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第五章 悪意の塔


「ヤートさん……」
 隣でルークの穏やかな声が聞こえた。ヤートより幾分身長の低い彼が、ヤートの震える拳を強く握り締めた。
「大丈夫……俺達はあんたを傷付けない」
 小さく、だが力強くそう断言するルークの顔を、ヤートは見返すことが出来なかった。瞼の裏に焼き付く惨劇が、隣のルークの優しさが、ヤートを混乱させていた。
 部下を殺しまくったフェンリル。自分を守る為に傷付くフェンリル。
「騙されちゃダメだよ。こいつらは貴方のコアが必要なだけ。コアを手に入れる為に偽りの好意を見せているだけだよ」
 何度も感じた見せ掛けの好意が頭を過ぎった。
「……ヤートさんっ!!」
 ルークが握り締める手に更に力を入れる。痛いくらいの強さに、つい彼の顔に目をやってしまった。
 濃い青色を湛える瞳は、海のように全てを飲み込んでしまいそうな深さがある。
 思わず目を背けると、大きな丸みを帯びた瞳が悲しそうに俯く。喜怒哀楽を言葉以上に表した瞳が、ヤートの心を掻きむしる。
「俺達は……あんたを守りたいんだ」
 ルークはもう一度強くそう言うと、視線をヤートから前方の仲間二人に移した。
 敵の動きにすぐに対応出来るように、二人の視線はずっと敵に注がれている。こちらからは横顔しか見えないが、その横顔は――笑っている。
「……っ」
 とにかく声が聞きたくて、二人に話し掛けようとしたヤートをルークが制した。
「今はやめた方が良い……俺達はあんたを守りたい。でも、殺しを楽しんでるのも事実なんだ。今のあの二人の頭の中では、湧き出る悪夢達を、いかにして無傷で血祭りにあげるかしか考えてない。もちろん俺も、どうやって戦うか考えているし、あのガキを貯水槽にぶち込む為にどれだけ時間稼ぎが必要かも考えてる。俺だって……ただの馬鹿じゃないからな」
 ルークは言い終わると、二丁拳銃を構え直す。
「やっぱり、邪魔な奴は殺しちゃうんだ?」
「任務だからな」
 ナオの言葉に、クリスが表情一つ変えずに答える。普段の冷徹な表情だが、口元にだけは薄い笑みが浮かんでいる。だが……少し辛そうだ。
「死者を愚弄している……それはお互い様だと思わない? 確かにボクは死者の怨念を武器にしている。だけど君達も、他者を残酷に傷付けて楽しんでいる」
「ああ、そうだぜ。否定はしねーよ。私らは殺しを楽しみ、殺す必要のない人間まで傷付けてる」
 レイルが笑みを浮かべたまま言った。完璧な横顔に爛々と光るその瞳は、狂気と美しさが同居している。
「だがな……それが戦いで、てめーに言われる筋合いはねえんだよ! 戦いにおいての正義と悪なんて、自分がどちら側に立つかの違いでしかねーんだ!」
「俺達はヤートさんを守りたい。それを邪魔する者は、人間だろうが亡霊だろうが叩き潰す。簡単なことだ」
「……それって、本心なのかな?」
 急にナオの表情が曇った。小さく呟かれたその言葉は、ヤートの心を不気味にぐらつかせる。クリスの鋭い瞳が、一瞬こちらを向いた気がした。
「あぁ?」
 レイルが眉間にシワを寄せながら苛立った声を上げる。
「本当に、守りたいの? 口では何とでも言えるからね」
「ふざけんじゃねえぞっ!!」
 激昂しかけるレイルを、ルークが慌てて止めに入る。興奮したせいか彼女の腹からは血が数敵滴り、剣を持つ両手には稲光が光る。
『おい、レイル! 何キレてんだ!? こっちからじゃガキの言葉が聞きとれねぇ』
「俺達が嘘を言っていると言われてるんだ。どう思う? ロック」
 クリスが冷静に、しかし鋭い瞳のまま無線に問い掛けた。
『簡単だ。僕らは仲間に嘘をつくことはない』
「そうだ。俺達は仲間に嘘はつかない。これから死せる少年よ……それが答えだ」
 クリスがそう言うと、ナオの周りに薄紫の球体が出現した。
『準備完了だ。くっちゃべってくれてたから楽だったぜ』
「ふん……任せた」
『了解』
 ロックが作り出した重力場が、少年の体を地中深くへ沈めていく。ナオは特に抵抗するでもなく、薄い笑顔を浮かべたままだ。
「果たしてそれは本心か……ヤートさん本人に確かめてもらおっか」
 ナオがそう言うと、背後で血の塔が波打った。それを合図にするかのように、悪意からなる人形達が一斉に襲い掛かってきた。
 丸腰のヤートを守るように展開していたフェンリルの面々はすぐさま防戦に移る。傷付いていても戦力は互角以上だ。
「沈めるまではどれくらいかかる?」
 自分と同じく直接攻撃には参加していないロックにヤートは問い掛けた。
『……今はヤってる時より集中してる。話しかけるな』
 時たまヤートの前までくる敵も、すぐに銃弾に眉間を貫かれて形を失う。ルークが、ヤートすれすれの位置に神懸かったテクニックで弾を通していく。
 撃たれた敵はすぐに液体に戻り蒸発する。僅かではあるが、こうして液体の量は確実に減ってきている。
 ヤートは塔の根本の少年を見やる。
 少年の下半身はすでに地面に埋まっている。人体自体は潰さずに、彼の真下の地面を押し潰し、彼自身に掛かる重力を付加させて地中に埋めているのだ。おかげで少年は綺麗に無傷のまま、この国の地下にあるらしい貯水槽まで到達することになる。
――このままいけば……
『……ぐっ!?』
 なんとかなりそうだ、とヤートが思った瞬間、無線からロックの呻き声が聞こえた。
「どうした!?」
『ち、くしょー……今度はっ、僕の貫通式かよ!?』
 最初は荒い息だった彼の声が、どんどん遠くなっていく。急速に弱まる呼吸音が、彼の状態を示していた。
 ロックが負傷した。ヤートが慌てて周りを見渡すと、倒れたレイルとルークの姿があった。
 一気に背筋が冷えたヤートは、目の前に視線を戻す。
 血まみれのクリスと目が合った。彼の狂おしいまでに美しい顔は、優しい微笑を湛えていた。
 握り締められた刀が震えている。
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