強制的に自覚させられた


 硬直していたフロイドは、自身が来ていた服を脱ぐと、あられもない姿の少女に着せてやる。
「いいよ。小エビちゃんのお願い叶えてあげる」
「対処の仕方はこちら任せてもらっても構いませんね?契約の内容もアズールに委ねても?」
 もう片方の先輩は、優しげにも見えるタレ目で笑っている。笑ったときに見せる歯は見せず。口は閉じられている。もう片方の先輩は、人がとんでもない目にあっているというのに、愉快そう表情で口が大きく開き歯が見えていた。監督生はこの兄弟について知らないことはたくさんある。でも、関わっていくうちに気づいたこともあった。見たことがあったー──その表情は、悪巧みをするものだ。
「おま、かせします。ぐずっ……ひっく……うっ……」
 穏便にはいかない対処をするだろうと気づきつつも、もうそれでもよかった。フロイドに着せてもらった服の裾を握りしめながら、頷いた。

 ひとしきり泣いて落ち着いてくるまで、二人は自分の頭を撫でたり背中をポンポン叩いてくれた。その仕草は、世界ごと遠く離れた母親を思い出させた。
「オレねぇ、今さ、すっごく気分悪いんだ」
 すくっとフロイドが立ち上がる。軽い口調で話していても、不穏さは滲みでている。そう言いながら、上半身裸のフロイドは、先程吹っ飛ばした相手のところにゆっくりと向かっていった。その言葉にビクッと肩を揺らしてしまったら、自分の側に残ったジェイドがフォローするように、自分のせいではないと言った。
「監督生さん、少し痛みを麻痺させる魔法をかけますね。応急処置です。〝体〟の傷も直したいところですが、優勢すべきところがあるので」
 体の傷の方が直すべきところでは、と思う。
 いつも会話してる感覚で接されて、今の状況どういうものか曖昧になっていく。痛みのなくなる感覚を感じながら、視界ははぼんやり。うつら、うつらと体が揺れてくる。夢だったらよかった。自分の出る幕はもうないから、この二人にもう任せてしまおう。
 ここまで頑張ったのだから、意識を手放してもいいんじゃないかと。
「監督生さん、監督生さん──よく見なさい」
 気を失うことは許されない。顔をゆっくりとジェイドの方へ向けていくと、優しく笑っていた。本当に優しい人だと勘違いしそうに。その台詞とともに、バキリッと何か折れるような嫌な音がした。眠気は覚めて、心臓の音は早鐘を打つ。遠くの方で破壊する音と人の懇願する声が聞こえてくる。
 内緒話するように囁く。
「フロイドはね、手がでやすく、暴力的だと思われてるかもしれませんが。あれでも〝人間〟に対してだいぶ手加減してるんですよ。本来よりは、人の器に収まるよう力も弱まっているのです。それも人間からしたら十分強いようで。フロイドからしたら、普段の絞める行為は戯れにすぎない」
 男の啜り泣く声が、やけに聞こえてくる。
「せんぱい、そ、れで」
「だから、手加減しなければ人を壊すことなど造作もない」
 ジェイドは優しく監督生の肩を掴むと壊れ物を扱うように、その光景がちゃんと見えるように態勢を変えた。下から顎に左手は添えられ、グッと前を向けさせる。右手はぽんぽんと優しく背中を叩く。重低音の声音が、優しく優しく子供に絵本でも読み聞かせるように囁やいた。ポップな調子で、鼻が折れた、歯が飛んだ、腕が折れたと。フロイドの行いをジェイドが解説する。
「アレは『貴女』の性の尊厳を踏み躙ろうとしたオスの末路──貴方は自身の性に何一つ、忌避しなくていい。差があるのはどうしようもないこと。だから、それを補うようにそれぞれに与えられた機能が授けられている。そうでしょう?」
 ああ、この人魚は気づいている。
 自分がこの性に嫌悪を抱いていることも。やるせなくて、どうしようもない感情も抱いていることも。そこに慰めなどはなく、生物として事実をただ突きつけていた。
 人と人以外の者の、違いを見せつけられている。目の前の光景は、フロイドが一方的に男を痛めつけている姿。痛めつけられている男は、さきほど感じた恐怖は感じられず、泣きながら命乞いをしていた。自分を痛めつけていた面影はどこにもない。フロイドの顔は見えず、どんな表情しているのかわからない。淡々と言葉を発さず、男の何もかも気にせず、ずっと壊していた。男がこちらに助けを求めるように手を差し伸ばして、その手は踏み潰された。人体があっけなく壊れ。口からは血飛沫が。
 悪夢だな。
 あっさりと、あっさりと力関係が逆転していた。
「ほら、見なさい。情けなく助けを乞うている。所詮、アレは見下した相手に反撃されるとも思わず。他者の尊厳を踏み躙ろうとするのに、自身は踏み躙られないと浅はかな思考を持つ、愚者です」
 いつもの凶悪な笑みで語られるその言葉は、人の皮を被ったナニカと話している気分だった。それに畏怖は感じず、その光景も映像を見るようで感情まで麻痺してしまったのか。
「あ、の、このままじゃ、死んじゃうじゃ……」
「まさか、アレの命の心配ですか?」
 どんどん弱まっていく男を見てそう呟いたら、ジェイドは可笑しなことを聞いたように言った。
「いえ、違います。それも、あるかも知れないけれど。自分がきっかけで、フロイド先輩が、人をコロしてしまうのは、嫌だ」
 対処は任せたが、まさか知り合いの先輩がサツジンをおかしそうになっているところなんて、見せられるとは思わない。もう顔も見たくない関わりたくない忘れたい相手で、別の場所で勝手に地獄に落ちて欲しいと思っているが、その地獄に落とすのは、フロイドにやってほしくなかった。
「………ははは!そういう………ああ、かわいそうに。あんな者に目をつけられなければ、まだ真っ当にいれたのに。貴方のその思考を捻れさせられたのですね。ですが、それはしかたないことです。そのツケはアレ自身が拭わなくてはならない。死にはしませんよ、調整してますから」
 訴えてみたけれど、やはりそこは動いてくれないジェイドだ。とってつけたように、さらに恐ろしい事実を教えられる。
「ここはオクタヴィネル。自己責任が主張される場所。貴方が取引したのはそんな場所です。アレもここへ踏み入れなければ、もう少しマシな扱いを受けれたものを。ふふふ、なんと運が悪いのでしょうか。ああ──どちらも、運が悪かったですね」
 そう言って、顎に添えられた手は頰をすりすりとさするように、撫ではじめた。また浮かんだ涙を拭うように、舌で舐められた。非日常な光景だ。言葉は酷く冷たく聞こえるのに、触れる手は優しいものでどう受けとっていいのかわからない。
「フロイド先輩は、つよいですね」
 ぼうっと絶対的強者の姿を眺める。大人しくされるがまま。ジェイドに頰を撫でられながら、体をもたれるように預けた。
「強い、ですか。貴女を守ることなど容易いはずなのに、もっと気にかけていればよかった………僕たちが、これからは守ってあげますからね」
「え?」
 その意味を問いかけようとしたときに。
「ジェイド。お前はもう少し配慮しなさい。守るというなら、あんなもの見せないようにしろ」
 第三者の声が聞こえた同時に、目元は覆い隠され。
 意識は途切れた。

 目が覚めたら見知らぬ天井で、大きなベットに寝ていて。左にジェイド、右にフロイドと、お腹にグリムと、夏場なのに暑苦しい光景が広がっていた。室内の気温は涼しい。一番初め気づいたのは体の痛みがどこにもなかったことだ。麻痺魔法でもなく、はっきりとした意識の中、お風呂に入ったようなさっぱりした気持ち。
「監督生さん、お目覚めですか?」
 少し離れた場所から声が聞こえて、両脇の二人とお腹の上の獣を起こさないように、上半身起こした。大きな机と椅子に座り、何かの書類を読んでいるアズールがいた。
「お、おはようございます?アズール先輩。今何時ですか?」
「そのまま寝ていてもいいですよ。今は、午後9時過ぎですね」
「…………半日以上経ってる!?授業とか、それよりオンボロ寮は、あれ、あのクズどもはどうなった」
 反射的に挨拶してから、今がいつで何がどうなったのかぐるぐると頭が回る。
「あんなことがあったのに、学校の心配ですか?まだ混乱しているようですね。順を追って説明するので、落ち着きなさい」
 書類を置き座っていた椅子から立ち上がると、かつかつと音を立ててこちらに近づいてくる。ベットの上に体を乗り上げてくると、いつもより距離が近かった。
「──まず初めに言わなければならないことがあります」
 あまりにも真剣な表情で話すので、どんなことを話されるのか覚悟決める。真夜中の騒動が全校生徒知られているとか、あの映像がネットに出回っているとか、最悪の想像ばかりしているが、自分の貞操はなんとか無事だったので、なんとか、なんとかまだ受け入れられる。正直、今後自分がどんな反応してしまうのかわからない。
 「治癒魔法をかける際に──貴女の裸を見て触ってしまったので、責任を取らせてください。僕と結婚してください」
「はい?……けけけけっこん!?」
 両肩をがっしり掴み少し頰を赤らめて、いつものきつめな顔は初めて告白する少年のような表情している。でも、告白じゃなくプロポーズ。
「それに加え、嫁入り前に不特定多数の異性に肌を見られるなんて、この落とし前を誰がつけるんですか」
「先輩が落とし前つけなくていいと思うんですが」
「契約書にも組み込まれています。安心してください。最後まできっちり対処しますから」
「待って!?その契約書、後出しでは!?私の今後の人生もはいちゃってるんですか!?」
 ぶっ飛んだ内容すぎて、こちらも両手で彼の腕を掴んだ。腕が軽やかに動かせるので、本当に傷は治ったみたいでそれにも驚く。
「っふふ………それなら、僕らも求婚しなければなりませんね。なんせ、バッチリ真正面から見ましたし」
「あはっ、オレらがいんのに求愛するとかウケんだけど」
「おや、寝たフリはやめたのですか?」
「アザラシちゃんも起きてるよ」
「せっかく空気読んで寝てたのに、オレ様の気づかいを無駄にしやがったんだゾ」
「アザラシちゃん、空気読めんの?」
「どういう意味なんだゾ!?」
 するりと長い4本の腕が腰に絡みつく。狸寝入りしてたらしい先輩たちは、クスクス笑っている。グリムまで狸寝入りをしていたよう。情報が多すぎて何から理解すればいい。
「旦那希望はこれから増えていきますよ──だけど、僕らを選んでくれますよね」
「この三人の中の内、どれか一人選べば残り二人もついてくる。仲良く四人で暮らそうね」
 それって、結局選んだ意味ない。
 二人の先輩が絡みついたまま器用に起きあがり、左右から甘さを含んだ声で囁いた。 
「オレらで色々話し合ったんだ。小エビちゃんのことは好きだけど、それぞれ好きの意味合いがちょっと違うんだよね。オレは小エビちゃんのことそういう目で見てなかったんだけど。あのクソ雑魚が小エビちゃんに触れたこと、やったことは、とっても許せなかった。小エビちゃんはね、あんなものの捌け口になっちゃいけない存在。だから、オレたちが守ってあげる。ずっと、ずっと。守ってあげる」
 フロイドがすりすりと大きな体を寄せてきてそう囁くので、監督生は目玉が飛び出しそうになる。目が覚めたら、知り合いの先輩が、絶対に言わなそうな言葉を言い出したのだ。先輩たちは尽く容姿のスペックも高いので様になり、刺激が強烈だった。
 まだ夢の中にいて、夢でも見てるのかもしれない。あれ?そうなると自分の願望なのかこれ?
「た、助けて──!」
 意味がわからなすぎて、いつぞやの囚われの先輩のように助けを求めた。





 場所は移って、モストロ・ラウンジのVIPルーム。寮服をきっちり着込んだ三名はいつも通り。両脇にいまだウツボ兄弟が固めていた。いつも通り、目の前の寮長の両脇にいてください。自分がいた場所はアズールの部屋だったらしいのだが、私室だと妙な雰囲気になり、空気を変えるため、契約関係で使うここへと場所移動をお願いした。意味がなかった。
 膝の上に乗せているグリムを抱きしめながら、事の顛末と今後のことを聞いた。

一、危害を加えてきた犯人グループは学園長が動き全員拘束、処罰済。グループが関わるネット関連はその道のプロフェッショナルが対応済。内輪のみでかろうじで外部に漏れておらず。
二、今後一切、会うことは絶対にない。
三、今回の事件に関わった関係者と立場上知っておくべき極一部以外、カンコウレイを敷いている。だが、親しい一部の関わりある者は察しているかもしれない。ゴーストとグリムは無事である。
四、学校・生徒の認識。表向きでは〝監督生〟がまたトラブルに巻き込まれ、その周辺が対処しているという認識である。
五、今後の学校生活。精神的と体調が安定しだい様子を見て復学を検討。本来なら専門的な病院、保護者の元へ帰すが異世界人の立場上難しいので。それ系統の専門的な精神魔法と、保健室に通う兼任医療従事者にて定期的検査とカウンセリング。
六、私生活。今回の事件を受け相談をできる女性と関わり持つ機会を設ける。それから、学園長ディア・クロウリーが正式な後見人になり、戸籍など身分を与えられる。
七、オンボロ寮生活について。事件現場になってしまったので住み続けるのが無理ならば、拠り所を別の場所に変える検討をする。これは本人の意思を確認したうえで対応を変える。そこで生活を希望するなら、二度とこんなことが起きないように。学園長と希望者により自費・寄附金で大規模な改修工事・防衛魔法・祝福・呪術対策を施すことが予定されている。なお被害者本人に祝福は問答無用でかけられることは決定されてる。
八、被害者について。口頭で伝えたように、身体に受けた外傷はすべて治癒。傷跡は残っていない。精神的な苦痛は、希望であれば記憶消去の選択も可能。一連の事件中の出来事はすべて消去。そのまま記憶を保持するならば。落ち着けるまで、ある種の特殊な精神魔法がかけられる。現在も特殊な精神魔法で強制的に通常通りの精神状態で安定させている。
九、もし知り合いの男たちが怖いなら、魔法薬でしばらく女性に転換してサポートとすると希望者がいる。

「以上です」
「以上じゃないです???ぶち込みすぎなんです!??」
「他のことはわからねぇけどよ、ゴーストのおっちゃんもオレ様も無事なんだゾ」
「オレたち、超頑張った褒めて〜」
「久しぶりにスマホに齧りつきましたね」
 淡々と読み上げられる事柄を締めくくられたとき、待ったをかける。畳みかけるようにさらに情報を追加させられて、理解させる気がない。頭はそんなによろしくないので、時間をかけてお願いしたい。
 どこから理解して、聞けばいい。
 フロイドの言葉で、すべて先輩たちが対処してくれたとはわかる。一日も満たない時間でそれを実行したの、どんなハードスケジュール。
 学園長が後見人になるて、どいうこと??あ……残留の話の時に、そんなことチラッと言ってたけど、冗談だと思ってたら本気だったんだ……あれ。まずナチュラルに祝福って何?はい、次期妖精王ですね。彼に助けを求めていたが、妨害されてた原因は一体なんだったのだろうか、呪術対策と並べられていたからそれが要因か。最後に女性に転換て、なんでそんなことになったの?
「質問には答えますよ。情報漏洩阻止のため、詳しく教えられる部分は限られていますが」
「被害者なんですが」
「被害者だから、刺激したくないんですよ。知りたいならアレらの末路を教えますよ」
「藪蛇つつくな、ですね」
「魔法がかかっていますが、人の心を掌握することなど完璧なものはないんですよ」
 混乱してるのをアズールが助け舟だしてくれるが、親切そうな笑顔でアウトローな返答。言外に聞くなとオブラートに包んでる。
 【今後一切、会うことは絶対にない】と言っていたので、真夜中のリーチ兄弟あれそれを考えると、そういうことなのだろう。
 目が覚めてから先輩たちに触れられても恐怖がわかないのは、不思議だった。一応あんな目にあっていてこんなにあっさりしてる?自分はここまで図太かったのか。それとも心が壊れてしまったのだろうかと不安だったが、魔法がかかっていたのか……アズールにここまで、温情をかけてもらえるとは思っていなかった。
 そこには、保身より私を心配しているような。この魔法もなんとなくアズールだと直感が言っている。精神系の魔法はユニーク魔法で散々かかったことあるが、難しいものが多いと聞く。この心は凪いでいる。ブロットが溜まるだろうに、どうして?と疑問ばかり。
 それが、一番不思議だった。
 この人魚にはあまり好かれてないんだろうなと、思っていた。向こうから仕掛けてきたとはいえ、大事な契約書の束をレオナがキンアロさせて砂にさせてしまったし、間接的にオバブロさせて命の危険に晒した。和解はしたが本当は憎まれているんじゃないかと。
 いつも会話をするときどこか見下していて、でも、それにしては聞きたいことには答えてくれて。いい匂いだともらせば、気持ち悪がらず教えてくれて。まだ利用価値があるから、優しくしてくれるのだと。
 それだけじゃ、なかった?
「アズール先輩。ここに助けを求めたとき。対価を支払うから助けてと言いました」
「えぇ、対価は支払ってもらいますよ。タダとは言いませんよ」
「法外な対価を請求されて、卒業するまで奴隷にされて、イソギンチャクを生やされると思ってました」
「一応、そこら辺の改心は対応を変えて済んでいますよ!?ご存知でしょう!?」
「違うんですね」
「違いますよ。望まぬ被害にあった女性に追い討ちかけるほど、僕は堕ちてません。今回の労力に対する対価は学園長から頂いています。いつもは渋るのに、今回はすんなりと」
「さっきから、学園長どうしちゃったんですか?」
「思わぬショックを受けた現保護者が暴走してるだけです」
「お、親心を芽生えさせるほどに」
「対応が一段落したら、学園長含めた色んな厄介な方が、あなたに会いにきますよ」
 そっとしておくていう選択ないんだな、て苦笑いしてしまう。それにアズールは、いつもの笑みで笑った。
 これだけはわかる。
 真摯に対応してくれてる。
 彼が真摯に接してくれるなら、こちらもそうでありたい。
「あの………私は、その乱暴、されかけましたが、未遂だったので………その」
 未遂であることは調べているだろうし、わざわざそこに触れなくてもいいようにしてくれていた。男しかいない空間で、話すには非常に勇気がいった。通常の精神安定をさせていても、真夜中のことを思い出すと緊張して汗がじんわりして震えてきた。
「だいじょ」
「未遂だからて関係ないだろ!!!大丈夫なわけがあるか!!………声を荒げてすみません。貴女は自身を過小評価しすぎだ。特に性別の部分で、ぞんざいに自身を扱わないで欲しい。貴女に〝過去〟で何があったかわからない。でも、その性別込みで貴女という人間を大事にしたい奴は、この場所には少なからずいるんですよ」
 怒気を孕んだ声で遮られる。すぐに手を当て口元を抑えると、アズールは誤魔化すように寮服の帽子を目深にかぶる。やっぱり優しい声だった。
「だから、記憶消去の案もあるんです。寝起き時に勢いで言った言葉も忘れさせます。僕も少なからず動揺していたようだ。そうですね。契約の内容はモストロ・ラウンジでの就労で手を打ちましょうか。改善されたものです、安心なさい」

【治癒魔法をかける際に──貴女の裸を見て触ってしまったので、責任を取らせてください。僕と結婚してください】
【それに加え、嫁入り前に不特定多数の異性に肌を見られるなんて、この落とし前を誰がつけるんですか】
【契約書にも組み込まれています。安心してください。最後まできっちり対処しますから】

 アズールと話していて、初めて見る真剣な表情だった。手順はぶっ飛びすぎていたが。その結論に至る前に、目の前の人魚の気持ちが知りたかった。その気持ちに触れるため、ある覚悟も決めておく。
「大事にしようとしてくれてる人の中に、あなたもいるんですか?」
「………」
「アズール先輩は、私のこと好きですか?」
「っ!貴女は、隙が多すぎる!!それを聞いてどうするんだ!いつか!いつか」
「〝帰るくせに?〟」
「あ、なんで、言葉にするんですか」
「だって、プロポーズしてくれた男の人の気持ちが知りたい」
「………っ」
「答えは急いでないんです。先輩、記憶消去は拒否します。それからオンボロ寮には住み続けたいです。廃墟同然で事件現場なんですが、この世界での私のホームみたいなものなんです」
「きっと、辛いことがフラッシュバックしてしまうかもしれませんよ?」
「はい。そうかもしれません。それでも、ゴーストやグリムがいてくれて乗り超えた、と思うし。それに」
 両脇にいる二人の片方づつの手を握った。フロイドの右目を見てから、ジェイドの左目を見る。突然の行動に目をぱちくりさせる同じ表情。最後に、目の前のアズールの両目を見た。
「先輩たちが助けてくれたこと、忘れたくないんです。このまま忘れて、何も知らずに守られていたくないんです。だから、私も共犯者のままでいさせてくれませんか?」
 それぞれ握った手を少し力を込める。ちょっとズルイかなと思った。返事をするように大きな手に握り返され、急に体に圧迫感。黄金の契約書が現れ、差し出され突きつけられた。
「クソッ!やっぱり貴女には別の対価を頂きます!」
「アズールとイチャつきすぎ!オレもイチャつくから!」
「おやおや、妬けますね」
「甘酸っぱすぎてお腹いっぱいなんだゾ」
 今までの関係は激変してしまった。複数の異性に好意?を寄せられているという、頭を抱える事案にこれにどうケリをつけよう。解決する方法が思いつかない。でも、まだまだ時間はある。
 もうすぐ長いサマーホリデーが始まる。
 自分が帰るのか、ここへ残るのか、未来はわからないことばかり。どっちに転んでも覚悟を決めた。

 ずっと、ずっと、自分の性別に目を逸らしてきた。
 これからは、もう目を逸らさずに生きていこう。
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