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第3章 天使降臨


 薄暗い空間のなか、グロッザは目を覚ました。冷たいような暖かいような、酷く不安定な浮遊感に身体が包まれている。
 周りを見渡してみても一面土色の空気が漂うばかりで、ここがどこだか全く見当もつかなかった。
 だが、グロッザは不安を感じなかった。それは、その手に握られた小さな手のおかげだった。
 グロッザと向き合うようにしてグリアスもまた、同じように空間に浮いていた。お互いの両手を固く握り締めながら。
「ここ、は?」
 口を動かすだけでも酷く億劫になる。何故だか身体というよりは、精神的な気怠さが強くのしかかってくるようだった。この空気、のせいだろうか?
「おはようグロッザ」
 いつもと変わらない朝の挨拶をしながら、愛しい少年は優しく微笑む。その普段との変わらなさが、グロッザの心を落ち着かせる。
「ボク達、もう永遠に離れないんだよ。ずっと、一緒の存在になれたんだ」
 少年の説明は相変わらず少し難しい。なんだか二個も三個も大事な主語等が抜けているような気がするのは、自分の理解力が足りないからだろうか。
「それって、どういう……?」
 そこまで問いかけたところで、自分達の魔力が文字通り溶け合っているということに唐突に気付いた。
 本当に、まるで絵の具を筆で混ぜ合わせたような純な混ざりだった。中心から細部に至るまで、全て均一に同じ色合いに、全てが混ざり合っている。
 一面の土色が岩石のパレット。そこに自分達二人だけの、愛しい色合い<魔力>が爆ぜ散り、この地方を包み込んだ。
 二人だけの、孤独を。二人きりの、拒絶を。この世界――二人の世界には、愛し合う二人だけがいれば良いのだから。
 母なる大地の魔力を盾に、暴力的な拒絶を敷いて。大いなる水の魔力を潤滑油に、二人はただ溶け合い、生きる。ずっと、永遠に。身体という概念は、既に天使に吹き飛ばされていた。
「ずっと、一緒だよ」
 少年の瞳に最後の揺らぎが映る。そう、その揺らぎはもう最後なのだ。これからはもうずっと一緒。ずっとずっと二人きり。もう離れようもない、永遠の誓い。
「ああ。ずっと一緒だ」
 力強く頷く。歪なカタチの愛情が、そこには確かに固く結ばれていた。










 ゼトアは砂嵐の中を歩いていた。
 まるで全てを拒絶するように吹き荒れるそれは、息子達の意志そのものだった。愛しき魔王も母親も、自分さえも拒まれた。そこには二人だけの、二人きりの愛だけがあった。
 ゼトアは少し立ち止まり振り返った。視界を著しく妨げる砂嵐の勢いに、思わず苦笑する。今は遠い地平線の彼方になった遺跡に目を凝らし溜め息をつくと、また向き直って目的地へと歩を進める。
 天界の門とは即ち魔力の最も集まる場所である。天界からの使者を何度も迎えたその地には、とてつもない魔力が蓄積されていた。それとグリアス達の魔力を利用して、天使は魔王アレスへとその憎しみを放とうとしたようだ。
 強すぎる魔力はとても不安定だ。だが、天使の配分は完璧だった。人間という不純物塗れの容器に入ったその光は、それでもとてつもない魔力であった。少年も然り、半分を薄汚い人間という種に汚されても尚、魔族という強き闇の魔力はその肉体に多大なる負荷を掛けながら膨れ上がっていた。
 そしてそこに天使は、息子も混ぜ込んだ。自身の魔力を色濃く受け継ぎ、また聖なるエルフの血すらも受け継ぐ、聖と闇の混血だ。それだけでも街一つぐらいなら簡単に吹き飛ばす潜在能力。
 だが天使に計算違いが起こる。ゼトアは少年達に自分の魔力を捩じ込んでおいた。それはその身に、そして首輪に。
 大事なところでその魔力が牙を剝いた。全てを魔王に捧げた、その悪しき力が、堕ちて尚聖なる気配を撒き散らすこの天使に、膨大なる魔力の氾濫を招いた。
 そう、この天使に。
「……なんで、置いてかんのや?」
 ゼトアはその背に天使を背負っていた。幾度となく愛し、その身にその血を孕ませた女の身体を得た天使を。
 天使の身体はもう、器としての力は残っていないようだった。ボロボロに吹き飛んだ身体の傷すら治せずに、ただ力なく運ばれている。魔力の枯渇により時たま歪むその表情には、だが憎しみや嫌悪といった類は見えない。
「お前は大事な存在だ」
 振り返ることもなくそう告げると、天使は小さく笑ったようだった。その笑いに声等はなかったが、少しだけ身体が揺れたような感触があった。
「それは、この器が、か? それとも俺のこと言ってくれてるんか?」
「……両方だな」
 ゼトアは少し考え、たまには本心からの言葉を伝えてやることにした。弱りきった天使には、その言葉は心地の良い慰めのようでもあり、励ましのようにも思える。
「お前は最後まで嫌なやつやな」
「敵同士だからな、仕方あるまい」
 今度こそ天使は声を出して笑った。翼が引きちぎれたまま聖なる血を垂れ流すその背中が、しばらく揺れてまた静かになった。
「この砂嵐、あのコらの力か? いや、力っていうよりは、望みか?」
 天使が少し喋り辛そうにしているので、ゼトアは自身を中心に魔力でごく狭い周囲の空間を包み込むように覆った。砂嵐がその空間だけ掻き消える。こんな芸当は、魔力の血筋が同じである自分でしか出来ない。この砂嵐を巻き起こしているのは、紛れもなく息子達なのだから。
「ああ、俺の血のせいか大地を操る術に長けているようだな。この砂嵐ならばもう、あの遺跡には誰も近寄れないし、誰も邪魔は出来ない。もちろん――魔王ですらもう、視通せない」
「魔力を遮る砂嵐、か……」
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