第3章 天使降臨
翌朝、揺さぶられる感触でグロッザは目を覚ました。もう寝巻から着替えているグリアスの顔が、視界いっぱいに広がる。
早速寝起きにキスを落とされて、そこでようやく頭が働き始める。いつも通りのベッドの感触に少し安心した。いつもとなんら変わらない自室の景色だ。
――昨日、どうしたんだっけ? ゼトアと天使がワインを飲んでいて、それで……
「っ……」
昨日の情事を思い出し、思わずグリアスの小さな身体を押しのけた。顔が熱い。心臓が口から飛び出しそうだ。
「どうしたの?」
少し怯えたように言うグリアスにようやく落ち着きを取り戻し、小さな身体を抱き寄せる。あれは昨日のことだ。
「昨日……オレ、どうやってここに戻って来た?」
記憶が曖昧どころか無かった。だから多分、誰かにここまで運ばれたはずだ。どちらかに。
「ストラールさんが運んできてくれたよ。手、血まみれだったけど、凄い反発だね」
「ストラールさんが?」
反発のことは昨日目の前で見せつけられたのでよくわかった。だが、そうすると、それを覚悟で天使が自分を運ばないといけない、つまりゼトアは運べない状態にあったということで。
「そうなんだ……」
「エルフの血に反発してるって言ってたけど、それって天使としてどうなのかなぁ」
少し考えるような表情をしながら言うグリアスの言葉に、グロッザは生返事しかすることが出来なかった。
「あ、そうだ! ルツィアさん、目が覚めたみたいだよ」
こっちが本題、とグリアスが嬉しそうに報告してくれた。まだ一日も眠っていないはずだが、もう起きてきても問題はないらしい。
「良かった。ちょっと顔見に行っても良いかな?」
「ボクも行きたいから、朝ご飯食べてから一緒に行こう」
「ああ」
朝ご飯って、何か用意してたっけ?
記憶を辿りながら食堂の扉を開けると、ふわりと美味しそうな肉の香りが鼻腔を擽った。
「おはよーさん。朝ご飯出来てるで」
天使が明るく声を掛けながら席を勧めてくる後ろで、母が昨日の残り物を炒めて朝食を作ってくれていた。少し疲労の色は見えるが、後ろ姿を見る限りいつもと変わりないように見える。
「母さん、もう大丈夫なの?」
「ええ、グロッザ。心配かけてごめんなさい。さすがに買い物までは行けなかったから昨日の残りだけど……」
「ルツィア、あまり無茶をするな。まだ魔力が不足しているだろう」
申し訳なさそうにする母をゼトアが労う。その光景を見せつけられて、無意識にグロッザはそこから離れるようにグリアスの隣に座る。母のいつもの席は彼女のために空いている。まだ母も食べていないようだ。
ゼトアは棚の前に立ったままで、それは天使も同じだ。二人が朝食を食べた形跡はない。
「朝食はボク達だけ?」
グリアスも疑問に思ったのだろう。少し遠慮がちに聞かれた問いに、天使は聖堂では見せなかった笑顔を零す。
「俺ら天使は魔力が原動力みたいなもんやから。こいつら魔族も高位になると、数日ぐらいなら餓死とかせんのやで」
「試したことはないが、水と魔力を補給出来るなら、生命活動には支障はないだろうな」
あまりに次元が違う話なので、感嘆の声しか出ない。あまりにもかけ離れた魔力だと、生物としてもここまでかけ離れてしまうのか。
「息子さんらは俺らが見ときますんで、ママさんはゆっくり休んでてください」
天使が笑顔のまま母に向き直る。その目には昨日見せた危険な香りなどあるはずもなく、ただただ慈愛の天使そのものの表情だ。
「ストラール様にそんなことは……」
聖職者である母からしたら、大天使であるストラールはとてつもなく高位の存在だ。信じる神とする者に仕える天使。天界の意志そのもの。
その意志は、恐縮する母に笑顔のままその矛先を突きつける。
「ええから早く休んで魔力を充填してや。そうしな、いつまでもここにおることになるやろ」
まだ聞き慣れないそのイントネーションに、だが確かに混じった苛立ちに、母だけでなくグロッザとグリアスも反論することは出来なかった。