第七章 蒼海の王〈プロトタイプ〉
空軍基地内の会議室にローズは召集された。
魔法陣から足を踏み出すと、そこには険しい顔をしたリチャードの姿があった。広い空間に彼以外の人影はなく、いかにこの国の政治が陸軍を中心に取り仕切られていたかがわかる。どうやら今回の騒動は空軍と魔術師達で納めることになりそうだ。
大臣達の中では敵――本来は敵ではないのだが――の暗殺者が紛れ込んだところで、自分達に直接害がないのだから、あまり関心もないかもしれない。だが、事は国の存亡に関わることだ。うやむやにすれば危険な国として他国から完全に孤立する。
貿易が国の流通の大半を占めるこの国にとっては、それは生命線を断たれるのと同じだ。今までは陸軍のガリアノが良くも悪くもすんなり納めていたが、今回の議題は彼の尻拭いなのだからたまったものではない。いかにして責任の矛先を自国から変えるかが重要だ。
「遅くなり申し訳ない」
「かまわない。召喚の後にお呼びだてをして、むしろこちらこそ申し訳ない」
頭を下げるローズに、逆にリチャードが謝罪する。それだけで顔に赤みを帯びてしまいそうで、ローズは単刀直入とは思ったが暗殺者達対策への指示を仰ぐ。
「どうやら今回の一件は陸軍のみならず、あの特務部隊フェンリルに責任があるようだ。そこで本部に彼らを捕らえるように要請する。『野良犬が勝手にうろついたせいで、うちの馬鹿が鉄砲を撃っちまった』と。当然彼らは『うちの犬がそんなところにいる訳がない』とシラを切る。なぜなら彼らは秘密……あの塔の暴走には無関係だと言い張る。そこにこう追い打ちをかける。『野良犬がスラムにいるようですが?』とね」
「……フェンリルがあの塔を発動させた?」
「ああ。陸軍に潜入した際に野良犬の一匹に首輪をつけた。それにより居場所はすでに判明している。スラムの奥地、そこが奴らのアジトだ」
「あのフェンリルに光の首輪を……」
リチャードが途中言葉を選んだことが気になったが、おそらく惨殺の現場を思い返していたのだろう。心優しい彼の心を乱すという意味でも、フェンリルを許すわけにはいかなくなった。
「おそらく今夜中にでも敵はこの国から脱出するだろう。追撃するなら今しかない」
「それならばお供いたす!」
意気込むローズをリチャードは静かに制止した。
「貴方は今、魔力の消耗によりほとんど戦えないはずだ。ここに残っていてくれ」
「それはそなたも同じのはず!」
「あいにく敵と遭遇しているのは俺だけでな。スラムには無関係の人間もいる。人に紛れられては逃亡の確率が上がってしまう」
「敵の判別はリチャード殿しか出来ないのか?」
「ああ。同行していた者は接触していない者しか生き残っていない……奴らの戦闘能力からすれば当たり前だが」
フェンリルの情報は、本部でも最高機密とされており、詳細なデータはほとんどない。
陸軍――ガリアノが調べていたデータも、戦闘能力についてが主であり、画像などは全くなかった。アレグロが持ち出したデータも殆ど同じだろう。あの塔を主力として考えていたガリアノが、クリス以上に他のメンバーを調べたとは思えない。
「証拠が必要だ。誰がどう見てもフェンリルの悪事だとわかる証拠が……それには本人達の死体が一番近道だ」
いつもの表情でなんてこともないようにそう言い切った彼の姿は、ローズが一番愛する彼のそれ。
だがそれでもローズは不安を覚えてしまった。あの悪意を発する塔を思い出し、それがまるでフェンリルの恐怖のようにすら感じていた。たまに漏れ聞く彼らの残虐な行為は、遠いこの地でも名前を聞くほどには有名だった。
「……わかった」
ローズは渋々了承した。こうなってしまっては自分には彼に従う他はない。
敬愛する彼と共に部屋を出る。二人並んで、魔法陣に乗る。甲高い起動音が辺りに響く。
ばれないように横を盗み見る。普段通りの意思の強さを感じさせる端正な顔立ち。だが確実に彼もまた疲弊しているはずだ。あのクリスタルを浄化する、とてつもない魔力を消耗しているのだから。
そこまで考えてローズは、忘れかけていた頭痛が振り返してきたのに気付いた。限界ギリギリ、ではあった。たしかに彼の言うとおり自分のこの状態では、下手をしたら彼の足を引っ張る形にもなりかねない。
前向きに考えることにする。かなり本調子ではないが、本部への交渉次第では、フェンリルからの抵抗すら無くなる可能性があった。
視界がいきなり外に変わった。リチャードは先に魔法陣から降りると、まだ少し気を落としているローズににっこりと笑いかけた。
「ローズ殿……本当に協力感謝する。ゆっくり休んでいてくれ」
「……そなたがそう申すのなら」
半ば諦めて笑ったローズに背を向けると、リチャードは腰の剣に片手を添えた。聖剣からは、スラムからの魔力が伝えられていた。
「貴様とは第二ラウンドが用意されているようだな」
そう小さく呟いた彼の口元が笑みを形作っていることに気付き、ローズは言い切れない恐怖を感じた。
自分も魔方陣を降り、足早に歩き去る彼の姿を見送る。するといきなり気配を感じた。
横を見るとアレグロがするりと柱の影から現れる。本当に影のような動きだったので、ローズを危うく声を上げそうになった。この科学者の得体の知れない空気は嫌いだった。
「これはこれはローズ殿。作戦会議が終わられたというのに浮かない顔ですな?」
馴れ馴れしく話しかけてくるアレグロへの対応を決めかねていると、彼はお構いなしにこう続けた。
「魔力の枯渇にて待機、というところでしょうか? 私には良い打開策が用意出来ますがね?」
痛いところを突かれてどきりとし、そしてその後に続けられた言葉の意味を理解するのに少し時間が掛かった。
「今、なんと?」
「いや、なに。ビスマルクは水の召喚獣ですから、魔力を含む水を用意すれば補えるはず」
アレグロの言わんとすることはわかるが、そんな都合の良い水が大量にあるはずが……
「理解、されましたかな?」
目の前で科学者がニヤリと笑った。
むっと鼻につく悪臭に、レイルは吐き気を催して目を開けた。
いやに薄暗い、平屋らしいボロボロの部屋。奥に扉がある以外は窓はない。扉と床の間にはすき間があるらしく、時折冷たい風が足元を撫でる。欠陥住宅らしい。
一瞬、記憶の中の地獄と似た風景に思考がストップし掛けたが、危ないところでここが違う場所で、あれから何年も経っていることに思い至った。冷静さを取り戻した頭で見直してみたら、寒い夜の為の厚い毛布や、目の前の男性達の姿が目に入ってきた。
そうだ、全く違う。ここは記憶の奥底にある地獄ではなくて、現実だ。
おそらく拘束されたまま落下して、そのまま気を失ってしまったのだろう。
この光の拘束は反則だ、とレイルは思った。身体を動かすことすら難儀な痛みが、今も続いている。
「お目覚めかい? お姉さん」
狭い部屋に、レイル以外に、三人の男がいた。その内の一人が下品な笑みを浮かべて言った。
この表情は知っている。これから起こるであろうこともだいたい想像出来る。
レイルは、男に興味のない視線を投げてから自分の状態を確認する。目も口も塞がれていなかった。服もジャケットを脱がされただけでまだ大丈夫。ただ落ちた時に破れたのか、ソックスが破れてところどころに小さな切り傷があった。
木製の椅子に座らされており、縛られたりはしていない。そう、目の前の男達には拘束されていなかった。
問題は両手を光に拘束されたままだということだ。両手の拘束が負荷を掛けてくる為、いつものように動けない。これではまるで重りのようだ。
自由を失った自分に対して、男達は皆、既に全裸だった。
――服装は自由だからって全裸はいただけねーな! 少しは我慢しやがれ!
心の中の挑発を口にするべきか悩んでいると、男の一人がいきなり頭を鷲掴みにしてきた。
「放心状態かよ! なら……好きにさせてもらうぞ!」
どうやら状態を確認する為に下を向いていたレイルの態度を勘違いしたらしいその男は、いきり立つ自身を目の前に押し出してきた。
先程からの臭いの元が近付いてきて、レイルはゆっくりと口を開いていく。その従順な反応に、男はニヤニヤした笑みを抑えることなく快感に身を委ねようとして――強烈な殺気に腰を引いた。
ガチン、と大きな音がして、レイルの口が犬歯を剥き出しにして強く閉じられる。その口の上では、ギラギラとした獣のような瞳が輝いている。
「なんだよ……噛みちぎってからご奉仕してやろうかと思ったのに」
「て、てめぇ!! 調子に乗るなよ!!」
男は悪い笑みを浮かべたレイルの顔面をぶん殴った。加減を知らない拳に、レイルは鼻から鼻血が流れたが、それでも笑ったまま言ってやる。
「お前らみたいな雑魚じゃ感じねーんだよ。抵抗出来ねぇくらいの強い強い男になら、何回だって犯されたい……そうそう。“あんた”みたいな奴にな」
その瞬間、三人の男は全員頭から血を噴き出して倒れた。音も無く開いた扉から、見慣れた茶髪が顔を出す。
「調子に乗ってるのはどっちだよ。レイプの基本がなってねぇ」
「ロック……」
「本当なら今すぐここで救出セックスといきたいとこだが、時間がなくてな。大丈夫だったみたいで安心した」
ロックはそう言って笑うと、レイルを椅子に座らせたまま強く抱きしめた。背中越しにまだ煙が出ているライフルが見える。
「もう放さない」
「よく言うぜ」
一瞬だけ、永遠のような抱擁を楽しみ、レイルは立ち上がった。ロックはそんな彼女に手を貸しながら、周りを見渡している。
「リーダーとルークは?」
「あいつらなら手前でまだ戦ってるよ。僕だけ先に行かせてもらった。あと、ヤートさんもいるぜ」
「ヤートさんも!?」
目が覚めたのか、と聞きたかったが、驚きのせいで声にならなかった。
「大事なお前を守りたいとよ。いっちょ前の口ききやがる! さすがに好きな女のレイプシーンなんか見たくないだろうから、手前で待たせてる」
「見せても問題ないのに」
「お前はな」
ロックはレイルの頭をポンポンと撫でると、ニヤリと笑った。
彼の普段通りの動作に、レイルはなんとなく安心する。思ったよりも精神的には堪えたようだ。そのことが自分でも意外だった。これ以上のことを自分は、他の女にしているというのに。
「ところで武器がどこかわかんねぇ?」
内心を悟られないように、わざと明るい口調で聞くと、ロックは一瞬目を細めてから笑って言った。
「多分ここの横の部屋だ。まずはヤートさんに無事な姿を見せてやれよ」
背中にまわしたライフルを構えながら、ロックは入ってきた扉を逆側に蹴り開けた。
いきなり隣の扉が蹴り開けられ、ヤートは咄嗟に剣を向けた。すぐに見慣れた顔が出てきたが、それでも心臓に悪いことは変わりない。
ヤートはロックに苛立った口調で注意しようとして、彼の後ろにいたレイルの甘い瞳に捕まった。
「レイル……」
「ヤートさん! 心配かけてごめん」
ヤートが掛ける言葉に躊躇していると、レイルがふわりと笑いながら言った。その声を聞くだけで、安心と力が湧くから不思議だ。
服装が乱れていないことに胸を撫で下ろし――ロックのこともそういう点では信用出来ない――、破れまくった足元に目をやってしまってから慌てて逸らせた。
そんなヤートに構わず、レイルは抱き着いてきた。柔らかく暖かい存在感に、ここが今戦場になっていることも忘れそうになる。
「ヤートさんは、無事?」
「……ああ。少し敵に騙されたが、元気だよ」
「良かった」
自分のことなど後回しにする、彼女の優しさが嬉しかった。ついつい緩んだ表情に、レイルも満面の笑みを返す。
「……いつまで待たせんだよ?」
ロックがふて腐れたような声を上げながら、レイルの武器を持ってきた。どうやら彼女の武器を取りに行ってくれたらしい。
彼が出て来た扉からは、大量の血液がこの廊下に流れ出ている。数は二人、くらいだろうか。
敵はスラムのグループにしては数が多いようで、二十人程が在籍しているらしい。この人数や場所は、特務部隊の南部支部の人間が割り出してくれたようだ。
あの軍の警戒の中、どうやって支部の人間が動き回れたのかはわからない。フェンリル以外のメンバーは、基本的には顔が割れている。それでも彼らは、この場所を短期間のうちに突き止めた。
どうやら無線の反応等を駆使したようで、さすがは汚い仕事のプロだと密かに感心した。大規模な作戦を展開する他の軍とは、全く異なる存在だった。
レイルが手早く武器を装備する間、ヤートは彼女も虐殺以外にも汚い仕事をしていると考えないようにしていた。
「待たせた。私らの分は残ってんのか?」
そう言って笑う彼女は、もう被害者の顔ではなかった。
殺しを楽しむ姿すらも美しい、死を運ぶ女神。これから赤く輝く噴水を撒き散らし、死を運ぶ。
その姿に、ヤートは恐怖以上の愛しさを感じてしまっていた。
「まだ十人程が立て篭もっているらしい」
「僕らが合流してから殺すってリーダーは言ってたぜ」
レイルはその言葉に満足そうに頷くと、いきなり走り出した。ボロボロの床板が彼女の動きに堪えるように鳴り響く。
まるで欲しかった玩具に向かう子供のようなその反応に、ロックは笑い、ヤートは少し目を伏せてから後に続いた。