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第一章


 目の前で職人が呪文を呟くと、リチャードの両手を光の粒子が包んだ。
 痛みや熱さは全く感じず、だがチリチリと細かく爪が削られている感覚だけは伝わってくる。爪を鑢に掛けられているような、なんとも言えない感覚を味わいながら、リチャードは視線を職人から部屋の内装に移した。
 儀式のための間だと通されたこの空間は、対面式の机と椅子があるだけの殺風景な小部屋だった。天井から吊るされた光源が、頼りなく揺れている。温かい光を放つその石のような塊は、まさしくゼートの魔法の産物だった。
 ガリアノが待っている店内とは、扉一枚しか隔てていない。それなのに、一気に何かの濃度が増したと感じさせるこの空間は、職人曰く『儀式のために魔力を高めている聖域』らしい。
 これがゲームやコミックでいう“魔力”ってやつかとリチャードは考え、静かに目を閉じた。視界を閉じると重圧をより強く感じることが出来た。生命の源、命や魔法を生み出す糧。
 それはつまり生きることに直結している力だった。元の世界で生きる力を強く実感したこと等なかった。だが、この世界では、その力強さがハッキリと自覚出来る。自分のなかに息づく燃えるような力の本流も、隣の部屋で待っている大男の強大なそれも。
「終わりました。お疲れ様です」
 職人がそう告げて、両手の自由が返ってきた。
 光から解放された両手を見ると、爪は見事に切り揃えられ、これまで感じていた指先への不安感が消えていた。これなら蛮族と言われることはないだろう。
 安心して席を立ち、職人の後を追う。
 扉の向こうでガリアノは、静かに腕組みをして待っていた。ただ待っているだけの姿勢だが、大男の彼から滲み出る迫力は相当だ。職人はやや怯えた様子で金額を提示している。可哀想に。
 その様子に彼が大笑いしたせいで、職人は一層萎縮してしまった。本当に可哀想だった。






「さて、次は服だな。お前さんの好みは知らんから、ここから選べ」
 儀式の店から少し歩き、洋服店が立ち並ぶところに着く頃には、陽が傾き始めていた。元の世界と何ら変わらない夕焼けの景色に胸を打たれながら、リチャードは目の前の店の品揃えを見比べる。
 この世界の流行り等はわからないが、店によって特色が違うことはわかった。動物の毛皮を主にしていることは変わらないが、細かい部分で植物を使ったり鉱物を使ったりといった一手間があるようだった。
 店の前の看板の数字を見る限り、どの店も値段帯は同じようなものだ。単位は知らないが、少なくとも並んでいる値段の形や数は同じだった。
 とにかくつっ立っていても何も始まらない。店の一つに入る。
 どうやらファッションに拘りのなさそうなガリアノは、全てをこちらに一存するつもりらしい。少しぐらいアドバイスしてくれても良いのに。この世界での常識がわからないのは、とても怖いことだ。
 店を決めて、意も決して入店すると、お財布係のガリアノも付いてきてくれた。それだけのことでも少し安心している自分にうんざりしながら、店のイチオシらしい服を手に取ってみた。
 やや薄い茶色の毛皮だ。薄く造られた外装で、これさえ着ていれば元の服を下に着ていても目立たなさそうだ。
「なかなか良いな。それはここら一帯に生息する小動物の毛皮だ。軽いし水も弾く。旅にはぴったりだな」
 横からガリアノが解説してくれた。なるほど。ファッションは今まで見た目だけのものだったが、この世界では旅の機能性も必要なのか。確かにそうだ。
「それを軸にするなら、あとは爪や牙を通しにくいこっちの生地を下に着ろ。お前さんらのことはオレ達が守るが、万が一ってこともあるからな」
 隣の棚から数枚を取り上げたその腕に、大小様々な傷を想像し寒気が走った。
 そうだ。街の外に出たら、そこからは命のやり取りが始まるのだ。ガリアノが選ぶ服を手渡されるまま抱える自分の姿が鏡に映り、それが酷く滑稽に感じられた。
 店に入るその瞬間まで、見た目ばかり気にしていた自分自身に嫌気が差した。こんなことでは守れないだろう。大切な女性を。強くならねばならない。守られるだけではいけないのだ。






「なぁ、これなんてどうだ?」
 そう言いながら試着室から姿を見せたレイルの姿を、サクは直視出来ずに黙り込む。
 衣服を買いに店に向かったまでは良かったが――彼女の勘の良さは凄まじく、値段的にもリーズナブルで旅にも向いている比較的ラフな服装が揃っている店を、しっかりと嗅ぎ分けていた――何種類かの服を手に取るや、自分を相手にファッションショーを始めてしまったのだ。
 街の外では戦闘もある。出来るだけ彼女の美しい身体に傷をつけたくなかったので、牙や爪を通しにくい、それでいて着心地の軽いインナーや上着を選んでやった。だが、下着まで選ぶなんてことは想定外だった。
 動きやすい部類の服装が主のこの店には、同じく下着も数は少ないながらも売っていた。それを彼女は、何の躊躇いもなしに試着室に持って行ったものだから、こちらとしては気が気ではない。
 恥じらいを持った女性ならまだしも、彼女はそういったことを面白がっているフシがある。
 試着室とこちらを隔てる、植物性の繊維で編み込まれたカーテンが心許なく揺れる。足元の開いた隙間が、余計に艶めかしく思える。
 彼女の足元に、未知なる加工によって作成された布地が落ちる。違う世界の技術で作られたそれらは、そちらの流行等が何もわからない自分からしても、彼女によく似合っていると感じていた。
 服を手に取って選んでやっている時に彼女は言っていたが、向こうの世界では服は身を守るための装備ではなく、お洒落を楽しむためのアイテムなのだという。身分や考え、人となりといった情報を、身に纏うことで発信しているのだと。
 ぴったりと身体のラインを出していたインナーが脱ぎ落とされ、一瞬その姿を夢想してしまう。一気に頭が真っ白になってしまいそうになり、慌てて違うことを考える。
 彼女の……そうだ! 彼女が怪我をしないように、護身術を教えてやらないといけない。あの綺麗な身体に傷がつくのは……いや、そうじゃなくて。
「サクー?」
 反応がないことに気を悪くしたのか、少し不機嫌そうな表情のレイルと目が合った。まずい。この表情の女性は、魔物以上にタチが悪いのを知っている。
「に、似合っていますよ……」
 白い毛皮を羽織り、薄い繊維で編み込まれた黒のインナーに身を包んだレイル。細身な体格に良く似合う可憐なシルエットに、赤と白が織り成すグラデーションが映える。
 旅人というよりは、まるで踊り子のような印象になった彼女の姿に、サクは思わず息を呑んだ。彼女以外にはここまで着こなせない。そう思わせる彼女の魅力。気付かないふりは出来そうもない。
「……本当に、お綺麗です」
「ありがとう」
 まるでそう言われるのが当然のように――いや、おそらく彼女にとっての日常はそちらなのだろう――彼女は微笑んだ。
「下着も着けてみたんだけど、見る?」
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