本編
コンコンコン――
自分では静かにノックしたつもりだが、明らかに焦ったリズムで叩いている。そうわかっているので、レイルは部屋の主の返事も待たずにドアを開ける。
トレインは仕事部屋にも鍵を掛けない性格だ。仕事用のデスクと棚しかない父親の部屋。夫婦の寝室に事件の資料を置く訳にもいかないので、自然とこうなった。窓とドア以外の壁面を埋め尽くす棚には、昔のものから現在進行中のものまで、沢山の事件の資料が並べられている。
「どうした? レイル」
父親はデスクから立ち上がり掛けた中途半端な姿勢で止まっていた。レイルがドアをノックしてから二秒弱。普通の運動能力なら妥当な線だろう。
そんな父親は無視して、レイルはズカズカと部屋に侵入。すぐに、父親とデスクを挟んで対峙する位置まで到達する。
力いっぱい机を両手で叩く。その衝撃で机の上の資料が散らばった。
「……母さんの薬、変わったなんて知らない」
部屋の前まで沢山言いたいことを考えていたのに、絞り出すようにして出た言葉は、子供じみた拗ねたような台詞だった。
「レイル……」
父親はレイルの次の言葉を静かに待っている。短い黒髪の下で、同じく黒い瞳がこちらを見据える。その視線に、レイルも少し落ち着きを取り戻す。
思わず視線を下に向けると、資料――事件現場の写真が目に入る。死体らしい女性の白い腕と、銃弾の跡がアップになっている。
「母さん、また悪くなった?」
写真に目を奪われながら、病的なまでに白い母親の腕を思い出す。ほんのちょっと前までは、あそこまで血管が目立つこともなかった。
「身体が前の薬に抵抗を持つようになったらしい。新しい薬だけど、強い薬になった訳じゃない」
「ほんとに?」
「ああ。違う会社の、ほとんど効果の変わらない薬らしい。ただ、副作用でかなり眠くなるらしいがな」
父親の宥めるような声に、悔しいが涙が出た。安心から涙が止まらないレイルを、トレインは優しく抱き締める。
「母さんは重い病気だけど、いつも幸せだって言っている」
レイルが頷くのを確認し、トレインは目頭を押さえた。
歓迎会が終わり、レイルは父親と共にさっさと帰ってしまった。両親共に仕事の都合で来れなかったルークも、付き合いで残るのも面倒だったので、打ち上げには参加せずに真っ直ぐ帰宅した。
家に帰ると両親はもう帰って来ていた。この街では少ない建築士として、共働きで仕事を請け負っている。
「お帰り。明日の休日はどうするんだ?」
リビングに入るなり、父親が声を掛けてきた。今日が歓迎会だということはわかっているが、まさか息子が、ちょい役とはいえ出演したとは思っていない口ぶりだ。
「明日と明後日は歓迎会の振替休日だから、ロックのとこに泊まりがけで行ってくるよ」
「またクロードさんのところか? ちゃんと宣伝もしといてくれよ」
本気か冗談かわかりにくいことを、父親であるマーカスが言う。
「マーカスったら、あんな高級住宅、やったことないでしょ」
キッチンで夕食の準備をしていた、母親のシーラが会話に加わる。
「確かにやったことないが、正直……この街の神童であるクロードさんと関わりたいだけだな。話したことがあるのが我が家では、この馬鹿息子だけってのが、どうも気に食わない」
「それは確かに」
二人してゲラゲラ笑う両親に、ルークは呆れる。
「そんなに品が無いんだから、会わない方が良いって。空気からして上流階級だから」
拗ねたように口を尖らす両親を見て、ルークは一瞬幻想に思いを馳せる。
自分によく似た両親――二人共よくある短い黒髪、ルークとほとんど変わらない頭に、現場に赴く仕事人らしいラフな服装。自分を構成した環境を、親友に見てもらいたいという気持ちはあった。