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第2章 息子達


 明日、この関係はどうなるのだろうか。
 大いなる闇の魔力を宿すこの小さな身体は、明日、その闇を中和される。中和なのだ。魔力自体は残るのだろうか? それとも消え去るのだろうか?
 小さな愛しい存在から口づけを落とされる。今は思考を続けたい。指は絡めずに、求める気持ちのままに小さな身体を強く抱き締める。最初は膝の上に座らせていたのに、いつの間にか膝をついて細められた紫の瞳に見下ろされている。そう、その表情がゾクゾクする。
 今はもう夕食の時間だ。昼間に貰ったチキンを温めるために、簡単なシチューに放り込んで煮込んでいたら、背後からグリアスに抱き着かれた。もちろんそれぐらいで済むわけもなく、狭い狭いキッチンスペースで、掃除の行き届いた固い床の上に座り込んだ。鍋が吹き零れるまでは、まだ、時間があるから。
「明日だな」
「うん……」
「不安?」
「グロッザほどじゃないよ」 
 グリアスの方が魔力が高いから、グロッザの不安もお見通しらしい。心の中を覗かれている、そうわかっても嫌な気持ちはしなかった。自分がその感覚を得たからわかる。この感覚は絶対的な安心と、そして不安を与える。絶対に手に入らないものを暴き、そしてそれを見せつける。
 グロッザは逃げた。グリアスもきっと、一緒だ。一緒なグロッザ達だからこそ、この愛情は永遠に大事に出来る。決して壊れない。最初から壊れた歪だから。
 明日……その、まるで世界の全てを感じ取れるような、相手の情欲を読み取るような、そんな感覚を消し去られるのだろうか。グリアスは、変わってしまうのだろうか?
「オレは……」
「ボクは変わらないよ」
 言い聞かせるように呟かれた。その言葉は果たして自分への戒めか、それとも愛する者への約束か。
「魔族としての魔力がなくなっても、普通の人間のようにまた元の生活に戻っても、グロッザのことが好きなのは変わらない。種族の違いなんて、ボク達には関係ない! 光だろうが闇だろうが、ボク達の間には何もいらない」
 闇に染まりし紫の瞳が鋭さを増す。そこに強い意志を感じて、グロッザも強く頷いた。魔力の流れを追うことばかりに気を取られ、今まで見えていたものを見失いそうになっていた。
「ずっとずっと大好きだよ」
「うん。オレも……ずっと変わらない。好きだ」
 鍋から小さな悲鳴が聞こえるまで、ただ抱き締めあっていた。冷たい床の感触等、気にならない程暖かな気持ちだった。どこからか雄々しい羽ばたきが聞こえた気がした。







「モンスターと野生動物の違いってなんなんだろうな?」
 鍋からよそったシチューを運びながら、グロッザは呟いた。月の隠れた夜の闇の中、教会から零れた光の下で食べるシチューはとても優しい味がする。恒例のようになった外での夕食は、まるでキャンプのようで二人のお気に入りになった。
 なんとなくの世間話ぐらいの感覚だったが、それは少年の探求心を大いに擽ったようだった。
「確かにあんまり深く考えたことないよね。人に危害を積極的に加えてくるのがモンスターで、食べ物にもなるのが野生動物、とか?」
「線引きと言ったらそれぐらいだよなぁ。あ、あと魔法を唱えられるやつがいるとか?」
「そんなの高位の極一部の種族ぐらいだよ。本当、一握りは人の言葉まで話せるらしいし」
「竜とか、そういう高位モンスターだろ? そこまでいくと、もう――」
 魔族だよな、と続けそうになって止めた。人間達の言い伝えのなかでの魔族とは、獰猛で知能の低い戦闘民族のような扱いで、一説には小鬼や魔に魅入られた生物との穢れた混血だという説もある。
 そんな伝承を真に受けているわけではないが、それでも当事者の血を引くグリアスに対しては冗談では済まされない言葉だった。
「悪い。そんなつもりじゃないんだ」
 素直に謝る。この少年に心の動揺を見逃すような隙はない。
「全然良いよ。グロッザは――エルフは魔族を嫌いだもんね」
「最近まではそうだったけど、ゼトアを見たら変わったよ。本当に軍のお偉いさんって感じで、世界の行く先みたいなのを見ている人だった」
 目先の戦闘や増悪に流されない、遥か先を見据える瞳。恋焦がれた尊敬の対象。そして――
「確かにゼトアさんは世界の末を見ているんだろうね」
 シチューを頬張りながらグリアスも同意する。先程までの世間話とは違う、真剣な表情。
「“視ている”のはきっと彼じゃなくて魔王様なんだろうけど」
 全てを見通す力を持つと言われる魔王。月夜に感じた魔力にゾクリと背筋が震える。冷たく、惹きつけられる魔力には、誰も、彼も逆らえない。自ら求めて全てと崇める。
「オレの全ては……グリアスだよ」
 自然と声になって流れた言葉に、自分自身が驚いた。そう、自ら求めて全てと崇める。
「うん。ボクもだよ。嬉しい。大好き」
 全てを求めて全てを与えられる。それはとても手放し難い幸福で。聖堂から感じる光の魔力が強くなる。雄々しい羽ばたきが、耳に響く。酷く耳障りなその音は、きっと暴れる悪意そのもので。
 シチューを食べ終えて立ち上がる。何か言いたげな目のグリアスに笑顔を向けて、なるべく魔力が波立たないように気を付けて言葉を選んだ。
「ケーキ持ってくるからちょっと待ってて」
 結局シンプルにそう言い切って、一人教会の扉を開ける。優しい笑顔を貼り付けて、空になった器を二つ持ち流しに向かう。流しに器を置いて、そこにこびりついた肉の残骸を見詰める。
 モンスターと野生動物の違いはたくさんある。だが共通点はそれ以上に明確だ。生きていて、死ぬ。モンスターも野生動物も人も、みんな死ぬ。死んだら魔力はなくなる。流れ出る血や腐り落ちる肉と同じように。
 昼間の訓練の後から置きっぱなしになっていた愛用の双剣に手をやる。自分の心が、今一番、自分でわからなくなっていた。大きな魔力ばかりを感じ取り、それに翻弄されている。それはわかっている。わかったのに、なんで彼は奪っていく?
 大きな魔力。『全て』に全てを捧げながら、何故、何故――母や少年から彼の魔力の名残を感じるんだ?
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