本編
夜になって、レイルは一人バルコニーに出た。
室内と同じく白を基調としたバルコニーは、小さなテラスになっている。二階にあるロックの部屋からでも、顔を上げれば満天の星空が広がっている。住む人間のことを考えた、美しい造りだった。
周りは高級住宅ばかりなので、隣同士も広大な庭を挟んだ距離だ。明かりが少ないから、これだけの星空が堪能出来るのだろう。
「ほんっと、最高だな!」
レイルはゆっくりと伸びをして、バルコニーの手すりに背中を預ける。部屋の中に体を向けて、それでも頭はその美しい星空が名残惜しくて。
「その星空は、僕のお気に入り」
薄いレースのカーテンがひらめき、室内にいるロックの姿が、レイルからもしっかり確認出来るようになる。品の良い白の寝巻きを纏い、笑顔で自分のベッドに腰掛けている。
「そんなところじゃ、ゆっくり話せないだろ」
ロックが静かに言い、レイルに向かって手を差し出す。もちろん届く訳がない距離で、「おいで」と続けるロックに従う。開けっ放しの窓はそのままに、ロックのベッドに近付く。
手と手が触れそうになって、彼はそっとその手を自分のベッドの上に置く。その動きを追うように、レイルもロックの隣に腰を下ろした。
そのまま見詰め合う。ゆっくりと二人の顔が近付いて――
「寒い……」
ロックが小さく漏らした。レイルにしか聞こえない声量だ。今まで大きめの声で話していたので、レイルは一瞬だけ反応が遅れる。
違う。反応が遅れたのは、声量のせいだけではない。
鋭い目で窓を見詰めるロックに代わり、レイルは窓辺に近寄った。窓を閉める前に、少しだけ顔を出して周りを観察する。
相変わらず満天の星空に、煩いくらいの虫の声がするだけだ。外側に開いた窓を引っ張る。一瞬だけ自分の部屋を視界の端に捉えるが、しっかりと電気は点けたままにしてあるので“カモフラージュ”は出来ているはずだ。
「ほんとに、心配性だよな」
そう言いながら窓を閉める。完全に閉めきると、もう窓の外の音は聞こえなくなった。カーテンも閉めて、完璧に外への“漏れ”を排除する。
「もういいぞ」
ロックのその一言で、ベッドの横――窓の外からは見えないスペースから、ルークが立ち上がった。
「ずっと床に寝かされるなんて、マジありえねえ」
「悪かった。これくらいしないと、あの庭師は煩いから」
そう言ってロックは、煩わしそうな目を閉めたばかりの窓に向ける。
「いつもは庭の手入れなんて午前中には終わってるじゃねーか。なんで今日に限って深夜に、それもぶっ通しでやるんだよ?」
「明日のバーベキューのために、さっき急遽取り寄せた珍しい花を植えるんだと。夜しか開かない花らしくて、もう花まで育ってるから、咲き方を見ながら仕上げるらしい」
「うひゃー。金掛かってそうだなそりゃ。俺の両親が聞いたら泣きそうだ」
「私の親父なんて、ほんのちょっと寄れるかどうかなんだぜ?」
「まあまあ、良いじゃないか。僕らも負けない“出し物”をしないとな」
「マジでやんのか? ルーク! 地下上がり早々だが、いけそうか?」
「それは明日にならなきゃわかんねー」
レイルの蹴りがうまく脇腹に当たって、ルークが咳込みながら蹲る。
「冗談っ! 冗談だって!! ちゃんと、やらせていただきます!」
「なら決まりだな。ちゃんと練習のために持って来たか? じゃないと閉めきった意味がない」
「大丈夫だよ。つか、防音は大丈夫なのか?」
「問題ない。人の声だけはよく通るみたいだから静かにやるが、楽器だけならCDだって誤魔化せる」
「でも、なんでわざわざ練習を誤魔化すためにこんなことを?」
誤魔化すために――ロックとレイルが逢い引きしているように見せ掛けた。
「庭師のエドワードは、ドラマチックなものが好きでね。こういう『貴族と平民の叶わぬ恋』みたいなのを演出しとけば、絶対父さんには黙っててくれるよ」
「実際には邪魔者がいる訳だ。のけ者にされた気分だ」
「拗ねるなよ。ルークのギターは最高だぜ」
「それって俺の腕を言ってる? ギター本体を言ってる?」
噛みつくルークに、ロックは笑いを噛み殺している。
「はいはい、お前の腕だって。なら練習の前にテンション上げる話しようぜ。BGMは私がやるから」
レイルは悪戯を思いついた子供のように笑い、ベッドの横の床に置かれた自分の通学鞄に手を伸ばし、そこから安っぽいデザインのハーモニカを取り出す。少しだけ音を確かめるために吹き、満足してベッドに置く。
「……ギター貸してくれ」
ハーモニカでは役目を果たせないので、そうルークに催促。ルークもそれはすでに予想していて、さっさと自分の通学鞄からアコースティックギターを取り出してくれた。使い込まれたそれは、黒くて艶がある。
「お前、そんなパンパンな鞄で、よく持ち物検査に引っ掛からないな?」
ロックが苦笑しながら言う。
「もともとそんな物騒な学校じゃないから甘いんだよ。それに一応、名目上は部活用具にしてる」
「なるほど」
「早く貸せよ」
男二人の会話には興味がないので、レイルは少し苛立ってしまう。
ようやくルークからギターを手渡されたので、チューニングを始める。ちゃんとチューナーも持って来ている。規則正しい、音合わせのためのリズミカルな雑音は、レイルの心を落ち着かせる。
「それで? テンションの上がる話ってなんだよ?」
ロックの問い掛けに、ルークはゆっくりと話し始めた。明日、自分達が成し遂げるであろう、ハッピーエンドな夢物語を。彼の低い声に合わせるように、ギターの音色を楽しむ。