このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

本編


「頭気をつけてや。そうそう、上手やん」
 フェロモン抜群の低い声で、優利は碧を褒めてくれた。
 コンビニを出て碧の車を先頭にして、その後ろを優利の愛車が追走する形で実家に帰った。車をガレージに駐車した碧は、「車ありがとう! ちょっと友達と晩御飯食べてくる!」と両親に声を掛けて、優利が待つ曲がり角まで戻る。マフラー音による近所迷惑の問題もあるが、優利の愛車は良くも悪くも目立つため、親の誤解を防ぐためにも家からは見えない位置で待っていてもらったのだ。
 重たい助手席のドアを運転席から身を乗り出して開けてくれた優利に、礼を言いながら碧は乗り込む。生まれて初めてのスポーツカーは、助手席側から見てもなんだか別世界の乗り物のように思えて。
 重いドアを碧がなんとか閉めると、優利は「シートベルトちゃんとしといてや。飛ばしたりするつもりはないけど」と言って、近所迷惑確実の音を鳴らしてエンジンを掛けた。
 その瞬間、ウィンとかピピっとか近未来的な音がところどころから小さく響いて、その音を目で追った先のそこかしこに設置された見慣れないメーター類がぐりんと幻想的な青の軌跡をその身に浮かべた。
「すごい……」
「水温に油温に油圧……まあ、簡単に言えば車にトラブルがないか見るメーターやな。手遅れなこともままあるけど」
 そう言いながら優利はアクセルを踏み込む。好戦的そうなその言動とは裏腹に、その運転はとても丁寧で。走り出しはすっと滑るように動き出したし、碧からしたら初めて見るマニュアル車の運転は、見ていてとてもかっこいいと素直に感心してしまった。心臓に響く車のエンジン音も、喫茶店に着く頃にはなんだか名残惜しいとすら感じるほどで。
「到着。腰とか痛ない? まだ車高下げきってへんから、多分座り心地はそんなに悪なかったと思うんやけど」
「はい。大丈夫です」
「ほんま幸運やで? 再来週には足回りやりきる予定やったから。でもま、智夏と付き合うなら慣れとかんとあかんのは確かやな。あいつの車、今の俺のより低いし」
 車高を下げた車というのは、その分乗り心地が悪くなるものらしい。地面からの衝撃を殺すためのバネが、とかなんとか智夏は言っていたか。
 優利がエンジンを止めて車を降りたので、碧もそれに倣ってドアを開ける。重たいドアに少し苦戦したが、なんとか降りたところで助手席側にまわってきていた優利に笑われていることに気付いた。喫茶店の駐車場には時間のせいか人影はなく、彼の大きな声はそれなりに響く。ちょっと恥ずかしい。
「悪い。思ったよりしゃっしゃと出てきたから、ドア開けたろう思たのに」
 そう言いながら笑って、優利はドアを静かに閉める。やはりこういう日常的な行動に、車を愛する人間だということが滲んでいて、碧も思わず微笑んでしまった。
「さすがにこの時間は混んでへんな。行こか」
 歩き出した優利に続いて、碧も喫茶店の扉に向かう。
 この喫茶店は碧の実家から歩いても十分掛からない距離にあり、夜遅くまで開いている全国チェーンだ。お店自慢のコーヒーから、碧なら満腹になる量の『軽食』という食事まで、幅広いメニューを展開している。大学の近くにも一軒あるので、たまに碧もそちらを利用していた。もちろんその時は大学の女友達とばかりだったので、まさかこんな店に男性と二人で入店することになるとは思わなかった。
「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」
 入ってすぐに店員にそう言われ、優利の視線が一瞬左右に動いた。本当に一瞬、何かを考えるような間を挟んでから、「あの席でエエ?」と碧を振り返りつつ指をさした。
 優利が指さした先の席は、四人掛けのオーソドックスなボックス席で、これならば荷物を隣に置いても狭い思いをしなくて良いし、なにより――その席は禁煙席だった。
「私はどこでも大丈夫ですけど……タバコ、大丈夫ですか?」
「べつに我慢出来んほど中毒ちゃうわ。仕事中のブチギレそうな時に吸うんが一番キマる時ってなー」
 ぎゃははとそう笑ってから、すぐに優利は表情を優しいものに戻し、碧に「女の子に嫌な思いさせへんのは男の務めやで?」と智夏顔負けの男前発言をしてのけた。クズな部分を智夏や昌也から聞いていた碧ですらも、一瞬騙されそうになるほど、その笑顔は完璧で。
――絶対、めちゃくちゃモテる。この人……
 人生初の『男前の笑顔』を直視してしまった影響か――いや、もちろん弟の昌也だって相当のものだったが、それでもやっぱり、年齢からくる余裕だったり落ち着きは、彼が年上の男なのだということを強く意識させてくるのだった――席に座ってからというもの、碧はどうにも落ち着かなかった。
 目の前には穏やかな表情の優利がいて、彼はメニューを選ぶ碧の顔を眺めながら、時折「これめっちゃ美味いねん。食ったことある?」とか「俺も飯と一緒にコーヒー頼もかなー。俺は智夏と違ってクソ甘なんは飲まんけどー」とか言って笑わせてきたりするものだから、会った時には考えもしていなかったのに、これではまるでデートみたいではないかと碧は思ってしまったのだ。
 店員に碧はケーキとコーヒーのセットを、優利はスパゲティの大盛りとコーヒーを注文する。店員が復唱の後にお辞儀をして席を離れると、優利はそれまで碧がのぞき込むように見ていたメニューを取り上げて、テーブルの隅に立て掛けた。途端に視線を逸らす口実がなくなってしまい、碧は俯き気味になってしまう。そんな碧の様子を見て、優利は普段よりはいくらか抑えた声量で話し出した。
「ちょっと強引に誘い過ぎた? 俺も智夏の恋人やからってので、ちょっと好奇心というか……白状したら、ちょっといたずら心があったんは認める。悪かった」
「……いたずら心、って……?」
 好奇心という気持ちは、碧にもよくわかったので聞かない。それよりも、気になったのはいたずら心というフレーズで。なんだかとても、悪い予感はしたのだが、それでも碧は聞かずにはいられなかった。
「正直、俺らが行ってるあの集まりって、俺とか智夏みたいな『類』の人間が多いんやわ。はっきり言うなら、『浮気』なり『遊び好き』な奴がな。俺かて彼女いても完全に潔白なわけちゃうし、碧ちゃんと付き合う前の智夏だってそりゃもう遊び倒しとった。だからな、俺としては碧ちゃんみたいな純粋な子が目の前にいると心配になるんやわ。悪い奴に傷つけられへんかなー、とか……」
 そこまで言って優利は言葉を区切ると、すっとその目を細めて続けた。
「俺でも落とせるんちゃうかなーって」
 くくっと笑うその声音には悪ふざけの気配が色濃く漂うというのに、それに反してその目は一切笑っていない。
「お、落とすって……彼女さん、いるんです、よね?」
「彼女おっても遊びは別やん。セックスの相手は何人おっても悪くはないし、恋愛感情なんかなくても俺は碧ちゃんのこと、気になってるで? 『悪友でセフレやった女の恋人』なんて、抱いたらどんな気分になるやろ? ってな」
「っ……」
 声を落としたのは計算だったのだろうか。周囲に聞き取られないために落とされた声量なのか、それとも――碧に恐怖心を植え付けるためのパフォーマンスか。恐怖というよりも、良い『お兄ちゃん』だと思っていた相手から向けられた突然の欲望に、その衝撃で碧は言葉を失ってしまう。
 そのタイミングで頼んでいた料理が運ばれてきた。ちゃんと二人分同時に提供されるところに、店側の配慮が感じられるのだが……
 料理を運び終えた店員に優利が穏やかに礼を言う。まるでそれまでの会話なんてなかったかのような変わり身の早さには、智夏と同じ――営業マンの匂いが感じられた。
「……」
 料理を前にしてもどうして良いかわからずに固まったままの碧に――優利はふっと表情を崩した。
「アホ。そう考える男も多いって話や。来る前に言うてるやろ。デートも口説くんも考えてないって。そりゃ、智夏の相手と、っていう好奇心はあるけど、こんな純情な子にそんなん言うほど、俺ヤバイ奴ちゃうから」
「えっと、じゃあ、嘘ってこと、ですか?」
「まあ……言うたように好奇心はあるのは事実やけどな。それはまあ、多分碧ちゃんもそうやろうし。せやから俺の誘い受けたんやろ?」
 優利の指摘は事実だった。
 優利にとって『智夏の相手』とのセックスが気になるように、碧にとって気になったのは『智夏の過去の相手』がどんな人なのか、という点だった。気になるポイントが恋愛経験の差だと言われればその通りで、結局二人ともお互いに『智夏の相手』がどんな相手なのか気になって、こうして食事をしているだけだったのだ。
「はい……その通りです」
「素直なエエ子やな。智夏が付き合うんもわかるわ。意地悪して悪かったな。もうこんなこと言わんから、俺ともこれから仲良くしてや?」
 料理にも目もくれず、そう強い視線で言った優利の言葉に嘘はないように感じた。
――なによりも、私達は同じ気持ちで……うーん、やっぱりちょっと優利さんの方が邪やけど、それでもやっぱり、同じ気持ちでここにいるんやもんね。
「絶対、『私達には手を出さない』って約束してくれるなら」
「将来の嫁のためにもう遊ばんって決めた親友のこと、裏切れるわけないやろ」
 敢えて私『達』という部分を強調して言った碧に、優利は余裕の笑みを浮かべて返した。今日初めて話した碧にも、彼にはこっちの表情の方が似合うと感じさせる笑みだった。
17/19ページ
スキ