自分とジェイドの足にすがりつく姿に──頭を鈍器で殴られたような衝撃が起きる。こんな姿見たことがない。痛みで生理的な涙を流した姿はあった。でも、どんな状況でもこんな壊れたように泣かなかった。
 その姿を見て。
 ガラガラと、ナニカが崩れていく。
 上半身の服は肌蹴るどころか破られ、半裸に近かった。
 脇腹には赤く腫れたあとやスリ傷と痛々しい。胸元を隠す動作せずひたすら助けを求める。呆然と突っ立っている場合ではない。咄嗟に着ていた服を脱ぎ少女に着せてやった。これ以上、自分を含めた他者にその肌を晒してやりたくなかったのだ。これでも察しはよい方だ。この少女がナニをされたのかわかった。いや、どこまでされたのかのかは正確にはわからない。ズボンは履いている。逃げ切れたのかもしれない。しかし、それを今、確認するのにはあまりにも配慮がなく。さらにこの女の子の心をずたずたにしてしまう。
 片割れと視線を一瞬交わす。それだけで、今後どういう行動をとるつもりかわかった。どうやら同じ気持ち。
 オスとしてメスを守ってやりたかった
 この子に欲を向けた奴らを──してやろうか、と思った。
 これでも、自分たちは少女を大切にしていたのだ。異性としてそういう風に監督生を対象にしていなかったが、それぞれそれなりに気に入っていて観察しがいのある人間だと認めていた。
 好きか、嫌いか、なんて問われたら、好きな方と答えるくらいに。
 色めいたものなどなかった。なかった、はずなのに。
 その少女が性の捌け口にされたかもしれない事実は、ナニか形容しきれないものがドス黒く渦巻いていた。この存在は、あの雑魚なんかが触れていいものではなかったのだ。陽の当たる場所で生きて、いつか元の世界に帰る存在。
 たまに、気が向いたら助けてやるくらいに思っていたのに。
 それまで、見守ってやりたかったのに。
 
 気分屋で飽き性の自分が、こんな感情を自覚させられるなんて!
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