強制的に自覚させられた

 
 ジェイド・リーチは、オンボロ寮の監督生を『観察』するのが結構楽しみだったりする。

 ジェイドと監督生は、一連の騒動が終わっても特に個人間の関わりはなかった。当たり障りのないやりとりはしていたように思う。積極的に絡みにいくのはフロイドと、その次にアズールと二人の方が多かった。アクの強い二人に絡まれ、しどろもどろでそれに適応していくのだから観察するのが楽しくなる。
 初めて見たときはさえない人間という印象だったのに、その強烈さが際立つのを見て、興味深い観察対象に切り替わった。なので、彼が一番早くに監督生の性別に気づいた。ジェイドは興味を持つととことん追求して、知ろうとするタチだった。そこにどんな理由があれ、自身の好奇心を優先させた。完璧な興味本位。監督生にストレートに聞いた。あと、どういう反応をするのかも期待していた。
『自衛のために変装してるだけなので、バレちゃったら仕方ないですね』
 少女は、驚いたあとイタズラがバレたような子供の顔をする。弱味にもなりそうになくあっけんからんとした態度。女扱いしろとも秘密にしてくれとも言わず、他の人にもバレてるんですと笑いながら言う。ジェイドは毒気が抜け、知ってる情報の一つになっただけだった。それよりもこの事実を、少女に対して無自覚にめんどくさい幼馴染みが知ったら、どんな反応を示すのか楽しみになった。兄弟である片割れはだいたい想像できる。
 思わぬところでその機会がきて、反射的にスマホの動画機能を作動させる。少女は悪気なくアズールが口に水を含んだタイミングで告白したので、面白い動画がとれた。アズールが少女とジェイドに文句を言うのをスルーして、少女は報告はしたと満足げそうにベットに入り速やかに寝た。男三人いるのにそれはダメだろと、アズールがツッコミを入れる。それに答えるように諦めたような目した魔物が、こいつは最初からこうなので配慮しても意味がないのだと言った。
『オマエたちは変なことするようなオスじゃないと、オレ様もこいつも信用してるんだゾ。こういう奴だから、気にかけて欲しいんだゾ』
『えっと……はい』
 イソギンチャク事件のときは見なかった真剣な表情で、魔物がこちらを見つめてきたのでアズールが返事をした。そのときの空気は妙に哀愁が漂っていたので、この魔物も見えないところで少女に振り回されているようだ。少女は振り回されてるようで、その性別を気にさせないくらい豪快な行動と、歯に着せぬときに毒のある言葉をはきながら、周りを大いに振り回していった。いつも大中小のトラブルのなかに少女の姿はいた。トラブルに巻き込まれて核心的な場面で、なにも行動できないのに、いつもキーになるポジションに収まっていた。少女に何の力がなくても、周りがそれに引き寄せられるように、敵対しては、力を貸してやっていたのだ。色々言い訳いいつつもほっておく奴はいなかった。自身もその一人のうちに紛れこんだりするのも、意外と楽しいと感じた。

 距離が近くなったのは、ビーンズデーのときだと思う。
 自分の目的を遂行するために近づいたが、思った以上に行事を楽しんでしまった。いつも行動するのは身内が多かったので、あのメンバーで行動するのはとても新鮮だった。避けられる性質でそれも気にしていなかったが、行事といえど普通に受け入れられるのは意外といいものだと気づけた。それを緩和しているのはあの魔物と少女の存在か。空気の読める一つ上の先輩か。フロイドも少し我慢して参加すればよかったのにとも思った。片割れは片割れで、おもしろい状況になっていたらしいが。
 行動をともにしている最中、走って逃げるとき少女は遅れることが多々あった。グリム以外、足の長さに圧倒的な差がある。連戦で息ギレするのが早く体力がない。それに申し訳そうな顔していた。ケイトが、女の子なんだから気にしなくていいというフォローに、それを本人は苦虫潰して悔しそうな様子だった。負けずキライなのかと判断したが、それだけではないと感じたのは、ケイトとグリムと少し離され、動きづらくなったので見かねて手を貸そうとしたとき。
『監督生さん、キツイなら運びましょうか?』
『………い、え、大丈夫です。もう少し息を整えれば大丈夫です。もし、邪魔であるなら置いていってください。足を引っ張るようなら切り捨ててください』
『僕のことどう思っているんです?いくらなんでも〝女性〟に、そこまでぞんざいな扱いをしませんよ』
『自分は……今は〝男〟です。気持ちはありがたいですが、そんな気遣い不要です』
『困りましたね………はぁ、貴方は思ったより頑固ですね』
 遠回しに運んだ方が効率が良いと含ませたが、それに気付いていながらしれっと断られる。少しだけ泣きそうに見えた。今は男だと頑なに主張するので、珍しく本当に困ってしまった。前々からレディファースト的な扱いをすると、するりとかわされていたが、ここに来て明確な態度をとった。同時に男女関係なく扱いが雑いフロイドとうまくやれていることに納得した。そこら辺の相性がいいのだろう。ならばと思い、土嚢を運ぶように乱暴に俵担ぎをして片手で支える。
『グェェ!腹がぁ!』
『合流するためにしばらくの間運びますね。後ろの方の確認よろしくお願いします』
『重いし動きづらいし、片手が塞がれますが?』
『そこそこ重いですが、片方の手と両足が使えれば問題ないですね』
『くっ!これが1.9メートル又は全長約4メートルの巨人魚の余裕か!』
『無駄口叩いてないで、辺りを集中してください』
『ふふっ、はーい!』
 取り巻いていた空気は消えうせ、イタズラ好きの少年がいた。そういう風に戻った──どこに喜ぶ要素があるのか疑問だ。ぞんざいに男として扱えば、少女は安心したように楽しそうだった。どんなにそんな扱いをしても、少女が女であることはどうにも変えられない。触れた体の柔らかさも、軽すぎる重さも、折れそうな華奢さは、大柄なジェイドや小柄な方のリドルと比べても差がありそれを物語っていた。その時に女の子だなと改めて思い知らされたのも。
 分析には長けているつもりだ。
 こちらはそういうつもりはなくとも。それをわざわざ指摘するのは、少女にとって苦痛であり馬鹿にされていると感じることも。意地悪な言い方で接することが多いが、その部分だけは触れてはいけないのだろうと見て見ぬふりをしたのは、少しはある良心だ──少女がその性に忌避していることに気づいた。

 行事は終わり、寮へ戻ろうとしたとき。監督生はジェイドに写真を一緒に撮りたいとお願いする。ケイトと散々撮ったので、対価の心配はしていなかった。快く了承したジェイドは一緒に撮ろうとして少し困った。
『身長差がエグすぎる』
『台がどこにもないんだゾ』
『あ、ベンチとか』
『僕が屈みましょうか?』
『自分と合わせるとなると、先輩の態勢がおもし……』
『ふむ、ではこうしましょう』
『うわっ!』
 ひょいっと両手で、グリムを抱えた少女を所謂お姫様だっこをしてやった。さっきは声をかけて抵抗されたので、やってしまった方が案外すんなり諦めると思ったからだ。
『顔が、近い!近い!』
『ふなっーーー!そっくり兄弟の顔面に押しつけるなあああ』
『おや、意外と毛並みがいい』
『あ、ブラッシングしてあげてるんです。わかります?』
『そうなんですね』
『オレ様を挟んで会話するんじゃねぇんだゾ!?』
 散々嫌がっていたのに今は気にしてないようだ。女として扱うのではなく、稚魚として扱うなら問題ないようだ。また『観察』すべき項目が増えた。
『はい、チーズ!』
 その写真は、今もスマホの画像の中にある。

 副寮長会議でトレイと他愛ない話をしているとき、その話題は出てきた。
『ジェイド。あいつをよく観察してるよな、ついでに妙なことに巻き込まれてるようなら教えてくれないか?』
『妙なことですか?』
 話題の一つとして、監督生の話がでたからだろうか。良くも悪くも話題に事欠かない存在だ。クセの強い各寮の代表者たちに話を持ち出して、呆れたり鼻で笑われたりする人物でもあるが、それだけですみ嫌悪はされない。絆されている連中が多かった。
『う──ん、ちょっと言いにくいが、ああ見えても女の子だろう?性別絡みでイヤなことに巻き込まれてるとか、だな…………?』
『………性的なちょっかいということですか?まさか、あの子に?冗談でしょう?あれは稚魚ですよ。第一深く関わってる貴方がたが、そんな目で一切見てないじゃないですか』
『俺たちじゃなくても、腐るほどいるだろう。男子校なんだから。監督生はこの世界の同年代の女子より、幼すぎるかもしれないが16歳の子なんだよ。それでも、別の男からはそういう対象になったりする場合もある』
『体格からして幼すぎると思うんですが、人間は物好きがいるんですね』
『おいおい、さすがに監督生に失礼だろう。異種差別じゃないが、人魚的にはああいうタイプいないのか?』
『ないですね。生存競争が激しいので、ああいうタイプは食物連鎖の方で心配されてます。そもそも同族が人間より少ないのもありますし、海の中での僕らの年代はさらに少なすぎるんですよね。それでも、色恋はちゃんとありますよ』
 ──陸の人間絡み系は厄介ですしね。
 トレイは知ってるかどうかわからないが、人魚の人間が絡んだ色恋は凄まじいものが多い。そこは、関心でもあれば知ってるか。
『そうか……でも、な。人魚の世界が複雑なように、人間の世界も複雑なんだよ。女性は大切にしろて、子供の頃からの教育だけどな。みんながみんな大切にし続けるなんてお伽話だ』
 どこの種族だって、種族間の問題はそれぞれだろう?とトレイは細目になり苦笑する。それでも真剣な表情だ。彼もどこか、幼馴染みのリドルを含めて人と一線を引いているタイプだと認識していたが。
『意外だと思ってるか?………あの〝出来事〟を体験してからは、せめて何事もなく元の場所に帰って欲しいと願っているんだよ。それを思うくらいには普通の情はあるさ』
 果たしてその『普通』にはどんな意味が含んでいたのか。

 本当に可笑しな存在。いつの間にか、誰かの懐に潜りこんでいる。
 善に見せかけて悪にもなりえる。
 一番弱いくせに誰もが諦めた状態で、最後までその小さな体はその場に立ち続けた。ポムフィオーレのルークが、少女のことをトリックスターと呼んでいた。しっくりと少女の存在を表す表現だと今は思う。
 ──そのままでも強さを持っているのだから、忌避しなくていいんですけどね。

 ジェイド・リーチは、オンボロ寮の監督生を『観察』するのが結構楽しみだったりする。

 興味深い分野である山やキノコとは、また違うおもしろい観察対象。それだけなので、監督生を女だとは認識してるが、そんな対象にはならないだろうなと思っていた。好みと聞かられば、好みじゃないとはっきり言えた。だが、嫌いかと言えばそうでもない。まぁ、ある意味かわいがってるつもりだ。食べちゃいたいくらい好きではないが。
 ジェイドがそう思っていても、それを知って別に少女は傷つかない。なによりもそれを少女は望んでいた。深く関わっていく周りの男たちにその性を主張しなかった。常に少年のように振る舞う姿から、どう見えても女の子として見られていなかった。勘のいいものはあえてそういう風に接している。アズールは少しめんどくさい感情で悩んでいるようだが。
 それにあの少女は同年代の少年たちと、騒がしくもみくちゃにされてる姿はよく馴染んでいた。
 ジェイドにとって、監督生はそういう立ち位置にいる女の子だったのだ。男女のあれそれに巻き込まれるようなタイプではないと、思っていたのだ。
 そんな対象になりえないと、思っていた。
 好奇心がおさまらない。知れば知るほど、もう少しおもしろいものが見れるじゃないかと。もっと深く『観察』したいと。その一歩踏み出すことは──ジェイドは許さなかった。いつかこの世界から居なくなってしまう存在に、そこまで深入りすることを拒否した。





 その日も〝いつも通り〟のようなトラブルに巻き込まれ、またおもしろいことに巻き込まれていると、思っていた。呆然と立つ片割れを確認してから、すぐに違和感に気づく。
 泣いて縋る姿。
 目の前にいる、その存在は『女』だった。
 尋ねなくても、少女がナニに巻き込まれたのかわかった。知識の一つとして知っていた。ジェイドは知っていた。それでも目の前の〝彼女〟は漠然とそれとはほど遠い存在、だと。彼女は女であることを隠しはしなかった。隠しはしないまま少年のように振る舞い。誰よりもそう望んでいた。
 ──その可能性は、トレイが教えてくれていたのだ。トレイが言いたかったことはこのことか。体現を現したようなボロボロになった姿を見て、ガラガラ崩れゆく。誰よりも女であることを忌避し、悩み、それを受け入れていようとしていたのに。その途中で、無理矢理、最悪の形で女の性を引きづり出されてしまった。あと、もう少し、ありのまま成長しようとしていたのに。
 自身が作った箱庭に閉じ込めていたわけではない。この大きな箱庭で、何もかも劣っている思われている力のない人間が、飼育されるのを跳ね除け、どこまで足掻いていけるのだろうか。それを観察するのを、大切に、大切にしていたモノを壊された喪失感に打ちひしがれる。大切にしていたなら、もっとわかりやすく具体的に気にかけてやればよかった。
 らしくもない後悔を抱いている。
 彼女に対する感情が激変していく。彼女を放っておけば、ずっとこのままこの痼を抱えて生きていくのか。もっと面白く自由に成長するはずだったのに。
 フロイドと視線が合う。激情を宿す同じ顔は、ジェイドの今の姿を映しているようだ。
 ──ジェイド・リーチもフロイド・リーチもやられたままで、終わるわけがない。どんな手段を使っても退路を断ち何十倍にして返す。この場合やられたのは彼女だが、そこは関係ないのだ。構う理由は違えど、二人して可愛がってた存在をズタボロしたのだ。断罪に値する。この領域に踏み入れた時点で、彼らがルールだった。
 フロイドが何をするのかわかっていた。ジェイドは、それを彼女にも見せることにした。嫌がっても見せる。少女に教えてやる。おまえを蹂躙したものの末路がどうなるのかを、その性は嫌悪すべきものではないと。
 彼女に好かれようと思わない。アズールやフロイドは、そらしてやればいいのにと言うだろう。悪手だと理解していてあえて選ぶ。ショッキングな出来事には、それ以上にショッキングを与える。生きる気力を、死にたくなる出来事だとしても命を断つ選択は与えてやらない。ずるずる、ずるずる、巻きついて離れない。心の傷が癒せるまで、癒せなくても、それをいつか受け入れて、誰かを愛せるようになれるようにずっと守ってやろう。
 その間に、深く『観察』したい好奇心が、アレと同じ欲望に変わってしまうのかどっちに傾くのかはわからない。元の場所に帰れるとわかっても。もう、この少女を返してやれない。それを人間は、倫理がないというのか。エゴだというだろうか。別にどうでもいい。少女にめんどくさい感情を向けていたのは、自分自身も同じだった。
 自覚しないようにしていたのに、そこまで似なくてもと、自分へと嫌味をこぼした。
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