第二章
街の外には見渡す限りの平原が広がっていた。
緑一色の大地に一本の石造りの街道が伸びており、その先端は遠い森の方に消えている。
リチャード達が入って来た側とは反対側の、この島――ガリアノ達は出会った当初は『世界』や『大陸』、『島』といった表現を持ち合わせていなかったが、陸地の端から端までの距離感的に島だと判断した――の中心に向かう側の門から出る。
開けっ広げられたその門に、外敵の侵入を防ぐといった用途は見受けられず、本当にこの先に危険なモンスターの類がごろごろしているのか疑問に思える程だった。
「有事の際は、ゼートの魔法によって入り口を封鎖してしまうのですよ。彼等もそれを学習してか、ほとんど街中までは侵入してくることもなくなりましたし」
疑問を口にしたリチャードに、サクが丁寧に答えてくれる。
「だが、街道は別だ。街の外は奴らの縄張り。遠慮なしに襲ってくるぞ」
ガリアノがガハハと笑い、辺りを見渡して頷いた。
ここは街から少し離れた街道のすぐ傍、広いなだらかな平原のど真ん中で、辺りの見通しも良好だ。ここなら不意打ちといった心配はないだろう。
「よし、ここらでお前さん達の武器の訓練を行う。敵の気配もなさそうだからな。サク、干し肉を日干ししておけ」
「わかりました。念のため、周囲に獣避けの毒を撒いておきます」
「それが良いだろうな。頼む」
「御意」
ガリアノはそう指示しながら、サクに肉のたくさん詰まった袋を手渡す。リチャードの荷物であったそれは、今は完全に保存食入れと化していた。元から入れていたリチャードの服は、ガリアノが背負った袋に一緒に入っている。彼は店から二人分の袋を背負ったままだったが、重そうな素振り等見えなかった。
袋を受け取ったサクが音もなく消える。そのあまりの早業に、リチャードだけでなくレイルも目を丸くする。
「アクトは元来、敵の虚をつく闘いを得意とする、闇に生きる種族だ。サクは、その種族の強さを高いレベルで受け継いでいる」
「うひゃー、アサシンかニンジャかと思ったぜ」
「あさ……?」
おそらくゲームや漫画の知識だろう。レイルが感心してあげたその言葉に、ガリアノは首を傾げた。日常会話は成り立つのに、こういった細かい言葉がたまに通じない。違う世代と話しているような錯覚を覚えて、よく考えれば年齢自体、けっこう離れているだろうということに唐突に気付く。
「暗殺者とか、そういう感じだよ」
リチャードの補足に、今度はガリアノが目を丸くした。
「お前さん達の世界にもそういった職業があるのかい? アクトは昔は正しくその通りの戦法を得意としていたらしいからな」
「私らの世界にも多分いるっちゃいるんだろうが、表沙汰にはなってねえな」
「フィクション……あくまでも物語の中での登場人物、というぐらいが一般的だ」
「つくづく、お前さん達の世界ってのは平和なんだな。喜ばしいことだ」
またそう言ってガハハと大きく笑う。そんなことをしているうちにサクが戻って来た。姿を消した時と同じく、音も気配すら感じさせない。見事な隠密行動だ。
「肉と毒の配置が完了しました」
「おう、では始めるか!」
にやりと笑ったガリアノが荷物の中からカギ爪を取り出す。彼の手のサイズに合わせたその爪は、まるでゾウの牙のような刃渡りと厚さを兼ねていた。見ただけで一撃で致命傷を与えるとわかる、荒々しいフォルムだ。
それを腕に装着し、ガリアノはぶんと両手を振り下ろす。すると、ガシャンという金属音と共に、その両手に刃が伸びて固定された。急激にリーチの伸びたその爪先は、もうこれから先は真剣勝負だと告げている。命のやりとりをする、ここはそういう世界だと。
「街中では武器の類は外すルールがあってな。街の外に出るまでは、誰も装着しちゃいかんのだ」
「街の者の目もありますので、街中では人目に触れないように持ち歩き、門を出てから装着するのが、暗黙の了解となっております」
「ま、どこの世界でも凶器をむやみやたらに振り回すのは、バカのすることだからな」
「さぁ、お前さん達も装備してみろ」
ガリアノが荷物の中から、リチャードの分を出して手渡してきた。それを武器屋での時と同じように受け取り、四苦八苦しながら装着していく。つけなれない感触に、恐怖心を覚える。それは『凶器を装着する』という不安感が拍車をかけているからだろう。
隣のレイルはリチャードよりは遥かに短い刃のためか、あまり苦労せずに装着を終えていた。
「上手くいったな? まずは腕を振り下ろす。すると指先にカギ爪が固定されて、それで戦闘準備完了。逆に腕を引くように振ると、爪の部分が腕まで上がって手先が自由になる。刃自体も腕には触れない造りになっているから、街の外では基本的にはこの状態で移動する」
「敵襲に応じてすぐに戦える状態です。食事や、夜眠る時以外には、この状態でお願いします」
「食事の時や寝る時って、やっぱり見張りみたいなのするのか?」
リチャードが聞きたかったことを、レイルが先に聞いてくれた。映画や漫画の世界では、寝ずの番みたいな描写がよくある。
「自分が周囲に毒を撒いておきます。それでも気配が消えそうになければ見張りを行います」
「サクの毒は強力だ。ほとんどの生物は、自身より強い気配のするものに近寄ることはないからな。だからお前さん達は心配しなくて良いさ」
「何から何まで、ありがとう」
本当に至れり尽くせりだ。心の底からの感謝。もう何度目だろうか。
「旅に誘ったのはオレ達だ。お前さん達にはせっかくだ。この世界を知ってもらいたい。あまり平和な場所ではないかもしれんが」
そう言ったガリアノの表情は、穏やかに微笑んでいた。その太陽のような暖かさに、リチャードは笑顔を返す。隣でレイルも、皮肉ではない笑顔を見せている。
「オレの周りくらいは、楽しくやれたらそれでいいさ」
ガリアノは食堂でも聞いた言葉を続ける。その言葉にサクも穏やかに頷いていた。