第一章
夕食は宿の近くの食堂で済ますことになった。
宿を出てすぐ、ガリアノに「お前さんらは好き嫌いはあるのかい?」と唐突に聞かれ、リチャードはこの世界に自分達の世界の食べ物があるのかと一瞬考えながら「甘すぎるものぐらいだ」とあくまで味つけのことだけを答えた。具体的な主語を出して通じるようには思えない。
レイルもそれをわかってか「私は逆に辛いものが食えない。作ったシェフを蹴りたくなるレベル」と言っていた。
二人の真逆の意見にガリアノは大笑いし、「それなら良い店がある」とほくそ笑んだ。サクもどうやらそれに心当たりがあるようで、あそこですねと穏やかに笑っている。
そしてこの店まで案内されたのだが、四人で席に着くなりガリアノは、メニューも見ずに料理名を一つ注文。どうやら大皿料理のようだ。
なかなか小綺麗な食堂で、客入りもそれなり。石造りの店内だが、ところどころに色を差したようなカラフルな模様が描かれていた。壁には所狭しとメニューの描かれたチラシのような布が貼り付けられている。
「数日前から自分達はこの街に滞在しているのですが、この店の大盛りメニューがガリアノ様は気になるようでして」
「オレが全部食うと言っても『四名様からの注文なんです』ときかなくてな。お前さんらのおかげで食えるってもんよ」
ガハハと笑い、ガリアノがその問題のメニューを見せてくれた。
大きな魚……まるで怪物のような見た目の緑色の怪魚が、腹を裂かれてそのまま盛られていた。およそ食欲とは無縁のそのグロテスクな見た目に、軽く吐き気すら感じる。
「……なに、これ?」
横から覗き込んだレイルが、なんとかそれだけ口に出した。
「ここより遥か上流の川に棲む、魚と竜の交配種です。見た目はまぁ……あれですが、味は保証しますよ。身が締まっているので、どちらかというと肉に近い食感です」
「味は良くても料理は見た目も楽しむもんだろ」
サクのフォローにレイルがすかさず噛みついている。だが彼女の言葉にはそれ程の悪意は感じられず、なんとなくだが、二人の距離感が近くなっているような気がした。
昼間と同じように四人掛けのテーブルに座っており、リチャードの隣はもちろんレイル。真っ正面にはガリアノで、レイルの正面はサクだ。
対面して座るサクに、レイルが身を乗りだしながら「この世界の美味い飯ってのは、全部豪快に皿を占領しなきゃならねーのか?」と絡んでいるが、対するサクの表情が昼間とは違い、随分柔らかいように思えた。
二人で買い物から帰って来た時から感じてはいたが、サクの表情の読みにくい瞳に、ほんの少しの暖かみが籠っているような気がする。サクの瞳がこちらを向いた。
「どうしました? リチャード殿?」
まるで機械を思わせるような落ち着いた、感情の見えない声。どうしても目をやってしまう特徴的な瞳の上で、男にしては長い睫がさりげなく主張する。
隣のガリアノと並ぶと本当に対照的な、線の細い中性的な美しさで、流れるような銀髪が褐色肌によく合う。所謂美形と言える鋭さを備えた顔つきは、常に憂いを宿したような色の瞳と相まって、すぐに壊れてしまいそうな芸術品を思わせる。
「いや、なんでもない。レイル、あんまりサクを困らせるな」
「なんだリチャード? 妬いてんのかー?」
席に座り直しながら、レイルがわざわざこちらに絡み付きながらからかってきた。間違いではないが、そういうのは人目がある時は止めて欲しい。彼女の数少ない嫌な部分の上位に入る。
「お熱いな、お二人さん。元の世界でもそうだったのかい?」
またガハハとガリアノが笑う横で、サクが顔を赤くしている。
「リ、リチャード殿、自分はそんなつもりはなく……っ」
「わかってるよサク。そうだな、確かにレイルは元からこんな感じだったし、今更妬くことじゃないか」
「彼氏だったら本気とからかいの違いぐらいわかんだろ?」
ニヤリと隣で悪びれなく笑うレイルを軽く小突きながら、リチャードはチクリと痛んだ自分の胸には気付かないふりをした。蓋をしたいから、なんてこともないように話す。
「元いた世界ではデートも出来なかったし、これがデート代わりだと思うことにするよ。この世界なら親友もいないんだし」
あくまで笑い話のようにそう告げる。そう、これは笑い話だ。
彼女だって、そうだろう。なぁ、そうだろう?
「……あぁ。そうだな」
思っていたようなノリで返って来なかったその言葉に、彼女の方を見ることが出来なくなった。
一瞬で冷たくなった空気に気付いたのか、サクは静かにレイルを見詰めていた。その少し細められた瞳の中の彼女の姿を見たくなくて、視線を正面のガリアノに向ける。
強い瞳と目が合った。なにかを言いたげなその瞳。だが固く結ばれた口元から言葉が落ちることはなく、ただこちらの反応を見て――違う、見守られている。
唐突にそう気付いた時には、彼の表情に笑顔が浮かんでいた。
「お前さんには強い意志がある。ゼートには強き意志を尊重する風習がある。オレもそうだ。お前さんらのこと、オレは気に入った。旅の安全はオレ達に任せて、今はしっかり腹を満たせ」
ガリアノの言葉には、何故だが人を引っ張る力があるようだ。原動力になるような、そんな強い力――意志。リーダーシップ、統率力。表す言葉は沢山あるのだろうが、その存在感の強さが、こんなに心を安心させるものだとは思わなかった。
隣のレイルを見ると、彼女も同じように安心したような笑顔をしていた。
先程の冷たい空気はもうない。彼女の纏う空気が軟化し、リチャード自体の緊張も解けたからだろう。こちらを訝るような視線をサクからは感じたが、それはきっと俺達の――いや、俺の抱える彼女への不安等知る由もないからだろう。
文字通りの大盛りの魚が運ばれてくると、四人の食卓は自然と和気藹々と進んだ。皆を光へと引っ張る太陽をガリアノだとすれば、闇夜を彷彿とさせるサクは月だなと、くだらないことを考えながら。