第二章
「さて、この世界の伝承を話してやろう。子守唄代わりには丁度良いだろうて」
そんなことを言いながらガリアノは、リチャードにこの世界の伝承――水神ビスマルクの伝説を語ってくれた。
水神ビスマルクは大きなクジラの姿をした神様で、普段は海の底からこの大陸を見守ってくれているらしい。何か大きな争いや、天変地異でもない限りは、その姿を見ることすら叶わない。生命の源でもある水を操る術を持ち、それこそまさしく神の御業である。
話を聞くだけでは眉唾物の都市伝説レベルの話だが、この世界の神様はちゃんと実在しているようだ。旅の最終地点である『頂きの街』には、この水神を祀った祠があるらしい。そこで魔力のこもった霊石――ガリアノは簡単に『魔法の石』と言っていた――を捧げれば、その魔力に反応し姿を現すというのだ。
そしてその神は、霊石を納めた者を称え、ひとつだけ願いを叶えてくれるという。実際、過去に何度かその願いは実現されているらしく、この大陸が海に囲まれたまま長年の平和を甘受していたのも、一説には古の時代の願いが関係していると言われているらしい。
「水神様ならこの世界の危機にも気付いているはずだ。オレ達が願えばきっと叶えてくれるさ」
そう言ってガハハと笑うガリアノの瞳は真剣だった。獣避けというよりは灯りのために灯した焚火が、彼の鮮やかなオレンジがかった瞳に溶け合い、より一層強い意志を伝えてくるようだった。
水神を呼び出すには相当な魔力が必要で、その魔力を供給するためにいくつかの霊石が必要なのだという。
霊石は、その中に莫大な魔力を注ぎ込まれたことにより変異した鉱石だ。自然界で精霊や野生動物の意思により生成されたものもあれば、人の手によって人為的に作り出されたものもあるらしい。
自然に生成されたものを探し出すのはとても難しく、ほとんど偶然の産物になってしまう。そこでガリアノ達は、人為的に作り出したものを頼りに巡っているようだ。
人為的に作り出すと言っても、その工程は並大抵のものではない。そもそも霊石という存在は、武器を作る過程での副産物だった。
金属を削り、魔力を込めて作成される武具。例えばそこに込められた魔力が莫大だったとする。するとその金属はもう、形状すらも留められない程の魔力を有し――霊石となる。
霊石は全てが等しい姿をしており、まるで雫のような形を“勝手に”形作るのだという。これこそがかの神を『蒼海の王』と言わしめる所以とも言える。
莫大な魔力は人知を超えた量だからこそ“莫大”なのだ。人為的と表現は出来ても、それを意図して作成することはほとんど不可能だった。
「だいたいこの世界の腕の良い鍛冶屋は、その段階で引退するらしい。自らその階段を超えてしまわないようにな」
「良い武具を作ろうとするあまり、その魔力に憑かれてしまうんだな」
「まぁ、これも伝承のうちと言えばうちなんだが」
「だったらこれも、噂程度ってことか?」
「そうだ。だが、武具を作る過程で金属に魔力を込めるのは本当だ。魔力による熱により、形状を形成していくからだ。そして一般の工程では、出来上がった武具に魔力が残ることはない。だからお前さん達の武器は特殊なんだ。魔法の石を生成する程の魔力はこもっていないがな」
そう言いながらガリアノは、その逞しい腕から自身のカギ爪を外して見せてくれた。訓練の時から目にしていたが、本当に同じ武器の類と一緒にしては恐れ多い程の重量感だった。おそらく模した生物の種類すら違うような気がする。
「オレの武器は見た目通り、その重さで敵を断ち切ることに特化している。そしてサクの武器はアクト専用に作られた特注品で、毒の魔力をそのまま敵に注入する形状をしている。だから掠っただけならオレよりも、サクの攻撃の方が重傷になる」
「俺から言わせたら、ガリアノの一振りを掠っただけでも、脳震盪ぐらいはしそうだけどな」
敵に対する本気の二人を、リチャードはまだ見たことはなかったが、想像すること等容易い。得物を手に勇敢に、そして獰猛に狩りを行う獣となるに違いない。頼もしい、その姿。月明りに照らされた大きな影がガハハと笑い、揺れる。
「避けられたこと等ないさ! お前さん達の前で無様な姿等見せん! ……おっと、あまり大きな声だと、お嬢さんが起きてしまうな」
悪い悪いとわざとらしく声量を落すガリアノに、リチャードもつい笑ってしまった。親の年代程は離れていない、一番近い年齢差で学校の教師ぐらいだろうか。それくらい歳の離れた男性とこんなに親密に話す機会がなかったリチャードにとって、ガリアノの話は心底楽しいものであった。
この世界のことを何も知らないということもあるだろう。だが、それを差し引いても彼の話術というか、見識の深さに基づく“子守唄”は、赤子同然のリチャードに知識と安心を充分に与えた。
何より、豪快かつ気さくな彼の性格が、リチャードにはとても接しやすかった。太陽を体現したかのような彼の“影”には、少しばかり苦手意識が勝ってしまう。
「レイルは多分、ゆっくり寝てるよ」
昨夜の彼女の様子を思い出して零した言葉に、自分自身でどきりとする。確かに彼女はすやすやと眠った。この自分自身の腕のなかで。確かな愛情を確認した後に。一気に顔に熱を帯びた感触を自覚するが、どうやら月明りはそこまで鮮明に照らし出してはいないようだ。
呆れ気味とも取れるリチャードの言葉に、ガリアノは意外にも大真面目な表情で頷く。
「どんな環境でも眠れる時に眠る。あのお嬢さんはそれを、意識的に行えるんだろうな」
「……え?」
「……お前さんは、あのお嬢さんは“普通”だと思うか?」
先程と変わらぬ表情で、ガリアノはリチャードを見詰める。それにリチャードは言葉に詰まった。わかっている。ここで言葉に詰まるのは、動揺であり肯定だ。
「……俺の物差しでは、きっと……違う。特別な……天才だと思う」
天才。彼女を中学時代から知っている者達は皆、彼女“達”のことをそう言った。彼女達――即ち悪友達だ。存在すら疎ましい、羨望する存在だ。
成績優秀、スポーツ万能、何をやらせても常人の域から抜きん出た評価を叩き出す、類稀なる美貌で、しかも金持ちの息子。
そして何よりも美しい、運動神経抜群で勉強においても天性のカンを持つ彼女。あとの一人は確か、多少運動が出来るぐらいで普通だったが。
「オレから見てもそう思う。普通のお嬢さんならば、きっと今日とて泣き腫らした顔のままで、武器を振るうまでは出来ないだろう。ましてやあんな、外の空気を防ぎも出来ない場所で眠る等な。だが、きっと……あのお嬢さんには、そんなことは関係ないのだろうな」
「……関係ない?」
なんのことか話が見えない。リチャードが続きを促すために尋ねると、ガリアノは静かに言葉を続けた。月明りの下微かに流れる冷たい風に、その言葉はかき消されそうな程だった。
「目的のためならば、その他のこと等どうでも良いということだ。あのお嬢さんにとって元の世界ってのは、相当大事なようだ」
「……それは、俺もそうだ」
少し間を開けて同意したリチャードに、ガリアノが訝し気な視線を送ってきた。それに敢えて気付かないふりをして、リチャードは元居た世界とは違う輝きを放つ月を見上げる。その柔らかい光に、静かな優しさを感じながら。
「オレ達は、救われるために旅をしている……」
まるで独り言のように続けられたガリアノの言葉を、静かに心に刻む。目を閉じ、その意味を深く深く落とし込む。
「救うべきモノを、お前さんは間違えんようにな」