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第二章


 この世界で三回目の夜を迎えた。
 一度目は心細い気持ちを隠しながら二人で迎えた。そして二度目は暖かいベッドで。二人の体温を、不安を、恐怖を分け合った。
 そして三回目の今日は、正真正銘初めての野宿だった。初日に経験した、ほとんど眠ることの出来ない休憩の延長のようなものではない。これこそが本当の野宿だった。
 リチャードの目の前には暖かい鍋が火に掛けられ、その後ろでガリアノが慣れた手つきで木々の葉を束ねて、即席のテントのような雨避けを作っている。その大きな影がまるで、今夜の身の安全を約束してくれているかのようだ。
 四人は当初の予定通り、森の入り口まで来たところで野営の準備を始めた。慣れた手つきの冒険者達には、本当に学ぶべきことだらけである。
 ガリアノに倣いながら食事の準備――簡単な鍋もので、味付けは少し辛めの味付けだろうことが赤い色合いから判断出来る――を進めるレイルの横で、リチャードはだいぶ匂いのとれた肉を食べやすいように引き裂いていた。
 この世界にはナイフやフォークといった食器の類は無い。獣のような手にそれらがどうにも馴染まないのは、獣人としての経験がまだ浅いリチャードでもわかる。敵を攻撃するにはとても機能的なこの身体は、その分何かを器用に持つことが出来ない。
 自然と鍋料理は少し冷めてから食べるという暗黙の掟になっているらしく、中の具材もほとんどがこの肉で、おそらく味にレパートリーを増やすという理由のための料理であろう。スパイスが効いたような匂いを発する鍋を覗き込み、リチャードは自分の顔に笑みが浮かんでるのを自覚する。
 人間というのは、『生』を実感すると喜べるのだ。生き物として極当然のその目的意識がきっと、元の世界にいた時には欠落していた気がする。今までの人生で『生きるために食う』なんて、考えたこともなかった。そんなことよりも、それ以外のもっと小さな雑音ばかりが気になって仕方がなかった。
「ちょっと辛そうな匂いだけど、大丈夫か?」
 黙々と言われた通りに鍋に味付けをしていたレイルに声を掛けると、彼女は予想に反して穏やかな笑顔で返してきた。
「ああ、これくらいなら大丈夫そうだ。ちゃんとガリアノが加減を教えてくれてよ。どうやらこの鍋はちょっと辛みがあるくらいが丁度良い味なんだと」
 そう言いながら彼女は、近くから摘んできた草を鍋に入れてかき混ぜる。赤みのある鍋に緑が広がり、その色合いだけでもその味を期待してしまう。
「この草はこの世界に広く分布している種類で、魚だけじゃ足りない栄養をこれで補っているらしい。でも少し苦みが出ちまうから、それを辛さで誤魔化すんだってさ」
「栄養って聞くと、いきなり現実に引き戻される気分になるな」
 現実的なその言葉に苦笑していると、作業を終えたガリアノが豪快に笑いながら会話に加わった。
「人は食った物で身体を作るからな。お前さん達はまだ若い。なんでもしっかり食わんとな」
「異世界で栄養不足で病気になって死んじまうなんて、笑い話にもなんねぇな」
 うすら寒いことをニヤニヤ笑いながら言うレイルには、相変わらず溜め息しか出ないが、彼女のその言葉には少しずつではあるが棘がなくなりつつあるような気がした。
「ところでサクは?」
 リチャードは辺りを見渡して、姿の見えないもう一人を尋ねる。付近に昼間と同じく獣避けの毒を仕掛けてくると言っていた彼だったが、そんなに遠くまで張り巡らせているのだろうか?
「サクならすぐ近くにいるぞ。獣避けの毒は少しでも隙間があると効力が薄くなる。毒を撒くにも魔力を消費するから、その範囲は出来る限り狭いに越したことはないからな。なーに、お前さん達のようなひよっこ冒険者には、サクの姿を捉えることは出来んて」
 ガハハと大きく笑うガリアノは、心なしか自慢げだ。旅の同行者を褒められたのだから当然か?
「ひよっこで悪かったな。鍋ももう出来てるんだ。手本を見せてくれよベテランさん?」
 レイルが挑発的に微笑む。それにガリアノはやれやれと肩を竦めて見せてから、レイルの後ろの空間に向かって声を掛けた。
「ひよっこがお前さんの姿が見れないと不安なようだ。毒撒きは終わったか?」
「既に終わらせて、付近の偵察から戻りました。獣の群れもなく静かなものです。今宵は、何も問題はないかと」
「……だそうだ」
 ガリアノの目線の先――木々の間の闇から、まるで溶け出るように出てきたサクの姿に、リチャードもレイルも目を剥いた。全く気配等感じさせないその動きは、猫というよりも闇そのもののようだ。
「……ワザとじゃねーよな?」
 レイルが小さく呟いたが、今回ばかりはリチャードも頷きそうになってしまった。心臓に悪い登場の仕方は、出来るなら今後は控えてもらいたい。
「さぁ、メンバーも揃ったところで飯にするぞ!」
「偵察中もこの匂いに惹かれていました。とても美味しそうですね……あ、もちろん毒を撒いたので、匂いに獣が釣られるようなことはありませんのでご安心を」
 あくまで丁寧にそう補足するサクに小さく笑いながら、リチャードは自分の荷物入れから人数分の容器を取り出した。木製の皿だ。不器用な獣人が手作りしたことがわかる、なんとも“味わい深い”力作が四枚。
「また器を作らんとなぁ」
 そう。何を隠そうこの容器は、ガリアノの作だったのだ。ガリアノ用だと一目でわかる一際大きな黄色い皿に、それよりは小ぶりの黒い皿。そして残りの二枚は、本来は小皿として利用していたという白い皿だった。
「私はこの小皿で充分の量だけど」
「リチャード殿はそれでは足りないでしょう。加工のしやすい木が見つかったら、すぐにでもお作り致します」
 それまではすみません、と付け加えるサクにお礼を言いながら、一瞬頭を過った考えは口には出さないでおいた。決して――決して『サクに作ってもらった方が、多分食べやすい皿になるだろう』なんて思ってはいけない。
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