強制的に自覚させられた


──失敗した!失敗した!
 ある寮の一室。
 男は脂汗を大量に流している。ガチャガチャと焦り、バックのようなものに、これまで準備していた『道具』たちを詰めこむ。己の欲の耐性のなさに心の中で、文句を言いながら。       
 少し『観察』するだけだった。だが、魔力のない少女に気づかれないだろうと慢心していた。
 いつものように物足りず、覗いた入浴する姿に興奮してしまい。あの、なだらかな柔らかそうな肩に触れてしまった。
 ──それで完璧に気づかれてしまった。
 あそこまで認識しておきながら、黙ったままの彼女ではないだろう。明日の朝にもなれば、学園長、それかあの寮長たちに伝わってしまう。彼らは雑に扱っているようで、こういう行為を彼女に悟らせないように、妨害して守っていた。隙のあるようで隙のないあの寮は、寮長たちにまつわるいざこざで、合間を見計らい、あのセキュリティの低い場所に忍びこめた。マレウス・ドラコニアさえ、欺ける魔法具も形なしだ。
 今回の件で、安全な場所と思われているあの寮は見直される。自分が仕掛けた至るところにあるアレも発見されたら、おしまいだ。彼女の周りには、それを特定する人物も多い。
 ああ、なんてことだ。
 失敗したな……でも、魔力にあてられて力が抜けるところなんて最高だった。
 焦っているのに、背徳感ある行動は下腹部を熱くさせる。
 ──どうせ、バレるなら、いっそ。
 もっと準備をしてから行動を起こすつもりだったが、いつまでもこの学校にあの女の子がいるとは限らない。その前に……その前に。手に持ったスマホを持つと、同じように楽しんでいた『協力者』たちに呼びかけた。

 歪んだ一人の男の欲望が、少女に向けられた。





 監督生は図太い奴だった。
 異世界に放り出され、埃まみれの場所で爆睡して、洒落にならないトラブルに巻き込まれてボロボロになって、使いぱっしりにされて、異性と一つ屋根の下で寝ても、けろりとした図太とさの持ち主だ。自分の性別を、たいして重要視してない。個性的な男だらけのこの学校で、やっていける『女の子』だった。
 監督生は女の子である。
 正しく言うと男装している女の子。それをすることに、特に抵抗はなかった。
 NRCは男子校なので、目立たないようになるべく溶け込むためであり。女子力皆無のガサツな性格だったのもある。それでも女の子は女の子。
 普段の学生生活は気にしていなくとも、当然性差による悩みはある。クロウリー学園長も教育者としてどうなんだという部分もあるが、ゴーストしかいない廃墟同然のオンボロ寮を充てがったくれたのは感謝していた。色々雑な部分は目を瞑るとして、異性がいない空間は少女にとって安心できる場所。昼間は色んな人々がオンボロ寮に出入りするときもあるが、夜はごく一部以外訪れることは少ない。いくら図太くてもやっぱり気を使わないといけないことがたくさんあるからだ。
 性別的に男であるグリム(魔物)とゴーストはいるけれど、もう家族当然の扱いになっているので特に意識してない。逆に彼らに注意されるしまつ。風呂に入っているときに黒光りのアイツが出現して、すっぱんぽんで廊下を爆走し、グリムに助けを求めたり。暑くなってきて我慢できず、下着すれすれの格好ですごしているのを、ゴーストたちに注意されたりとフリーダム。
「一応メスなんだからタオルで隠すんだゾ!?」
「いくら普段から男の格好してても、恥じらいは捨てちゃいけないと思うなぁ」
「嫁入り前のお嬢さんなんじゃぞ、もっと自分を大切にせい」
「他の男どもはあんまりお前さんを女の子扱いしないのも要因だとしても、いくらなんでも気が緩みすぎてるよ。前みたいに、夜に訪問者が来たらどうするんだい?」
 そうやって自分を女の子として扱ってくる彼らに、妙にくすぐったい気持ちになりつつも、やはり気にしない。昔からどうにも『女』だと認識されるのが苦手だった。
「ここはオンボロ寮だよ?大丈夫でしょ。それに男装してるし、バレてもこんな凹凸のないボディの女子を意識する奴はいないよ」
 それでも、監督生にとってオンボロ寮は安全な安心できる場所だった。自分の性別がなにであろうと気にしなくていい場所だった。
 笑いながら、エースやデュースと馬鹿なことをしたと楽しそうに話す少女に、グリムもゴーストも何も言えなかった。少女が周りの人々に気を使うように、周りの人々も少女に悟られないように気を使っていることを、言えなかった。少女に深く関わる人々は気づいていた。〝女〟であることをコンプレックスに感じていることを──監督生は図太い奴でありたかった。

「もう……夏かぁ」
 寮周辺の雑草を抜きながら、しみじみと呟く。夏になると騒がしく鳴き始める虫はいないけれど、肌を焦がすような日差しの暑さは、このNRCにもやってきた。
 全ての寮の騒動が終わり、数々の事件や行事も終わって、関わる人が増えたりさらに親しくなったりして、なんだかんだ落ち着き過ごす日々。あと、もう数ヶ月で進級する時期にきているが、いまだ帰り方は見つからず残留の措置をとってもらっている状態。学園長は『私優しいので』とか言っているが、本当に探しているのかは疑問だ。自分でも探しているが、まぁ、見つからない。なので帰りたいは帰りたいが、今を精一杯楽しむことにした。なんたって、元の世界にはありえなかった魔法がある世界。楽しまなきゃもったいないというのがモットー。今日も今日とて図太い思考で生きている。
 そんな訳で、もうすぐサマーホリデーが始まろうとしている。
「みんなはホリデーで帰るし、購買部は閉まっちゃう…どうせ学園長はまたバカンスだし。ホリデー中の食料問題対策しておかないとな」
 ウィンターホリデーの時は、火の番で食料確保と、スカラビアの事件で少し仲良くなったスカラビアとオクタヴィネルで多々食事にありつけたが、この二寮も今回は帰ってしまう。
 スプリングホリデーの時はどうしたっけなぁと思いながら、監督生は草むしりに勤しんでいた。実質ホリデー期間中、学校に残留する人としての生徒は監督生一人。グリムやゴーストや妖精たちがいるので寂しくはないが、ちょっとはこの広い学校で過ごすのに不安があった。不可不思議なモノたちが存在しているこの世界の夏なんて、ホラーみたいなこと起こりそうで怖すぎる。ただでさえ、トラブルに巻き込まれる体質である。平穏に過ごせるとはまず思っていない。
 ──グリムが何かしでかさないといいけど。
 ホリデー期間中に何をしようかと思考に没頭しながら、額に流れる汗を拭った瞬間。ちりっとナニカの視線を感じた。
「っ!!」
 バッと後ろを振り返り、きょろきょろと辺りを見回す。近くに茂みはあるが、遠い距離なので隠れる場所はあまりない。しばらく警戒していたが、何も起きないので気のせいだと思い元の作業に戻る。これでもかと問答無用でトラブルに巻き込まれるので、それなりに危機察知が備わって来ている。一種の防衛反応が誤作動を起こしただけのこと。
 なんか、キモチワルイ感じだ。
 あのねっとりした視線はなんだったのだろう。そう考えても答えは出ず、忘れようと違うことに切り替えた。

 それは決して気のせいではなかった、と。
 監督生は後から身を持って知る。





 最初は気のせいだと、思っていた。
 視線を感じた日から、そこかしこで妙な視線を感じるようになった。主に学校にいるときだ。それは廊下で歩いているときだったり、トイレに行こうとしているときだったり、ご飯を食べていたりと………ナニカに見られている。特に何もしてこないが、じっとりとした嫌な気持ちにさせる。真っ先に思うのは、キモチワルイという感情。それを感じたとき、ブワッと冷や汗が出て腕をさするほど。それでも、しばらく経てばふっとその違和感も消えるので、感覚が敏感になっているのかなと気のせいだと思い直す。
「監督生、どうした?」
「う、うん……なんでもない」
「なんかあるんなら、言えよ」
 監督生の挙動不審な行動に、心配したデュースやエースは声をかけるが、二人に相談するまでもないと判断していた。自意識過剰かもしれないと、思い込もうとした。彼女は無意識に、その違和感を気のせいにしたかった。

 その日はお風呂に入っているときだった。

 水回りを改修してもらってよかった。入浴は憩いの時間だ。鼻歌まじりにシャンプーでガシガシと頭を洗う。どこぞの美しい寮長にでも見つかれば、叱責が飛んでくる荒っぽさ。一緒に入っていたグリムは、長風呂ではないのでサッと洗うとすぐに出てってしまっている。今頃、冷蔵庫から購買部で買った安売りのアイスでも食べている頃だろう。
「っ!?」
 泡を洗い流そうと、シャワーのとってを掴んだときだった。
 ゾワっと鳥肌がたつ。
 強烈な視線が、全身舐めるように突き刺さる。金縛りあったように体が動かない。ずるずるとナニカはいよってくる気配。
 ──なにこれ……イヤだ!イヤだ!キモチワルイ!ヤダ!
 はぁっ。
 ダレかの鼻息が、耳元で聞こえた。くらりと、腰が抜けた。
 はぁ、はぁ。
 はぁ、はぁ、はぁ。
 座り込んだと同時に、鼻息が荒さを増す。どんどんと体からチカラが抜けてくるにつれ、頭の中で警鐘音が鳴り続けている。浴槽のフチになんとか手を掴、気合で体を起こしていた。おかしい。これはなにかおかしい。なんとか、なんとか助けを呼ばなくて。
 口を開きかけた瞬間、肩に人の手のようなものが触れた。
 男の、手だった。
「いぎゃああああああああ!?……………グリムっ!!」
「グリム!グリム!グリム!グリム!グリム──!!!!!」
 その感触を認知するとともに、相棒の名前を連呼する。ひたすら名前を連打する。途中に混じってゴーストたちも呼ぶ。お風呂で声は反響していたが、オンボロ寮内を轟く最大の声量。パーンっと豪快にお風呂場の扉が全開にされた。
「こここここ、子分!?何事なんだゾ──!?」
「お嬢ちゃん!?何があった!?」
「ついに覗きかの!?」
「どこのどいつの狼藉だい!?」
 勢いよく流れ込んでくるグリムとゴースト三トリオ。グリムは食べかけのアイスを持ち、ゴーストたちはフライパンやらお玉やら縄やら、どこから持ち出してきたのか武装してるのかしてないのか、モノを持って登場。
 座り込んで浴槽のフチにもたれ込んでいる小さな背中を、八つの目は捉えて急いでその顔を覗き込んだ。少し俯いたその顔は普段の様子と全く違い、青褪めていてガチガチと歯が鳴り。体はカタカタと小刻みに震え。グリムたちは、その様子に体調不良なのかと首を傾げる。暴漢に襲われたような切羽詰まった叫び声を聞いて、駆けつけてきてみれば。その場に少女以外の姿はなく。何も変なことがないように思う。
「子分……?」
 心配そうにアイスを両手で抱え込むグリムは、監督生の膝にそっと近づいた。どこか視線を遠くに見ていた目は、その姿をしっかり捉えるとポロリと涙をこぼした。浴槽のフチを掴んでいた手は、グリムの方へと手を伸ばして掴むとギュッと、薄っぺらい胸に抱え込んだ。
「グェ!!こ、子分どうした!?ちょ、ちょっと待つんだ、ゾ!?あっ、あっ──!オレ様の、アイスううううう」
「ひっく……グリム、アイスの心配…とかひどいんですけど……」
 反動で飛び跳ねた食べかけのアイスは、べちょりと、浴室の床へと落ちた。今度は悲痛な獣の悲鳴が轟くが、いつもの雰囲気に戻る。その様を見て、口では文句を言うものの少し少女の調子は取り戻した。
 その一瞬の刹那。
 憎悪の混じった邪なモノを察知したゴーストたちは、少女に悟られないよう、気をそらす魔法をかけて、あたりを注意深く警戒する。密かに魔力を感じとりそれを追跡しようとした途端、ふつりと途切れた。
 そこにはナニもなかったように普通の風呂場へと。
「アイス弁償しろよな!」
「はい、はい、わかりましたよーと!」
 グリムとのやりとりで、怯えていた少女は普段の様子とすっかり戻っている。
 その明るい雰囲気と対比したように、後味の悪さに、顔を見合わせたゴーストたちはじわりと、嫌な予感を抱かずにいられなかった。

「そいつは、ドヘンタイ野郎かもしれないね」
 そう断言したのは、ふくよかなボディを持ったゴーストだった。
 いいかげん、マッパでいるのもアレなので軽く体を洗うと、パジャマに着替えて談話室に移動した。ソファに座り、自分を取り囲むようにゴーストたちがふよふよ浮いている。ここ最近の奇妙な出来事を話してから、つい先程のお風呂場の一件を話した。話が進むに連れて、ゴーストたちの表情は険しくなっていく。グリムは最初、はてなマークを浮いていたが、小柄なゴーストに分かりやすく説明され、嫌悪の表情を浮かべた。
「妖精のイタズラでは?」
「それにしたって、悪趣味すぎないかい?」
「目に見えないヤツが、メスのハダカに興奮するとかキモすぎるんだゾ」
「ここいらでそんなショミを持った妖精はいないよ。いや、絶対妖精ではないな。妖精のイタズラは、どこかに迷い込ませるとか魂を入れ替えっこするとかそんなかわいいものさ」
「それはそれで怖っ!?」
 あまり考えたくない事実だが、グリムやゴーストたちが、言葉を濁しながらも訴えかけてきているので、もう気のせいなどにできなかった。
 ダレかに自分の性別バレて、そういう目で見られているということを。
 性別がバレているのは、学園長を筆頭にオバブロ事件で関わった人々やよく関わる大人たちと、この学校に居る合計人数に比べると、ごく一部と判定されるくらいだ。色々よからないことをしでかす人物たちだが、こんなことするような人物は一人も心当たりがないのが救いだ。それ以外に自身の性別がバレて、やましいことした奴がいるというのは消えないが。
 頑張って誤魔化しても、女が男のフリをするのなんて限界がある。逆によくも今の今まで、無事でいれたものかも知れない。
「今回のそれはちとまずい。ハタガを舐めるように見られ、鼻息が聞こえ、肩に触れたんじゃな?」
「そう並べられると……やっぱキモチワルイ」
「魔力もないお前さんが、ソレを感じとれるほどなら余計にまずい。加害する意思が伝わるなんてロクでもない。ことが大きくなる前に学園長に相談した方がよい」
「遠隔とはいえこの寮内に、他者の魔力が及んだていうのは大問題だ。お嬢ちゃんにとってその魔力の働き方がいいモノなら歓迎できるがね」
「本当ならすぐさま学園長か、力のある者に頼った方がいいのじゃが」
「マレウスなら、呼べばすぐ来るんじゃねぇか?」
 うーんとどうしようかと悩むゴーストたちを見て、監督生は少しだけ場違いだが嬉しくて思った。こういう風に心配してくれるだけで、心が落ちついてくる。そんな中、大人しくぬいぐるみよろしく抱きしめられていたグリムは、名案とばかりにある名を提案した。それはすごく頼りなるが、簡単に今回の件を相談するには問題のあるお方だった。自分のことを大切にしてくれる妖精なのだが、その正体はドラゴン。気性の荒さを垣間見えてからは、相談する内容も相手の命取りになること間違いなし。
「たぶん……それやっちゃうと、ツノ太郎のことだからただで済まさないような……できれば、法的措置で穏便にいきたいよ」
「妖精族の若君に知られたら、まず穏便とはいかないな」
 人と人以外の者の価値観は、それはそれはおおいに違っている。ここは人が多い場所でルールも人の基準であるが、人外たちは一応従っているだけ。それも彼らの許せない基準に触れれば大きく逸脱してしまうことは少なくはない。
「……あと、デリケートな問題だから、なんか相談しにくくて」
「それもそうだねぇ。ここはすぐに情報を掴む奴が多いからね。なにかあれば、知られたくないことも知られたり。こういう時、近くに相談できる女性が居ればよかったんだけどね」
「自分はグリムやゴーストたちがいてくれて、話を聞いてくれただけでも、すごく安心したよ」
「ひひひ、嬉しいこと言ってくれるじゃないか!」
 普段から人外であるがゆえの雰囲気にお世話なりぱっなしだけれど、見た目が見目麗しい男性。自分が性的な目で見られてるという、相談するにはかなり抵抗がある。学園長も見た目は若いので若干抵抗はある。でも、まずは保護者の立ち位置である彼に相談するのが一番いいだろう。
「今日はもう遅い。お主はもうそろそろ休んだ方がよい。こんな夜更けに、外を出歩く方が危ないからの。今日の夜はいつもよりワシらがあたりを警戒しておく、防衛魔法もかけておこう」
「俺はちょっと学園長の小耳にでも入れておくよ」
「グリ坊は一緒に寝ておきな。無理だろうけどぐっすり眠るなよ?相手も一度失敗してるだろうから慎重になってるはずだとしても大丈夫じゃない。いざという時に魔法は使えるようにしておけよ」
「欲を持った人間は何をしでかすか、わからないからね」
 時に人間の方が何をやらかすか怖いから、笑う元人間だったであろうゴーストたちは真剣だった。夜が明けたらすぐに学園長室に行こう。ベットへと横になり目を閉じる。
 深い、深い眠りに落ちた。





 ごそごそ。ごそごそ。
 しゅるしゅる。しゅるり。

 シーツと通気性のいいタオルケットが擦れる音が、やけに聞こえてくる。体が痺れたように動かない。なぜか体が硬直している。腕の中に収まっていた生き物特有のぬくもりがない。夏場は熱いが、今日はどうしてもそれが恋しい。
 グリム……?
 薄くゆっくり目を開けようとする。
 ビリっ。
 胸元がスッと冷気に触れた。
「………そいつに触れるな!子分!!起きろ!」
「……っ!!!」
 切羽詰まった爆音が鼓膜を揺さぶる。ばっと目を開けて寝ぼけた頭を叱咤して、なんとか動ける首から上で、暗闇の中を見回す。
「うるせぇな!その獣の口塞いどけよ!」
 もごっと口を塞がれる音が聞こえる。何が、何が起きている。どくどくと鳴る心臓を落ち着かせながら、目を暗闇に慣れさせた。窓から雲で隠れていただろう月の光が差し込まれて──見知らぬ男が自分の上に跨がっている姿に、ヒュッと喉が鳴った。
 かつてない警鐘音がけたたましく鳴り続けている。
「や、やぁ、お目覚めかい。オンボロ寮の監督生………──ちゃん」
 あまり呼ばれない。自身の名前を耳元で呼ばれて、鳥肌がこれ以上ないくらいたった。反射的に足でナニを蹴り上げてやろうとするも、動かなかった。
 魔法がかけられてる!?
 これまで様々な魔法を体験してきた経験で、すぐさまその違和感に気付いた。恐怖を感じながら頭は冷静に分析はじめる。体のあちこちを軽く見ながら、縄で物理的に縛られてないか確認すると。相手を刺激しないようにじっと大人しくする。
「はじめましてだね。君は僕のことを知らないよね。うん、知らないね」
 語りかけているのか、一人言のように呟く男の話に耳を傾ける。
「あ……なたっ…だ……れ?」
「あれ?声も制限したはずなのに……?まぁ、いいか。声があった方がいいし。僕に興味を持ってくれてるの?嬉しいなぁ」
 喋ろとしたら、うまく声が出せなかった。声も魔法で制限されているのか。最悪の状況だと舌打ちしたくなった。持ってねぇよと言い返したい。暗闇に混ざって爛々と輝く眼は、じっとりとしたここ最近の感覚と合致する。姿の見えなかった相手が現れたことで反抗心が芽生える。
 こいつが一連の犯人!!
「だいぶ前からずっと見守っていたんだよ。だいぶ前からね。だから、気づいた。君が女の子だって。でも、ついさっき我慢できなくて触れちゃった。今も触れてるけれど……柔らかいな。女の子ていい匂いがするね」
 背筋がゾゾッと悪寒に震えた。直接ぶつけられる露骨なそれに吐き気がする。モゴモゴとどこかにいる生き物から怒気が感じ取れる。
「本当はもっと準備してからするつもりだったんだ、気が焦ちゃって、実行を今日うつすことにしたよ。君が本格的に動く前に、色々やらせてもらうよ」
 破られたパジャマの裾に手を移した瞬間、生理的嫌悪で出来る限りの抵抗をした。大人しくしてられない。これは自分の身守る最大の反抗だ。
「抵抗してもムダ!大人しくしてた方が気持ちよく……いい加減にしろよっ!」
「おい、おい!おまえ!顔は殴るなよ。超萎えんだけど〜傷ついたら動画映えないじゃん。せっかく、おもしろいターゲットなのに」
 情緒不安定のような挙動で男に、バキッと頰を殴られた。口の中に血の味が滲む。痛みに悶えていると、もう一人男が喋ったと思ったらとんでもないこと言い出した。
 ──今、なんと言った?このクズども。
 そういうコトをして、挙句に映像に残すというのだ。話ぶりからなぜかこなれているように感じる。全身からどんどん血の気が引いていく。NRCは粗暴な輩が多いが、この世界共通で、女子はそれなりに丁重に扱う常識があると聞いた。だから、そういう犯罪は極端に少ないらしいとも。ゼロではないが、紳士的な世界なんだなぁと思っていた。
「そういうなら手伝ってくれよ。その獣はしっかり魔法で拘束しとけよ。口も」
「はい、はい。人扱いが荒いな」
 これから、人の尊厳を踏みに弄ろうとする男たち吐き気がする。吐き気する。
 もう吐いてしまおうか。絶望的な感情に支配される。
 このまま抵抗できずに、されるがままなのか?こうも簡単に、自分の、私の尊厳はめちゃくちゃにされるのか?いつだって、こいつらみたいなオトコに傷つけられるのか?
 なんで、なんで、わたしなの。
 わたしが何をしたっていうの!
 女だからって、甘えようとしなかった!男の中に混じろうとしたんだ!
 たしかに力不足なところもあったけれど。ツメが甘かったのかな。恥ずかしいからって、すぐに相談しなかった私が悪かったのかな。こんなことならツノ太郎を呼べばよかった。
 悔しくて、悔しくて。
 怖くて、涙が溢れる。
「コワイ、コワイよね。その表情そそる。でも、助けはこないよ。呼べないようにも準備はした。どうせバレるなら最後に楽しんでおきたいからね。さぁ、楽しもう」
 ぼやけた視界に、男の顔が近づいてきた。目を閉じて受け入れるなんてしたくない。

 ずっと自分の性別に、目を逸らしてきた。

 今よりもっと子どもの頃。大きな男の人に、性的なイタズラされそうになったことがある。その時はボケていると噂の近所のお爺さんが鬼の形相で、蹴散らしてくれ取り押さえられ、そいつは捕まった。
『いいか、──ちゃん。きみは何も悪くない。こどもに悪さ輩はいつの世もいる。それ以上に、助けてくれる人もいるんだ。だから、大丈夫だよ』
 そのお爺さんとは、それから家族ともども仲良くさせてもらっていた。亡くなる直前の言葉は今も心に刻まれている。男性恐怖症にはならなかったものの。
 ──いまだに消えない心の傷となってしまった。
 軽く触れたものであったとしても、そこに邪な感情があれば、女の子というのは自分に向けられたものをいつかは理解してしまうのだ。大きな、大きな心の傷となってしまう。
 それ以来、監督生は女の子らしく振る舞うのを嫌がった。母親がスカートを買ってきても、頑なにズボンを履き続けた。中学に上がり、制服のスカートを着るのを嫌がった。それは決められたことだから仕方なくて、従ったけれど、ずっと嫌だった。高校へと上がるとき、スカートもあと三年だと自身を励ました。
 そこへ何が起こったのか、魔法がある異世界の男子校へと電撃入学してしまったのだが。
 学園長に乞われて男装し、荒々しい揉めごとに巻き込まれ、性別がバレても女を女とも思わない雑な扱い受けて、それに嘆くどころか安心していた。女だとバレたら、当初はどんな目で見られるのだろうと怯えている部分が強かったから。それでも、怒涛のように巻き込むガラの悪い連中たちとぶつかりあいながらも、全速力で追いかけられながらも、空の彼方へと吹っ飛ばされてたりして、少女は自身の性別を気にしなくなっていった。男であろうが女であろうが、そんなの関係ねぇと突きつけられるのがNRC。なんせ、ゴーストだけど女の子に好奇心で毒の花を渡す奴がいるクレイジーな学園だ。
 悩んでいる暇はなかった、ありとあらゆる問題が次から次へと押し寄せてきて、時に生死の境を彷徨いながら、それを乗り越えていくごとに、強くなれたような気がした。性別を超えて接してくれる同年代の親友たちに、このままでもいいんだと、肯定されたような気がしていた。
 
 女のままで、いいんだと。

 少女は何も悪くなかった。何も悪くなかったのだ。
 それをいつの世も傷つけるのは、少女より遥かに力を持っているヤツらだった。





 廃墟同然の場所。それでも、ここはオンボロ寮。
 ここは彼らのホームということ、男たちは舐め腐っていた。
「ふなああああああ!!」
「しりがああああああああちいいいいい」
 ボッと辺りは明るく照らされる。ぼやけた視界。
 燃え盛る青の炎は、どこかに向かって攻撃を放つ。グリムを取り押さえていた男の尻が燃え上がったらしい。
「オレ様の実力をナメんな!大炎上させてやるんだゾ!!」
「はぁ、なんで、拘束が」
 グリムが魔法を使ったことに、上に跨がっていた男が動揺している。
「お嬢ちゃん無事かい!?」
「ようやく拘束が解けたわい!!」
「がっ」
 寝室の扉が弾け飛び、それが尻の燃えた男にぶち当たる音だけが響きわたる。ベットの上の姿を捉えたゴーストたちは絶句したあと、大きな声で叫んだ。
「お嬢ちゃん!!おまえの拘束魔法は解けてる!一発ブチかましちゃいな!!!」
「はぁ!?そんな、バカな──あがっ」
 ゴーストの声を聞いた途端。恐怖心は弾け飛び、体を弾ませると、反射神経で男の顔へと頭突きをかまし、思いっきり下半身を蹴り飛ばした。少女はある意味、物理的な暴力の方に慣れていた。
 二人の男が痛みで悶えている間に、ゴーストたちは寝室の窓開いて、自分とグリムを浮遊魔法で外へとおろそうとした。はてなマークが飛び交う中、下の階から男の怒声響き渡っている。まさか、下衆な連中がこの二人じゃなかったなんて!
「転移魔法でも使えればよかったんだけどな!悪手だが俺たちが奴らを引きつけてやるから、グリ坊はお嬢ちゃん守りながら助けを求めろ!」
「ワシらも一緒にいたいんじゃが、厄介なことにそこそこ地味に魔法の腕があるようでな。館の中の方がまだ分がよい!外にも残党がいるかもしれんが気をつけて!」
「もう一人が学園長の助け求めに行ってるからな!合流できればいいけどな!」
「でも!」
「安心せい」
「安心しな」
「「最悪な事態になっても、もう死んでる!!」」
 茶目っ気たっぷりにウィンクをよこしたゴーストたちは、ふわりと一人と一匹は外へと逃した。

 まだ追っては見当たらないが、とにかく校舎の方へと走る。元より遠いと思っていた場所が、今本当に憎い。あまりにも学園長室へ赴くには距離が遠すぎた。
「どこに逃げればいんだゾ!?」
「学園長は転移魔法使えるだろうけど、向こうから接触してこないてことは。まだ伝わってないのかな!?」
「緊急事態なんだゾ!こうなったらマレウスに呼びかけろ!」
「それ、なんだけど、さっきからずっと呼びかけてる!全然、こないの!いつもならすぐに来てくれるのに!!」
「なんかキナ臭くなってきたんだゾ」
「拘束魔法解けたけど、その他の魔法でなにか阻害されてるのかな」
 以前、彼に聞いた。簡易の魔法であるらしいそれは。あの妖精の魔法を阻害するほどの何者かの力が加わっているのなら、本当にまずい。
「校舎は距離がありすぎる。鏡舎の方へと行って、マレウスのところに直接逃げ込むんだゾ!もしダメでも他のとこに逃げればよし!」
「うん!」
 それにしても、追ってがこない……あの寮の人数だけ?
 言い知れぬ不安を抱えながら、早く早くと鏡舎へ──物事はうまく進まない。
「こんばんは、監督生さんよぉ」
「ぐっ!」
「……子分!」
 鏡舎の入った瞬間、衝撃にグリムとともに体が吹っ飛ばされ壁にぶつかった。ごほごほっと口から血の飛沫がでる。どこか骨が折れたような気がする。咳込んでいると、髪を鷲掴んで宙に持ち上げられた。ぶちぶちと髪が千切れる音がした。薄ぼんやりと意識が失いそうななか、目の前の男が大きいことだけがわかる。口調も苛立だしげだ。
 しまった……待ち伏せされてるかもて、なんで考えつかなかった。
「あいつがヘマしなけりゃ、こんなことにならなかったのによぉ、これでどう取り繕ってももう終わりだぁ。私怨だがものたりねぇな。小遣い稼ぎだけだったてのにサイアクだぜ」
 ──私怨!?小遣い稼ぎ!?なんの!?
 あいつとは、跨がっていた男?それなら、なんで、こんなわかりやすい行動に参加したんだ。まったくこの連中のことなんかわからない、わかりたくもなかった。
「好みじゃねぇけど、まぁ一応女だし。突っ込める穴はあるか」
 びり、びりと、ちょっと破けたパジャマはさらに破かれる。胸がねぇなとぼやきが聞こえた。
「ここでヤリ捨てときゃあ、あの野郎も絶望するか?」
 ぎゃはははと、汚らしい笑い声が聞こえた。自分は誰かへの当てつけに、この性が蹂躙される。
 ──私、関係ないじゃん!?
 恐怖を通り越して怒りに塗り替えられ。その男の空いた腕に、噛み付いた。ぎゃあと潰れたダミ音が聞こえ、もう一度宙へ投げ飛ばされ。壁に叩きつけられるかと思えば、本当に、本当に、間一髪で鏡の中へと吸い込まれた。
 子分!と、声が聞こえた。

 ゴロゴロと転がりながら、岩へとぶつかり止まる。脳が揺れている。今日の夜だけで満身創痍。ボロボロになりながらも、まだ終わっていないという直感が体を奮い立たせる。ここは、どこだと辺りを見渡せば。特徴的で、幻想的な光景が広がっていた。海の中の寮。特殊な膜で覆われた次元の狭間。
「オクタヴィネル寮………!」
 敵にまわれば恐ろしい、味方になれば心強い。お代は高くつくと定評のある場所へと、監督生は投げ込まれた。いつぞやの操縦機能を失った魔法の絨毯突撃訪問を虚な目で思い出した。あのときと追われてる状況と少し似てるが、捕まれば内容が悲惨だ。死ぬよりひどい目に遭ってしまう。いまさらガタガタと歯が鳴りながら、足に力を入れる。場所は寮への入り口のようだ。今の時刻ではモストロ・ラウンジにはいないと思いたい。
 寮の方の方へいてほしい。あの三人の誰かに助け求めたい。例え法外な対価を請求されても、卒業するまで奴隷にされても、イソギンチャクを生やされても、彼らがあのオトコたちような男ではないと信じているからだ。
 助けてほしかった。
 守ってほしかった。
 もうこれ以上は、抵抗する力がない。
 いつもは少しだけ怖い大きな体も、ジェットコースターのような気分も、何を考えてる笑顔も、物騒な思考回路も。慈悲深いと主張しながら対価をチラつかせる姿でも、その人魚たちにすがりたかった。後ろから肌を突き刺さすような憎悪が感じた。今はこの空間に誰もいないが、すぐにあのオトコが近づいてきている。
 足は絡まりながら、寮の中へ逃げ込む。
 はっ、はっ、と息を切らしながら、オクタヴィネルの中をあてもなく彷徨い逃げる。後ろから迫り来る存在から逃れようともがく。先輩たちの部屋知らない。中に入ったものの、彼らの居場所は知らなかった。
「あっ」
 もう声をあげようとしたときに自分の足に引っかかる。どたっと転げ顔面を打つ。鼻からぬめりとした液体がでた。立ち上がろうとして、背中が思いっきり踏みつけられた。
「かはっ」
「つかまえた」
 ここがどこの寮内で、どこであるのかこのオトコは気にも留めない。それならば、こんなところでこんなことをしない。背中の骨が軋む。
「もうコロす。コロすまえにオカす」
 耳を塞ぎたくなる言葉が聞こえる。それでも、ここまで来た。ここまで逃げてこられた。諦めたくない。まだ、足掻ける。ズボンに手をかける前に。最後のチカラを振り絞って声を。
「──助けてっ!!アズール先輩!フロイド先輩!ジェイド先輩!誰か助けて!『私』を助けて──っ」
 途中の言葉は紡がれず、頭部を強打される。
「コロしてやる」
 首に大きな手が、まわる。
「──小エビちゃん。声がうるせぇよ。今、何時だと思ってん………」
 不機嫌さを滲ませた、いつものかすれた声で聞こえた。いつも日常のような調子で紡がれる声は。探していた人物の声音。途切れた言葉ともに、上に乗っていた物体がなくなった。遠くで、ドコォと固いモノがぶつかる音。酸素を取り入れるように、口をパクパクする。そっと顔を動かすと近くに足が見える。その足の先を登っていくと、俯いた顔に影を落とし片目だけの金色が浮かんでいた。
 そこに佇む、その存在は絶対的な強者だった。
「フロ、イド先輩」
 そう呟いたと同時に、パタパタと足音が一つ聞こえる。ひょっこりと、彼と同じ顔が姿を現した。
「フロイド、寮の備品は壊すなとアズールに叱れますよ。言っても聞かないでしょうが。おや……そこで寝転んでいるのは監督生さんですね。大声量の声で判別できましたが、いつも以上にズタボロ………」
 また、声が途切れた。豆鉄砲を食らったような表情。いつもの調子で、いつもの声音。非日常を壊すような。いつもの存在。それが、どうしようもなく安心した。
「対価を支払うので助けてください!!」
 安心したのも束の間、涙腺は崩壊して、泣きじゃくりながら助けてと訴えながら、長い足にすがりついた。きっと彼らから見たら、哀れで惨めな姿にうつっただろう。

 もう、大丈夫。
 ようやく、会いたいヒトたちに出会えた。

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