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本編


 広い暗闇では何もなかった。二人は何事もなく空間を抜けて、壁になっていた坑道に到着した。
 しかし――
「何で壁が開いてんだ?」
 周りを警戒しながらレイルが悪態をつく。彼女の目の前では、前回見た時には動く気配すらなかった壁に、大きな隙間が出来ていた。
 体格の良い大人でも、余裕を持って入れる程の隙間だ。こちら側としては万々歳だが、腑に落ちない恐怖がある。
「この際、そういうのは無視してプラスに考えよう」
「罠……かもな」
「まさか」
 慎重に、ルークが先行して中に入る。奥まで光が届くように万遍なく見渡す。
 その空間は、何かの儀式を行う場所のようだった。何故か部屋の壁の役割をする土が、ぼんやり青く光っている。ライトの光がいらない程の神秘的な光量に、二人は動きを完全に止めてしまっていた。
「なんだここは?」
 シンプルな問いを口にするルークに、レイルは返事すら忘れて部屋を見回しているようだ。
『資料の通りなら……』
 無線からロックの興奮した声が流れる。
『その部屋にコヅチがあるはずだ』
 その言葉に誘われるようにして、二人は部屋の奥――祭壇のような場所に足を進める。
 二人の目に、“それ”はほとんど同時に飛び込んで来た。美しく金色に輝く木で出来たコヅチが、祭壇の上で柔らかい布に包まるようにして鎮座していた。
「ロック……これか?」
 ルークは確かめやすいように、わざとライトで照らしながら問い掛けた。横でレイルが生唾を飲み込む気配がした。この物質からのプレッシャーが相当なものなのは、ルークにもわかる。
『そうだ。それだ』
 低く、しかし確実に興奮しているロックの声に、地下班の二人もテンションが上がる。
「こういう時は慎重に、だ」
 そのままコヅチに触れようとしたルークを宥めて、レイルはそっと辺りを調べ始める。
『何かあるか?』
 ロックも幾分落ち着いた様子で、二人の返事を待っている。ルークも二人に倣うようにコヅチの近くに目を走らせ――何か文字のようなものを発見した。
 それは祭壇の横側に書かれており、少なくともルークの知っている言語ではなかった。カクカクとした全体的に四角いものと、柔らかい曲線が多用されたものが入り混じっている。
『――血の贄を供えよ』
 普段よりも更に低いロックの声が無線越しに流れ、ルークは一瞬違う人間が喋ったかのような錯覚に捕われた。あまりに現実離れした台詞に、頭が上手く回らない。
「何、言ってる?」
 ルークは無線機に、当然の問い掛けを返す。
『それはジャパニーズの言葉だ。カンジとヒラガナでそう書いてある』
「血の贄……生贄か? ますます遺跡くせえな」
 レイルもこちらに近付きながら、覗き込むようにして復唱する。
「生贄のための祭壇……?」
 ルークも自身で復唱しながら、その言葉の意味を頭に浸透させる。
 そんな時、祭壇の両端の部分が目に止まった。ルークは何気なく近付いてみる。そこをよく見るうちに、ルークの脳裏に浮かんだ意味が、だんだん現実味を帯びていく。
 その両端には、人間を一人ずつ拘束するための手枷のようなものが付いていた。両手両足の部分に意図的――この場合は効率的と言うべきか――に、枷が付いている。少しひん曲がったように歪んだ枷には、無機質の冷たさがこもり、小柄な人間が丁度、大の字に拘束されている想像を掻き立てる。
「……動物用、じゃなさそうだな」
 レイルが小さく呟く。
『人間も、大きく分類したら動物だぜ?』
「それにしても小さいな」
 言葉を無くしているルークとは違い、レイルとロックは冷静に状況を分析していく。
「大人が対象じゃなさそうだ」
『対象年齢は十歳以下くらいか?』
「これに拘束される光景は、どっちかっつーとアダルトな方向性だがな……コヅチを使うには人間の子供が必要なのか?」
 レイルが恐ろしい可能性を事もなげに言った。
「そんな……」
『考え過ぎるなルーク。とにかく手掛かりが少ない。他に読めそうな文字はないか?』
 相変わらず冷静なロックに、ルークは少し安心する。ライトでしっかり照らしながら、見落としがないか祭壇をゆっくりと調べる。
「……あっ!」
 横に長い祭壇の下――床の部分に長い文章が記されている。
『……明かりが足りない。青の照明だと影で見にくいな。レイル! 右側を照らしてくれ』
「りょーかい」
 床の広い部分を埋める長文は、二人掛かりで照らして丁度良い光量になった。
『読むぞ……二つの血の贄が眠る時、コヅチ握りし者の理想は現実となる……』
「眠る時……死ぬのか?」
 腕組みしながらレイルが呟く。
『待て、まだ続きがある……理想は儀の空間を支配する……異なる地には強き支配は至らず……』
「終わりか?」
『ああ』
「ギとかイとか、難しい言葉だな」
 ルークは溜め息をつきながら床に座り込む。これなら歴史の授業の方がまだマシだ。
「ここに眠る二人は死ぬのか?」
 レイルが先程からの疑問をもう一度口にする。しかし答えられる者はいない。
『とにかくそれは後回しだ。それ以外は仮説が成り立つ』
 無線機から響くロックの声は自信に満ちている。地下にいる自分達にはわからないが、きっとパソコンや資料を引っ掻き回して立てた仮説だろう。
『おそらくそのコヅチには、願いを叶える力がある。しかしそれには二つの条件がある。まず一つは、願いを叶える対象がそこにいないといけないってことだ。文面を見る限り、小さな願いは遠くても大丈夫みたいだが、大きな願いはそこにいないといけないらしいからな』
「身体を治すのは大きいか? 大金持ちや世界征服、不老不死よりは全然現実的じゃね?」
 口を尖らせながらそう言うルークに、レイルが呆れた口調で反論する。
「今の時代より昔の方が医療は貧弱だ。恐らく古代の産物のこのコヅチに、今でも難しい身体の治療が小さなことってのは有り得ないだろ。だよな? ロック先生」
 教科書を読み終えた優等生のような発言に、ロックは肯定の笑い声で応えた。
『そういうことだ。拗ねるなよルーク。とにかく僕も行った方が確実で、それは難しいことじゃない。問題は、もう一つの条件だ』
 そこでロックは一呼吸置いた。彼の呼吸の音が無線機越しに聞こえてくる。緊張がルークの全身を包んだ。
『血の贄……つまり生贄が二人必要ってことだ。これは文面だけじゃどうなるかわからない。死ぬのか、何か他に代償があるのかも、だ』
「……普通なら死ぬよな」
 レイルが何かを考えるように言った。一瞬嫌な予感がして、ルークは彼女を見る。
 レイルの視線は、入って来た坑道の奥に注がれている。彼女の口元に広がる笑みを見て、ルークは思わず声を掛けた。
「おい、レイル――」
『――お前ら、急いでこっちに戻れ!!』
 しかしそんなルークの葛藤の末の言葉は、無線機から飛び込んで来たロックの怒声によって掻き消された。
『警察が家宅捜索に来た! ちくしょー! レイル、何か聞いてないのかよ!?』
「なんだよそれ!! 私は知らない!」
 目を丸くするレイルからは、嘘をついている様子はない。第一、嘘をつくメリットもない。
「とにかく、急いで戻ろう」
 ルークは戻りながらレイルの手を引く。彼女もすぐにルークの後に付いて走り出した。そのまま真っすぐ、二人で広い空間を走り抜ける。
 前を向いて焦るルークとは違い、レイルは左の方向を凝視していた。頭の上のライトは、彼女の顔の向いた方向と同じ場所を照らし出している。
 漆黒の闇が広がる奥行きのある空間。自分達の出す足音で、他の雑音は掻き消されていたが、彼女の目ははっきりと、光に照らし出された影を見ていた。四本の――二対の人間の足が、光から逃げるように走り去った。
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