第三章
彼女の言葉にガリアノの腕の力が強まる。ギリギリと震える細腕を見ていられなくて、リチャードは慌ててガリアノの腕を撥ね退ける。そして、言い知れない違和感に思わず己の手に目を落した。
「ありがと、リチャード」
「レイル、腕は大丈夫か?」
「ああ。あんなヒョロヒョロに掴まれたって、痛くもなんともないぜ」
「……ヒョロヒョロ?」
ガリアノに対する形容としては真逆のその言葉に疑問を抱く。しかしその疑問は彼の方に目線を向けると一気に氷解した。
彼は――細身の青年だった。ガリアノに見えていたその男は、ヒョロヒョロとした線の細い男だったのだ。針金のような腕にこれまた細いカギ爪を装備しているが、その体格も相まってかあまり危険そうな空気は見て取れない。
だが、彼の敵対行為は明らかだ。どういうカラクリかはわからないが、どうやらこの男はガリアノに化けていたらしい。こんなマジシャンのようなことまで実現出来るのだろうか。この世界の魔法の可能性は、相当広いように思える。
「なんでバレた!? 完璧だったはずだ」
男が叫ぶ。それにはリチャードも同意だ。自分は完全に騙された。そんな魔法が存在するとも夢にも思わなかったし、そもそもこの男の変装――で良いのだろうか? 擬態? ――は完璧だった。
「お前、まだまだ若い男だよな? ヒョロヒョロ過ぎて歳がよくわかんねぇけどよ。お前ら男はわかんねぇかもしれねぇが、あれくらいの歳の男は特別なフェロモンが出んだよ」
「な、何言ってるんだお前は!? わかるように言え!」
「だからよ、男にはわかんねぇって言ってんだろ」
艶めかしい笑みを浮かべる彼女に、男は顔を赤らめて喚くことしか出来ないようだ。だが、そんなに喚くと――
「何をギャーギャー喚いている?」
「お怪我はありませんか? おかしな魔力に遮られて遅れてしまいました。申し訳ございません」
真横からガリアノに拳を叩き込まれた男が、盛大に吹っ飛んだ。会話の内容までは聞き取れなかった様子の二人だが、相手が人間とわかってかカギ爪や魔法で攻撃することは控えたらしい。どこまでも冷静な二人に比べ、自分は……
男がのろのろと立ち上がる。ガリアノの拳は男の頬を捉えたらしく、見るも無残に赤く腫れ上がっている。
「あちゃー、あれはそのうち紫色になるぜ。どんだけバカ力なんだよ?」
「すまんな青年。うちのお嬢さんの機嫌がすこぶる悪そうだったから、つい……加減が出来なんだ」
「ガリアノ様、謝罪など必要ありません。大方盗賊か何かでしょう。始末しますので、お二人をお願い致します」
サクが問答無用と、カギ爪を構える。その先から滴る毒の確かな殺気に、男は情けない悲鳴を上げた。尻餅をつき、もたつきながら後退る。その手は必死に上着の中をまさぐっている。
「ひっ……お、俺はっ、こんなところで死ねないんだ……クソっ、クソっ!!」
「サクよ落ち着け。お前さんもだ。オレ達はお前さんを殺したいわけじゃない」
宥めるように前に出たガリアノに、男は血走った目を向ける。男のその態度に、そりゃそうだ、と隣でレイルが小さく呟いた。気持ちはリチャードにもわかる。盛大にぶん殴ったのはガリアノだ。
「嘘だっ! アクトはゼートを殺したい程憎んでる! 俺を殺すつもりだ!」
「間違ってはいません」
「サクっ!!」
「……訂正致します」
静かに影は主の後ろに下がる。それでも男の様子は変わらない。慌てた手つきで上着をまさぐり、そして――
「――っ!」
男が上着から何かを取り出した。それは光り輝く石だった。幻想的な蒼の光が、薄暗い森の木々に溶け込んでいく。
「お前さん、それはっ!?」
ガリアノが続きを発する前に、男は眩しい輝きと共に消えてしまった。男がいたところには、もう何も残っていない。まるで最初からそこには何もなかったかのように、風になびく木々が揺れているだけだった。
「ガリアノ! あれは……」
「ああ、どうやらあの男……魔法の石を持っているらしい」
霊石は魔力の塊だ。その膨大な魔力はなにも、水神を呼び出すことしか出来ないわけではない。古から存在した霊石は、多種多様な用途で人々の暮らしを豊かにしたらしい。
「簡単な移動の魔法ぐらいなら、魔法の石の魔力を使えば造作もないことだ」
ガリアノがリチャードの武器に刻まれた文字を削りながら言った。
男は、霊石の魔力によってガリアノの姿に化けていたようだ。ガリアノが一人で用を足しに行った時、背後におかしな気配を感じ取ったらしい。だが襲い掛かられることもなく、そこで慌ててこちらに戻って来たらしいのだ。
「どうせ見た目からして勝てないって思ったんだろうな。あのヒョロヒョロ男」
レイルは心底どうでも良いという顔をしながらそう言った。驚くべき嗅覚を発揮した彼女も、今回のことはさすがに驚いたらしい。
「変身も瞬間移動も、そこまでいったら魔法じゃなくてSFだろ」
「え、えすえふ……ですか?」
「そんなにオレに似ていたのか? 見てみたかったぞ」
化けられた本人は怒ることもなく、ガハハと豪快に笑っている。
「そっくりだったよ。姿も声も見分けがつかなかった……」
つい頭を抱えてしまったリチャードの肩に、今度は偽物ではないガリアノの手が添えられる。
「魔法で作り出された虚像は、なかなか判別することが難しいと聞く。それが魔法の石という強い魔力から映し出されたのなら尚更だろう。だから、お前さんは落ち込まんこったな」
「それにしても、どうしてレイル殿は見分けがついたのですか?」
サクがリチャードも気になっていた疑問を口にしてくれた。リチャードも聞きたいことだったが、なんだか嫌な予感がして今の今まで聞けなかった。
「あー、それ、聞いちまう?」
歯切れの悪い彼女の言葉。本当に嫌な予感がする。
「……言いたくねぇ」
そう言って彼女は顔を背けてしまった。その瞳に心の内を見たくて見詰めるも、いきなりの目の前からの大声で一気に意識を戻されてしまった。
「出来たぞ!!」
ガリアノがカギ爪を自慢げに掲げる。
リチャードのカギ爪は、先程の男に魔法を掛けられてしまっていた。刃こぼれを防ぐなんて大嘘で、その身の魔力を霊石に吸い取るための術式だったらしい。
鍛冶屋の家系がよく使う、武器の生成時に使用する魔法の応用らしい。比較的簡単な術式なので、より強大な魔力で上書きすれば、すぐに取り去ることが出来るということだった。
「鍛冶屋……」
リチャードの心に暗雲が立ち込める。鍛冶屋で青年。嫌な予感しかしない。
「……お前さんが考えている可能性が一番高いが、まずは居場所まで追い付かねばならんな」
ガリアノはカギ爪の文字を取り除く際に、その魔力の断片を方位磁石のようなものに取り込んでいた。それはまさしくこの世界での方位磁石で、反応させたい魔力の断片を入れれば、その魔力の源の方向を常に差すという優れ物だった。普段から人探しや物探しに使用するものらしい。
「次も危害を加えるようならば、容赦はしません」
「サク、お前は落ち着け」
一気に冷たい空気を漂わせるサクを軽く小突き、ガリアノはいつものようにガハハと笑ってから、その鋭い目を森に向けた。
「さぁ、これ以上遅れをとらんうちにこの森を突破するぞ。いくら魔法の石があろうとも、相手は人だ。生命を疎むこの森と、共生しているとも考えにくい。おそらく森を抜けた湿地帯に住処があるのだろう。そこまで一気に抜けるぞ」
彼の鼓舞に、森の木々がざわざわと蠢く。まるで森全体が自分達に対して敵意を剝いているようで、リチャードはその得体の知れない恐怖にただ、気付かないふりをすることしか出来なかった。その恐怖がどうか、人を殺めるという現実にいきつかないように。