このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

第二章「妖狐」


 深紅の大袈裟すぎる程のその鳥居を、二匹は飛び越えるようにして潜り抜ける。もう数年以上手入れのされていないその鳥居は、しかしその色艶が褪せることはなかった。
 そう広くない境内の中心に、巨大な妖狐が立っている。背後に三本の妖気を孕んだ尻尾を揺らめかせながら、血よりも赤いその瞳をこちらに向けてくる。
 紬の家からすんなり出てきたとは思えない大きさのその妖狐は、まるで質量を感じさせず、揺らめきすら伴ってそこに存在していた。
『氷っ! 雷っ!』
 妖狐の足元に地に堕ちた二羽の烏の姿を認め、茶々が悲鳴に近い声を上げる。だが、その途端に妖狐から放たれた妖力の強さに、二匹揃ってその場から動けなくなってしまう。
――凄いプレッシャーやな。さすがは三本も尻尾があるだけある……
 妖狐の尻尾はその力の強さの象徴である。尻尾の本数が多ければ多い程その妖力が増すため、獣の尻尾のままの黄や茶々では、この巨大な妖狐に力が及ばないことは明白であった。
 よく見れば倒れた二羽もこの圧力によって飛び立つことが出来ないようで、重たい身体を引き摺ってもがいているようである。
――良かった。まだ無事やった。あとの岩と、紬は?
 視線を走らせ残りの一羽と一人を探す。確かここを離れた時は、彼女の身体は妖狐の今いる境内の中心に倒れていた。だが、妖狐の下に彼女がいるようには見えない。もしかして、もう食われた後?
 頭に過った最悪の展開を掻き消すように、更に焦る気持ちで辺りを見回す。すると、倒れた彼女の姿が、神木の下に見えた。その無残に開かれた腹には何故か枯れ枝が無数に差し込まれており、そしてどういうわけかその出血が止まっているように見える。
『黄っ! 危ないっ!!』
 茶々の叫び声に黄は慌てて目の前に視線を戻す。痛々しい彼女の身体に目を奪われていた黄に向かって、妖狐がその鋭い爪を振り降ろす。その巨体から出るプレッシャーがそのままのため、黄は満足に動くことが出来ない。
『……っ!』
 直撃を覚悟して思わず目を瞑る黄。だが、いつまでたってもその衝撃が身体を襲わない。恐る恐る目を開けると、そこには振り降ろされた一撃をまるで雲を払うように掻き消した岩の姿があった。雷より大きく、それでいて氷よりは小さい烏達の頭脳。漆黒の大翼が表すは、狡猾なる悪意そのもの。
『黄! 茶々! なんで戻って来たんや!?』
 彼にしては珍しく、苛立った口調でそう怒鳴られる。彼はその大きな翼をまるで威嚇するように広げ、黄達と妖狐の間に降り立つ。
『岩っ! 紬は無事なん!?』
 そんな彼に茶々が涙が滲むままに叫ぶ。まるでそうしなければ彼にその言葉が届かないと、わかっているかのように。
『……僕は“なんで戻って来たんや”って聞いてるねん。早よ答えや』
 ヒヤリとする程冷徹な声だ。視線は目の前の妖狐に油断なく注がれているはずなのに、まるで背後にも目があるかのように、黄と茶々の身が竦んだ。妖狐から感じるプレッシャーは、もう岩一羽に向いている。それ程までに、彼の存在感が強すぎるのだ。どんな時も場の支配者となる。烏の頭はそういうオスだった。
 竦んでしまって言葉が出てこない茶々に代わり、黄は酷く遠く感じる彼の背中に返答する。
『……岩が、何を考えてるんか知りたくて、ここに戻って来た』
『……』
 支配者の烏がこちらをちらりと振り返った。鳥類独特のその首の動きで、片目だけに黄の姿を捉る。そしてほんの少しの逡巡を経て、その瞳はまた目の前の妖狐に戻される。
『……雷、何いらんこと言っとんねん』
『……』
 岩の言葉にメス烏は答えない。力なく横たわるその身体に、岩は容赦なく言葉を続ける。
『お前以外におらんやろ。氷のアホはここまで頭回らん』
『……氷かて、いつもアホとは限らんやろ』
『……岩も雷も、アホとか酷いわ』
 くっくと喉の奥で笑いながら雷が首をもたげて返事をする横で、同じく首だけもたげて氷がぼやいた。いつもの二羽のその空気に、少しばかり安心してしまう。だが、和みかけたその空気を、岩は一気に凍り付かせる。それも、支配者である彼のいつもの調子だ。
『なぁ、黄。それに茶々。僕からの“お願い”聞いてくれへんか? お前らすぐにこっから離れぇ。そうしな、“見たくないモン見る”ことになるで?』
 まるでその言葉は誘惑のようで。オスの黄ですらも色気を感じるその声に、離れることをお願いされて――ここで流されてはいけないと、ぐっと歩き出しそうになる足に力を入れて踏み止まる。彼の声には魅力的な妖力が満ちている。
『そのお願いは聞けへんわ。岩、ごめん』
『ウチらは真実を知りたいねん。ウチらにその“見せたくないモン”を見せて』
 烏の頭は、溜め息をついたようだった。小柄なメス烏がケタケタと笑う。一際大きなオスの烏は、ぐいっと伸びをしてその大翼で力強く空に舞い上がる。
『……僕らが僕らでなくなるんを、お前らには見せたぁなかったんやけどな……』
 ぼそりと呟かれたその言葉に、黄は声を掛けようとして――巨大な咆哮に遮られた。
1/11ページ
スキ