第二章
思えば不審な点はいくつもあった。霊石の共鳴の光は、自分達を明るく照らした。夜の帳に突如現れたその光に、危機感を感じるのが普通の神経ではなかろうか。
恐怖心により固まってしまったならば仕方ないかもしれない。だが、そこにいるのは鍛冶屋として優秀であろう夫婦だ。元来魔力の高い者がなる職種である鍛冶屋は、その戦闘能力も一般的に高い分類に入る。
一般人にしてはという前置きこそ入るが、それでもその高い魔力――特に灼熱の光源を撃ち出す適正は、攻撃にも防御にも応用が利く高性能なものだ。
そんな夫婦が、霊石の光に反応一つ見せなかった。己が造り出した朱に交じって、見慣れない蒼の輝きがあったというのに。そこに恐怖や――職人としての好奇心すら湧かないとは思えない。
数日間の寝床としていた雨避けは、妙に静まり返っていた。火災の脅威も既に過ぎ去り、森には元のさざめきが戻りつつあるというのに、その所々に隙間風が吹く空間は、その口元から不穏な風を吐き出していた。入り口のミーテの葉が揺れる。広く分布するこの葉には、空気を浄化するような力はない。
「……夜間の移動はあまり得策ではありませんが、この場所からは離れた方が良さそうですね」
頭に過った言葉は告げずに、サクは主の指示を仰ぐ。大岩のような頼れる背中は、雨避けの中を隙間から確認し頷いた。その大きな身体全体で、後ろに控える二人にはその惨状を見えないようにしている。
「そうだな。仕方あるまい。全員、荷物は持っているな?」
雨避けの中に荷物を置いていなかったことが幸いした。サクは鼻腔を刺激するその臭いに内心首をかしげる。
モンスターの敵意等、多少距離が離れていようが自分が見逃すはずがないのだ。確かに意識は霊石の捜索のために灰色の大地に向いていたとしても、森の入り口からはそれ程までに離れてはいない。充分遠目からも目視が出来る距離だった。
何か違和感があれば気付くし、視界の端にそれらが映り込むこともなかった。そもそも、ここに近づくまで気付きもしなかったのだ。これほどまでの死臭がしていたのにも関わらず。
夫婦は雨避けの中で死んでいた。まるで折り重なるように倒れるその姿は、神に許しを請うかのように見えた。焼け爛れたように傷ついた身体から、赤黒い血肉が零れ出している。酷い火傷の跡は、モンスターからの攻撃とは思えない。それはゼートの魔法だった。
盗賊にでも襲撃されたのだろうか。しかし、やはりそれならば、自分が気付かないことがおかしい。そして何より、そんな金目のものに対して何より鼻の利く奴等が、一目でそんなもの等持っていないとわかる夫婦に向かうとは考えられない。それよりもよっぽど、灰を掘り返す自分達に金の臭いを嗅ぎつけるだろうに。
「……死んでた、のか?」
先頭を歩くガリアノは、無言で足を進めている。それに付き従うサクに、遠慮がちにリチャードが声を掛けてきた。その声音は、遠慮というよりは恐怖といった感情の方が強い。ガリアノの進む先には、遠くに深い森が見えている。
位置的に『ダチュラの森』だろう。集落があった場所から森までの道は、一本の街道が伸びるのみの見通しの良い平原だ。少し勾配があるのは、頂きの街への街道全てに共通している。
「……ええ。残念ですが」
取り繕うかと考えて、それから考え直して事実を伝えた。彼等も自らに迫っている危険には自覚が必要だろう。不必要なまでに不安を煽るつもりはないが、警戒心は必要だ。夜の闇がまるで、四人に追いつこうとするかのように深まっていく。
「モンスターか?」
サクの返答に目を伏せながら、リチャードが絞り出すように問う。だがそんな彼の姿よりも、サクはレイルの態度の方が気になった。彼女は静かに自分達についてきている。あまりにも、静かに。
「ええ、そのようですね」
盗賊ではない。ならばモンスターとしか、言えない。今は。サクの視線に、彼女は気付かないのか目を背けたまま。普段の彼女なら有り得ない。彼女は視線にも、悪意にも敏感だ。もちろん、疑いにも。
「血の臭いは更なる脅威を引き寄せますし、何より自分達にとっても良い影響はありません。夜間の移動に慣れる意味でも、申し訳ありませんが……」
そう言いながらサクは、頭の中で先程の光景を整理していた。夫婦はゼートの魔法で殺されていた。それは間違いない。だとすると、自分の後ろで歩く彼女には不可能ということになる。サクが見る限り、この二人には魔法の素質はないように見えたからだ。
魔力がその者にあるかどうかは、同じく魔力を持つ者から見たらある程度は感じ取ることが出来る。魔力が高ければ高い程、それは恐怖心や動揺としてまで伝わってしまうのだ。その感覚を信じる限り、この二人からはそういったものは感じ取れない。
「俺は大丈夫だ。レイルも、平気だよな?」
リチャードが後ろを振り返る素振りをした。それにサクも後ろを振り返る。愛しい彼女の、その表情を見たかった。心のざわつきを、いつもの悪い笑みで拭い去るために。
「……ああ、問題ねぇよ」
彼女の貫くような視線と目が合う。言葉だけは気のない返事。だがその瞳は、一点に――サクに注がれていた。その口元に、悪い笑みが浮かぶ。背筋が凍るような風が吹いた。
「サクが、守ってくれるんだろ?」
彼女の声に、微かな足音が混ざる。静かな空間に、永遠のような時が流れる。
「……申し訳ありません」
その瞳に蠱惑的な光が宿り、サクは反射的に腕を振り上げる。ガシャリと鋭い音を立てて、カギ爪を装備した腕を振り下ろす。