第3章 天使降臨
その年、大陸南部の砂漠地帯は大規模な砂嵐に包まれた。
まるで天変地異のように突然発生したその砂嵐は、何日経っても治まることはなく、その地に住まう人々は、生まれ育ったその地を捨てるか、どうにか生き残る術を見つけるしか道はなかった。
元より野生動物やモンスターの多いその地は、砂嵐による視界不良と行動への制限も相まって、ほとんどの人間達はそれまでの生活を捨てて散り散りになってしまった。
魔力を通さない砂嵐の性質上、辛うじて残った者達も生活水準が大きく落ち込み、その砂漠は死の大地という別名で他の地方からも認知されるまでになる。
危険な砂漠地帯から離れた民が砂嵐の吹き荒れる荒野地帯の外れにて“オアシス”を見つけるのは、それより何百年も先のことになる。
ただひたすらに、想い合う少年達。何人たりとも寄せ付けぬ崩れ落ちた砂塵の城壁の中心で、二人、ただ二人だけの“世界”に浸る。
心の奥底まで魔力によって混ざり合ったその様は、美しい宝石の中に囚われた眠り姫。古からの命を抱き込んだ琥珀のように、まるで光を体現したかのような輝きを放つ。
繰り返された降臨の儀式により、その城の外観は既に崩れさっていた。ぱっくりと大口を開けるその天井部分には、台風の目のように光が常に差している。
その場所は天界からの祝福を受けるべき場所だったのだ。聖なるその空間に、砂嵐等……“魔なる力の働く砂嵐”等、吹き荒れてはならないのだ。
だが、それでもこの地はもう、天界からの祝福を受けることは出来ない。
天より堕ちたその身体が、その精神が、この大地に混ざり合ったからだ。その大きな力を持つ不純物は、この地を違う力で豊かに育み、そしてそれを砂嵐が搔き消した。
それで良い。
そうなることを、“彼”は選択したのだから。
「砂漠地帯での特命、ご苦労だったな。ゆっくりしてくれ」
砂嵐のなか歩き続け、砂漠地帯、荒野地帯と抜けた後、ようやく魔王の手配した軍の小隊と合流したのが数週間前。
合流後に少しばかりの遭遇戦と迎撃を挟み、ゼトアは実に一か月ぶりに魔王の元へと帰り着いた。
「俺が居ない間に何もなかったか?」
主に軍に関しての問い掛けに、愛しき魔王は妖艶に笑う。久しぶりに入る王の私室は、相変わらず豪華で、そして暖かくゼトアを迎える。
「お前こそ、俺に隠れて浮気でもしていたのか?」
「……お前は何もかも視ているだろうが」
溜め息混じりにそう返すゼトアに、魔王アレスは涼しい顔をしている。その目がいつまで経っても逸らされないので、ゼトアも観念して白状することにする。
「息子の様子を見に寄っていただけだ。お前が心配するようなことじゃない」
「あぁ、そうか……どうも、あそこは視えなくてね」
まるで遠くに目を凝らすようにその瞳を細める魔王を、ゼトアはそっと抱き締める。
「あの地で、莫大な魔力が混ざり合った。もう人間達があの地で天界の力を行使することは出来ない。これで降臨の場所を限定させることが出来る」
「忌々しい天使共も慌てているだろうな。人を従えし王が誰であるかを教えてやらないといけないな」
「魔王アレス……お前の名が、人間達の歴史に刻まれるんだな」
「……お前には、辛い思いをさせたな。ゼトア……」
抱き締めた腕のなかで魔王がことさら小さく呟いた。それは魔王の――幼馴染であり想い人の、本心からの言葉だと気付いて、ゼトアは心のなかだけでその言葉に返事をした。
――お前は俺の『全て』だ。だが、どうか……あの砂嵐のなかでだけは、背徳の渦に踊らせてはくれないか?
あの地で、愛しい魔力は混ざり合った。拒絶の生み出した砂嵐に、その妖艶なる瞳を免れて。愛しい者達のその地がどうか、何者にも汚されることのないように。
ゼトアは優しく魔王を抱き続ける。全てを視通す魔王の力も、己の胸の内までは視通すことは出来ぬのだから。
END
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