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第2章


 獣の身体がぶるりと震え、そして各々の心臓が脈動する。七つの心臓を得た合成獣が、今一度命を受けて稼働を開始する。
 大鷲の翼が大きく広がり、背後の大蛇が威嚇の声を上げる。四肢の獣は力強く地を踏みしめ、人の魔力がその身の隅々まで満たされていく。
 上空のフリンと目が合った。彼の意識がこちらに向いた瞬間に発砲音が響く。あのロックが隙を見逃すはずがなく、そちらに気を取られた隙にサクは翼に力を込めて飛翔する。
 ぶわりと重力に反発して巨体が飛び上がった。本来飛ぶということに目標を据えていないこの身体だが、サクの気持ちに応えるように大鷲の翼は猛々しく羽ばたく。
 少しばかり歪ながらも、それでも主の場所まで飛び上がると、サクは首の切断面にしっかりと足をつけて身体の上に立ち上がった。ぬぷりと足元が粘液で覆われて転落の心配はなくなる。
「主を罰すると言うのか……」
「こんな歪な生き方を、皆……望んでいないからだ」
 サクは、嘘をついた。サクは生きることを望んでいた。それは獣の頭が一番わかっていることだ。どんな形だろうが、この身体はサクのものだ。歪だろうが獣だろうが、彼のこの身体は生きるために戦っている。
「ふん……一部品がっ、主であり、オリジナルでもある私にっ……模造、品がっ……」
 主の言葉が続いたのはそこまでだった。主の姿はもう、岩の魔獣ガーゴイルそのものだ。岩石のような皮膚に守られた、邪悪な悪魔。背格好こそ人間のままだが、その背からは蝙蝠のような岩で出来た羽根を生やし、豪奢な服のその下の肌はひび割れた岩そのもの。今では悪魔よろしくご丁寧に尻尾まで生えている。
 悪魔のような姿で、欲望のままに光る紅き瞳がサクを捉える。既に声帯は渇きによって潰されたのだろう。サクはその瞳の中に、人間だった頃の彼の恐怖を垣間見た気がした。
「ガーゴイルの呪い……殺すことでお前を楽にしてやるのは、俺の身体の方は許さないかもしれないな」
 フリンが――もう彼の自我が残っているかも怪しい――その手に生えた鋭い爪を振るって襲い掛かってくる。身動きの取りにくいサクとは異なり、彼はもうガーゴイルそのものの動きで俊敏に距離を詰めてきた。
 魔獣ガーゴイルの爪は強靭で、そして鋭い。その上魔力を通しやすい性質も備え、古来から武器の素材としても使われている。フリンはどうやら爆炎魔法への適正があるらしく、その爪の先で小さな火花が散っている。砂嵐の影響でこちらに放つことが出来ずにいるようだ。だが、近距離で攻撃をもらえば、不完全ながらもその火花も被弾することになる。
 サクの身体にも、ガーゴイルの呪いは疼いている。獣の身体に繋がった途端、その勢いが増した。この空間に入るまでは小さな違和感だけだったそれが、呪いの渦巻く巨体と主を引き金とし、サクの身体を覆い尽くさんとしている。
 フリンに応戦するためにサクも構える。武器はない。獣の首の断面から落ちることはないが、それは逃げ場がないのと同じだった。獣の落とされた首の上が、サクの断頭台そのもののようだった。もう動かない足元は、どろりとした粘性のある朱のせいだけではない。既に岩石化が始まっている。
 フリンが右上から高速で接近し、右手の鋭い爪を横に払う。ひゅんと冷たい音が鳴って、サクは慌てて仰け反って避ける。そのまま左の連撃が来たので、石化が始まっている右腕でブロッキング。視界の隅で火花が散る。
 ガン、とおよそ素手同士でのぶつかり合いでは起こらない音が響き、サクはそのまま力任せにフリンの腕を捕まえる。ミシリと腕がなり、指先が渇いた岩石により裂けるのも気にしない。痛みはある。火花が爆ぜた。だがそれ以上の痛みをサクは知っている。身体の痛みはいつか消えるが、心の痛みは消えることはない。
 急に掴まれたことでバランスを崩したフリンの身体が、獣の身体に密着する。ほとんど首の切断面の上での取っ組み合いとなり、二人はお互い自由なままの残りの腕で互いの身体を打ち続ける。
 腹が裂け、胸が抉れる。痛みと共に傷付いた身体を、石化の呪いが癒すように塞いだ。今ではサクの手も魔獣のそれと変わらない。物を持つことすら困難な歪な魔獣の手で、かつての主を打ち続ける。主もまた、言葉にならない感情全てを、サクの身体に綴るように打っていた。
 歪な朱すら流れぬ程にひび割れた二人の身体が、どんどんその重みと翼の運動能力の低下によって高度を下げていく。まるで闇に堕ちるかのような感覚を覚えたのは、視界の隅にちらりと映った狂犬達の笑みのせいかもしれなかった。












「ガーゴイルの呪いなんて、御伽噺かと思ってたぜ」
 レイルが小さく息を吐きながら言った。それをロックも笑って肯定する。
「僕もそう思ってた。でも確かに大陸東部には伝説としてしっかり残ってる。あいつの地竜の槍も、その伝説の代物の模造品だしな」
「本当に、仕組まれた男ってことだな」
「そういうこった」
 砂嵐が吹き荒ぶこの場所で、狂犬達がやれることなど限られている。接近戦を得意とするレイルはそもそもその攻撃が届かず、遠距離戦のプロである自分も、ここでは加勢する“命令を受けていない”。
 タバコを吸うこともままならず、同じく隣で突っ立ったままの眉唾ものの、伝説やそういった夢物語に疎い――そもそも興味がないのだろう――同僚兼セックスの相手に、ロックは目の前の眉唾ものの状況を見ながら答える。
 岩の魔獣と化した二人が、ゆっくりともみ合いながら高度を下げてくる。もう人の言葉すら発しない二人の身体は、まさに獣だ。欲望のままに打ち合う、獣。
「全身がこのまま石化して……あいつは死ぬのか?」
 彼女の鋭い視線に、ロックは答えない。無言を貫く自分と“無線”に、レイルはまた小さく息を吐いた。
「上の意向はわかるんだぜ? あいつは特務部隊……ひいては本部からしたら完全にお荷物だ。その身体の石化を防ぐにはこの邸宅の“実験結果”を使うしか方法がない。その実験結果はこの襲撃で得られるだろうが、それを永続的に手に入れるにはこの邸宅自体を南部支部の管轄にしなきゃなんねえ」
「極秘裏に、とは難しいだろうな。この街には特務部隊以外にも軍隊がある。そいつらが黙ってない。下手すりゃ戦争の引き金になる」
「だからこのまま……殺すのか?」
 彼女はこちらを向いたままだ。暫く待つが無線からの応答もないので、ロックは仕方なく口を開く。
「……そういう手筈だっただろ? これはあいつの提案だ」
 あいつ――獣の頭の提案だった。この任務のリーダーとして目の前に現れたあの男は、とても欲望を駆り立てられる獣で。その鋭い深紅の瞳がロックを貫きながら、その身の死について語り出したのだ。
 任務の内容は彼の口から語られることはなかった。だが、その瞳が告げていた。死を覚悟した男の瞳なら、ロックもレイルも腐るほど見ている。言葉や感覚は身体が覚えるからと、獣の頭が語ることは彼に対してのことばかりだった。
 それがなんともいじらしく、そして耐え難かった。きっとレイルもそうに違いない。己の胸に抱えるには酷なその感情を、彼女はいつものように垂れ流す。任務に忠実な獣ではあるが、その内容に意味を見出さなければ、狂犬達は動かない。
「あのままじゃ獣ごと身体もサクも死んじまうぜ。本当に良いのか? リーダー……」
 吐く息が溜め息に変わったレイルの顔つきが変わる。悪い笑みだ。ロックも耳に響いた雑音に口元が歪むのを自覚する。
『……群れの頭が戻ったぞ』
 その低い声を聞いて、ロックは胸の奥がどくりと熱く脈打つように感じた。隣のレイルも嬉しそうに目を細めている。
『古い頭は必要ない……やれ』
 得物を抜いて雷を迸らせる彼女の横で、ロックは口笛を吹いた。
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