第1章 人間の街、エルフの母子
「それで? 具体的な作戦があるんだろ?」
ゼトアの提案は大いに青年の心を擽ったようだ。
「なんだよ、それ」とまるで不可思議なものに手を伸ばすようにして呟いたグロッザに、ゼトアは「お前の母親にも相談するために俺は来たんだ。話は揃ってからで良いか?」と断ってから食事をした部屋に戻ったのだ。
先程と同じく三人だけのテーブル。ゼトアの目の前には、先程と同じく母子が並んで座っている。
明らかに期待に満ちたグロッザの瞳とは対照的に、ルツィアの表情は暗い。おそらく既に察知はしているのだろう。最近の魔力の流れが異常なことぐらいは……
「もったいぶらないで教えてくれ」
グロッザが耐えかねたようにもう一度聞いてきた。瞳の輝きが彼の興奮を物語っている。
部屋での一件から彼の自分に対する態度が軟化していることに気付いてはいたが、これではむしろ軟化というよりは懐かれているような錯覚を覚える。
「単刀直入に言うならば……」そう言葉をつけてから、軽く咳払いし「最近異常な魔力を垂れ流している魔族がいるな?」と続ける。
ルツィアから目を離さずに告げると、彼女は案の定、その憂鬱そうな瞳を逸らした。グロッザは何がなんだかといった様子だ。本当に魔力の高さを引き継いでいるか不安になってくるほどに。
「ルツィア……」
「えぇ、全て話すわゼトア。街外れの……ここからだと丁度反対方向になるのだけど、そこに半人半魔の少年が住んでいるの」
「あ、そいつか! ほとんど人間みたいな奴だから全然気にしてなかった! 名前は確かグリアス、だったかな」
合点がいった顔をしたグロッザが、明るく補足する。
少し矛盾する。
「ほとんど人間?」
「戦争捕虜だった魔族の女性との子供だったのだけれど、父親は彼が産まれてすぐにまた前線に出て、母親の方も元々祝福された形ではなかったから精神を病んで自殺してしまったの。それからは街の人……いえ、私や親しい人達が世話を持ち回りでしていて。だけど……」
本当に戦場ではよく転がっている話だが、そのひとつひとつに中身があり、被害者がいる。
思わず口をつぐむルツィアを責める気にはなれず、静かに続きを待つ。
「ごめんなさい。先月頃だったと思うのだけど、突然彼の身体に魔族の特徴が現れるようになったの。耳は尖って、肌はもう紫色に近かった」
「身体に自身の魔力が染み渡った状態だ。そこまで馴染めばあとはいくらでも魔力を高めることができる」
「ゼトアのその肌も魔力の色なのか?」
大人しく聞いていたグロッザが、こちらを見ながら聞いてくる。自分の肌の色とどうして比べないのだろうか。
「俺は地晶術関係が得意でな。魔力の型式によって染まり方は異なる」
「へー。ならグリアスは、闇! とか?」
「一概には言えないが、そういった邪なる魔力に精神が犯されている可能性がある」
ゼトアの言葉に、ルツィアがはっとしたようにこちらを見た。
「あの子、その頃から食事とかはいらないと言い出して、部屋に閉じ籠るようになったの。それからはずっとその部屋から禍々しい魔力を感じてばかりで……」
「なるほどな。アレスが言っていたのはそいつで当たりらしい」
目標は設定されたが、目の前の二人はそれよりもゼトアの言葉に狼狽えたようだ。
「魔王アレスがっ!?」
「あの子を、この街を攻撃するの!?」
ほとんど二人同時に捲し立てられたので、ゼトアは順番を間違えたと後悔。
「我らが王はそんなことなどしない。無惨に産み捨てられた同胞を保護しに来ただけだ。その子ども、おそらくこのまま放っておけば魔力の暴走を起こすぞ。もちろんその子の命もだが、この街の住人も巻き添えを食う」
「あの子を救えるの?」
いつか見た、すがるような瞳。心地好い。
「あぁ。お前達を護りたい。協力してくれ」
静かに伝えると、彼女の顔から緊張が幾らか緩んだ。まだまだ若々しいその微笑みが、彼女の答えである。
その横で小難しい顔をしていたグロッザを見やる。
「この街を救えるのか! オレが!!」
こちらは年相応の、屈託のない笑みを見せ、明るい未来を信じてやまない表情だった。世界、が街に取って変わっていたが、そこには言及しないでおく。
夕食後の腹ごなしも兼ねて、ゼトアは教会の裏にある空き地で武器のコンディションを確認していた。昼間は洗濯物でも干しているのであろうそのスペースは、今は何の障害物もない絶好の訓練場である。
流れるように振るう槍は、今は布地にくるまれてなどいない。正真正銘の刃の煌めきが、空にひとつだけの光源である三日月に照されている。街の中心地からは離れているためか、民家の明かりの方が空のそれよりも遠く感じるほどだ。
あくまで闇を主張する黒い柄を握り、型に準え身体を動かす。元からの重量だけでなく回転の力も加わり重さを増す凶器を、ゼトアは何事もないように使いこなしている。
「魔将ゼトアの訓練を見れるなんて、凄い貴重だな」
教会の扉が開いたことには気付いていたが、そのままにしていた。息子の訪問を嫌がる父親ではない。
「その呼び方は止めろ。肩書きなんて、生き残ることには必要ない」
「なぁ、魔族ってみんなあんたみたいなのか?」
「どういう意味だ?」
「いや、悪い意味じゃないんだ! ただ、魔族も人間と一緒で、戦う顔と生活する顔があるのかなって」
慌てて両手を顔の前でひらひらさせたグロッザに、ゼトアも苦笑する。彼は彼なりに昼間から“魔族について”考えているようだった。
「魔族だろうが軍人である限り、戦場での時間と、家族との時間がある。むしろ家族を護るための戦場の時間だ。そこには種族の違いはないと俺は思っている」
「多分、魔族のお偉いさんがそう思っているなら、そうなんだろうな」
納得したように彼は小さく頷くと、ゼトアに向かって向き直る。
「オレ! 魔族について誤解してた! 全員良いやつってことはないだろうけど、少なくともあんたは尊敬出来る軍の将軍だと思う。だって……」
そこで声が聞き取れなくなったので、ゼトアは槍をその場に置き彼に近付いてやる。もごもごと動いていた口が、止まって、慌てて目が逸らされる。
「なんだ? 言わないと相手には伝わらないぞ?」
もう手が届くところまで近付いた。覗き込むようにして目を合わせると、一気にその頬が紅を差したように朱くなる。
「……っ」
まだ強情な彼の表情に笑ってしまいそうになりながら、もう一度「言いたかったんだろう? 俺にわかるように言ってくれ」と、優しく促す。
「……かっこよかった」
「そうか」
半ば言わされたことへの反抗か、握りこぶしが見えたので、そのまま若い身体を抱き締めた。すぐにびくりとした反応が返って来て、ゼトアの心にまた邪な感情が流れ込む。握りこぶしはとっくに解かれている。
「ありがとう。俺はお前のことは可愛いと思うがな」
耳元でそう言ってくすくすと笑ってやると、耳まで朱くなっている。それでも抱き締めた身体は離れない。
今はコートを脱いでいるのでお互いの腕が触れ合っている。お互いの魔力の相性を確かめ合う、その感触にまだ慣れていない青年は流されているのだ。強い魔力に引き摺られるように、彼の瞳には恍惚の光が見え隠れしている。
「今から稽古をつけてやろう。お前はもう逃げられない」