本編
勢いでファーストキスを奪われてなるものかと、半ばやけくそで店内を選択した碧に、店員は何か悪意でもあるかのように窓際の二人掛けの席を案内してきた。俗に言うカップルシートというやつだ。
確かに今は昼前で混んできている時間帯だ。家族連れや団体客ではない自分達を二人掛けの席に通すのももっとも効率的な選択だろう。間違いはない。間違いはないのだ。
――これって、確か……ダブルバインドとか言うんじゃなかったっけ? 営業マンとか詐欺師とかがよく使うっていう……
脳裏に過ったのはニュースで流れていた詐欺事件の再現映像と、以前智夏自身が言っていた『営業マンの最終形態は詐欺師レベルに口が上手い』という言葉だった。
先程も恐ろしい程自然に詐欺の手口を披露した彼女だ。もし仮に家の扉に片足を突っ込んできたとしても、彼女の勢いならやりかねないと考えてしまう。
二人掛けの席は、見た目は豪華だがやや狭い。仲良し二人が密着することを想定した席の造りのために、どうしても肩同士が触れ合ってしまう。
二人の間には少しだけ身長差がある。そんなに大きな差ではないが、智夏の方が小柄だ。だから彼女から肩を抱かれるようなことはなかった。しかし、腰にはしっかりと手を回されている。
この席は背もたれがしっかりとついているので、周囲には死角になっていてバレない。彼女の手つきもいやらしいものとかではなく、あくまで仲良しの親友同士がくっついているような空気を出している。でも……
――そっと触れているだけなのに、なんだか安心する。
言葉に出していないだけで、その行動には愛情を感じた。近くにあるその顔に目を向けても、優しく微笑むだけ。料理は先程頼んだので、きっと邪魔が入らないように料理が来るのを待っているのだろう。
「……告白、やんね?」
沈黙に耐えきれずに聞いてしまった。小さな小さなその問いに、智夏はにっこりと笑う。
「うん。そのつもりやったけど、ここでもう一回ちゃんと告おか?」
普段通りの彼女の返答。しかしその言葉は今まで碧が聞いたこともないものだ。
――告白、されたんだ……私……こんなかっこいい女の人に……
普段から男っぽい人だと思ってはいた。でも、付き合っていたであろう彼氏の話や、そもそも周りには男の方が多かったので、まさか女の人が恋愛対象だとは思ってもみなかった。
――かっこいいなって思ってるのは私だけだと思ってたのに。
恋愛対象としての好意であったかは、今のところはわからない。それでも碧自身、智夏のことを人間的に好きだと思っていたのは確かだ。恋愛経験がなさすぎるせいで、それが恋愛としての好意なのか人間的な好意なのかわからなかっただけで。
まだ、料理が来る気配はない。
「碧、好きやで。私と付き合って欲しい」
口元だけに笑顔を残し、真剣な目でそう言われた。
周囲には聞こえない声量で、しかしストレートにそう言われた。その真っ直ぐな物言いが、こんな時ですら彼女らしい。腰に回された手に力が入った。女らしい細腕が震えている。
「わ、私も……智夏のこと、好きやと思う。今まで彼氏もいたことないから、わからんけ、ど……っ」
そう口に出しながら、ふと今までスルーしていた問題に行き付いた頭がフル回転を始める。いくら混乱していたと言っても、こんな大問題をスルーしていたなんて。
――そうやん! 彼氏っ! 絶対智夏、彼氏おるやん!!
「彼氏、いるやろ? 私とは、浮気ってこと?」
告白の返事は詰まりまくっていたというのに、こんな言葉だけはスラスラと言えた。なんて意地汚い女なのだろう。
しかしそんな碧の問いに、智夏は肩を竦めるだけだ。
「あんな、碧……なんで私が今日、碧に迎えに来てもらったかわからんか? 彼氏はそもそも先月別れたし、言い寄って来てた男共も切ったから誰も都合つかんかってんで。どや? 寂しい女やろ?」
だっはっはっと大声で笑いだした智夏に、思わず碧も「なにそれっ」と噴き出してしまった。
――これ、多分本当のことだ。だって、こんな清々しい顔してるんやもん。
こんな表情の智夏は、愛車のことを語る時くらいしか見ていない。それぐらい純粋な、綺麗な笑顔だった。話題は綺麗でもなかったが。
「寂しい女やけど、退屈はさせへんで? どんな男よりも碧のこと姫さん扱いしたるわ。大切にさせてや? つか、他の男となんてもう、付き合えんようにしたるから」
自信満々にそう言って笑うその顔が。その声が。こんなにも胸に刺さる。
たった今碧の胸を貫いた彼女は、ふっと真面目な顔に戻って、静かに続けた。
「ごめん、最後のはただの私の嫉妬やったわ。でも、大切にするんはほんまやから、碧の恋人っていう呼び名、私にくれへん?」
きっと彼女は、敢えて言った。『彼氏』や『彼女』ではなく、『恋人』と。そんな小さな表現の違いにも、彼女の本気が伝わってくる。
「うん、私で良かったら……付き合って」
最後の方は震えてしまったが、それでも碧は自身の心を言葉にすることが出来た。
その様子に智夏は腰に回していた手を上に持っていき、優しく碧の頭を撫でてくれた。