第一章
リチャードとレイルが身支度を整えて部屋を出ると、廊下の向こうにガリアノの大きな背中が見えた。
宿の宿泊料を払っているようで、ごそごそと例の貨幣を入れているのであろう袋が、少しではあるが萎んでいるように見える。
リチャードの胸を罪悪感がチクチクと攻撃してきたところで、こちらに気付いたサクが静かに手招きしてきた。
入口に程近い、簡素な作りのソファーがあるスペースで、彼はガリアノの会計を待っているようだった。どうせ会計が終われば出発なので、自然と三人は座らずに立ったままの形になる。
「宿代のことは気になさらないでください。あれでもガリアノ様は、世渡り上手なので」
優しい笑顔で先手を打たれてフォローされると、リチャード達としては素直にお礼を伝えるしかない。
「すまない。どこかで返せたら良いんだが」
「私もそれは思うな。どうもされっぱなしってのは気持ちが悪い」
隣で身震いまでして見せるレイルにサクは小さく笑って、それから彼女の背に背負われた荷物に目をやった。
「荷物は全て入りましたか?」
「ああ。服も全部入ったし、それなりにまだスペースも残ってる。ほんと、サクの目利きのおかげ」
レイルは昨日、服と一緒にそれを持ち運ぶための袋も買ってきていた。黒色の毛皮で作られたそれは、リュックのような形になっており、上部をヒモ状にした植物の繊維で縛ることによって、口を閉じる仕組みになっていた。
無地の毛並みは艶があり、見た目と機能性のバランスが素晴らしい。小柄な彼女の背中にその黒が、まるでアクセントのように感じられた。本当に、彼女に良く似合う。愛情の感じられる見立てだ。
「リチャード殿も、たくさん入って、尚且つ動きやすそうですね」
サクが瞳をこちらに向ける。背中の大きな袋は、真正面にいる彼からも問題なく見える程に目立つ。そこには彼女に対するような暖かみは見えない。だが、確かに親しみは感じられる。
「ガリアノ程じゃないけどな。でも、たくさん入るに超したことはないよ」
リチャードも昨日、ガリアノに言われるがままこの袋を購入した。たくさん入り、頑丈で、そして安価。三拍子揃ったその袋に見栄えなんてものはなく、まるで災害用リュックのように、機能性のみが評価されたデザインだ。
構造自体はレイルが背負っているものと同じだが、絞った後の見た目もどことなくデザイン性に欠ける。
「ガリアノ様らしいですね。貴方が背負うと、そんなものでも似合ってしまいますが」
細められたその目にリチャードは戸惑った。相変わらず白と黒の逆転した色合いには慣れず、彼の瞳に目を向けることを躊躇う。そんな些細な意識の躊躇も、きっと本人には気付かれているというのに。
「リチャードぐらいの顔と身長があれば、大抵のファッションはオシャレに見えんだよ」
隣からの、誉め言葉か悪態か判断し難い声に助けられた。思わず出た笑い声に任せるように、その勢いに委ねるように、笑顔を作ってサクを見やる。
彼は優しい笑顔でこちらを見ていた。愛しい彼女への目線とはまた違う。だがその親しみの籠った瞳に、リチャードも同じ気持ちを返す。
――俺達は旅の仲間なんだ。
そう、仲間なのだ。間に割って入れない“親友”達が相手ではない。共通の目的を持つ、仲間。そこに醜い嫉妬や劣等感は、必要のない感情なのだから。
会計を終えたガリアノが、リチャードの荷物に劣らない大きさの袋を背中に合流する。サクは服装と同じく荷物も身軽なようで、背負った袋は小さめだ。
「さぁ、まずは朝飯だな! 何か食べたいものはあるか? ここを出たらしばらくは、食い物の要望は聞いてやれないぞ?」
ガハハと笑いながら冗談交じりにそう言うガリアノに、リチャードよりも先にレイルが返事をした。
「とりあえず、少しは胃に優しいものにしてくれよ。絶対昨日から食い過ぎだ」
レイルの要望通り、この日の朝食は軽いものになった。
武器の調達のためにメインストリートを通りながら、そのついでに店先で売られていた魚――のようなものを四人分購入する。そのタイミングで、不自然にならない程度に会計の練習をさせてもらった。
リチャードは両手に持った貨幣と魚型の食べ物――カラグラというらしい――を交互に見やる。昨日の屋台で恵んでもらったものもこれと同じものだ。店によって細かい味付けが異なるらしく、昨日のものより匂いに甘みがない。
焼きたてのそれは、まるでパンケーキのようにふんわりとしていて、尚且つ食べ応えもあった。魚のすり身を練って作ったものらしく、焼き上げる時はゼートの光の魔法で熱した岩で挟みこむらしい。
一般的には軽食というか、むしろおやつに近い部類らしく、手軽に食べられるというのもありガリアノから提案されたのだった。値段も相応に安い。しかし、どうやら彼としてはこれを朝食に勧めたのは、別の理由もあったらしい。
「お前さん達はこいつを片手に、この世界で初めての悪意を目の当たりにしたわけだろう? そんな嫌な思いはすぐに、塗り替えてやりたいからなあ」
ガハハと屈託なく笑う彼には本当に感謝しかない。自分達でもそれがトラウマになっているのかなんて、考えつく余裕もなかった程だ。懐の深さを体現したような、大きな背中を見やる。
「ありがとう」
「お礼はもう充分、聞き飽きたぞ。冷めないうちにさっさと食え」
笑顔のままガリアノは、その大きな手でリチャードとレイルの頭をガシガシと撫でてきた。なんの遠慮もないその行動に、普段はあまりこういったスキンシップのされ方は好まない――彼女は自分からの悪戯は好きだが、逆は嫌いのようだ――レイルも大人しくされるがままだ。
小さく揺れる頭で、大きな安心感のもと朝食を平らげる。数本程度しか食べていないが、なかなか腹持ちは良さそうだ。昼過ぎには小腹が空きそうだが、街の外は危険が多いので、あまり満腹になって動きが鈍るのも得策ではないだろう。
「よし、腹も満たしたところで、旅の準備を整えて、昼までには出発するぞ。まずは武器、そして保存食の補給だ」
こちらを向いてにっと笑うガリアノに、小さく頷くサク。リチャードはその二人に応えるように頷き、隣の小さな手を握り締めた。