その決断力は考えもの


 私は現在、付き合っている先輩に『カベドォン』をされてる。

 ナゼか怒っている。オンボロ寮の談話室の壁、ミシミシと音を奏ではじめているが破壊されてはいない。よくぞ耐えてる壁。能面の表情で私を見下ろす先輩と、理解できず見返すしかない私。こうなったいきさつを思い出すも心当たりがまったくない。
 わからないなりに状況を振り返ると、今日は先輩の卒業式でその終了後。オンボロ寮の談話室で、気を利かせてくれた相棒とゴースト達が不在で、学生生活最後の二人っきりのカップル会話を楽しんでいた。唐突に不機嫌になり壁ドォンをされた。ここで記憶が飛んでいる。
 恐怖がないわけではない。
 私は生まれて初めて好きなヒトに、逃げられないように腕の中へ閉じ込められるという『カベドォン』をされていることに、興奮とトキメキでいっぱいいっぱいになっていた。頭の中で連呼している『カベドォン』はアレだ。少女漫画やドラマなどでよく見るイケメンしか許されない方の壁ドンである。説明してる場合ではないが、もう頭の中は『夫』のフロイド・リーチ先輩一色。ときめきのリンゴーンが反響してる。頭の中でチャペル挙式の鐘が鳴りながら進行中。もうどうしようもない。能面の表情すらかっこいい。
(はっ!?もしや、これは気合い入れすぎたフロイド先輩からのプロポーズに突入する導入では!?よーしっオッケー。小エビはいつでも準備万端ですよっ!!)

 恋する乙女は常に暴走中。冷静に状況判断などできないほど頭が沸いてるのだ。彼女の頭の中で挙式が進行されるなか、無言でそんな少女を見下ろしていた男は、ようやく口を開いた。瞳孔が縦へと割れていた。
「……バカな小エビちゃんは、[[rb:人魚> オレ]]から逃げられると思ってるんだろうけどーーー逃がさねぇぞ、オイ……お前は海の中に連れてくね♡」
 相談なしの決定事項。今すぐ実行するかのように、光をまとい輝きだすマジカルペンを視界に捉えた。両手がついた壁はバキンッと、音が鳴る。
 さすがに、浮かれまくりの少女も青褪める。頭の中は警鐘音へと切り替えられ。強引なところがある男だとわかってはいたが、プロポーズにしてはやけに不穏染みている。なにより、聞き捨てならない。最愛のダーリンから逃げるとはどういうことだ。彼の為に、自分の為に、その隣に居られるように死にものぐるいで勉強して進級の課題を乗り越えてきた少女は、悲壮感を滲ませた声で叫んだ。
「ちょっと待って下さい!!死ぬまで私はフロイド先輩の隣に居るんじゃ!?」
「へ?」
 スイッチの入りかけた男は静止した。マジカルペンの光は収束していく。また、しばし沈黙が訪れた。

「小エビ、ちゃん。どういうこと?」
「それを聞きたいのはこちらですよ!?」
「だって〝これで最後ですね〟てしみじみ呟くから」
「それで!?学園生活最後のカップルの会話だなて、思ったからですよ!?」
「どう聞いても、別れを切り出す流れじゃん」
「……そもそも、私とケッコンしてたんじゃなかったんですか!?」
「ケッコンしてたの!?オレたち!?」
「え?」
「ん?」
 互いにハテナマークが浮かぶ。なにか盛大に認識がズレている。それとは別に、惚けた先輩の顔がカワイイと意識を飛ばす。次にどう話しだせばいいのかわからない。彼が望むなら困難あれど、海に移住してもいいかも考えられる。そこらへんノープランだが、大丈夫。この世界で語り継がれるお姫様たち、力技でハッピーエンドを掴みとってきているので、恋と愛のパワーを装備した今の私ならいけるはず。

 だから、そのつもりで一緒にいるものだと思っていたから───伝わっていなかった。それが、悲しい。

「私、先輩の相応しいツガイさんになるために努力してたんです」
「オレのツガイさんに」
「学園長に交渉して異世界移住計画立てたり、人魚や異種族のこと婚姻関係調べたり、ジェイド先輩から課せられたリーチ家の試練で謎キノコの実験体にされたり、強い先輩の隣に居るためにグリムやマブたちに付き合ってもらって鉄パイプ殺法極めたり」
「色々気になる部分あるんだけど、まずジェイドはどさくさにナニしてんだ」
「三年生になるときにNRC残留から進級に変更して試験がすごく大変で、それを乗り越えられたのも、先輩と一緒に居たかったから!」
 あのフロイド先輩にオンナになるのだ。とびっきり強いオンナでなくてはいけない!この軟弱な見た目や力を、せめて少しでもマシになるよう鍛えなければと、意気込む日々だった。どんどん熱を上げていく叫び。全身であなたが好きだと、伝わってと願う。
 先輩の緩んだ両腕は下がっていく。かつて観賞魚の尾鰭と言っていた式典服の裾。たらりと落ちていく様子を眺めた。

キュー……

 今まで聞いたこともない、か細い鳴き声が頭上から降ってくる。目の前の胸元に飛び込む。普段ならビクともしないはずなのに、ふわりと重なるみたいに押し倒した。想像した衝撃はない。床に寝転んだ状態で乗っかる私を、先輩はその両腕で優しく包むように抱きしめた。
「あなたの故郷に連れて行かれては困ります」
「……人魚はダメ?ニンゲンのオレの方がイイ?」
「まさか!!!あなたは[[rb:人魚> そのまま]]でいて、尾鰭を捨てないで。魅惑の人魚ボディを捨てるなんてもったいない!」
 トクトクとゆっくり刻む鼓動の音。長く生きるイキモノは寿命の差が違うらしいと、種族を学ぶ授業を思い出す。

 私より永く生を歩んでいくヒト。

 その生の一欠片の時間を共に過ごして行けるのなら、どんなに幸せだろう。突然連れて来られた異端者である私だけど、帰還を自ら放棄した親不孝者だ。ロクな死に方はしないだろう。この人魚ともに幸せに暮らしていける保証もない。それでも証明できるのは、この身と今この想いだけ。
 強く強くその大きな体に縋り付く。なんとなく私も卒業したら、そのまま一緒に先輩と暮らすものだと思っている。だけど、このヒトに依存して生きていくカタチになっていくのは、なるべく避けたい。この世界で生きていく私は生活基盤を整えている真っ最中。学園長との交渉の一つとして、この学園を卒業することも含まれている。
「……オレのツガイなのに、イッショに居てくれないの?」
「ツガイて夫婦ですよね?」
「うん」
「先輩が望んでくれるなら、死ぬまで一緒にいます。あなたより歳を重ねていく私の……老後の面倒見てくれますか?」
 謎キノコ実験体の対価にジェイド先輩が教えてくれたリーチの血筋。深海に住む人魚は始祖の血が濃いという。彼に依存するのは嫌だが、老いていく人間である私は避けて通れはしない課題。種族恋愛の壁、一つとする寿命差。[[rb:人魚> カレ]]が一途ならば、私を最期を看取ってもらうことになるのだ。

「ヤダ」
「え!?」
「オレと同じくらい長生きしてよ」
「それは……人間を辞めろ、ということですか?」
 人間を辞める方法とかあるのか。今度、学園長に聞いてみよう。今日の先輩はいつに増して情緒不安定だ。どんな表情でそんなコトを言うの。もぞりと上を這い上がって、覗き込むその表情は、彼にしては珍しい臆病な色を見つけた。キュンッと心臓の音が鳴る。ああ、私本当にもうダメみたい。このヒトの為なら人間だって辞めてもいいと思えた。その不安を払拭できる行動は何をすればいい。先輩の顔をジッと見てるとその唇に視線が釘付けになる。

 今、猛烈にキスしたい。
 すごくしたい。

 今までそれなりに遠慮していたけれど、先輩からすると、私がこの関係に消極的に見えていたのかもしれない。なら、海に今すぐ連れて行きたいくらい、私のこと好きなのだから。
「ねぇ、小エビちゃん」
 両頬を掴むと勢いよく、言いかける先輩の唇を重ねた。初めてのキス。柔らかかった。離すと色違いの瞳が驚愕に身開いていた。

「人間の愛を見くびらないで」
「フロイドさんのオヨメさんは、私だけにしてくださいね」

 残りの時間、この先のすべてをあげるのだから。私だけを見ていてと祈りを込めた。
 なにもかもスッ飛ばして、愛しいヒトに再びキスをする。

───硬直していた先輩に、濃厚な倍返しにされた。
  
 大胆にしすぎた行動と、アプローチを早まりすぎたその行動に、後で正気に戻った私は恥ずかしさに身悶えるのだった。




 最初はほんの気まぐれ、どんなものかと試しただけ。それが───あの子と過ごす日々があまりも心地よく。気づいてしまったあとはもう引き戻せなくて、手放せなくなってしまっていた。

 全部、欲しくなった。

 反撃する力はあるのは知っているが、あの子は弱い、小さくて弱い。守ってあげなければ、この世界で生きていけない子。とびっきり自身なりに優しくしよう。大事にしよう。緩やかに、緩やかに〝オレ〟の存在があたりまえになるように。少しずつ少しずつ、尾鰭で囲うように退路を失くしていく。

 この学園から去る日はすぐに訪れた。月日はあっという間だ。

 一度は海に帰らなくてはならない。困ったことに飽き性の自分は、あの子に飽きてはくれなかった。もうオレはあの子を手放せない、手放す気はない。一年も離ればなれなんてありえない。その間にこの世界から居なくなってしまう可能性もある。目の届く先に、尾鰭で囲える範囲に、連れていこう連れていこう、あの暗い暗い深海へ。

「小エビちゃんも、連れていくね」

 お前は逃してやるものか。



 柔らかな感触ともに、幸せそうに顔であの子はオレに告げた。

「フロイドさんのオヨメさんは、私だけにしてくださいね」

 ああ、どうしよう。
 一生、この子に勝てる気がしない。

 喉から、愛が溢れだした。
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