第2章 息子達
「やってみろって……降りてこない敵にどうやって攻撃するんだよ?」
グロッザが空を仰ぎながら愚痴を溢す。本当に魔力を受け継いでいるのか心配になる。
確かに地唱術は効果的な場面ではない。だが、全く遠距離に対する魔法がないこともないのだが。
対してグリアスは静かに詠唱に入っている。眼を閉じ、両手を天に向かって掲げる。呪文を唱える口のみ動かし、標的の位置は眼ではなく、魔力の波動を感覚で捉えているようだ。
やはり魔力の制御はかなりのレベル。莫大な魔力は必要以上の戦闘力を彼に与えているようだ。
グリアスの手首の腕輪が、高まる魔力に反応して共鳴する。同じく反応を返すチョーカーの鈴が、心地よい小さな音を響かせる。その音にぴくりと眉間に寄るシワまで愛らしい。
眼下の異変を察知してか、シエルがこちらに向かって高度を下げる。大きな翼をはためかせるその姿は白鳥のそれ。しかしその羽毛は羽ばたく度に輝きを溢す。
嘴から足の爪に至るまで神々しいまでのその白は、まさしく天界からの使者。奴らとは全く関係のない野生モンスターではあるが、その姿を人間達がそう言うのも納得せざるを得ない美しさだった。
美しいだけで済まないところが野生モンスターの面倒なところであるが、高度を下げてきたシエルにいきなり水泡がぶち当たる。
突然目の前に出現した巨大な水の固まりに身体を絡め取られ、濡れた羽毛が重りになったせいか機動力を失ったシエルは、なかなか水の中から脱出することが出来ずにもがき苦しむ。
瞳は開かず、にやりと笑ったグリアスに触発されたのか、グロッザが動きの止まったシエルに向かって飛び掛かった。
身体能力だけはあるので、一度の跳躍でしっかりと獲物との距離を詰めている。間合いは申し分ない。取り柄のひとつぐらいはないと、母親への土産話が失くなってしまう。
ざっくりと翼を切断し、そこに完璧なタイミングで水泡をかき消したグリアスは、すぐさまもう一度詠唱を開始する。
浮力を失い墜落を開始したシエル。同じく落下するのみのグロッザ。
綺麗に受け身を取れるか少し心配して見ていたら、先程とは違う水泡が息子を優しく包み込んだ。
魔力により制御されたその水は、息子の落下のスピードを殺しつつ、それでいて呼吸を妨げるようなこともなく、ふわりとまるで壊れ物を扱うかのような丁寧さで彼の足を地面に着かせた。
その隣に無惨に墜落するシエル。ぐしゃりと何かがひしゃげる音がして、ひん曲がった首から弱々しい声が上がる。
どこかの骨が折れたか、もう飛ぶことはおろか這うこともままならないようだ。赤い鮮血を垂れ流しているのを見ると、やはり天界とは全く関係のないモンスターだということを思い出させるが、それでも白に朱が咲き誇るその様は、異様なまでの美しさを感じさせた。
「よーし! 初勝利!」
水泡がかき消え、グロッザが得意気にシエルの首を掴んでこちらに引き摺ってくる。全く濡れた痕跡がない息子の姿を確認し、改めてグリアスの魔力のコントロールに感心した。
横を見ると息子と同じくらい得意気な顔をしたグリアスと目が合った。唇だけで褒めてやると、小さく鼻をすする。
「お前だけの手柄じゃないだろう。ちゃんとお礼を言え」
「そうだよな。グリアス、お前の魔法やっぱり凄いんだな」
促せば息子は素直にそう言った。その素直な性格は間違いなく彼の長所であり、好感の持てる部分だ。グリアスもその無邪気な笑みに、俺には見せようとしないとびきりの笑顔を返している。
「初めての戦闘にしては上出来だ。シエルを縛るぞ」
息子からぐったりとしたシエルを受け取り、拘束用に持ってきた縄に魔力を込めながら絞め上げていく。
切断された翼も一緒くたに納めてしまう。持ち運びしやすいように縛るのは、どんなものが相手でも共通である。
「グロッザ、怪我はない?」
背後では幼い少年が息子の身体を心配している声が聞こえる。視界には入っていないが、あれは多分抱きつかれているな。
「グリアスのおかげで全然! 落ちるのちょっと怖かったけどさ……」
息子も最初こそ明るく返していたが、その声が不自然に小さくなった。
「……水に包まれた時、柔らかくて優しくて……」
背後の二人に気付かれないように、視線だけそちらに向ける。案の定小さな身体に抱きつかれ、その頭に手を添えている息子の姿が目に入った。頬に朱が差し、魔力に流され揺れる瞳が扇情的だ。
「……グリアスに包まれてる感じがした」
小さく溜め息をつきながら、絞め上げた獲物を背中に背負って立ち上がる。切断された部分からの出血を防ぐため圧迫するようにも絞めたので、儀式までは持ちこたえてくれるだろう。
「これで俺達の仕事は終了だ。帰るぞ」
勤めて冷静に声を掛けてやりながら、わざと振り返る。
抱き付かれていたグリアスを乱暴に押し退けたグロッザが、まだ赤いままの顔でこちらを見て慌てる。
乱れた息に乱された魔力。その仕草の全てが欲情を掻き立てるのを、息子はまだわからないのだろう。
押し退けられた時のグロッザを見る眼だけは寂しそうに、グリアスはこちらに向き直った。張り付けられた笑顔。
「儀式って、いつやるの?」
小さな形の良い口が開き、そこから愛くるしい声が言葉を紡ぐ。
「街の長の許可が出ればいつでも。そうだな……おそらく――三日後だろうな」
「いつでもって言ったのに、なんで三日後なんだ?」
赤みのまだ引かない様子の息子が、疑問符を浮かべている。
「天使の降臨には降ろす地に光の魔力を満たさなければならない。今回はルツィア一人にそれをさせることになる。適度に休ませながらの作業になるだろうからな」
闇に染まったと言っても彼女の光の才は本物である。通常ならば一人がこれだけの短時間で行える作業ではない。だが、きっと……心優しい彼女はやってのけるだろう。
「ふーん」
息子はどうやらその凄さがわかっていないようだが。
「ねぇ、光の魔力で満たすってことはさ……」
悪魔のような笑顔をこちらに向けて、グリアスが問い掛けてきた。遠慮がちに途切れたその言葉を先読みし、なんともないことのように答えてやる。邪が出てるぞ、邪が。
「そうだ。俺は三日間教会から離れている。純粋なる魔族の俺がいたら魔力の調和が乱れるからな。お前達も、あまり光以外の魔力を放出するようなことをするなよ」
主にグリアスに向かって忠告したが、聞き入れているとは思えない表情が返って来た。