人外さんと人間ちゃん



 カレは夜の校舎を[[rb: 二本の足で>長い尾鰭で泳がせて]]散歩する。
 故郷ほどの暗さではない。この静けさの中にひっそりと紛れ込み、陸の夜を楽しんでいた。窓から見える星を眺めるのもなかなかによく好んでいる。
 この暗闇は、以前より少なくなった〝仕事〟を遂行するのにもちょうどいい。
「こ……ころ…さない…くれっ」
「〝ころし〟はしませんよ。聞きたいのは懇願ではなく、対価を確実にお支払いいただけるか、どうかということです」
「はら……う、はらう………から、ううっ」
 もがれたニクのかたまりは転がっている。荒れた呼吸音とともに懇願の声が聞こえ。愚かな債務者の歯を鳴らす音が大きくなっていくばかり。人魚はそれを眺め聞き流しながら、かたまりを強く転がすように蹴る。断末魔の悲鳴がまた鳴り響く。痛みで麻痺させず正気を保たせたまま、その行為は淡々と行われていた。
「さすが、契約を踏み倒すだけの気概の持ち主ですね。残る手に握っているのは、予備の〝マジカルペン〟でしょうか?隠し持っていたんですね。準備も容易ではないでしょうに、そんなものを用意する間があったなら対価を支払った方が良いと思いませんかね?本当に残念だ」
 例の事件から密やかに行われる契約や取引もそれなりに改善している。契約者が確実に支払えるかどうか相談受付後に調査し判断するのも取り入れるようになり、以前に比べれば滞納されるようなコトも少なくなった。対価の催促も暴力的ではなく『三度の勧告』をするようなどして、ポイントカードを導入し地に落ちたイメージをクリーンに払拭する方へと優先した。
 それが周囲に誤解させたのか。
 支払えるはずなのに支払わない。こちらの改善した様子に「日和った」と囁きナメたマネをしてくれる輩が沸いた。この契約を破棄するならどうなるのか、その学習能力が足りない学生は時折現れる。要は新手の踏み倒し。
 この学園は優秀な者が集まると言われているのに、稚魚でもわかることがどうしてできないのか。判断を見誤り、糞みたいなプライドで引くに引けず自ら破滅を選ぶ選択を理解できない。反抗するならもう少し考えればいいものを。
 それとも、人魚を侮っているからこうなるのかもしれない。
「支払いへの催促は三度。この状況も踏まえて支払い拒否と判断し、貴方を処理しなければなりません」

 ゴキャ、グッシャリ。
 男の姿が不気味な音を立てて変化していく。
 その様を見たものは、異形の変態だと思うだろう。愚かな債務者は転がりながら必死に逃げようとする。
 変化し終えたイキモノは、大きな口を長い舌でペロリと舐め近づき。
 残った一部をカレは―――


 その人魚には、知られてはならない〝悪癖〟があった。





 生か死か。
 海の世界で誕生してからある一定まで生き延びることは過酷である。海で生まれたものなら当然のごとく誰しもが課せられたサダメ。それは〝人魚〟と呼ばれる種族も例外ではない。水深によって変われど、あらゆる困難が待ち受けている。乗り越えるため進化し続けたもの、関わる世界を開拓したもの、変わらずその血に受け継ぎ魔力を高め紡いでいくもの。様々なイキモノたちの苛烈な生存戦争のなか、生き残れたものたちだけが存在することができる世界。
 されど、珊瑚の海は広い。
 海という閉じた世界を激変させるキッカケとなったのが人魚姫の恋と愛。長い時、隔たりのあった陸と海双方に変化をもたらした。良くもあり悪くもあり。いち早く陸の文化を取り入れた地域につれ多様に変化し、その発展も思想も同種族内で差は広がっていった。現代では認識差問題の一つでもある。

 特に深海の人魚たちにはそうだった。場所によっては海独自の防衛魔法で対策されているが、水深による環境変化が激しい深海には困難がそこかしこに潜んでいる。
 深海の人魚には原初の血を受け継ぐ、生存戦略のために独自に進化したものが多い。特異と判別される容姿をさらに変化させるため、異形の変態だと揶揄され称される。よって他者の前でそれを行うのを嫌がり、広まることを避け一般的に知られてはいない。
 元より閉鎖的な環境であり外界を遮断し、他種と交わるのは禁忌だという思想が根付いていた時代もあったほどだ。同種族でもあまり関わりを持たないゆえに、流れる魔力濃度は高けれど時を重ねるごとにその数を減らしていった。これでは種族が絶滅してしまうと近代では危機感持ち、意識改革が進んでいるものの、基本的に他に対して警戒が強い考えの者は多くいた。
 
 外界の変化と適応できたものだけが地位を得る。カレの家庭も、その一つだった。
 裕福な家庭に生まれるが、ともに生まれた多くのきょうだいは苛烈な生存競争に敗れ、いのちは深い海に循環された。
 生き残ったもうひとりのきょうだいと、おもしろいものや相手を見つけてはその生を謳歌する。
 そんなカレが稚魚と呼ばれる頃に、密猟者に遭遇したことがある。過保護な母から口酸っぱく近づいてならないと言われていた海域に探検しに行った時だ。なんでも、そこに近づいた人魚が忽然と消えてしまうのだとか。後から知った話だが、特異な容姿をした種族は人間たちの裏社会でコレクション、愛玩動物、珍味扱いで高額に取引されていることが理由だったらしい。

 ふたりの好奇心はそんな話で留まるわけもなく確かめようとしたさいに、まんまと捕獲される状況になってしまった。魔法の網で引き揚げられたときは、幼き人魚もさすがに焦った。
 網の金具で怪我をしてしまった。これでは、海へ逃げても大きな肉食魚を引きつけてしまい捕食される事態になる。
 そんな焦りを悟らせず、逃げるために周囲をただひたすら観察した。当時密猟者たちの言葉は理解できなくても、品定めするような視線と下卑た笑い声は不快だった。稚魚といえど鼻の良い魚にはそれらは醜悪な匂いを放っていた。吐き気がするほど、人間はこんなにも臭いのかと。
 そんなものに食欲はわかない。

 気持ち悪い笑みを浮かべながら、撫でる尾鰭への感触に魚肌が立つ。

 〝自分たちに害を与える外敵だ〟

 警鐘鳴らした自衛本能は、密猟者の指を噛みちぎった。人魚はびっくりする。簡単に千切れた人間の肉や骨。こんなにも脆いのか、と。
 つんざく悲鳴と周囲に広がる血の匂い。混乱に乗じてもうひとりのきょうだいは密猟者を海へと突き落としていく。覚えたての魔法を使いこなせたのは天才肌ゆえか、咄嗟の機転でふたりは窮地を脱した。
『こいつらワルイヤツらだしムカつくし、この船ひっくり返しちゃおーと』
 水の中へ逃げても、血の匂いを嗅ぎとった肉食魚が近寄ってきてしまう。密猟者たちに腹を立てていたきょうだいは、水中では無力な人間たちを囮にすればいいと思いつき実行した。結果的にそれは成功し、人間たちが餌の代わりになっている間にふたりは逃げ切った。
 両親にはバレて怒られたが、ことの成り行きを話すと反撃した行為はとても褒められた。そう悪くない記憶。
 説教が終わってからふたりの部屋で、「人間のニクの味はどうだった?」ときょうだいは聞いてきた。口の中の食感と味を思い出しながらカレは考える。

『あんまりおいしくなかったですね』
『ふーん、おいしくないのかぁ』
『身もきれいではありませんでしたし、海のイキモノたちの方がおいしいです』
『まぁ、あいつらマズそうだったしねぇ』

 人魚にとって初めて食した人間への感想。
 おいしくはなかったが、人間の脆さを知った人魚はひっそり胸の内でなんとも言いがたい感情が渦巻いていた。





 この[[rb:魔法学校> NRC]] には至るところに、魔法あるいは魔法工学で使用した仕掛けが施されていた。

 優秀な者たちが集う場所にひきしめあう[[rb:叡智> えいち]] たち。代々引き継がれていく教員たちが創りだしたモノであったり。個人格の性質はともかく優秀な生徒たちが生み出したモノだったり。素晴らしいモノは時に伝えられ、時に秘密裏に隠され。中にはごく一部の生徒の好奇心と探究心によって歓迎されざるモノも創りだして。
 複雑に絡み合い積み重ねた、魔力濃度の高いこの場所では摩訶不思議が潜んでいる。あちらこちらに。


 咀嚼する音が静かな空間に響いている。
 魔法と魔法で生み出された異空間を怪物だけが支配する。
 美味しくもなく、好みでもない味を咀嚼し続ける。陸での生活を維持するために、長期間服用している変身薬の副作用が溜まりに溜まっていた。ガス抜きに発散してみたが、一応少し落ち着いてきているようだ。しかし、消化不良感は否めない。
 
『いいかげんに自制しろ!バレたらどうするんだ!』
『よくそんなゲテモノ、くえるよね。腹壊さね?』

 消化できないものを飲み込んで、怒るであろうひとりと呆れるひとりのことを考える。魔法薬を用いて修復し記憶も消して完全な隠蔽させる優秀なおさななじみ。注目をそらせる天才肌なきょうだい。彼らの協力なくして自身の悪癖を隠し通すことはできなかった。陸へ上陸することは叶わず、異種族の機関で隔離されていただろう。
 今回は陸に来てから一番派手にやってしまったと自覚している。昔感じたキモチをもう一度味わいたくて、ついつい捕食してしまうことがこれまでにも多々あった。
 転がるニクのかたまりは、虫の息だが死んでいない。どのみち、このカタマリはこの学び舎からいなくなるだけ。死にさえしなければ〝魔法薬〟を使って再生できる。少しばかり違法だが。
 精神が正常に回復するかなんて、禁止薬塗れになったヒトがなんの影響もないわけがなく、なんらかの支障をきたして学園を去る。

 人間と人魚の協定が結ばれる現在では、禁忌といえる行い。人間の世界に紛れこむには、あまりにも自身は欠落していた。知られてはならないこの〝悪癖〟は、倫理をアイするニンゲンたちには受け入れ難い。
 コレは同族ですら嫌悪され―――

「………ぎっ、ぎゃあああああ、でたぁぁぁ――!!」

 照らされる柔らかな光、振り返ると見知った人間。
 手に持っていた物を放り投げ、憐れな目撃者は脱兎のごとく駆け出す。

 逃げられたら追いかけるのが捕食者のサガ。〝追え〟と本能が囁いた。

 思わぬ来訪者に呆気に取られ、はたりと我にかえると今の状況を確認し直す。このままコレを放っておいては今後マズイことになるのは分かりきっている。アトカタヅケしなければならない。
 予定調和は嫌いだが、破滅思考ではないのに。思いかけず消化不良を発散させることができそうだと、急上昇する心拍。ギュルルと喉が鳴り、ギラギラと瞳孔が縦にのびた。

 図らずも、追いかけっこは始まった。

 夜の校舎をうかつに踏み入ってはいけない。
 対処できない者は取り込まれるだけなのだから。
 




 憂さ晴らしにも似た、暇つぶしのような追いかけっこは続く。
 距離を縮めたり遠のいたり。逃げ足のあまりの遅さに、「よくこれで生き残ってこれたな……」が正直な感想なところ。落とした持ち物から推察するに、たまたま忘れ物を取りにきただけのよう。どんな確率であの場所へ辿り着きその場面を目撃するのか。

(なんとも、不運なヒトだ)

 それは、あの異世界からの来訪者。
 オンボロ寮の監督生と呼ばれるあの人間の、呪われたようなトラブルに引き寄せられる体質ゆえなのか。
 平和呆けの上、能天気で危機管理能力欠落してるだけなのか。

 かの人間の印象は出自が特異なだけの冴えない人間。その印象が改められたのが、自寮との対立と他寮での協力した接触。この悪癖は知られるべきではないがあの程度の人間に見られたところで、口封じにコロスほどでもない。魔力の無い人間にはほんの少し記憶改竄すればいいだけのこと。万が一漏れたとしても、夜の校舎の魔法に引っかかったと判断される確率が高い。それほどに魔法耐性が低いと周りには周知の事実である。
 そうだとしても、それを予想外の方向に覆してしまうのがあの人間が〝トリックスター〟と呼ばれる由縁。その部分には評価している。ゆえに、その予定調和に定まらない存在への興味と警戒心が放っておくことができない。

 そして、今回も結果的にそうなった。

 途中であの人間の気配や存在そのものが消え去り、次の瞬間あらゆる場所にその痕跡が拡散された。防衛魔法の一種で追尾を阻害させる要素も持つ高度な魔法。普通ならめったにお目にかかることはない。余程の事態でなければ必要のないものだ。その魔法は知識として知っていた。あの人間にはソレが守られるように施されている。ダレかがその身を案じまじないをかけたのだ……なんともおもしろくない気分になる。
(肉体強化はされてないようでしたね、どこかへ隠れ潜んでいる?)
 追いかけっこから、かくれんぼへと変わる。しらみつぶしに探していくのは効率が悪い。そう思案している内に別の気配を感知した。どうにかできる存在ならば問題ないが、そうでないなら接触は避けた方が賢明だ。一時身を隠すことにして、ついでに放り出していたアトカタヅケしにでも戻る。予定は変更だ。もっと、アソビたかったのに。
(今日のところは、ここまでですか……残念だ)
 逃げたあの人間にこちらの正体がバレてないなら、いくらでもどうにかする方法あった。





 再度再開したときには、予想外な展開へと発展していた。
 [[rb:自身> バケモノ]]から逃げ切れたはずの人間は、同種族の人間に襲われていた。
 こんなに連続して運がないことがあるのだろうか。憐れみすら感じてしまう不運ぶりだ。
 だけど、そう思うだけ。

 双方に気づかれず、怪物はその光景をジッと観察する。今にもケダモノにくわれそうなニンゲンはどう抵抗するのだとジッと見続ける。
 助ける機会を窺うのではなく、どうのような結末を迎えるのか。
 [[rb:映像> ドラマ]]でも見ているように。
 夜の校舎。
 誰もいない廊下。
 魔法と魔法で隠された存在しない場所。
 欲望を募らせ覆い被さるケダモノと、必死に抵抗するニンゲン。
 つまらない。
 そのまま貪られてしまうオチは望むところではない。あの人間が生きたまま瞳の光を失っていく姿など、あまりおもしろいとは思えないのだ。
 
 ふわりと、いつか見た海辺での光景が浮かび上がる。

 すべて終わったあとに遭遇し、踏みにじられたリクのヒト。自ら己の生を終わらせたあの姿。
 [[rb:人魚> 僕ら]]のいる海に沈みゆく、うつくしいヒトが落ちてきて。その存在にふよふよと近づいた。よごれたと思ってしまったその身を咀嚼する。
 その身を底へ落としたなら、もうそれは海のもの。
 覗きこむ下卑た笑顔のケダモノ。それがおぞましく気にくわず。かつて一緒に見たきょうだいは、次から次へとリクのケダモノをウミへとひきづりこんだ。わらうケダモノたちは一転して、溺れ苦しみ叫び声は水の中に消えた。勘違いし貪っていた強者は、すぐに立場が逆転する弱い弱いヒトモドキに成り下がる。動かなくなる姿を見て楽しそうにするきょうだい。僕も釣られて嗤う。

 (そこに断罪する気持ちはありませんが、アレももしかすると慈悲だと思われるものでしょうか)

――ギャァッ

 遠い記憶を思い出す内に、目の前の場面が進んでいた。
 夜目の効く瞳はソレを映す。諦めたようで諦めない、決死の抵抗をするあの〝少女〟は、消えぬ光のまま鬼気迫る必死の形相。
 その口の中に、男の[[rb:親指> ニク]]。

 そうだ。
 抵抗しろ。
 噛みちぎってしまえ。
 全身を駆け巡る高揚と興奮は、境界線を跨ぎその男を吹き飛ばした。叩きつけられ呆気なく転がるカタマリは動かない。しまった、せっかくおもしろい光景が見れたというのに、先に手を出してしまった。石像のように硬直した少女は、こちらを見て目を逸らさない。先程は逃げ惑っていた少女はもう逃げはしない。その肌に触れたくなり近づく。

――イタくないと、いいな

 懇願のように呟かれ意識を失う。崩れ落ち床に叩きつける直前を掬い上げる。
 ウデの中におさまる、小さな小さな肉のかたまり。
 トクリトクリと鼓動を打ついのちを、たしかめる。

 ゴクリと喉が鳴り刺激される欲。同時にこの場で腹におさめてしまうには、勿体無いと思ってしまったから―――標的を逃さないようにかけた[[rb: 咬魚の誘惑> おまじない]]を。



 その夜の邂逅は、ジェイド・リーチにとってオンボロ寮の監督生の〝いのち〟に価値を見出させ、大きな衝動を与えた。


◇◇◇


 きょうだいの異常性を知ったのは、稚魚と呼ばれる頃に密猟者の指を噛みちぎり咀嚼するのを見たとき。
 切迫した状況だったから驚く暇もなく、相手側の混乱で隙ができ助かった。状況が落ち着いてから、その味を聞いてみたが普通の反応なので、そこで終わったものだと思っていた。なのに、なにかの拍子できょうだいは飢えたようにその行為を繰り返した。
 ある時は、溺死体を。
 ある時は、また密猟者を。
 ある時は、海辺で見かけたならず者を。
 生きてたり、死んでたり。
 陸へと上陸して通う学園内でも続き、悪質な債務者に限りその行為は密やかに行われた。察する通り、良くもない結末を迎えている。抵抗すればするだけ違反者への取り立ては、きょうだいの[[rb:格好>かっこう]]の餌食だった。
 自分も含めて原初の血が濃い人魚は、他種と比べてどこかズレている性質が備わっていた。自身もその肉を食えないこともないが、ゲテモノすぎて好みではない。きょうだいも好みではないはずなのに、なぜそれを続けるのかと再度尋ねた。

『[[rb:嗜虐>しぎゃく]]の表情を浮かべ捕食者だと思っていた相手が、捕食されることによってどちら側かを思い知るあの表情がたまらなくて』

 とんだ趣味の悪い悪癖を語られゲンナリした。今の今まで周囲にバレてはいないものの……ごく一部の鼻が利くものや長命種には勘付かれていても、そこは暗黙とされている。共存する世ではあるが異種族同士で争いが絶えない遥か昔の時代。報復で互いを食していたとも聞く。各種族変わらぬ後ろ暗さはそれぞれあるのかもしれない。
 それか、ただ単に関わりたくないだけ、といったとこだろうか。あのマンタも表沙汰にはでなければ、放任している節がある。



 深夜ともいえる頃に、同室のきょうだいが帰ってきた。
 騒がしい気配で起こされる。やけに上機嫌なのが珍しい。今日はあの悪癖がおさまらない日だと把握していた、だから帰ってこないと思っていた。
 不自然なくらい匂いはしない。いつものようにうまく偽装工作でもしたのだろう。債務者でアソんできたのは明白だが、最後まではしていないはずだ。陸へ来てからは変身薬の服用で維持されている。
「ねぇ……なんかあったの?ジェイドォ」
「おや、フロイド。起こしてしまいましたか?」
「アァ?うるせー気配で起きたんだつーの、わざとだろ」
 寝起きは悪くない方だが時と場合にもよる。気持ちよく寝ていたのに。イラだつ部分もあるが、その珍しい様子に興味が傾いた。あと聞いて欲しそうだったから構ってやる。
「実はオタノシミ中に監督生さんと出会ってしまいまして」
「……小エビちゃんに?それヤバくね?」
 ほんのり頬を染め話始めるきょうだい。聞き流してはならない内容が聞こえ半寝ぼけ頭は覚醒した。きょうだいのソレは陸ではタブーとされるもの。目撃されたのなら、対処せざるおえない案件だ。
「忘却魔法は?その言い方じゃ、なんもしてねーの?」
「忘却とまではいきませんが、〝悪夢〟見た認識になっているはずです。今のところ問題ないかと。あまりにもショックな出来事が続いたからでしょうか……カワイソウなので[[rb: 咬魚の誘惑>おまじない]]をかけてあげたんです」
 そのおまじないの名称を聞いて疑問が増える。昔は原初系統の人魚が使う呪術で使用禁止されていたが、異種属間のグローバル化が進み、血が薄まったからだの効力が落ちたとかなんとか言われ禁術法を見直されて、今では人魚属独自の恋呪いとして周知されてる、胡散臭いオマジナイだ。
「……んん?どういう?」
「僕から逃げる監督生さん、見失った隙に今度は腹空かせたニンゲンのケダモノに襲われていたんです」
「マジでぇ?ニンゲンてヤバンでサイテーだよなぁ」
「ねっ、僕のエモノを横取りしようとしたので腹が立ってしまい、うっかり蹴り飛ばしちゃいました」
「ブリブリ口調でも誤魔化せねーぜ?」
 どうやら寝ている間に、とんでもない展開が巻き起こっていたようだ。とりあえず知り合いのエビが可哀想な目に遭ったことがわかった。稚魚みたいな女の子なのに、性欲の捌け口にされるのか。

「………僕は気が動転しているのでしょうか?監督生さんの苦悶の表情を見かけてから、オイシソウに見えてしかたがないんです。どうしましょう……この灯る気持ちは一体……?」
 死を悟り浮かぶ諦念と、涙を流し身を差し出すその姿は愚かな選択だとしか言いようがない。そう思うのに、喰べてしまうには惜しい。
 瞳孔の開ききった状態で興奮気味に話す。見ようによってはハツコイとやらに浮かれた少年らしさに[[rb:瞠目> どうもく]]する。
 
 悩めるきょうだいのための考える。
 考えたがどう思考しても、回りくどくなるように感じる。  
 それなら試した方が早い。少し考えニヤついてアドバイスしてみる。
「うーん、それがどういうもんか確かめるためにアジミしてみればぁ?」
「アジミ……指一本でも試食する、ということですねっ」
「ちげぇーよ??絶対それはやめとけよ?はぁ〜ジェイドは小エビちゃんが欲しくなったんだろ?まずタイセツに接してみたら?」
「……僕はあの子が欲しくなってしまったのでしょうか?」
「ハァ?オレも知らねー」
 食欲欲求の強いきょうだいは誤認している。その感情が食欲か―――人魚姫の恋と愛のように、どちらに傾くのか。
 あの子が本当に平凡でツマラナイ子なら、何もせずとも飽きさせるだろうが、[[rb:この人魚>ジェイド]]を惹きつけてる時点でもう手遅れに思う。それこそ退屈させて興味をなくさせるか、元の世界とやらに帰るか。

 
 (喰われる前に逃げるしかないよ、小エビちゃん)





 人魚は愉快なユメを見たらしい。
 夜の校舎でかくれんぼ。見つけて、引きずって、むくろとおどり、水の底へしまいこむ。
 そんな、ユメを。
 
 はたして、カレはカノジョをいかしてやれるのか?


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