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第1章


「なーるほどなぁ」
 そう言って脱力し、ロックは備え付けのベッドに倒れ込んで唸った。簡素過ぎるそのベッドは、彼の体重を支えるためにギシギシと軋む。かなり細身の体型をした彼で軋むのなら、自分――軍人としては平均的な体重であろう――では一体どうなるのだろう。
「場所の問題だな。あの砂漠は魔力を阻む力がある。おまけに砂嵐で視界も最悪だ。つまりとにかく単独での近距離戦に強い奴が必要だ」
 ロックが興味も無さそうに続ける。どうやら場所と仲間の力の関係がわかってしまってつまらないらしい。
 サクが話したのはまだ向かう場所についてだけだった。
「だがあの砂漠には、斬撃の通用しない奴らがウロウロしているぞ」
 向かう場所は大陸の南部にある大規模な砂漠地帯。古には先住民達が高度な文明を築いていたらしく、凶悪な硬さを誇る警護機械達が主亡き今も歩き回っている危険な場所だ。
「話は最後まで聞けよ? だからクリスじゃなくあいつなんだ。近距離戦最強のクリスでも、あそこじゃ魔法に頼れない。ヤツの火炎魔法も札を使っての魔法だからだ。だがあいつは違う。あいつは自身の体内で電撃を作ることが出来る」
「……帯電体質なのか……」
 帯電体質。体細胞全体が蓄電作用を持っていて、そこから生まれた雷撃を意のままに操ることが出来る先天的な異能者のことだ。
「ああ。世にも珍しい先天性の体質だ。まぁ、僕らはそんな奴らの集まりだけどな」
 そんな奴ら――やめてくれ。
 サクは思わず呻きたくなった。帯電体質なんて自分ですら聞いたことしかない体質だ。そんな珍しく、戦闘向きの異能者ばかりの集団なんて、本当になんとかして欲しい。
「ちなみに僕の能力については秘密で」
 当たり前だ。恐らくこれからも関わることがないであろう男の能力など直に聞いても意味がない。
 それよりも、だ。
「帯電体質の近くには居ても平気なのか?」
 そこが問題だ。
 サクが知る限り、この体質には重大な問題がある。自身が常に発電しているため、ある程度の電撃が溜まると本人の意思とは関係無く暴発してしまうのだ。少々不安げに――だが面倒くさそうにも尋ねるサクに、ロックは断言した。
「そんなことくらい大丈夫さ。コンビを組むくらい問題はない」
 涼しい顔で言ったものだった。






 ロックと話していると、隣に人の気配が近付いてきた。もう片方の牢獄から人懐こそうな顔が覗いている。
「お前は?」
「……ルーク」
「おいルーク。ちゃんと挨拶してやれ。レイルと組む相手らしいからな」
 ロックがつまらなそうに、ルークと名乗った男に声をかける。それにルークはあくまで穏やかに答えた。
「レイルが出られるのか……こんなところ、俺も早く出てえよ」
 表情こそ穏やかだが、この声は心底辛そうだ。鍛えられた身体に穏やかそうな表情は、とても狂人には見えない。漆黒の制服に身を包みながらも、彼は心からこの空間を恐れているようだ。それがサクにも伝わってくる。
「贅沢言うなよ。あいつが一番辛そうだからな……僕らもすぐに出られるだろ……」
 ロックは言い終わらないうちに、ニヤついた笑みを顔中に広げる。
「何がおかしい?」
 サクが問い掛けても、ロックはその質問を完全に無視。
「とにかく、そろそろ奥に進んだらどうだ? レディを待たせるのは男として問題があるぜ」
 その危険な笑みを隠すつもりはないらしい。代わりにそんな台詞を吐いて、この会話を切り上げた。




 ロックが黙ってしまい――彼はまだニヤついたままだ――、ルークも先に行くように視線で語ってくる。
 先程までの和やかな空気はどこかに消え失せ、代わりに静寂と殺気が漂い始める。その殺気の正体はもうわかっていた。クリスが放つ濃厚で冷徹な殺気。厚い壁を挟んだ今尚、彼は自分を殺すべく叫び続けているのだろうか?
 それを、自分より永く時間を共有した目の前の二人がわからない筈がなかった。
「……早く行けよ」
 ルークが固まってしまったサクに声を掛ける。その声音には確かに優しさを感じた。気を遣われているのが伝わってくる。
「あいつはもうすぐ魔力を吸い尽くされて強制的にぶっ倒れる。また覚醒するまでに、レイルを連れて出たいだろ?」
 まるで子どもを諭すような口調で、ロックもサクに先を促す。そして二人は、さっさと牢獄の奥に引っ込んでしまった。
 こうなってしまえばもう選択肢はない。レイルと呼ばれる女の元へ、サクは更に廊下を進むことにする。





 最後の扉は、これまでと同じように開いた。
 その空間は、クリスが居た部屋と同じ造りだった。ただ、更に奥に進むための扉は、ない。暗い暗い牢獄の最深部だ。これまでの部屋と同じように、部屋の天井の中央で明かりが揺れる。
 彼女はその明かりが当たるギリギリの場所、牢獄の壁に背中を預けるようにして床に座っていた。
 力無く四肢を放り出した姿は、まるで打ち捨てられた人形のようだ。ランタンの淡い明かりに照らされた燃えるような赤髪と、色素の薄い白い肌がよく合っている。ふわりと流れるウェーブがかった赤髪の下で、小さめだが高い鼻に、ふんわりとした唇――女らしいフェミニンな“武器”を揃えたパーツが目を引く。
 しかし瞳だけは妖しい――ロックに似ている……いや、妖艶だ――輝きで満ちている。相反するそのパーツも、全てが揃えば綺麗に整った顔立ちになる。
 そして、その瞳はサクを捉えていた。






――まるで恋に落ちたようだ。
 エメラルドグリーンのその瞳と目が合った瞬間、サクはそう強烈に感じた。
 恋に落ちた、わけではない。ただ“そう相手に思わせる罠”に嵌まっただけだ。彼女は特務部隊の中でもフェンリルというエリートであり、女の暗殺者なのだ。男を殺す術は、誰よりもわかっている。残虐な殺人行為から、相手を操る性的な行為まで。男にはない“武器”を持っているのだから。
 こちらの思考がわかったのだろうか。レイルは見詰める瞳はそのままに、立ち上がって近付いてきた。こちらに近付くにつれて、その瞳も挑戦的な輝きから好奇心のようなものに変わってくる。
「あなたがサク……?」
 レイルがそう尋ねながら、忘れていたかのように「さん?」と付け加えた。
「年齢は私より上? ここに入ってから新人さんには疎くて……」
 そう言いながら、部隊の制服である黒のジャケットを羽織り直す。小柄で華奢なシルエットだ。
 ジャケットの下は白のシャツで、黒のホットパンツを穿いている。そしてその下は、黒のソックスにより部隊のカラーを守っていた。サクが上から下まで見たところで、低い音を立てて足元を飾っていた軍用ブーツ――これも徹底的に黒色で、アクセントとしてシルバーの装飾がなされていた――が目の前で止まった。
 二人の間は対魔格子を挟んで僅かだ。
「二十歳だ。ここに配属されてからはまだ日が浅いが……」
 サクは質問に答えた。
「ふーん……私はレイル。歳は同じくらい」
「そうなのか……暫く任務でコンビを組むことになった。よろしく頼む」
「うん。わかってる。リーダーから“聞いてる”から」
 彼女はそう言って小さく頷いた。フェンリル達のその感覚の鋭さに、サクは内心驚いていた。
 視力や聴力が役に立たなくなると、人は他の部分が鋭敏になるらしい。フェンリルという殺気に常に晒された者達だからこそ、そういった人や場の空気の流れを感じとることが出来るとでも言うのだろうか。
「……とりあえず、出してもらえる?」
 そう言って優しく笑う。彼女からはなんの敵意も感じない――当たり前だ。
 フェンリルイコール危険分子と当たり前のように考えていた自分だが、共に任務にあたる関係で敵意が存在する筈がない。その事に思い至った時には既に、サクの口元にも笑みが浮かんでいた。
「鍵はこれ、だそうだ。今回出れるのは、あんただけみたいだがな」
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