帰り道は必要ない
フロイド・リーチは、いまだに不思議に思っていることがある。双子のきょうだいであるジェイドと、その番になった元オンボロ寮の監督生の小エビのふたりについてだ。学生時代ジェイドが小エビに対してそこまで情があると思わなかった。フロイドもジェイドも面白い人間程度のものだったと記憶している。それが、小エビが帰ることになったあたりのジェイドはどこか心あらずの様子だった。フロイドとアズールだけが当時気にかけたり注意していたから。
だから、帰還の日。
割れた鏡を見て絶望しへたり込む小エビの前で安易なことは言えなかった。思い浮かべる存在がはっきりいた。まさかと思うも。言葉にせず心の中にしまった。
それからどういう訳か、ジェイドと小エビがいきなり付き合いだす驚く事件が起きた。大混乱が巻き起こったのは言うまでもない。さらに驚くべきことに、学校生活から卒業後の今に至るまで、ジェイドの小エビに対する愛情表現はそれはもう凄まじかった。理由を聞かずとも、見ればわかるゲロ甘に周りは何度表情筋を引き攣らせたことか。ナチュラルに小エビの友人たちを牽制し、よからぬ思いを抱いてるそこらの雑魚を秘密裏にツブしたり、主にヒト属以外の種族に対して自分の番だとマーキングし主張をかかさなかった。それも蓋を開ければ、性的な関係は一切あらず超絶プラトニックな関係。小エビのことを心配していた周りの人々も、結果的に応援してもいいと考え直すほどになった。
それから時が経ってもあまり変わっていないふたりの関係。フロイドは「もう大人なんだし責任取れる歳なんだから、そろそろよくね?」と思うし、アズールも「番との蜜月くらい休みの調整はしますよ」と気をきかせるくらいだった。
『もうそろそろ、次のステップに進もうかと思っています』
最近ジェイドもより深い関係になりたいと意気込みを語っていた。身内の惚気にウンザリはするものの、きょうだいと小エビが幸せならいっかと思う、それなのに。
「この前ジェイドさんが綺麗な女性と仲むつまじく街を歩いていたんですよ。それを見て、お!?もうそろそろ用済みかな!?と思って、気になってフロイド先輩に確認しに来たんです」
「何の話??」
結婚して順調なのかと思っていれば、小エビにとんでもない相談を持ちかけられた。話置いてけぼりとか、兄弟の嫁兼義妹から離婚匂わせとかやめて。
「フロイド先輩が何も知らなかったとは思いませんでした。どこから説明すればいいんでしょう?」
「つーかさぁ、やけに小エビちゃんアッサリしてね?結婚するくらいだからジェイドのこと好きなんだと思ってた」
きょうだいのあの様子から浮気は有り得ない。仕事絡みの相手だろう。見られるなんて運の悪い男だ。おまけに番のはずの子には浮気現場だと誤解され冷め切った対応。
「ジェイドさんには感謝してますよ。彼の言い出したことには最後まで付き合おうかな〜て思うくらいには。でも、あの人がどう思ってるのかわからないんです。好きとも、愛してるとか、一緒に居て欲しいとか言われたことないので」
「はぁ?」
(おいおいマジかよ。ジェイドォ?オニイチャンそんなの知んないよ??)
フロイドはそれこそ愕然とした。とりあえず話を促す。
「じゃあ、なんで結婚に至ったの?」
「実はある事がキッカケで必死に頼み込んで黙っててもらう代わりだったんです。ジェイドさんの条件は〝自分の気が済むまで付き合え〟的な意味合いだったもので、それで契約交際が始まったんです。すぐに終わるかなと思ってたんですけど、なんやかんやずるするしてたら結婚しちゃって、人生何あるかわかりませんね!」
「端折りすぎじゃね?飛躍しすぎだろ。契約交際て何??」
「えっと、そこからですよね。そうですねぇ……うん、もう時効かな」
一人でにぶつぶつ何事かと呟くと。
小エビはキリッとした表情で語り始めた。
「私が鏡を叩き割ろうと、夜中に忍び込んだ時の話です」
「……ん?」
◇◇◇
「監督生くん!元の世界へ帰る方法が見つかりましたよ!」
「えっ?」
やり遂げた雰囲気で勢いの良い声。聞き捨てならない学園長の言葉に、少女は気の抜けた相槌を打つ。
それは異世界人である少女が元の世界へ帰れるという、そのまんまの意味だと理解するのにたっぷり時間がかかった。
「これまで幾度もぬか喜びをさせてしまいましたからね。心苦しく思ってたんですよ。私、優しいので!前回の報告会で手掛かりは探しつくしたと思ったのですが、諦めず探せば道は切り開けるものですね。ある条件とある鏡を通れば帰れるんですよ、ということで色々これからの話が……」
少女の様子を一切気にすることなく話が進んでいく。本当にそれは本心かと思わないでもない。それでも、異世界渡りの方法を約束通り見つけだしてくれたのでその通りなのだろう。
問題なのは学園長の言うぬか喜びはしておらず、渾身の『演技』で義務的にその質問してきたこと。内心冷や汗をかいていた。この世界に来て二年の歳月が経つ、一月前に帰る方法は無いと断言されていた少女は喜ぶどころか絶望していた。
(どうしよう、そろそろ戸籍について相談しようか考えていたのに)
そう、この監督生。
帰る気がまったくなかったのである。
少女が元の世界の記憶を思い出したのは、起こりえるすべての騒動が終わってから。
相棒のグリムが暴走し鏡の間が崩壊し何度か死を覚悟しながら、これまで関わってきた生徒たちとなんとか力を合わせて解決したものの。相棒の無事を確認してからその場で高熱をだし気絶した。多少擦り傷はあっても奇跡的に無事だった少女も、これには流石に限界が来ていた。
高熱で魘されながら思い出したのは元の世界での、およそ幸せとは言えない記憶だった。実の両親は亡くなっており、親戚の家をたらい回しにされながら、最終的に施設にたどり着いていた少女には絶対的に守ってもらえる大人はいなかった。孤独を感じ、寂しさを誤魔化しながら、必死に生きていく。十代後半になる頃に将来のこと心配しながら進路をどうしようかと考えるばかり。トドメには、不幸というか嘆きたくなるトラブル引き寄せ体質のせいで良からぬ下心を抱いた誰かに襲われかけ、抵抗して揉み合ううちに。
そこからの記憶はない。
気がつけばツイステッドワンダーランドに迷い込んでいたというはなし。
すべてを思い出して、あの断片的な帰りたかった思いは幸せだった頃の記憶だったのだと気づき、ひっそり涙をこぼした。同時に帰る前に思い出せてよかったと安堵もあった。帰っても残っても大差がないのなら、この世界で残って住む方がまだ未来に希望があると思えたから。元の世界に帰らないといけないと思うと同時に、この世界にも少なからず未練を抱き始めている自覚もあった。少女は考え改め直し、自分にとってどちらが良いか天平にかけ、この世界で生きていくことを選んだ。
だけど、その考えは相棒含め話すことはなく内緒にした。自分はそう願っていても周りはどう思うかわからない。行くあてがないから学園に在住しているので、すべての人に歓迎されてはいないことは感じている。少女は自分のためだけに周りに頼るのはとても下手だった。
ひとりで抱え込み考えて、自分でも帰る方法を探すフリをしつつこの世界で住む際に必要なことも調べ始めた。人に聞かれれば「もしもの時のために」と理由つけて話すと、だいたいは納得してくれたり、気まずそうに話をそらしてくれる。妙にごまかさずに堂々と調べることができた。その姿勢を貫いていると、その内じわじわと周りが同情やらなにやらで気にかけてくれたり力を貸してくれたりするようになった。
目論み通りだと細く微笑み、我ながら小狡いなと自分に対して自嘲した。
およそ一ヶ月前のこと。
『元の世界に帰れる可能性が低い』と、思わぬ鴉の一声ならぬ学園長の言葉で勝利を確信した。
(やったあああああ!ひゃっほおおおおい!帰らなくていいいのおおおおお)
荒れ狂う狂喜乱舞は心の中で行われ。外面はショックを受けている演技をする。生い立ちとNRC学園生活で外面の分厚さに磨きがかかっていた。
どうやら、学園長も最初に言っていた通り、戸籍なし常識なし無一文の若者を放りだすつもりはなく。元の世界に帰る方向性を変えて、今後の待遇と進路を考える方向にチェンジしていった。オンボロ寮のメンバーには少女自身からこのことを話すと、慰めと労りの言葉をかけつつも申し訳なさそうに喜んでいた。その反応に不思議に思い聞くが頑なに話をそらされたので、根気よく聞き続けるとようやく口を開いてくれた。
『いつかはお別れしなければいけないと覚悟をしていたので、この世界に居てくれるのが嬉しい』
ゴーストも抱きしめたかったが、その分グリムをめいいっぱい抱きしめた。他のみんなも学園長からそれとなく話を聞いて、先生方と寮長たちを中心に浸透していき様々な反応をもらいつつも、悪い反応はなく寄り添ってくれる人が多くて励まされた。中には少女的に意外な人物までもいたものだから、思っている以上にここの人達に存在を認めてもらえているのだと嬉しくなった。
前向きに日常を過ごしている最中。
この思わぬ朗報が飛び込んできた、正しくは悲報なのだが。ショックのあまり生返事で頷いている間、あれよあれよと話が進む。周りには周知され一変してお別れムードに切り替わる。少女の気持ちを優先してくれたゆえだった。なんだかんだ生徒たちは少女に優しい。外面だけ帰れないことに悲しんでいるフリをしていた弊害で、本心を一度たりとも明かさなかった少女の完璧な自業自得。
そりゃあもう、めちゃくちゃ後悔した。
(少しでも心情吐露でもしておけば、こんなに言い辛くはなかったしいまさら明かして失望される恐怖に怯えなかった)
言い出すのをズルズル躊躇って延期してる間に帰還の日は近づいていく。
各寮及び教師陣含めたこの世界で関わった人達から、盛大なお別れパーティーを催されて、ついに帰る日の前日になってしまった。
(一言「帰りたくない」て言えばよかったんだ)
パーティーは終わり時間は深夜。
泣きつかれて眠ってしまったグリムの体を撫でながら、朦朧とした意識の中でなんとか帰る方法をキャンセルする手段はないかと考えていた。自分自身を責めながら、その行動に移せなかったヘタレ具合に泣きたくなりながら。情緒は不安定でこれ以上にないくらいに追いつめられている。突然鏡が爆散しないかなと願うほどに追いつめられていた。帰れるのに帰らないなんてどう思われるか。
徐々に足りない脳みそと疲労感。自己嫌悪で思考回路はぐちゃぐちゃになり始める。
(どうにかして納得できる理由を、考えても、思いつかない!!)
最悪な精神のままある言葉を口にだしてしまった。
「鏡なんてなければ」
閃光弾けるひらめき。ストッパーのいない暴走思考。帰りたくないなら自分で鏡を割ればいいんじゃない。バレないように割ればいいんじゃない。
(突然、割れたように偽装工作すればいいんじゃない!?)
魔法も使えない人間がそもそも割れるのか。バレることへの疑念もわいておらず名案とばかり即実行に移す。その少女は行動力だけはあった。いい感じにテンションもハイになっていた。いつぞや、マブから贈られたミドルスクール時の相棒〝護身用の金属バット〟を片手へ持ち。目の座った少女は、静かにオンボロ寮をアトにする。ちょうど月の綺麗な夜。
「アイツに罪はねぇが、存在してると困るから消えてもらわねぇとな!」
どこぞの悪党の台詞だと言われても仕方なし。狙いを定めるようにブォンブォンと金属バットを素振りする。一撃で仕留める練習。その場から即座に逃げるシュミレーション。行き当たりばったりで作戦とはいえない荒さ。バレたらバレたで土下座で謝りたおそうと、ネガティブ思考からポジティブ思考に切り替えられていた。
腹を括ることは、少女の真骨頂だ。後から考えれば、思考回路がだいぶおかしくなっていたなとも思う。半分鏡に対しての八つ当たりもあった。
そうこうしているうちに、帰還の為に設けられた部屋に辿り着く。深呼吸して片手のバットを握り締め直す。扉は魔法も鍵もかけられておらずなんなく開いた。無用心すぎるとチラついたが都合がいいのでラッキー。
「未来は己が切り開け!テメェを仕留めにきたぜ!ヒャッハー!」
世紀末監督生、台詞は物騒な半面声は小声。自分を鼓舞するために吐かれた台詞は普段の性格とは程遠いものに。ブレンドされた精神状態は極まり、様子のおかしいヤツへと変貌させている。勢いよく部屋に乗り込み、目に入ってきたある光景に硬直する。
鏡が割れていた。
鏡面が粉々になっていた。
「へ?え?あれ?割れてる???」
(割れてる!?)
大きな声を出しそうになり慌てて、バットを持っていない手で口元を押さえた。鏡を割りに来たのに、もうすでに割れてるのだ。混乱するに決まっている。爆散しないかなと願っていたものが本当に爆散しているなんて、そんな都合よく。
そして思いだす。ここは、魔法のある世界。愛のキスのある世界。
「思いが通じた?」
帰りたくないという願いが、星に届いたとしか思えなかった。現実をようやく受け止めてじわりじわり涙が溢れてくる。ぐずぐずと鼻を啜ってしばしの間、少女は静かに泣いた。
「帰らなくても、いいんだ」
予想外の展開だが結果オーライ。
不思議なことに騒ぎを聞きつけて人も駆けつけてこない。これは幸いとトンズラすることにした。この惨状が朝に見つかってから、周りの反応を見て今後の振る舞いを考えよう。早く寮に帰ろうと踵を返そうとした時、ガチャリと後ろの扉を開かれその人物と目があった。
「……監督生さん?」
月明かりに照らされた特徴的なターコイズブルーの髪と一房の黒のメッシュ。キッチリと着込まれた黒の寮服。それを際立つように、金色の左目だけが輝いていた───驚いた表情のジェイド・リーチに目撃された。
おさらいして今の状況を確認しよう。
深夜の時間帯。
帰還の部屋。
割れた鏡。
金属バットを持った女。
割りに来たが割っていない少女は、言い逃れできない状況に白目を剥く。
それが、ジェイドと監督生の始まりのキッカケであった。
◇◇◇
「いや〜、あの時は丸腰でラスボスに遭遇した気分でした。金属バット持ってましたけど」
「ツッコミどころ満載なんだけど?とんだ暴露聞いちまったんだけど?」
話し終えた小エビが朗らかに笑う。その話は序盤も序盤で、もう既に内容が濃すぎる。これがリーチ夫妻の契約交際または馴れ初めならばこの後の学園生活は実はもっともっと特濃だったりするのか。それより気になることがひとつ。この際、小エビの奇行はまず置いといて。
「小エビちゃんさぁ、鏡割ったヤツ気にならなかったの?」
「元の世界に帰るキャンセルするのに鏡を割るしかない、当時はそればかりで誰か割ったかは気になりませんでした」
「極論すぎね?都合よく現れたジェイドのこと不審に思わなかったの?」
「タイミングが良いから尋ねると、アズール先輩に頼まれた仕事を遂行してたと言ってました。片手が、血塗れだったんで恐ろしくて追求できなかったんですよね」
どうしてそれで納得するのか。犯行道具は己の拳か。あの日の朝のきょうだいの様子を思い返すと、そういえば取り立てで珍しく怪我をこさえていたな、と。
(アイツ、何食わぬ顔で平然とウソついてんな。小エビちゃんも小エビちゃんで大概頭おかしいけど、ジェイドは次のステップへ進む以前の問題じゃね?)
近い将来。
きょうだいがいまさらオーバーブロットする可能性あるかもしれない。わけのわからない夫婦問題に巻き込まれつつある、ウツボの人魚の片割れは現実逃避をしていた。