満たす条件はノーマルエンドから

 
 げっそり疲れた日は、昔の夢をよく見る。

 〝ここ〟とは違う魔法が使える世界へ迷い込んで、役職を与えられ、猫みたいなモンスターと学園生活を送って。常に遅いかかる理不尽なトラブルを乗り越え。胡散臭い仮面の学園の長、赤と青の親友たち、個性的で性格に問題しかない学園の人々、ゴーストも妖精も獣人も人魚も。なんでもありのあの世界の日々を夢に見る。そして、賑やかな夢の終わりは、いつもあのヒトとの別れの日の記憶が締めくくる。

『それでは〝ユウ〟さん、お元気で』
『はい。××先輩も、お元気で』

 一つ年上の人魚の先輩。うっかり性別バレてから仲良くなり、なにかとお世話になったりしたけれど。一足先に卒業して、それ以来会えなくなって。彼にちゃんと〝お別れ〟できなかったことだけ、未練を抱いている。時が過ぎてから、あのヒトと過ごした時間を思いだすことが多い。あの頃には気づかなかった。

 私は、あの人との過ごす時間が───ハッと目を覚ます。

 時計を見ると明け方の四時を指している。変な体勢で寝たため、体はバッキバッキになっていた。
 はて?自分はナゼこんなところで眠っているんだろうと、寝ぼけた頭で不思議に思う。日付を確認すると土曜日。五日間の勤務を終え週末の夜。
 ちょうど思い出深い〝満月〟だったから、変にテンションも上がっていたせいもある。扉を閉めて玄関へ入りヨタヨタとダイニングまで辿り着き。ドカッとソファに身体を投げだし、だらしなく独り言をもらして、明日は久しぶりの二連休で貴重な休日に何をしようかと考えながら眠気には勝てず。スゥと目を閉じそのままソファで眠りについた。
「……寝オチだ……もったいないことした……」
 振り返りを終了した頭でぼやく。お風呂に入りベットで寝ないと疲れが取れない。大きくため息を吐くと、ノロノロと体をほぐし、ボゥとした頭で入浴するために身につけていた衣服を脱ぎながら浴室へ向かう。
 ツイステッドワンダーランドへ迷い込んだ元監督生の少女は、元の世界へ帰還して大人へとなっていた。



 元監督生・ユウは、本当の世界へ帰還してから数年の歳月が流れていた。在学中には見つからず、五年くらいあの世界でせこせこと働いていたら、ある日突然、学園長から連絡が来て、あれよあれよと帰れることになった。お別れの日の立ち会いは、卒業後も連絡を取りあう頻度が多かったエースとデュース。後見人の学園長。在学中にお世話になった大人たち、オンボロ寮のゴースト。そして、グリム。
 グリムとの別れは今でも思いだすと、じんわり涙腺が緩む。以上を含む少人数で行われたが、在学中に関わりがあった人たちには連絡が伝わっており、手紙や動画、言葉のみでお別れが済んでいた。残念ながら、あの世界のモノは持ち帰ることができないそうなので、この世界で得た私物はグリムに受け取ってもらい。微々たる貯金と、ささやかな贈り物を学園長へと渡すと、少し涙ぐんでいたのが印象に残っている。
 
 棺桶に入っていた当時の状態を再現して、ユウは鏡へと潜った。
 その日は、美しい満月の日。

 元へ戻ったあとは、あっさりしていた。おぼろげだった記憶は都合のいいように、時間はいなくなった時のままぴくりとも過ぎていなかったのだ。
 まるで、長い夢を見ていたかのように。本当なら九年ほど行方不明になっていただろうに、時間が経過してないゆえに騒動になることもなく。穏やかに時間は過ぎさっていった。通うはずだった高校へ三年通い、大学へは行かず、すぐに就職して実家を出て一人暮らししている。細々と趣味を楽しむくらいの生活はしていけてる。
 記憶も消えてなくなるものだと思っていた。薄れることはない。九年。されど九年過ごした日々は、つい最近に思えるくらい艶やかに思いだす。学園長に元の世界に戻ったときに消えてしまうかもしれないといわれたが、消えるどころではなく強烈に刻みついている。記憶と経験は大いにユウの人生を助けてくれた。だが、散々トラブルに巻き込まれていたので、周りとの衝突はかわし避けた。立ち回りすることができるようになったものの深い人間関係は作らず、実の両親とも少し距離を置いていた。多感で強烈な時期を過ごして手に入れた鋼の精神は今も健在であり。ユウはどこか浮世離れした雰囲気を持つ、達観した人間になってしまっていた。

 一人だけ成長した少女は、この世界で生きていく日々に、少し息苦しさを感じていた。

 それに、もう一つ困ったことがある。あの世界で関わったヒトビトが、エゲツないくらいの美貌の持ち主もといイケメンの巣窟だったので、それに慣れてしまった弊害ゆえに。めったに異性にときめくことがなくなってしまったのだ。高校の頃にいた噂のカッコいい同級生にも、会社で人気のあるイケメンの先輩にも、テレビで人気の旬俳優にも、まったく興味が持てない。同年代の女の子たちとつくづく美的センスが合わず、会話がズレてしまう要因になった。ツイステッドワンダーランドでの記憶は、ユウの一般人としての擬態を妨害していた。今ならトレイ先輩の普通でいたい気持ちが、すごくわかる。
「はぁ………最後に名前を呼んでくれたの、思いだすとか……うーん、拗らせんてなぁ」
 在りし日の夢への呟き。性格には問題があったもののカッコいい先輩だった。元々恋愛ごとに興味は薄い自分だから、余計に淡いロマンスとして思いだすのであろう。それには〝学生時代〟の思い出で在学中、唯一性別バレをした相手だったから美化されているのだと思考を切り替える。
「今更だけど、あのまま移住してもよかったかも。五年も働いてたし………いくら考えても、もう会えないんだから別のこと考えよ」
 本当は記憶を持ち帰れたことを恨んでいる。この世界での生活がうまくいってないからなおさらだ。考えこむと、すぐに落ち込みそうになる。ただの現実逃避。記憶だけしかないから、今では思春期に想像していた妄想と片付けられる。ちょっとだけ、手遅れになりつつはあるとして。

 電気をつけて。
 衣服を洗濯カゴに放り込むと、全裸になって浴室の扉を開ける。お湯は溜めてないので、シャワーで済ませようと、ふいに浴槽に見慣れぬ物体が目に入る。ピチョン、ピチョンと水滴が落ちる音。重量のある音が、ずるりと蠢く。

 ───ナニカ、いた。

 切長の瞳とバッチリあう。青緑の太いような細長いような、それはするすると足に巻きつき。
「随分と懐かしい方とお会いしましたね。お久しぶりです、ユウさん。お変わりがない様子で」
「ぎゃあああああ」
 狭い浴室の中で絶叫は反響した。もう出会うことないと思っていた先輩、ジェイド・リーチが何故か人魚姿で浴槽で寛いでいた。
「へへへヘンタイ!ななな、なんで、ジェイド先輩が此処にいるんですか!?え、もしかして、私、またツイステッドワンダーランドに!?」
 気が動転しつつも、目の前の存在に問いかける。彼の尾鰭が際どい位置を、スリスリするので視線を合わせたまま手で押しのける。絶妙に力強い。やめろ。
「落ち着いて、ユウさん。ご近所迷惑になってしまいます」
「はっ!?ここ賃貸だった!!」
 その言葉で、今住んでいるいるところが賃貸マンションだと思いだした。追想から突然の人魚再来に、パニックになっていたユウは硬直する。それは非常にマズイ。明け方とはいえ、まだこの時間帯は就寝している時刻。そうでなくても周りに聞こえる大声なんて、今の世の中通報されるレベルだ。更に真っ青に色が変わっていくユウを、どこが面白いのかジェイドはクスクス笑う。彼の場合、嘲笑っていると表現したくなる。
「安心して下さい。防音魔法をかけておきました」
「あんた、絶対楽しんでますよね!?」
 想像は杞憂に終わり、要らぬ心配でドッと疲れが押し寄せてくる。そういえば、仕事で疲れてベッドで寝ずに寝落ちしていた。これも夢の続きなんだろうか。それはそれでいいかもしれない。向こうで過ごした時間と、こっちの世界で巻き戻った時間合わせて、通算十数年ぶりに、再会をはたした学生時代の先輩は、あいかわらず人をおちょくるような性質のままで、記憶通りのヒトだった。
(なぁーんだ。夢オチかぁ)
 そう認識すると、フッと瞼が重くなる。早く夢から覚めて、今度こそお風呂に入らなければ。
「それより……貴女、衣服を身に纏っては?僕は別にそのままでもいいですけれど」
 頭から爪先までじっと眺められ、いつもの笑顔を浮かべているが、普通にセクハラ。性別バレしたときとの紳士対応はどこにいったのだろう?

「現実だったら、また叫んでいましたけど、これは夢なので──全裸で再会なんて起きたら笑っちゃうんだろうなぁ。でも──また、先輩に出逢えてよかったです」

 独り言を呟くように、微睡みながら、夢の中だとしても再会に喜ぶ。
 もう会えることのない一人だ。

「おやおや───コレを夢だと勘違いしてらっしゃる」
 
 意識が遠のく。思わせぶりな彼の呟きは本当にあのヒトらしく記憶通りで、自分の再現力にまた笑った。目を覚ました彼女が、纏わりつく彼の姿を確認して、絶叫が轟くのはまた別の話。




 とある日のバーにて、異様な経歴を持つ男たちの祭りは行われていた。

 場所の提供は自社が経営する一角。個の強い彼らとは学園時代ほど関わりはないものの、いまだに親交は続いている。同窓会のようなものは数年に一度開かれていた。
「……あの子は、元気にしているかな?」
 同級生だった赤毛の彼がしみじみと言う。当時よりは伸びた身長、年齢に伴った顔つきで、変化を感じさせる。
「〝監督生〟さんのことですか?」
「そうだよ。仕事で忙しく立て込んでいる日で、別れの日に立ち会えなかった。それが少し残念でね。メッセージは送ったけれど……こう年をとっていくと、やっぱり、あの時こうしておけばよかったと後悔するよ」
「ふふ……学生時代、本当にたくさん色んなことありましたね」
「それ以上、お言いでないよ。まったくジェイドもフロイドも昔から変わらないよ」
「おや、僕もフロイドもちゃんと成長していますとも」
「そう言うなら、あそこでひと暴れしそうなフロイドを止めておいでよ」
「アズールが近くにいるので大丈夫ですよ」
「泥酔して泣き散らかしているじゃないか」
 十代の頃から成長していい大人になったというのに、どの知人たちも集まれば、かつての面影が残っている。協調性がないくせにそれがまだ続いているのは、よく昔話に共通して登場するあの後輩の存在が、縁を手繰り寄せ続けているのか。
 ジェイドにとって、正直に彼のこぼした言葉は共感できていなかった。その後輩にメッセージすら送らなかったから。どちらかと言うと後輩……彼女がまだ帰れていなかったことの方に驚いた。後から話を聞くと、卒業して五年も働いて生活していたのなら、生活基盤が整っていたはず。移住してしまえばよかったのにと、他人事でそう思う程度だった。

 久しぶりの休日の前夜。

 何をしようかと考える。最近は忙しくて、趣味の山すら行けていないことが不満だったから準備しようとして、やめた。その日の気分はどうにも山の気分にならない。しかたがないので気晴らしに本来の姿に戻って、住居に近い海で泳ぐことにした。遊泳可能な場所だが、まだ人間が泳ぐ季節ではない。海の中はとても澄んでいる。観光客が賑わう季節にでもなれば、あらゆる汚れがとどまり濁って、ジェイドには入る気にもなれない。自身の兄弟なら気にせずに、水があるならどこへでも飛び込んでいくのだろうが……はたして人が作る汚れの海には入るだろうか?

 自ら汚した水の中で泳ぐなんて何が楽しいのだろうと、ジェイドは人間が引いた遊泳禁止ラインを超えて進む。水面を通して月の光が水の中を照らしていた。

(ああ、今日は満月か。)

 仰向けに上を見上げると、ぼんやりと滲む満月が見える。今日は満月日和なのかもしれない。十五夜、という単語がひらりとかすめる。今は居ない、後輩の故郷では『お月見』という風習があると教えてもらったのを、思い浮かんだ。月を見ながら団子食うとも。
 水の音と遠く微かに生き物が蠢く音を聞きながら、水流に身を任せ、ゆらとゆらと、長い長い尾鰭をくねらせた。ふっと全身の力を抜く。海の中で警戒なく気を緩めるには抵抗はあるが、自身の故郷の海を考えると、ジェイド標準の『浅瀬の安全な海』に天敵も強敵もいない。むしろ自身の存在そのものが、この海に住まうものたちの脅威であるのか、一切近づく気配はなかった。

 つまらない。いつから、物足りなくなったのだろう。

 大人になれば、もっと楽しめるかと思っていたのに、期待外れで日々は退屈に過ぎていく。陸と海を行き来し、生活と社会のサイクルを回すため働く日々は、少し飽き飽きしていた。アズールが起業した頃は忙しく、それどころではなくて、陸の経営者たちを相手にする日々は刺激的だった。アズールが聞けば憤慨するが、会社が安定し、こちらが大企業と呼ばれる側になったとたん、滅多なアレやコレは起こらなくなった。秘書兼副社長の立場なので、忙しいに変わりはないが。
 自身の片割れや幼馴染とは、あいかわらず共にいる。彼らの予想外の行動は昔から変わらず楽しくさせてくれる。それだけが楽しみだった。それ、だけだった。
 おかしいな。
 彼ら以外で昔はもっと楽しいことが、ありえないくらい起こったのに。世界が広がればもっと楽しめると思ったのに。
 会社の重役にもなれば数多の人間と関わり。視野は広がった。もちろん、魔力のない人間だって多く関わった。あの学園では珍しかったが、ありとあらゆる種族と科学と魔法が共存するこの世界では、魔力がない人間が大部分を占めている。そう珍しいことでもない。成功する人間に、富も名誉も権力も持っている相手はごまんといる。それでいて、魔力も持っていれば優位があるというだけでリスクがないわけじゃない。
 本当に可笑しな話だ、いまさら何を思う。魔力なしだと聞くと、ついあの人間を思い浮かべてしまう。いいよってくる女に、彼女の姿がチラつく。少しばかり後ろめたい仕事をするときや、相手にするのが面倒で人ならざる片鱗を見せれば、途端に恐怖に歪む姿に落胆してしまう。アレなら、これくらいどうってこともなかったのに。あんなに変わっていたんだなと、比較する対象がいなかったから。比較しなくとも、あんなに可笑しな人間だったのに逃した大物が惜しいと、ちくちく針でつつかれるような気分になる。これだったらナイトレイブンカレッジにいた頃の方が楽しめたと、ジェイドもあの日々を美化し始めていた。
 また『予想外』は起こらないだろうか。

 ごぼりと、泡が上へ昇っていく。ぐにゃりと月の光が歪み始める。
 見間違いかと、ぱちぱち瞳を瞬かせる。白い光に包まれるなか光の閃光に目を瞑った。

 ───満月の夜にはおかしなことが起こる。

 ダレにそれを聞いた?

 目覚めた場所は浴室に似ていると確認すると、キィと扉が開く。全裸でマヌケな顔晒す姿にあいかわらず警戒もへったくれもない。記憶にある彼女は、女性らしい身体つきになりと眺める。
「随分と懐かしい方とお会いしましたね。お久しぶりです、ユウさん。お変わりがない様子で」
「ぎゃあああああ」
 狭い浴室の中で絶叫は反響する。懐かしいリアクションと、聴覚刺激する振動に眉根を寄せて嗤った。動揺で気づかない彼女に、尾鰭をするすると巻き付けてみれば、それは気づかれてしまったらしい。抵抗されるも、力強めてみたらあっさり降参した。変わらぬ潔さ。約数年振りに再会する少女に、女に、喉が鳴るような高揚が溢れる。冴えない人間をいまだ忘れることができなかった。それを、異形の男は気付き受け入れた。

(僕は、コレが欲しかった)

 夢だと言い、笑って意識を失った彼女を、するりと引き寄せて抱きしめる。とくとくと生き物の鼓動が鳴っている。思わず舌舐めずりする。ジェイドは鼻歌を歌うようにして現状を考えることにした。

「──さて、どうやってコレを持って帰りましょうか?」

 拗らせた男の女のノーマルエンドの続きが綴られ始めた。


Hidden Normal end/完結するにはまだ早い
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