本編
智夏の送ってきた植物園とは、碧の家から車で二十分程の距離にある市営の植物公園のことだった。
てっきり古都の中心部の方にある大きな植物園のことかと考えていた碧は、返信の言葉に少しだけ悩む。
――あそこって、小学校の頃に遠足で行ったきりなんやけど……なんかイベントとかあるんやろか……だって、智夏から花を見に行こうなんて予想外やし……
植物園と聞いて碧が最初に思い浮かべたその場所は、古都の中心部に位置する大きな施設で、たまに国の偉い人達も訪れるような有名なところだ。碧はまだ実際に行ったことはないが、それでも名前や大まかな場所は頭に浮かぶ程度には知識としてある場所で、正直、所謂『デート』をするにあたって、ここはいかにも適切のような気がしなくもない場所だった。
だが、智夏が提案してきた植物園は、そこに比べればやや規模としては小さい部類に入る施設で、市営というだけありデートスポットというよりは、どちらかというと休日の家族連れや高齢者が多いイメージが先行していた。そもそも、碧自体わざわざ花を見に行くような趣味もなかったので、このどちらの植物園も自発的には訪れたことがなかったのだが。
それは碧だけではなく、きっと智夏もそうだろう。付き合ってまだ日は浅いが、智夏の好き嫌いははっきりしているので碧にだってわかっているつもりだ。
絶対に花を愛でるようなタイプではない。天地がひっくり返ってもない。絶対。
きっと何か理由があるのだろう。それがどうか悪い方向でないことを祈りたいのだが……
『智夏って花とか好きなん? 私はあんまり詳しくないんやけど、それでも大丈夫?』
疑問と不安を一緒に送信。するとしばらくしてすぐに返信が来た。
『花見るんに知識なんていらんやろ。綺麗なもん見るだけやのに名前とか生態とかわざわざ気にせんでええって。気楽に楽しもうや。私も普段は花なんて興味ないし』
あまりに本末転倒な返信内容に、思わず碧は笑ってしまった。これだ。これでこそ智夏だ。
――私の不安も心配も、ほんまに全部吹き飛ばしてくれる。
スマホの向こうで絶対彼女も笑っている。そう確信を持ちながら、続けて生まれた疑問を送信。
『興味ないのになんで見に行くん?』
今度は即レス。握ったままのスマホが短く震える。
『なんかさ、ネット? とかの表現で私らみたいな女同士の恋愛って『百合』って表現されるらしいねん。ちなみに男は『薔薇』らしいんやけど、そんなん知ったらちょっと実際に見たくなるやん? ならん?』
「へー、そうなんや……」
思わず声に出てしまった。そのまま指を動かしてネットで検索を掛けると、確かにそのように表現されると書かれている。綺麗な花に例えられて嬉しい反面、やはりこの関係はわざわざ特別な表現をしなければならない関係なのかとも考えてしまった。本当に、ただ、好きな相手が同性だっただけなのに。
『百合、綺麗やろね。行こっか』
胸の中のモヤモヤは――自分で吹き飛ばす。そう、決めた。
検索した際に引用画像として出てきた百合の写真を眺めながら、碧はうんと気合を入れた。
季節はちょうど、百合の時期になろうとしている。時期的にもぴったりだろう。
『初お外デート楽しみにしときや。当日は家の前まで迎えに行くで。お姫様』
今度はだらしのない笑いが出てしまった。本当に男顔負けのセリフが似合う恋人だ。スマホを通してのやり取りで本当に良かった。赤面しているであろう顔面も恥ずかしいが、なによりデレデレとした締まりのない声が出たのが一番の問題だ。実際のデートではこんなだらしないところ見せるわけにはいかない――っと表情だけでも引締めようとした碧のスマホが、短く振動してメッセージの着信を告げた。智夏にはまだ返事をしていないので、違う誰かからの連絡になる。
『兄貴から碧ちゃんと会ったって言われて連絡してもた。大丈夫? なんもされてない? マジで下半身に関してはケダモノやからさ、オレの兄貴』
なんだかいつも心配してくれている優しい昌也からのメッセージだった。知り合ってからそんなに経っていないというのに、他の誰よりも碧のことを心配してくれている気がして、自分にも智夏と優利のような強い絆で結ばれる親友ができそうだと思い至り胸が違う意味で熱くなる。
『大丈夫。優しいお兄さんやったよ』
ほんの少し前にも智夏に返した内容の言葉を弟にも送信。本心からの言葉はメッセージアプリを介してもしっかりと相手に伝わるもので、すぐに来た昌也からの返信も穏やかな空気を伝えてきた。
『それならよかった。ほんまに手の早い奴やからさ。それはそうと、姐さんの快気祝いも兼ねて兄貴の家で集まろうかって話してるんやけど、空いてる日ある? 姐さんにも聞いといて欲しいんやけど』
昌也も優利も本当に気遣いが自然で上手。
二人とも、智夏と直接連絡を取り合っているはずなのに、ちゃんとこういう誘いは碧を挟んでくれているのだ。なによりも碧の意見を尊重してくれている。そんなこと絶対にないが、もし碧が行きたくないと思ったら、智夏に相談して断りやすいようにと、そこまで考えてくれているのだろう。そんな優しい人達との集まりだ。行きたいに決まっている。
『今度デートするから、その時聞いとく!』
何も隠すことのない関係に幸せと少しの気恥ずかしさを噛みしめながら、碧は結局引っ込まないニヤニヤは諦めてそう返信するのだった。
19/19ページ