強制的に自覚させられた
アズール・アーシェングロットは、オンボロ寮の監督生のせいで振り回されていた。
アズールの監督生への一番最初の印象は、異世界から来た人間。その要素を、利用価値は大変興味深いが、まだそれに手をつけるより他に優先するべきことがたくさんあったので、積極的に関わるほどの存在でもなかった。
状況が変わったのは、リドル・ローズハート、レオナ・キングスカラーが立て続けにオーバブロットする事件。必ず関わっている魔力のない人間の話は色んな形で耳に入る。その近くには学園長もいる点に、利用できるかもしれないという考えに変わった。そして、他でもないあのイソギンチャクたちを釣った日。その人間のことも計画に組み込んでいく。人の良さそうなあの面を思い浮かべ。
あれも、釣られてくるだろう。
ラウンジの二号店の候補地を探していた。もしそうなったとき目をつけていたあの寮を担保にして、どんな要求をしてやろう。
予想通りにあの人間は乗っかってきたが、以降は計画通り進んで味気ないとすら思う始末。イソギンチャクの生えた三匹と獣人属の一匹に魔力のない人間、これでどう乗り切る。対価を支払えない騙される方が悪いと、余裕だと思っていた。
結果は負けた。
長年貯めていた契約書の束はどこぞの肉食獣に砂にされ、例の黒歴史の写真はその場にいる輩に露見した。後者はどこぞのウツボの気まぐれな暴露のせいだが。
一連の騒動を無害そうな表情で美談にしたあの人間に、なんと表していいのかわからない感情を植え付けられ。アズールは困惑していた。自身から仕掛けたとはいえ、あの人間のしっぺ返しは散々なもの。元々あった素質だったのか、それともそれを目覚めさせてしまったのかわからない。ただわかるのは、自身があの魔力のない人間の作戦に負けた、ということだけ。
──恨んでいる?
逆恨みは自身のプライドが許さない。あの少年の影響力を舐め腐って、ツメの甘さが招いたこと。次があれば、ないかもしれないがその時は最大級のおもてなしをしてやればいい。
そうやって、アズールは無意識に否定した。
『アーシェングロットくん、今は良くてもそのやり方ではいつかは破綻していましたよ。この機会に自身を見つめ直すのも、またいいやり方を思いつくかもしれませんねぇ』
学園長にここぞとばかりに咎められ。対策として、モストロ・ラウンジの営業形態を変え、契約についての問題点も大幅改善した。満足そうに頷くあの仮面の男を見て、あの少年が動いたのも、こいつの影響もあるのかと思い、掌の上で踊らされていたのは自身かもしれないと唇を噛み締めた。
いつかは破綻する。そうだろう。そんなことわかっていた。でも、あの時はそうするしか、力を得られない。
『アズール、また考え事ですか?オーバブロットしたんですから、少し安静にしたらどうです?そうしないとまたタコに戻ってしまいますよ?』
『お前は一言多いな本当に!………色々痛手を負ったんです。休んでられませんよ』
『あはっ、イソギンチャクいなくなったのはすげぇ痛手。あ〜連勤ダリィ』
そう誇示しなければ、なくなると思っていたんだ。それが、今となっては杞憂。
ちらりと変わらず側にいる二人を見た。
なんだかんだ言う癖に。あれだけの醜態を晒したというのに、片方はちょっとゲンメツ程度済んでいたことを思い出して蛸壷で頭を抱えたし。もう片方は、始終動じていなかったすら思う。いや、少し焦っていたか。
まただんまりになった自身を、二人は不思議そうに見ていた。
アズールにとって完全敗北を突きつけられた苦い記憶は今でも思い出す。手元になくなった物と、なくなることなく残った者。ひた隠してきたある不安が少しだけ拭い去った記憶でもある。ある人間の姿が脳裏に浮かぶ。
──ああ、そうか。僕は、あの程度の奴に気づかされてしまったのか。
それが、悔しかった。
思い浮かぶのはリドルとレオナの変化。
双方の一番の問題は解決していないのに、どこか取り巻いていた見えないナニカ……憑物とでもいうのか落ちたように『変わった』リドルはわかりやすかった。あいかわらずフロイドにからかわれてブチ切れはしていたが、一年時のときと違い心に余裕ができたように感じる。
対するレオナは一見変わったように見えないが、たしかに変わったのである。そうでもなければ、学期末テストのときアズールは敗北しなかった。いくらどさくさに紛れて自分の契約書破棄、脅されたとはいえオクタヴィネルの厄介さを知っている奴が、あんな弱者に力を貸してやるなんて。
かの獣人に、本当にそれだけかとそれとなく聞いてみたことがある。
『言っておくけどよ、あいつら。オレが獣人属であることをこれでもかと利用しやがったからな』
『それはそれは、どれほどのものか聞きたいですね』
『再演してもらえ』
『それは結構です』
『……ふーん。そんなにあの草食動物が気になるならテメェで直接探れよ、得意だろ?』
思い出したのか苦虫を潰したような表情から、こちらをじろじろと眺められ、途端に面白そうなものを見つけたような表情に変わる。学園長にしろ、レオナにしろ、こうも見透かされてるのは中々癪に触った。
──ああ、本当厄介なことをしてくれたな。
自身を棚上げして、あの人間のことを責めた。こちらとすれ違えば、普通に会釈して何事もなかったように振る舞うあの図太い人間を、もう捨てて置ける存在にすることはできなかった。
結局、この捻くれた性質は変えることなどできないのだ。
思わぬ形でソレはこちらに飛び込んできた。
ボロ雑巾の姿でどうか慈悲を、と助けを求める姿を見て、この人間はまた巻き込まれたのかため息をつく。助けて話を聞いてみれば、どうも面白くキナ臭そうな事件に関わっていた。それに以前から、お近付きになりたいと思っていた『彼』もいる。ウィンターホリデーは始まったばかりで、ちょうど実りのありそうな暇つぶしだと、それを楽しむため話し合いは煮詰めたものだ。
こちらを呆れたように眺める疲れきった少年と一匹だが、このお人好しがこのままこの件をほっていくなんてないだろう。ついでに、特大級の恩は売っておこう。せいぜい振り回される姿を見てやる………なんて思っていたのが懐かしく思う。
またしてもあの少年にしてやられる結果になってしまった。よりにもよって水分補給した瞬間にさらっと爆弾は投下だ。
あっけんからんと秘密を打ち明けるそんな少年は女だった。
女性を大切にする教育は子供の頃から身に染みついているため、混乱とこれまでの行いが走馬灯のように思いだされたが、スマホで動画を撮りながら爆笑するウツボの姿を見て途端に冷静になった。確実にジェイドはこの少年──少女の性別知っていたのである。
そこで、さも問題は解決したというように、信頼しきり眠る姿にただひたすら困惑した。異性が密室で三人もいる状況に、あまりにも警戒心がなさすぎる!別に情欲がわくとかそういう目で見るとかないが、後々この少女の性別が露見すれば問題になるだろと、現実逃避をする。トドメの魔物の一声により、なんとも言えない空気がその場を満たし。
『じゃあ、いいか〜』
『言い訳あるか!!』
同衾するウツボたちもウツボたちだが成り行きで自身も引っ張り込まれ、その夜は一睡も眠れなかった。
事件が終結してオアシスで着衣したまま泳ぐその存在に、誰も少年が少女とは気づかない。特にあの同年代の二人といる姿は、小柄や手足の細さが強調されているにも関わらずそれほどまでに彼女の、少年としての振る舞いは自然なものだった。後から詳しく聞いてみると、特別隠しているわけじゃないのだと言っていた。関わった人々には打ち明けているそうだが、だいたい驚かれると言い。どちらかというと、彼女の図太さに驚かれている気がした。
理由はどうあれ力を貸してやったのは、彼女にとって信頼できる要素だったようで。一線を引いていた壁は取り払われて、頼るときは頼られるようになった。事前に対価を確認してくる姿にいつものように接してしまうが、少しだけ絆されたというのもある。別に女性だからといって特別優しくするわけでもないが、男として信用されているのなら害そうという気はなくなってしまったし、なにかと頼られるのは悪い気がしなかった。
同時に、この存在に自身は負けたのかと、燻り続ける悔しさを気にしないようにごまかし続けた。
良くも悪くも、利用できる人間。あるいは橋渡しのような存在。
監督生という立場につけ込んで彼女の相棒を利用したり、ラウンジの人手が足らないとわかりやすく嘆いても、困った表情でなんだかんだ手伝おうとする姿は都合が良かった。労働に関しては、彼女の生活はどちらかという貧困に思い体調を崩されたりしたら困るので、相応の賃金は払ったら逆に驚かれた。自身をどう思っているのか問い詰めたものだ。
仕事をソツなくこなす双子の片割れが、世間話を話すように喋りかけてきた。
『心配してるなら、もっと素直に示せばいいのに。貴方の態度は誤解されやすいんですよ』
『僕があの人間に?笑えない冗談ですね。今は都合のいい駒であるようなので、管理してるだけですよ』
『おやおや、またそんなこと言って、ふふっ』
この咎めている存在こそ、彼女を珍妙な生き物のように観察しているというのに、どの口が言うのか。特に返した言葉にも反応せず。会話はすぐに打ち切った。そう、結局ジェイドやアズールにとってその程度の人間だ。フロイドはどうか知らないが、あれも気分屋なのでいつ飽きるかわからない。
彼女のいる日々は常になんらかの事件が起こっていた。月ごとに、ポムフィオーレ、イグニハイド、顔見知りたちはなんらかの事情を抱えて、暴かれて、そして、憑き物が落ちたようにどこか変わっていく。彼女自身できることは限られていたにも関わらず、まるでそれが決まっていたことのように。色んなニンゲンたちは彼女たちを巻き込み力を貸し、様々な事件が起こり解決されていく。
行事で魔法薬飲んでいるとはいえ何倍もあるでかい相手に突っ込んでいく姿を見て、あいかわらず無謀な人間だとは思うのに、どう結果を覆すのか期待してしまう。そんな、魅力の持った少女だった。もうその存在に違和感なく馴染んだ。
その少女はまたも周りを驚かせた。
少女は親しげにかの妖精をあだ名で呼んでいた。漆黒のツノを二本持ち、エメラルドグリーンの瞳で周りのすべてを見下ろしているかのような男。誰からも一目置かれ遠巻きにされていたはず。彼の周りにいるのは常に限られた者のみで。少女はその存在の側に居るには、あまりにも不釣り合いであり。それを打ち消すかのように、かの妖精は少女に誰もがわかりやすい好意を向けていた。
一国を統べる時期王が人間の娘に……と、案の定周りは騒ぎ立てたが、逆に側近である彼は面白そうに眺めていた。その後、種族の問題を取り巻く大事件を乗り越えてからは、認められたように隣に居ることを受け入れられていた。
この時、種族の差を超えたような関係に、アズールは焦燥のような感覚を感じた。
彼女からそれとなく、いつから知り合いなのか探る。会う機会は少ないがマジフト大会の頃に知り合った情報を、そっと不自然に目を泳がせている姿。これは学期末のあの事件にも一枚絡んでいるとみた。そんなに早くから、あの妖精と人間の少女は親しくなっていたとは。きっとなんらかの知恵を授けたりして彼女を助けていたようだな。
──それが、なんだ?僕には関係ない。
体の内側がモヤモヤした感情に支配される。多少差はあれど今は人間の見た目をしている。あの妖精と自身は彼女とは違う種族だ。本来の姿も違えば、魔力も違う、命の長さも。ましてや彼女はこの世界の人間じゃない。世界すら違う。
そんな、相手を何故。
いつの日からか、寮長会議を察知して連絡なしに出席するようになったマレウスの姿が、気にされることがなくなった頃。
その日は、会議室にアズールとマレウスしかいなかった。機嫌がいいのかマレウスはアズールに、彼女に関することを話していた。穏やかでなんの変哲もない日常の話。それは、あのマレウス・ドラコニアが話せば非日常的なものとなった。
──あの人間は図太すぎる……無知とは本当に恐ろしいな。
正体を知った後も態度がそんなに変わらなかったことは割合しておく。まあ、そうでなければこの学園でやっていけなかっただろうが。と思いつつも、モヤモヤする気持ちはおさまらない。この日は更に情緒が不安定だった。アズールは様々な原因が重なり、とてもイライラしていた。普段はそのイライラをあの双子にしか見せないが、柄にもなくマレウスにぶつけてしまった。
『マレウスさん、いいのですか?あまりあの人間に入れ込むのは、後々あなたにとって辛いものになるのでは?』
『珍しいな。お前が僕を気にかけるなんて。そんなに、僕とあの子はそう特別に見えるのか?ただの友人だというのに』
『……そんな風に見えますが、この学園の者なら以前のあなたを知ってる分そう思いますよ』
『ふむ、そうか。僕はただあの人間の生き方を眺めていたいだけなんだがな』
『眺めるには面白いものではありますが』
『そこは否定しないのか。そうだな、失うことのがないなら、それでいいんだ。生きていれば、それでいいんだ』
刺のある言い方に気にすることなく、雷を落とされる心配はないようだ。独り言のように呟かれたその台詞は、一連の事件に対してのものか、彼女に対してのものか少し寂しさが含まれている。
気にしてないわけではないんですか、あなたも。
『なァ、アーシェングロット。僕があの娘に向けるものは色の含んだものじゃない。お前どうなんだ?』
『は?』
『そこまでわかりやすい気を含ませながら自覚がないのか。人魚はめんどくさい種族だが、一途であると認識はしている。せいぜい、どこぞの馬の骨に取られる前に気づくことだな』
『何の話ですか!?』
それよりも、その瞳は更に面白そうにニィと目を細められる。居心地の悪くなる視線だ。レオナもジェイドもそうだがこの男も、どこに面白い要素があるのか。その会話を終了させるように、続々と学園長を始め他の寮長たちが入室してきたので、結局その話題はそれで終了した。あの妖精もニヤついた顔でこちら見ていたが、会議終了後に即転移魔法で退室したので、その日の気分は最悪なものだった。
──からかわれたのか!?当て付けか!まるで、あの言いようじゃ僕の方が、あの人間に。
──好意を持っているようじゃないかと気づき、別の意味で頭をかかえた。
◆
ジェイドとラウンジの新作メニュー考案や寮内関係の話をしながら、次の授業の移動中。とある教室から、騒がしい声が聞こえてきた。その声に聞き覚えがあり、その傍らにはある人物がいると思い浮かび。そわっと何かが跳ねた。
『錬金術の教室からグリムくんの声が聞こえますね』
『1年A組の連中が何かやらかしんたんでしょう』
『ふふっ、監督生さんがいらっしゃいますね』
『そこで何で、監督生さんが出でくるんです』
『そわそわするぐらいなら、少し覗かれては?ちょうど野次馬もいますしごまかせますよ』
ニタニタと嫌な笑いで見てくるジェイドに、本当にイイ性格していると毒づく。言い返すのもなんだか疲れてきたので、もう無視しようと決めた。この憂さを、関係もない監督生の巻き込まれを見て晴らすことにした。
──懲りない人だ。そんなの放って置いて、関係ないと主張すればいいのに。
今日もアズールはオンボロ寮の監督生の行動を眺めていた。また小さな騒動に巻き込まれその尻拭いをさせらている。どんくさいあの人間のことだ。うまくかわす仕方など知らないだろうと笑いそうになる。周りはなんだかんだ言うが自身はこうだ。好意を持っているなら、もっともう少しキレイなモノに違いない。
──ほら、やっぱり、僕はあいつのことなんとも思ってないじゃないか。
その無駄に大きい身長で見渡すジェイドに早く移動しようと促し、その場から立ち去ろうとした。そうやってナニカごまかそうとしてふっと違和感を感じる。人魚特有の本能が警鐘を鳴らす。
〝トラレルゾ〟
──何を取られるんだ?
ギュッと瞳孔が細くなる。同じように野次馬で眺めている連中に目配せした。気になる。関係はないが、取られるのは気にくわない。その内、ある男と目がかち合う。ビクッとした男は怯えたように、そそくさと早足でその場から消えた。
『アズール、珍しく威嚇してどうしました?』
アズールの異変に気付いたのか、ジェイドは声をかけた。アズールはアズールで、何もないと答え移動を再開した。
──僕は、威嚇していたのか。また何で威嚇していたんだ。
自分でもわからない感情に振り回される………本当は認めざる負えない状態になってきていると、本能は訴えかけてきている。ちょうどその時、通り過ぎた先生に呼び止められた、いつもの表情を作り意識をかえて、考えるのをやめた。
季節がまた過ぎて、今度はこの学園が妖精たちのパーティー会場に指定されてしまう事件が起きた。
傍迷惑なことに学園の気温を管理する魔法石を持ち去り、ティアラに加工してしまい、学園中の気候がおかしくさせた。無責任な学園長呼び出しに、事件解決は他の輩に押しつけそそくさとその場を去る。
協調性のない面子たちがどう乗り切るのか見ものであったが、早く解決してくれるようには祈っていた。ヘタにちょっかいを出しては、押し付けたはずが巻き込まれかねないので解決まで一切関わらないようにする。それよりもモストロ・ラウンジの営業をどうするか頭を悩ませた。
──寮の外部にあるとはいえ、コスト削減で空調は利用させてもらっていましたからね。ここで、それが仇となるとは。これを機にエアコンを導入しようか……しかし工事費がかかる。
直接関わっていなかったが、後から奪還メンバーにオンボロ寮のあの一人と一匹も巻き込まれてたことを知った。か弱い人間に見えてはっきりものを言うので、協調性皆無の面子たちに発破をかけたらしい。特に仲の悪い相手がいない彼女はスムーズにことが進むように、間に入りパシリになって奔走していたようだ。
本当に虫唾の走るお人好しだな。
作戦当日、前寮長に魔法石奪還の連絡が入った。メールを見たジェイドとアズールは安堵したため息をついた。
『今日でこの暑さともお別れですね、これでラウンジも営業再開できます』
『本当にやれやれです。二連続はないでしょうが、こういったトラブルは二度とごめんです』
『………あ〜〜小エビちゃんじゃん。かわいい〜お洒落してる〜』
休業中のラウンジのVIPルームにて、気だるげにスマホを見ていたフロイドが急に大きな声を上げる。何事かと思いそのスマホを覗くと、マジカメに『任務達成!』という作戦メンバーの集合写真が載せられていた。身長的に前にしないと映らないのか、恥ずかしそうに真ん中で縮こまりながら、グリムを抱いている彼女の姿があって。その左横に肩を抱いた満面の笑みのカリムもいる。右側にはラギーがおり、後ろ側にいる面子は苦笑していたりやる気が無さそうだったりするも、珍しくこういった集合写真に映っているヴィルとクルーウェルも満足げに笑っている一枚。
『こうして見ると、珍しくて面白いメンバーですね』
『そーいえばさぁコバンザメちゃんから、トド先輩がベタちゃん先輩にケツしばかれてたて聞いたんだ。見てみたかったな。絶対面白いじゃん』
『おや、それなら。ラギーさんと取引してその動画を頂いていますよ』
『え!それ本当!早く見ようよ!』
たぶん、頑張った相手に、割と最悪な内容でウツボたちが盛り上がっているが相手の日頃の行いだろう。かわいそうにも思えない。アズールも自身を棚上げしながら、後でその動画を拝見しようと思った。
それから、自身のスマホを起動すると、マジカメで検索してその写真をもう一度見る。彼女の普段とは違う着飾れた姿。照れ臭そうにはにかんで笑っている姿。思えば彼女がこのような着飾った姿は、初めて見たかもしれない。少年のように振る舞っているが、そこに映るのは可憐な少女にも見える。こんな写真を載せていいのかとも思うが、彼女の顔見知り以外この写真の反応は、ヴィルやレオナの圧倒的な存在や周りの容姿の整った面子に囲まれているので真ん中に映っていても、霞んでいるようだ。
──意外とこういう服装似合うんですね。
学外への外出もままならない彼女は私服を持っていない。寝間着がさすがにあるらしいが。必要すらないといった感じで、見かける服装は、だぼだぼの制服と運動着に実験服と、唯一の華やかな衣装は式典服のみだと聞いた。オンボロ寮なので寮服すら無い。
──女性ですし。今度気まぐれに服でも──いやいやいや!?
今、自身は何を考えていた。
『めちゃ見てるじゃん。アズール、画像保存しちゃえば〜?』
『顔が緩んでいますよ。アズール、監督生さん可愛らしいじゃないですか。今度贈り物でもしてみたらいいのでは?』
先ほど動画で盛り上がっていたウツボたちは、いつの間にか両脇を固めながらニヤニヤと笑ってスマホを覗きこんでいる。今度はアズールをターゲットに変えたようである。
『こ、こんなの服装効果ですよ!さあ、お前たち!遊んでないで滞ってたラウンジの再開の会議を始めますよ!』
『うわ〜バレバレのごまかしじゃん。あ!そうだ!今終わったぽいっし、そのままの衣装じゃね?見に行かね?アズールの為に!』
『断固拒否する!!!』
『いいですねぇ、フロイド。引きづられるのを必死に抵抗しているアズールの為に、監督生さんを拉致りにでも行きましょうか』
『あ、そっち?別にそれでもいいけど』
『言い訳ないだろう!やめろ!変な誤解を抱くな──!』
早く認めてしまえ、とでも言うような視線を無視して、全力で引き留めを抵抗した。
監督生はよく図書館を利用する。だから、図書館でばったり会う時がある。アズールは慈悲深いので自身が手が空いているときには、手助けしてあげようと思い話しかけにいくこともあった。もちろん対価は頂く、押し売り商売精神。
『こんにちは、監督生さんは変身薬にご興味があるんですね』
『ひぇ!ア、アズール先輩、びっくりした………えっーと、まぁ……少し興味があって………あ、先輩も人間になれる薬を飲んでいるんですよね』
『えぇ、国から認定されたものですが、人魚は詳しいのが多いですよ。なんせ、自分自身の体に関わることですからね』
『おお……!』
『変身薬に関することが知りたいなら、お教えしましょうか?』
『ぜ、ひ……うーん、いつも以上に胡散臭い笑顔……ちなみに対価は?』
『言うようになりましたね』
少女の雰囲気が暗いので少し声をかけることにした。背後から近づいて読んでいる本を見ると『変身薬』の内容の本。気配に気づいたのか振り返った少女は、ビクッと肩を跳ねさせる。不自然に話をふっても普通に受け答えをするが、それまでの雰囲気をごまかすように振る舞おうとしていた。逃すつもりはないのでここぞとばかりに問い詰める。いつもと調子が違うので、これは弱味が握れるのではと勘が働く。察知するのは得意だ。そういう商売を長いことしていると。
『対価を支払えば困ったとき、先輩は助けてくれるんですよね?』
『ええ、そうですね』
初めは気乗りしていなかった彼女も、変身薬の一つ性転換に関連する話を続けるとポツリポツリと語るようになっていく。今日は本当にどうしてしまったのか。するするとこちらの話に乗ってくる。かかったと、思った。契約まで結ばなくても、深刻そうな悩みを知ることができそうだ。
『人魚が人間になれる薬があるならーーー女が男になれる魔法薬て作れるものなんですか?』
思いつめた瞳で、その声は真剣だった。背筋が冷えるような気がする。つらつらと喋っていた自身の口は詰まった。感じたことのない類の、ふつふつと煮え立つような感情。
『……………誰かに、何かされたんですか?』
『え!?あ、違いますよ!ここって男子校ですよね。一時的にでも男になれたらラクかなって』
すぐさま自ら茶化すように笑う。しまった。露骨に態度に出してしまったのか、いくら鈍感な相手でもおかしいと感じたようだ。動揺をこれ以上悟られないように、彼女に合わせて自身も普通に見えるように接する。
『はぁ……そういうことですか。作れるといえば作れますが、転換薬は許可がないと作れませんし使えません。学園長に相談しましたか?』
『許可が必要なんですね』
『一時的なものでも合わなければ、副作用を併発させる恐れがあります。本当に使うとなればちゃんとしたリスク調べあげて考えてから使ったほうがいい。人魚の変身薬にも個体差で合う合わないがありますから』
『あぁ、副作用か。そっか……リスクの可能性を考えてませんでした』
『誰に話しても止められると思いますよ。くれぐれもリドルさんとかには、冗談でも言わない方がいい。魔法医術に詳しい人間ほど重く受け止めるので。軽い気持ちで話題にでもすれば………』
『想像難くないです。すみません、この話は聞かなかったことにしてください』
『いいですよ。さて、対価は何にしましょうかね?』
『あ、やっぱ取られるんですね?』
『もちろん』
あとは気の抜けたような会話のみ。深刻な雰囲気はどこ吹く風。
冗談で言ったつもりはないのだろう、軽い気持ちでもなさそうだ。彼女はごまかすのも嘘をつくのも下手くそだ。だからといっても、一杯食わされた身としては下手に見るほど舐めてはいない。真正面から向き合えばその微細な表情の変化で、心情がありありと手にとるようにわかる。
やめるとは、言わなかった。
薄々と違和感は感じていた。無理に男っぽいフリをしているわけではないと思っていたが、根本はもっと複雑で同性ですら触れてはならないものを感じる。ならば異性である自身はさらにだろう。それなのに。
──それを知りたい、寄り添ってやりたいなんて柄にもない。変わる必要なんてないだろ。
変わりたいという気持ちは少しわかるが、あの姿が本当に変わってしまうのが惜しく感じてしまう。誰かに彼女が害されたのだと思った時の、どす黒いあの感情にはまだ向き合えない。
あぁ畜生。もう、わかってる。もう、誤魔化しが効かない。
人間に。
それも異世界の人間に。
数ヶ月前にも妖精のせいでいざこざがあったというのに、今年は一体どうなっているんだ。ゴーストのマリッジだかで学校が占拠され、あいつらを追い払うまで、またラウンジを一時休業せざるをえなかった。一番不運なのは久しぶりの外出で見初めれた部活動の先輩だが、思わず笑ってしまった。その騒動も不服な部分もあったが、なにもかもが終わり。今回頑張っていたらしい連中には少し労っておこう。
全てほったらかして、さっさと帰ってしまったゴーストたちの後処理をするのは、下っ端である一年生たちがその役に抜擢された。当然のようにいつものごとく巻き込まれた彼女は、せっせと片付けをしている。それで手伝うつもりはないが、結婚式場の中に存在する彼女のその姿は頭から離れなかった。いつか彼女も純白のウェディングドレスを着て──誰かのモノになるのだろうか。
──嫌だ。誰かのモノになるなんて嫌だ。
自分のモノでもないのに、少しだけその感情を認めると暴れだすのだから手に負えない。みっともない姿を見せる前に激情をぶつけてしまう前に、逃げるようにその場を後にしようとしたが、そういえば、彼女からそんな浮ついた話題をふられたことも、はしゃいでいる姿は見たことがないなと思い直す。始終、自分には無縁というような様子で少女を見ていた。
それは少女の悩みに関わっている気もするが、こういう雰囲気でもないと聞けなそうな気もする。無理に聞き出そうとするなら手段はいくらでもあるが、そこまでするほどでもない。ちょうど空気はマリッジのまま。気になるものは仕方がない。
『貴女は結婚には興味がないんですか?』
『うおっわぁと、びっくりした!』
『そこまで驚くほどのものでもないでしょう』
個性のある驚き方に、この前の図書室のことが思い浮かび肩を竦めた。
『先輩には大したことないんでしょうが、びっくりするものはびっくりするんです。で、結婚どうのこうのでしたっけ?興味あんまりないんですよね。それよりも気にすることがたくさんあるし。まだ16歳ですし』
『一応、年頃の女性でしょうに』
『……女性か。誰も彼も恋愛には興味あるとは限らないですよ。そういう先輩は?』
『…………』
『すみません、悲惨な結果を数時間前に見てましたね』
『何を察してるんです!?』
また、だ。
この少女はまた核心に触れそうなところで逸らした。この世界で恋愛をするつもりはないのだろう。それは当然のことだ。彼女には帰る世界がある。ここで他者との関係を大切にしていても、超えてはいけない一線引いている。
現在に至るまで、種族に関わらず愛や恋というものは、生きていくことを狂わす一因になる事象は腐るほどあった。それには、少し前までアズールには関係のないものだと思っていた。それが、今ではどうだ?
『興味がないのは、元の世界に帰らなければならないからですか?』
ボロリと仕舞い込まなければならない本音が溢れ落ちる。かろうじて平静を装った口調。内心は、うるさいくらい心臓が爆発しそうだった。
『……元の世界に戻ったとしても、恋愛も結婚しない、かな』
目を見開き固まる少女は、暫し逡巡して困ったようにぎこちなく笑う。その目だけは嘘つかない。いつもの敬語は砕けて形はない。曖昧ではなく、はっきりとした発言だった。
別の意味で鼓動がうるさい。
この存在に出会ってから振り回されてばかり。それは想像だにしない返答で、そこまで頑なだと思わなくて、それなら、誰かを愛さないのなら、誰かのモノになるつもりがないのなら。それなら──。
星の行事も終えて、迫るサマーホリデー。
彼女は、まだ元の世界に帰らない。帰れない。学園長は本気で探しているのかいないのかはっきりはせず、ホリデーが終われば進級する時期になる。そのまま行くアテも拠り所もない彼女はこの学園に残留する。それが、嬉しい。薄暗い感情が喜びを噛み締めている。
サマーホリデーは長い。
──ウィンターホリデーと違って、僕らもスカラビアも残らない。学園には、ゴーストや妖精たち、あの魔獣だけになる。
それはそれで彼女なら楽しんでしまうだろうが。その長い時間を手放すのには、惜しいと思う。時間こそが必要だからだ。そこに、今回もバカンス好きの学園長がウキウキと計画を立てている情報を掴んだ。
ウィンターホリデーの時とは状況が違う。あの時は彼女は同性だと勘違いしていたが、今は異性だと認識している。いくら少年のように振る舞っていても性別は女。一人で放っておくには心配だ。ただでさえトラブル巻き込まれ体質の持ち主だ、夏は不可思議なことが起こりやすい。この魔法の学園にも色々と厄介なことを引き起こしそうなものは存在する。そのまま放っておいて戻ってきたら、どこにも居ないなんてことになっていたら目も当てられない。
連れて行こう。即決断した。
ジェイドもフロイドも彼女のことはそれなりに気に入っているので、実家に連れていくと話せば面白そうに乗ってきた。アズールの態度の変化も、面白そうに眺めていたが意外なことにちょっかいを出してくることはなかった。ただ、生暖かい視線を感じるようになったのは、かえって居心地が悪くなるのでやめてほしいと思う。
スプリングホリデーの時は完全にスルーだったので知らないが、他の連中もウィンターホリデーの時とは違い。目に見えて彼女のことを気にかけていた。当の本人はのほほんとしていたが、本人の知らぬ水面下で誰かホリデー中に面倒を見るか、駆け引きが行われていた。有力候補があの妖精だったのでブレない。ディアソムニアは、身内の団結力がすごいので圧倒的に優勢だ。招くのが人間の少女だが例の一件でウェルカム状態になっているので、どうしたものかと頭を悩ませる。
そこをどうにかして、こちらに引き込むのは楽しいものがある。あの妖精を出し抜けないだろうか。
『案外アズールが素直にお願いしたら、引き下がってくれそうな気がしますね』
『アズール、プライド高いから素直には無理じゃね?先輩たち、ゼッテーおちょくってきそうだし』
『そこのウツボたちは黙りなさい!』
それでも、平和にそのままホリデーへと変わっていくのだと思っていた。
浮かれて、浮かれて。あの時、気づいた違和感を見落として。
◆
アズール・アーシェングロットは、オンボロ寮の監督生のせいで振り回されていた。
それは月日が経てばたつほど難解な感情に悩まされてていく。気づけば目で追っている。ふとした瞬間に相手のことを考えている。認めるには受け入れるには、自身はあまりにも捻くれていた。それも激動に日々は進んで、そのまま少し認めて開き直って、取り返しのつかないほど想いを育ててしまう。僕ばかり振り回される。
深夜のオクタヴィネルの訪問者は、また厄介なことを引き連れて現れた。寮内独自の監視カメラならぬ水晶は、その訪問者の姿を映していた。音声も拾う。
ガラガラと、ぐちゃぐちゃと、潰されて壊された。
この抱いた感情は薄暗くても彼女を大事にしようと思っていた。いずれ、元の世界を彼女から奪うかもしれないと思いながら、自覚した心は止められなかった。だから、時間が必要だった。一人の人間の心を変えるくらい、決心を揺るがせるくらいの時間が必要だった。
無理矢理は駄目だ。
彼女に選ばせなければ意味がない。
だから、どんなに忙しくても幾多の壁があってもそれだけを乗り越える時間をかける覚悟した。彼女がいつの日にか言った。学園長を困らせた稀代の『努力家』なら、一人の人間を振り向かせるくらいの『努力』をしよう。
それなのに!!!
自身を呪う。妙なところでツメが甘いこの性格に。ようやく向き合おうとしていた、この想いは呆気なく。いつだって、彼女に関われば思い通りにいかない。