満たす条件はノーマルエンドから

 
 ユウはジェイド・リーチが苦手ではない。

 たまに警戒させるような振る舞いをするものの、イソギンチャクの事件以降からは、[[rb:自分たち> ユウとグリム]]の前では基本的に優しかったから。それとは、別に厄介な性質している[[rb:人魚>ヒト]]だとは思っている。だから……やっちまったなと、思った。

「監督生さん、女性だったんですか」
「ハイ、ソウデス」
 空き教室で素早く着替えようと、豪快にガバッと捲し上げ。よくある男装少女漫画みたいな展開で、ジェイドに自分の性別がバレてしまった。だらだらと冷や汗が流れる。よりにもよって、弱味を握られるなと言われている、オクタヴィネル寮の副寮長にバッチリ見られた。度重なるバレそうなトラブルも乗り越えてきたというのに、なんでこのタイミングでバレるんだ。脳内の自分をタコ殴りにする。最大の失態は、大雑把な性格が災いを呼びマジックアイテムをはずしていたせい。見た目で女子とバレない程度の貧相な体とモブ顔だが、見る者が見ればそりゃわかるような女性的な特徴はある。バレたら退学とまでいかないが、一応男子校なので性別は隠して置いた方がいいだろうというのが建前。学園長の配慮と、ご都合すぎるマジックアイテムで、見た目と匂いを認識阻害して過ごしていた。それを知っているのは、特に彼女の性別を気にしていない相棒とオンボロ寮のゴーストのみ。

 しばし、離れた距離で目と目が合い。お互い硬直したままだったが、ジェイドがソッと扉を閉めてくれた。ユウはジェイドが気を遣ってくれたことに気づき、いそいそと着替えを再開する。このまま何もなかったように見逃してくれないかなと願いつつも。
(その時は、その時に考えよ)
 ユウはユウなりに理不尽だと思いつつも、ちゃっかりこの世界での生活を楽しんでいた。元の世界に帰りたい気持ちはあるが、できれば早く見つかったらいいなという心構え。グリムやゴースト、エースやデュースとの関わりもユウにとって大切なものになっている。
 ただ漠然と、いつかは帰るんだろうな、と心の中で感じていた。
 ユウは自分の性別に感慨を持っていない。性格も女の子らしいとは言えない。元廃墟で普通に暮らして、慣れる神経の持ち主だ。たまたま性別は女だったという感じであり、月に一回のアレが来たときは男になりたいと唸るぐらいで。おしゃれしたいとか恋愛したいとかあまり興味はない。でも、かわいいものはかわいいし好きという感性はある。体臭は気になり清潔にしていたい。人間としての必要最低限の欲求はある、自称普通の女の子だった。

 後から根掘り葉掘り聞かれたが、今のところ心配したことは何一つ起こっていない。
 重大なイベントだったにも関わらず、平和的に事が進んだ性別バレで、それよりもユウは、ジェイドは思ったより紳士的なのだと認識を改めて直していた。ユウとジェイドの関係は性別バレする以前と変わりない。変化を問われれば、気を遣わせることなく重い荷物をスルッと持ってくれたり、高いところにある本や物をとってくれたり。女性だからといって強調せずさらっと手助けしてくれた。対価は要求されたことはない。彼の育ちの良さか、そういう異性に対しての扱いを心得ているのだろう。常日頃の態度や、ハロウィーンでのサービス精神を発揮していたと知っていると納得できた。あまりにもジェントルマンっぷりに、勘違いしそうになる危険を持ち合わせていたが。

「先輩て、そんなに周りに気を遣って疲れないんですか?」
「性分なものですから好きでやっていることです」
「ふーん、じゃあ、自分に対するアレコレもその延長線な感じなんですかね」
「しいて言えばそうなりますね。それとも甘やかさを含ませてみますか?」
「別料金がかかりそうなんで、オプションはいらないです」
「おや、フラれてしまいましたか。僕はお金に興味がありませんと申したはずですが」
「時としてわかりやすい対価の方が安心できたりするんですよ。先輩の好奇心てエグそうですし」
「ふふ、監督生さんは怖いもの知らずですね」
「え、これから怖いことでもされます」
「しませんよ」

 いつもの様に浮かんだ疑問をジェイドに投げかける。彼はいつもの様にその質問に答えた。他愛ない会話。ユウはそのやりとりを気にいっていた。たまにこちらの反応を楽しむかのように、思わせぶりな発言をかわしながら、密やかに秘密共有して、ジェイドと新たな関係で交流していく。
 彼らはそれに重要さを感じていなかったが、関わりは意味があるものだった。ユウはジェイドに対して、ジェイドやフロイドやアズールの関係について、彼女の認識を言ったりしてジェイドへの進路へ影響を与えたり。ジェイドもユウに対して、良い意味でも悪い意味でも価値観の違う生き物だと強い影響を与えた。
 海を汚す人間。海の生き物を囲い飼育する水槽。人魚の価値観や寿命。それぞれの生まれ故郷。亡くなった兄弟たち……緩やかな時を積み重ねながら、様々な話をした。淡々と殺没したやりとり。その異形さを、世界ごと違う常識知らずを見せつけ合っても、尊重する部分は持ち合わせていた。
 女性の特有の体調変化をさりげなく気遣い、どちらに転べば面白いかという好奇心だろうが、それとなくトラブル体質の自分を手助けしたりして、ユウはジェイドに対する印象は良くなる一方だった。
 本来なら関わりあうこともなかった、種族と世界で、その出会いを感慨深く思っていた。


 
 パラ、パラ、カレンダーは捲れ。
 月日が更に流れる。

「皆さん!ご卒業おめでとうございます!!」

 学園長が最後の挨拶をする。
 美しくきらきらと魔法で華やかに締めくくり、長い式は幕を降りた。色々手順はあるものの、それぞれ自由時間になる。

 今日は一つ上の代が卒業する日。一通り親しくしていた先輩たちに挨拶周りを済ませ、ユウは一人ベンチへと座る。正確に言うと少し休んでいた。いつもよりテンションの高いカリムとフロイドがコンボして、グリムとエースとデュースを上空へ連れ去りフィーバー中だ。ジャミルやリドルが鬼の形相で咎めているが、あの二人のテンションはブッチ切っている。もはや誰もあの二人止められる者はいない状態。物理的に止めれそうなジェイドやアズールはいつも通り放置気味だ。ジャミルの血管がブチ切れそう。
 ユウはすんでのところで回避したので、友達たちは先輩たちに任せ安全圏に避難することにした。他の同年代はジャックとエペルはラギーに、セベクはシルバーと離脱してきたリドルとも話あっている。癖のある連中が多いこの学園でも学生生活の最後のお別れにもなると、ちょいと素直になる者だっている。そこら中で先輩と後輩たちが、寮繋がりやらクラス繋がりやら部活つながりで話を咲かせている。もちろん、穏やかにそれだけで終わるわけもなく。血の気の多い連中は気に食わない先輩に、最後のケンカをふっかけ乱闘騒ぎになるわ。優等生タイプは、優秀な才能に、多方面で有名な家柄の生徒がわんさかいるので、この機会に年代関係なくお互いコネ作りに勤しんだりして、追い込みに忙しいそうだった。ビジネスの匂いを感じながら、何してもナイトレイブンカレッジらしいとある意味感嘆する。
 喧騒から遠のき、ユウはふと物思いにふける。

(今年も帰れなかったなぁ)

 この世界に来てから三年の月日が経っていた。時間とは早いものだと。この学園を卒業するまでには、帰り道も見つかるのではないかと思っていた時期が懐かしく思える。呼ばれた理由であろう『役目』も果たしているだろうに、一向に帰れる気配がしない。学園長も本当に探しているのか怪しい。実はもうすでに見つけて、あえて隠している可能性もあるんじゃないかと疑っている。もしかすると、オンボロ寮の鏡の中の『彼』が手掛かりかもしれないが。少しずつ出来ることが増えていくだけで、決定打が見当たらない。それとして、突然ここに来たので帰れるときも突然という可能性もある。そのパターンはあんまりなので、手順がある方がいいなと思う。帰りたい気持ちはあるが、ここまで来ると長期戦だな意気込むしかない。次の卒業はユウの番なので、自分でも探すのを一旦中断して、見つけるまで生きていけるように。この世界で必要なことを優先しようと思った。
 第一希望は、元の世界に帰ること。それは、この世界に来てから変わっていない。帰還への希望はあるがその道のりはシビアなので、頑張って生きていくしかない。帰れる手段の方法や時期によっては無理かもしれないけれど、可能なら第二希望はそれまでにグリムがちゃんと卒業するのを見届ける。デュースが夢を叶えたら、お祝いしようかなとは視野にいれてる。
 エースと進路の話になり、それを話したらなんだそれと呆れていた。自分の態度に少し安心していたようだが。その後に弱味を吐きたくなったら聞いてやると言われて、心配してくれてるんだなと思った。四年生へと進級するが、同年代たちは実習に行ってしまうので今までより会う頻度はめっきり減る。ちょっと寂しいが、嬉しく思うと同時に罪悪感を感じていた。ごく一部以外この学園で関わったすべての人に、あの内緒は奇跡的にバレていないからだ。ジェイドの件はタイミングが悪かったとしか言いようがないものの、むしろアレで慎重になったからバレなかったのでは?と、今となっては彼にバレたのはそれはそれでよかったに違いないと受け止めている。
 結果を迎えてからの話だが。気遣われるがその対象として見られていなかったのも、意識すらされなかったのも、女子としては大敗北だがフォローしてくれる相手としてはとても助かった。

(これからは、一人で頑張っていかないといけないな)

 ジェイドの言葉はぐさりと突き刺さるものあったが、ユウも同じくらい言い返した。あの人魚相手に、遠慮しなくてもいい関係を築けたと謎の満足感を得ていた。そんな風に彼のことを考えていたからか、タイミングがいいというのか悪いのか。
「監督生さん」
「あ、ジェイド先輩!改めてまして、ご卒業おめでとうございます」
「ありがとうございます、監督生さん。ところで、何か物思いにふけっていらっしゃるようでしたが……もしや、元の世界への帰還のことを考えていました?」
「無神経ですよ。ソッとしておくという選択肢はないんですか」
「好奇心が強いもので、それに監督生さんはこのくらいのことでへこたれないでしょう?」
「……先輩て気が使える人なのにな」
 話かけてきたのはちょうど考えていた人物。式典服を纏ったいつもの笑顔のジェイドにユウはボヤいた。センチメンタルな話題をズケズケと。興味がなければ話題すらしないこの男が、わざわざ言ってきたのはそれなりに自分にまだ関心があるからだと思うことにする。卒業生を立たせておくのもあれなので、監督生は座っているベンチの端によると、ジェイドに向かって空いたところをポンポンと示した。その鋭い瞳がほんの少し目を丸くなり困ったように笑い。ゆっくりした動作で座った。少し二人の間に沈黙が降りて、話を切り出したのは彼女の方。
「先輩たちが居なくなると寂しくなりますね」
「そう思ってくれてるのですか?嬉しいですね」
「社交辞令感、半端無いな」
「失礼な、こう見えてもちゃんと思っていますよ」
「何%くらいですか?」
「悲しいです。しくしく」
「ごめんなさい、嘘泣きやめてください」
「はぁ……貴方は最後までいい度胸ですね」
「これのおかげで、これからもなんとかやっていけそうです」
「なら、大丈夫そうですね……ご自身の性別はこれからも隠していくのでしょう?」
「どうなるかわからないですが、隠しておけるうちは隠しておこうかなと思っています」
「……そうですか。もし何か困ったことがあるなら力を貸しますよ」
「いや、いいですよ。先輩忙しいでしょ」
「そんなきっぱりと」
 そう言って語気を強めても、ジェイドは最後までユウを害することはしなかった───ほんの数年関わった程度で、もうこの男との繋がりはなくなる。超えることのない線を引いていた。住む世界がまるで違い、頼りにするには難しい。彼は種族が違う。海か陸かどんな進路を進むかわからないが、社会に出れば学校だけだったつながりはもろい。
 遠くから二人をそれぞれ呼ぶ声が聞こえた。
 その方向へと、二人は視線を向けると立ち上がった。

「もうそろそろ、お別れですね」
「卒業しても頑張って下さい」
「ここを卒業すれば〝その時〟が来ても、立ち会えることはほぼないでしょう」
「ホント、先輩が卒業する前には帰れると思ってたんですけどね」
「学生の間ならアズールもフロイドも送別会でもと、と考えていたのですが」
「それはちょっともったいない。先輩たちの料理美味しかったし」
「ふふ、恐縮です。タイミングが合えばその時は」
「そうですね。タイミングが合えば」

 別れの時は案外あっけない。もっと特別な演出があってもいいと思う。魔法がある世界に何かいつも期待してしまう。

「それでは〝ユウ〟さん、お元気で」
「はい。ジェイド先輩も、お元気で」

 彼が最後に見せた笑顔は、向けられることはないと思っていた。彼への身内と向けられるソレに似ていた。不意打ちで最後に名前を呼ぶなんて、本当に思わせぶりでズルいヒト。

 期待していたものは、それじゃなかったのに。
 たぶん、きっと忘れられない。




 自身を見送り、同期たちの中へと戻りゆくその小柄な背を、彼は最後まで観察していた。

 ジェイド・リーチにとって、オンボロ寮の監督生の最初の印象は『冴えない人間』だった。それが、様々な経緯を経て『関われば思ったより面白い人間』へと変わる程度。唯一の兄弟であるフロイド以上の特別を、毒は吐けど面白い存在のアズール以上の好奇心を、あの人間にそこまでの感情なんて抱けないであろうと認識していた。
 空き教室で素早く着替えようと、豪快にガバッと捲し上げていたあの時。その胸元には本来男にないはずの膨らみが慎ましく存在していた。どんどん青白くなっていく彼女の顔色が面白いなと思いつつも、彼が『彼女』だと知ってもただの『情報』に過ぎなかった。

 ジェイドは、彼が彼女と知ってから、時折不思議に感じていた行動が徐々にわかるようになった。異様に力が弱いことも、女性的な柔らかい口調も、男子としては小柄な体も、一月にある週間、体調が悪そうな様子も、パーツを組み合わせれば彼女が女性だと示していたことに。それを感じさせていなかったのは、監督生の豪胆な性格と突拍子もない行動もある。後から成り行きで事情を聞けば、学園長から与えられたというマジックアイテムの活躍もあったそうだ。それを知ったとしても、監督生のプロフィールにその情報が書き加えられただけで済ませた。あの人間の行動が面白いだけで、その性別にさして興味がわかなかったからだ。

 フロイドならどう反応する?
 アズールならそれを弱味として秘密コレクションに加える?

 反応は気にならないと言えば嘘になるが、そう思うだけで特にあの二人にわざわざ教える情報かと思えなかった。女性だからといって、過去に監督生に対してしでかした所業もなんとも思わないし、その性別を弱味として脅す気にもならない。監督生はジェイドの出方を伺っていたが、何も起きないと判断すると、いつも通りの学園生活を送っていた。何もする気はないが、警戒心が欠落してるんじゃないかと呆れた。
 監督生は仲の良い彼らとトラブルに巻き込まれ、ジェイドはいつもの三人で悪巧みしたり、趣味に没頭したり、同級生達と絡んだりしていた。監督生と関わりがまったく無いでもなく、タイミングが合えば会話し絡んだりした。他愛のないやりとりは以前より少し多くなったと思う。一応、女性だと知ったのでそれなりに気遣いはしているつもりだ。それを監督生にもちゃんと伝わっていたようで、申し訳なさそうに恐縮していた。
「男ばかりの生活に慣れきっちゃって、不意に優しくされるとドギマギしちゃうというか」
「普段はどこからどう見えても男性にしか見えません。学園長もまた人が悪い」
「男子校で女子一人とか目立ちすぎるのでありがたいアイテムです」
「監督生さんは……いえ、淡白ですよね」
「今なにか失礼なこと言いかけませんでした?普通の神経だともっと追い詰められていると思いません?」
「ああ、怒らないで」
 秘密を共有すると、ほんの少し距離が近くなった気がする。
 監督生は過度にジェイドの態度に恐怖はせず、その気遣いの恩恵をちゃっかり受け取っていた。彼が彼女に変わる前も、監督生とは良好な関係を築けていた様に思う。自身のところの後輩の寮生以外、他寮生の後輩の枠で喋ることも多かった。
 監督生の態度はジェイドにとって新鮮なものだった。人魚の姿や自身の性格を知っていて、好意的に絡もうとしてくる人間は少ない。カリムやトレイの様な例外はいるが、大抵はジェイドを警戒、肩書きに遠慮、品定めと、その大きな体躯から遠巻きされたりと、気安い態度で接してくる相手は珍しかったから。監督生本人の性質か、この世界では世間知らずな異世界人特有のものか。前者だと思いつつ、彼は彼女のその態度を存外楽しく見ていた。彼女と甘やかな関係になるとは思えないが、ジェイドなりに監督生を面白い人間のくくりとして受け入れていた。

 見送ってあげたかった。
 自身の卒業式の日に、会話した彼女との最後の会話。さぞ残念そうに言う監督生に、ジェイドは言い知れぬ感情が湧き上がる。当初、この人間に抱ける感情なんてたかが知れてると思っていた。だが、この三年の月日の間に心境が変化したようだ。自分のことながら興味深い。

 ───もっと『時間』があれば、それ以上のものが抱けた?

 それはない。

 彼は自身の心を否定した。これからの時間を彼女に割く余裕はない。そこまで固執する価値を見いだせない。タイムオーバーと言ったところか……好奇心を刺激されてもそれはないだろう。

 でも、あんな強烈な存在。

「忘れるなんて、難しいでしょうね」


Normal end Ⅰ/きっと恋も愛も抱かない
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