本編
夜八時。最終演目であるOB会による花火大会が終了し、ようやくお祭り騒ぎに終わりが見えた。皆が皆、明るい笑顔を振り撒く中、クロードは息子の車椅子を押している。
小綺麗な赤レンガの敷かれた通学路に、息子の頭は小刻みに揺れる。大型駐車場は高校からは少し遠い。久しぶりの親子の時間を大切にするためにも、二人で駐車場まで歩くことにした。使い込まれた車椅子がガタガタと鳴る。
「劇のヒロイン役がレイルさんなんだろう? 凄く綺麗な娘さんだな」
高校生の劇ということで和やかな気持ちで見ていたが、息子の友人が出ている劇だけはレベルが違うように感じられた。
「うん。あと、ルークも最初にちょっと出てた」
前を向きながら話す息子も、穏やかな声を出している。
「あの体格の良い子か。いつもその三人でミリタリーごっこを?」
「そうだよ。ちょっとした格闘技ならルークもやれる」
「レイルさんは、見てるだけかな?」
「まさか! あいつは率先して銃を撃ってるよ……もちろん、モデルガンだけど」
「確かトレインさんのとこの娘さんだったな」
「そうそう。だから銃の扱いには手慣れてる。実銃も撃てるみたいだから、この前父さんのライフルを褒めてたよ」
そう言いながら、ロックがクロードを見上げる。一瞬だけ、何かを考えるような沈黙が、親子の間に流れた。
「そうか。見かけに寄らず、強いお嬢さんなんだな」
大声で笑うクロードに、周りの学生や親達が怪訝な表情をした。父親と同じように笑いながら、息子も前を向いた。その息子の態度に、クロードは小さな違和感を感じた。
劇の打ち上げをやるらしいクラスメートを無視して、レイルは父親と共に家へ帰った。
「病気の母親のために料理を作らないといけないので」と発言をすれば、担任も納得、父親も感動だ。
その言葉通り、帰ってからすぐに晩御飯を作り始める。昨日の残り物で炒め物とスープを手早く作り、テーブルに運ぶ。
リビングとして申し分無い広さの空間に、こじんまりとした当たり障りの無いブラウン系統の家具が並ぶ。例に洩れずブラウンのテーブルに、レイルとトレインは対面するように席に着く。
リビングの奥――夫婦の寝室がある部屋の扉が開き、顔色の悪い女性が出てきた。トレインの妻で、レイルの母親でもあるヘルガだ。
美しい赤髪を腰まで伸ばした寝巻姿の妻を、太い腕で抱き止めるトレイン。警察官らしい鍛えられた腕は、長年の仕事により常に日に焼けた色をしており、ヘルガの白く繊細な肌に映える。
夫婦の愛情を感じ取り、ゆっくりと流れる時間をレイルも楽しむ。レイルにとっての理想の夫婦像である両親に、笑顔で席を薦める。ヘルガも嬉しそうにお礼を言い、夫の隣の席に座った。トレインも慌てて椅子を戻して座り直す。
「レイル。今日は劇のヒロイン、ちゃんと出来た?」
フワフワと妖精が歌うような母の声。
「ちゃんと出来た。みんなから褒められたよ」
女らしさの欠片も無い返事を返し、レイルは自分の根本的な部分は、父親似だと再確認する。
「レイルは凄く綺麗だったさ。俺の誇りだ! ビデオも撮ったから、何回も観たい! 仕事場にも持ってくぞ」
子供のようにはしゃぐ父親に、レイルは溜め息しか出ない。
「あなたったら。今担当している事件は、そんなに気楽じゃないんでしょ?」
釘を刺すようなヘルガの声に、トレインは拗ねたような表情になる。一瞬彼の視線を、レイルは感じた。
「まぁな。ウェスト通りの連続殺人の捜査が、全く進展しなくてな」
「あの電話のやつ、ね?」
察しのついたレイルが確認する。
「そうだ。不法滞在の外国人の女性ばかりが殺されてて、犯人は未だ不明。巷では『カルメンの恋人』って言われているらしい」
レイルの家族全員に言えることだが、おそろしく口が軽い。そして、配慮も足りない。
「手がかりは全く無し?」
レイルとしては興味はないが、一応聞いておく。犯人の呼び名が気になったからだ。
「まず、被害者の側も犯罪的なことをしているからな。我々、地元警察を信用してくれないんだ。俺としては捜査に人種も何もないと思うんだが、仕方なく援軍を出してもらった。最近までその国に住んでた男でな。生まれはこっちなんだが、見た目や喋り方は向こうと変わらない男だ」
疑問はすぐに氷解した。
「そのお兄さんなら、前に会ったよ」
「そうなのか? どうして?」
レイルはトレインに、この前あったことを話す。
「あいつ、初日からパトロールサボりやがって」
苦い顔をしながら言うトレインを尻目に、レイルは納得し興味を失った。晩御飯も食べ終わったので、母親の薬のためにお湯を沸かしにキッチンに行く。父と娘の会話にも参加していたので、今日は調子も良いのだろう。
ヘルガは先天的な難病に冒されている。トレインとは恋愛結婚らしいが、あまり外に出ることも出来ない。毎日薬が手放せない彼女を、トレインは神経質な程に心配していた。
お湯が沸いたので、レイルは洗い終わっていたマグカップに注ぐ。父と母の結婚記念日に、幼き頃のレイルが初めてプレゼントしたマグカップだ。十年経った今でも、母は薬を飲む為の専用として、そのマグカップを大切にしてくれている。
熱すぎないか確かめながら、母親に手渡す。日焼けを知らないその白い肌は、どこまでも澄んでいて美しい。
「ありがとうレイル」
細い声で、しかししっかりと礼を言う母親は、やはり調子が良さそうだ。
「母さん、今日は調子良さそう」
嬉しい出来事に、つい顔が綻ぶ。彼女の表情を見て、ヘルガも満面の笑みを浮かべる。
「そうなのよ。薬が変わってから楽になってね」
笑顔のままそう続ける母親を見詰めたまま、レイルは自分の顔が引き攣るのを自覚した。母親にはバレないように、そっと父親に視線を投げる。
トレインはその目線には何も答えず、静かにリビングを出て行った。残された二人に静寂が訪れる。
「シャワーの準備はもう出来てる。私は明日の学校の準備があるから」
相変わらずニコニコとしている母親に、レイルは短くそう伝え、足早に父親の後を追った。