第1章
暗闇へと繋がる一つの扉。
この扉を開けたその先は、一切の光を遮断した牢獄。人間誰しもが持つはずの心すら奪う暗闇が待っている。全てを否定する闇の中、ただ生命を維持するためだけに流される水の奏でる波音すら、その闇の中では毒のようにすら感じる。
フェンリル――人とすら扱われない凶戦士達の収容所。本部にとって重要な戦力でありながら、あらゆる理由により存在が危険視される者達。
――そんな存在に価値があるのか?
軍に所属すること四年。三年で陸戦隊の副隊長まで上り詰め、その働きに目をつけた特務部隊からの引き抜きにより、先日そこに配属された。そんな自分でも今まで噂程度にしか聞かされていなかった収容所の存在。
フェンリルと呼ばれる特務部隊――精神的に問題のある人間ばかりと説明されたが、まさかその内の一人と共に任務にあたることになるとは……
人を殺して金を得る、裏側の仕事をすることになった自分だが、ここまでの仕打ちをされる程悪事はまだしていないはずだ。とにかく……この部隊にいる以上、仕事の依頼は拒否出来るはずがない。
――覚悟を決めるか……
溜め息をつきながら彼は――サクは闇へと続く扉を押し開けた。
「……っ!?」
扉を開けた瞬間に襲い掛かってきた闇のあまりの深さに、サクは思わず歩みを止めそうになった。全身の細胞があらんかぎりの警告を発している。その場所は“人間”が来る場所ではない、引き返せ、と。
「ここから先は許可のない者の立ち入りは禁止されております。お一人になりますが……」
「構わない。戻っていてくれ」
後ろから響く控えめな口調――牢獄の看守を任されているまだ若い男の声に、被せるようにして命令する。
「了解しました」
そう短く返事をして、看守の男が立ち去る気配がした。そして扉が閉まる重い響きと共に、サクは正真正銘の闇に包まれた。
「本部の人間か?」
闇に包まれた廊下を歩くこと数分――暗闇のせいで時間感覚が狂いだした頃だが――、それまでの人一人が通れる程度の広さしか無かった廊下が突然開けた。ある程度闇に慣れた目だが、それでも本来の役目の半分も果たすことが出来ない。
だが、その空間には光があった。天井にランタンがぶら下がっている。ランタン一つでこうも変わるのかと、つい呑気なことを考えてしまった。そしてその光の下に、一つの影を見つけた。
――男だ。
この開けた空間は小さな部屋になっていて、右手の壁には扉が、中央には椅子が一つ。
その椅子に座っている男がいる。正確には魔力を一切遮断する対魔合金の鎖により、椅子に縛り付けられている。そしてその男と自分との間は、同じく対魔合金の格子で仕切られている。拳程度なら通る隙間は一見不用心だが、その間にはつねに触れた者の魔力を奪う不可視の防壁が渦巻いている。
サクは男に注目した。
流れるような色素の薄い金髪は目にかかるギリギリの長さで切り揃えられ、その髪は牢獄に相応しくない輝きを放っている。そしてその下から覗く鋭い深紅の瞳は、焦点の定まらないまま足元を見つめている。
能面のように変わらない無表情の口元だけが、震えるように動いていた。まるでそこだけが生きているかのようだ。
男はぶつぶつと何かを呟いていた。耳を澄まさないと聞き取れない声量だったが、何故か人を惹き付ける不思議な魅力のある低い声。さっきの問い掛けの声だった。
何を言っているのか聞き取ろうと前に進んだその瞬間、男の目がサクを捉えた。
「……っぁああぁアア!!!!」
いきなり狂ったように叫び出す男に、サクは思わず身構えた。
目の前の男は拘束具により身体の自由を奪われ、牢獄から出る術はない。それでも尚身構えさせる程の殺気の強さに、サクは内心舌打ちする。
――次元が違い過ぎる。
頭に過った考えを否定するように、サクは先を目指す。右手の方向の扉に向かって、決して早足にならないように――恐れを抱いたと思わせたくないプライドだった――歩を進める。
なんとか無事に辿り着き、重い扉に手をかける。未だに男の絶叫は続いている。ガチャガチャと拘束具を引きちぎろうとしているようだ。
焦りで震える手をなんとか宥め、サクは扉の奥の空間を進んだ。