第七章 蒼海の王〈プロトタイプ〉
暖かい日の光が全て落ち、街中が賑やかな喧騒に満ちる頃。空軍基地の演習用のスペースに、宮廷魔術師達数十名が集められた。
「ローズ様! お時間です」
「わかった。下がっておれ」
「はっ」
空軍の兵士の一人が、時計を確認しながら一人の女に声を掛ける。
魔術師特有の白いローブを纏ったその女は、この国の人間らしい褐色の腕を振り上げる。多少ふくよかながらも、彼女の均整の取れたシルエットは、見る者に安らぎと敬服の意を抱かせるに足りる。そのコントラストの美しさに、兵士の何人かが息を呑んだ。
「猛々しき蒼海の王よ……」
女は呟くように詠唱を始める。
灰色の瞳が細められ、彼女の周りに空気の渦が立ち込める。
「このアリア聴こえしは、この地へと具現せよ」
女の言葉と共に演習場全体の地面が蒼く輝き出した。
足元からの壮大なる力を感じ、魔術師達や空軍の兵士が悲鳴とも歓声とも取れる声を口々に叫ぶ。
「始まったようだな」
クリスは遠くに強大な魔力を感じて、真っ直ぐ空軍基地の方を睨みつけた。
「作戦はわかってるな?」
「おう。任せろ」
「リーダー。さっさと僕らも準備しようぜ」
クリスの問い掛けに、ロックが重力場を展開しながら答えた。
四人が調度乗れる程度の大きさに計算された重力場に、四人は乗る。すると音も無く塔のてっぺん、ヤートの身体がある場所まで昇る。
あまり高い建物がないこの国では、ここは見晴らしの良い特等席と言える。一瞬いつものくせで周りを見渡してしまったが、取材用のカメラを搭載した機体が遠くの空軍基地周辺を飛び交う以外は、煌めく星達しか見えない。
満天の星空だ。下ではあの大きな広場で、踊り子達が妖艶に舞い踊っている。
「ガキもいるのかよ」
ヤートとは逆の位置にナオの姿を見つけ、苦い顔をするレイル。下を見れば美しい光が、塔の九割を浄化していた。この一割が完全に浄化される直前に、花火大会は始まり、砕けた輝きと共にヤートを救出して逃げるのがクリスの作戦だ。
「ヤートさん、無事みたいで良かった」
ロックがほっとしたように呟いたその瞬間、夜空の向こう――空軍基地の方角から蒼い光が放たれた。最初は地面から生えた幾筋の光だったそれは、だんだんと太くなり、その中央から幻想の水流が街を飲み込む勢いで溢れ出す。
「とんだイリュージョンだな」
ルークが呆れたように言った。彼があれを見た瞬間焦った顔をしたのを、クリスは見逃さなかった。
「あれは幻想の水流……破壊の意志なき命の抱擁だ」
「砂漠の国で水を出す……確かに力の強そうな魔法だな。何人で創り出してる?」
ロックとレイルが感心した様子で言った。
「違う……あれは召喚魔法だ」
クリスがそう気付いた時には、それは姿を現していた。
空軍基地を覆い隠す巨体の背に術者達を乗せ、巨大な尾っぽで命の水を波立たせる。
「なっ……蒼海の王ビスマルクだと!?」
目の前に出現した巨大な鯨に、ロックが身を乗り出すようにして叫んだ。
「はっ!? あの蒼海の王が、なんで人間なんかに遣われて……つーか! まともな人間にあんな野郎召喚出来るのかっ!?」
ルークも目を見開いて言った。
蒼海の王ビスマルク――生命を司る水霊の王であり、破壊と慈愛の力を持つその水流は自然界最強の矛である。普段は鯨の姿をしており、遥か深海より世界を見詰めているという。人間に力を貸すのは極めて稀であり、その力の前にはどんな存在も無力と化す。
「リーダー!! あんな未知数なのがぶち込まれるなんてな! リーダーでもあれとはやり合えねーだろ?」
「そうだな。フェンリル最強と言われる俺でも、人間にあいつは殺せない」
楽しそうに笑うレイルに、クリスは苦笑で返す。
彼女はわかっている。あの召喚が自分達に向けられた警告だということを。
鯨の目が真っ直ぐこちらに注がれる。その淀みの無い瞳が「貴様らに選択肢はない」とハッキリと告げていた。
殺しはしない。ただ、逃げる意志を奪う為の召喚だ。
ロックがライフルを座り込んで構えた。鋭い視線でスコープを覗く彼に、クリスは制止をかける。
「ロック、止めとけ」
「リーダー……あんなの出されたら僕らには逃げ場がなくなる。きっと僕らが逃げたら、あいつは街を水浸しにしてでも僕らを殺しにかかるぜ?」
「だろうな。無駄な犠牲は抑えたい。その選択だけは最後まで避けたいな」
「どっちにしろ浄化が終わらねえと動けねーんだから、ライフル降ろせよ」
レイルがつまらなそうに言った。
クリスとしては一刻も早くロックに銃を降ろして欲しかった。あまり相手を刺激したくない。
「……わかったよ。召喚師は一人だった。人間技じゃねえ」
ロックは渋々といった様子ながら銃を背中に戻し、タバコに火を着けようとして、クリスが止めた。
「敵陣は遠いが、万が一ということもある。火花はこれが砕けてからにしろ」
そう言って塔を指差すと、クリスの耳に聞き慣れた声が飛び込んできた。
『計画は順調のようだな』
アレグロからの回線に、クリス以外の三人の表情が険しくなった。三人の鋭い視線を浴び、一瞬だが嫌な汗をかきそうになる。
仲間だろうが不快なことがあると容赦無く殺気を発する、そんな彼らのことは大好きだ。犯されたいといつも考え、それは叶わないと考え直す日々。
「滞りなく、だ。どうした?」
クリスの計画がどうであれ、このタイミングで彼からの連絡があるのは、何か問題があったからだ。用心深い彼が、まさか暫しの別れの挨拶をする為だけに連絡してくるはずがない。
『そこから少し離れたスラムで、反政府グループが動いているらしい。空軍はまだ掴んでない情報だ。 現場が混乱しない為にも伝わらないように努力するが、どこまで抑えられるかはわからん』
「了解した。二時間もあれば充分だ」
『気をつけろよ。こんな時期に動き出すような連中だ』
「あんたもな」
簡潔に連絡を済ませるクリスに、レイルが相変わらず鋭い視線を向けながら言った。
「さすがにこういうタイミングを外さない奴らは出てくるな」
「標的は宮廷魔術師か、空軍か……」
「どっちでも良いけど、潰し合ってくれる方が僕らとしては楽だな」
ルークとロックも口々にそう言うと、黙って鯨が浮かぶ方向を睨みつけた。クリスもそちらを見ると、無数の火の玉がこちらに高速で飛翔してくる真っ最中だった。
一斉に得物を抜くフェンリルの足元で、白く輝く塔が粉々に砕け散った。
宮廷顧問召喚師であるローズは、ビスマルクの上で片膝をついた。膨大な魔力の消費に、精神はともかく肉体はついていけなかった。巨体を誇る召喚獣の全てを召喚したのだから仕方ない。
これも自分が憧れる光将の頼みなのだから。
『最高のフィナーレの為に、派手な土台を召喚して欲しい』と依頼を受けたのが数時間前。
急ごしらえではあったが、召喚自体は成功した。これで後は祭りが終わるまではゆっくり出来る。
「下は楽しそうじゃの……」
街中では露出度の高い服装に身を包んだ踊り子達が、練り歩くようにして踊っている。
「リチャード殿……」
この国に古くからある言い伝えを思い出し、ローズは呟いた。
街の広場で好きな人と踊ると、恋仲になれる。学生が好むような言い伝え。そんなことを仮にも仕事中に考えてしまった自分自身に赤面していると、後ろに控えていた空軍の兵士が下がるように声を掛けて来た。
声も顔も全然違うのに、制服のせいでリチャードの姿を想像してしまう。あたふたしながら後ろに下がって、もう一度街を見下ろして、昨日出現した塔を見た。
無色の輝きを放つその塔からは、もう強烈な悪意は発せられていない。安堵の溜め息をついてから、ローズはその正体を考える。
陸軍が隠していたバイオウェポンだとしかローズは知らされていなかったが、なんとなくそれが人の死によってもたらされたものだと直感していた。
『たくさんの人が死んでいく。それを止めることが出来るのは“止めようとする”人間だけだ。俺は時間には頼らない。人間である君に頼りたい』
優しい茶色の瞳で、強く立派なことを誓った彼に、自分は恋をしてしまった。
砂漠の水源を強固にする為に、水霊と心を通わせる自分を、わざわざ自国に招き入れた。北部出身という全く生活環境から違う自分を、人間とみなし、対等に頼ってくれた。
そんな彼の力になれるのならば、自分は常に最高の結果を収める。彼の街中の水脈を水で溢れさせるという目標は、そうして実った。
だが、実際はその水脈を利用して悪意あるバイオウェポンが作り出されていた。今の彼の心を、誰が理解出来ようか。
ローズはキッと強い視線を遥か遠くの塔に送ると、兵士の制止を無視して火の玉の詠唱を始めた。
関係者以外には花火大会としか告知されていないこの状況では、使用を許可されている魔法は限られている。召喚よりはよっぽど低い魔力で特大の火の玉を出現させると、ローズはそれを塔に向かって放った。
それと同時に愛しい光の輝きが塔の足元から伸びて、ローズはその美しさにただただ見とれていた。
足元で激しい光が発し、ロックは重力場の展開を諦めた。一気に砕け散った塔の、大きめの破片を足場にする。
周りを急いで見渡すと、ヤートを二人がかりで背負ったクリスとルークが同じようにして足場を確保していた。
一足遅れて飛翔した火の玉をライフルで撃ち抜き、残りの一人を探すと、彼女は足場を確保することも忘れて下を睨みつけていた。眩しい光がもう一度輝き、嫌な悪寒を感じてロックも下を見る。
エクスカリバーを掲げたリチャードの周囲の景色が歪む。その一瞬後には、彼の周りに八体の甲冑の兵士が立っていた。王族特有の派手な甲冑に、長い白髪がたなびく。幻覚のように、実体をおびない揺らめく姿だ。
「おいおい、てめーも召喚かよ」
『ロック、あれは何だ!?』
苛立ったレイルの声に、ロックは舌打ちしながら答えた。
「あれは歴代のエルメスミーネ家の当主達だ。亡くなる時に英霊として息子に託される」
『珍しい元人間の召喚獣か……リーダー! 俺達も“援軍”呼ぶか!?』
『今は目立つ行動は避けたい……援軍は無しだ! 来るぞ!』
クリスが叫ぶと同時に、八体の兵士達が二体ずつに別れて襲い掛かってきた。手に持つ剣だけは、本物のそれと変わりない輝きだった。
重力を完全に無視したその動きに、ロックは冷や汗が出た。
――あの野郎、殺す気だな。
兵士をレーザーキャノンから抜き出した剣で捌きながら、こちらをじっと見ているリチャードを鼻で笑う。
――そこからじゃ何も見えないだろ?
顔すら見えない距離でも、彼に自分が召喚獣程度で殺せないことはわかっているはずだった。
何か裏があるのだろう。あの聡明な兄が、何をやらせてもうまくやる兄が、考えがないはずがなかった。
――だけどな。
そんな兄以上にうちのリーダーは、聡明で完璧だ。今も召喚獣を捌きながらきっと……
そこでロックの目に信じられない光景が飛び込んできた。
二体の敵に苦戦するルーク――だいたいあいつは接近戦向きじゃない――に代わり、クリスはヤートを背負ったまま二体を相手にしている。
そんな彼の肩口を相手の剣が掠めた。出血はあまりないが、一瞬隙が出来る。
そこを敵が見逃すはずがなく、二本の剣がクリスに迫る。だがその剣がクリスに触れることはなかった。
見事なタイミングで身体を間に滑り込ませたレイルが、元から彼女を追っていた二体共々、合計四体の敵を相手に全くヒケを取らない剣技で押し返す。
足場を変えながらのスピーディーな戦いは彼女の十八番だ。スピードナンバーワンで派手好きな彼女には、こういった曲芸じみた戦闘はよく似合っていた。
クリスはヤートを背負いながらルークの援護に向かい、ロックも二体の敵に集中する。
たまに火の玉の無効化にも気を払いながら戦う四人には、余裕の笑みすら浮かんでいた。だからこそ、眼下で発動した術に、誰ひとりとして反応出来なかった。
『ちっ……こんな時にっ』
まばゆい光の楔に拘束されたレイルが、足場から落ちた。
しかし彼女を転落死させるだけで満足する程、敵は甘くなかった。四体の敵が、無抵抗に落下する彼女に剣先を向ける。
レイルは四体に向かって雷を放った。派手な爆炎を放ちながら走るその光は、遠目から見れば火の玉のように見えなくもない。
勢いよく突進していた英霊達が煙のように掻き消える。土壇場でも冷静な彼女に舌を巻く思いで、ロックは落下を続ける彼女に重力場を展開しようとした。
だが――
『敵の本命が来た! ロック! クリスタルを盾にする! 重力場で集めてくれ!!』
クリスの叫びと共に、空が赤く輝く程の巨大な火の玉がこちらに向かって飛んでくる。
先程までの中級魔術程度の威力ではない。隕石と見間違う程の巨大な塊に、ロックはすぐさま座標の固定にかかる。
目の前に来た英霊達は、クリスが斬り掛かって動きを封じてくれた。目の端でレイルの位置を確認。
――これなら間に合う。
砕かれたクリスタルは大きな塊のみを残して、小さな粒が空気中を舞っている。
その残ったクリスタルの中心に、ロックは小さな重力場を作り出した。引力を強めたその場所は、小さな小さな集合地点となる。
がくんと落下のスピードが落ちた。一瞬の浮遊感の後、その重力場に向かって引き上げられる。
クリスタルと共に、空に投げ出されたフェンリルの面々も一緒に引き込まれていた。レイルもなんとか助かったので、ロックは一安心。
ガシャンと硝子が割れたような音を立てながら、バラバラになっていたクリスタルがぶつかるようにして一つの塊になった。
目標を失った火の玉は、軌道を自動的に修正しながら飛んでくる。どうやらホーミング機能があるらしい。しかもあろうことか、続けざまに飛来していることがわかる。
火の玉の一発目がクリスタルに着弾した。鋭い破裂音が響き、虹色の光を放ちながらクリスタルの半分が粉砕され、粒子となって爆風に飛ばされる。
クリスタルの裏側に着地した四人は、尚も襲い来る英霊達の攻撃に防戦一方だ。
先程掻き消えた敵も、何事も無かったかのように攻撃してくる。レイルのフォローに回っているのがルークなのが不安だが、ロックもこの状況では動くに動けない。
重力場の形成には、精神統一が必須であり、動き回りながら出来る芸当ではない。
クリスタルを盾にする今回の計画では、ロックは計画の要だ。どうしても確実性から、クリスがロックの援護をすることになる。だが、ヤートを肩に背負った彼も、この仕事が楽なものではないはずだ。
『こいつら、キリがねーな!』
ルークの苛立った声が聞こえる。倒せない敵に、限界は近そうだ。
だが、ロックは重力場の形成にだけ精神を集中する。
敵の第二陣がすぐそこまで来ていた。
二発目が着弾。クリスタルのほとんどが砕け、一割にも満たない足場に全員が追い込まれる。
全員の顔が見えた。皆、疲れた表情をしている。
「マズイぞ!! 次は防ぎ切れない!」
盾の大半を無くし、絶望感で叫ぶロックに、クリスが大声で指示を飛ばした。
「俺が札で防御する! 着弾のタイミングで重力場を解除してくれ!!」
「んなシビアな……やってやるよ!!」
ほとんど開き直って了解してやると、クリスはニヤリと笑って腰のポーチから大量の札をばらまく。
よくそれだけ持ってたな、と感心してしまった。
クリスは赤く輝く指先で、空中に北部特有の呪文を描く。
すると札が意志を持つかのように動き、迫り来る火の玉から守るように中空に停止した。
札がカーテンのように目の前に広がったので、火の玉とクリスタルの衝突は、爆発音とまばゆい光によって伝わった。
煌めく小さな白い光が、天空に昇って――
『ありがとう。ボクはゆっくり眺めさせてもらうね』
「……え?」
「レイル!!」
ルークの叫び声が聞こえて、クリスとロックは同時にそちらに目をやった。
天空から聞こえた幼い声に一瞬気を取られたが、そんなことより、すぐに目は危険な状態を捉える。英霊達の攻撃により、バランスを崩したレイルが粉々になった足場ごと滑り落ちている。
「レイルー!!」
反射的に飛び降りようとしたロックの身体を、クリスが制した。
「ラストが来る!! 今は集中しろ!!」
冷静な彼の言葉に、ロックは奥歯を噛み締めながら重力場を操作した。残ったクリスタルを全て火の玉にぶつけ、重力場を解除。クリスの札が衝撃を耐えている間に、急いでロックはレイルの元まで飛び降りる。
砕けたクリスタルの上を駆け降りるようにして、危ないところでロックはレイルの手を握ることが出来た。
光の楔がバチバチと激しく発熱している。正直、安心と疲労で気を失いそうになったが我慢。
「わりぃ! ロック! 愛してるぜ」
「ハニーの手を放す訳ねえだろ」
軽口を叩いた彼女の額には、びっしりと脂汗が浮かんでいた。息遣いも荒く、光が巻き付く腕の辺りは赤く腫れてしまっている。
ロックはリチャードの魔力の強さを知っている。意識を保つので精一杯のはずだ。
すぐにクリス達も降りて――いや、落ちてきた。札のカーテンの上で炎が激しく燃えている。札を操るクリスに代わり、ルークがヤートを背負っていた。
「このまま残骸に偽装して下に下りる」
「了解リーダー!」
「全員集まれ! 札で全員を包み込む!」
クリスの指示に、全員が彼の周りに集まり、その周りを燃え上がる札が旋回する。
「リーダー! 下に光将がいるんじゃないのか!?」
「先程の爆撃で、かなり吹き飛ばされている! このままなら陸軍ではなくスラムに落ちる。光将も今は手負いだ。そこまでは追い掛けられないはずだ」
「よっしゃ! 上手く逃げれるな!」
安心する声を上げたルークの顔に、いきなり苦痛の表情が浮かんだ。
音も無く近付いてきていた甲冑の兵士に、クリスが舌打ちするのが聞こえた。
1/8ページ