第五章 悪意の塔
小さな声だったが、元々静かな部屋には充分な声量だった。声に聞き覚えはないが、陸軍とは犬猿の仲である空軍が何の用だ、とヤートは思った。
ガリアノも予想外だったらしく、暫しの間硬直していた。だがすぐに取り繕うと、マイクのスイッチをオンにする。
「わかりました。構いません。どうぞそちらで暫くお待ち下さい。エレベーターが向かいます」
そう言うとガリアノは、マイクとは違うボタンを押す。窓の向こうで低い音が鳴り、その音源がどんどん下に下がっていく。おそらく外側にはエレベーターが隠されていたのだろう。よく見れば、壁に偽装された扉のような物が窓の横に見えた。
どうやらガリアノは、死体だらけの庭に面したエントランスではなく、ここで来客を迎えるつもりらしい。確かに鼻の利く軍人ならば、そちらの方が良いだろう。
ゼウスのコアを独自に入手したなどバレたら、最悪国内で戦争が起こる。まだ完全にコアを入手出来ていないガリアノとしては、ここはどうにかしらばっくれたい。
ガリアノは慌てた様子でヤートを固定する椅子に近寄ってきた。ヤートを落ち着きのない目で見つめてから溜め息をつく。その口が、どうする、どうする、としきりに呟いている。彼の目は部屋中をうろうろしていた。
そして、そうこうしている内にエレベーターが到着した音が響いた。予想以上に早い到着だ。ヤートも空軍に対する言葉を整理出来なかった。
しかし一向に人が入ってくる気配は無かった。暫しの静寂。
窓に鋭い目を向けるガリアノに、いきなり人影が飛び掛かってきた。ヤートの目には、その人影が扉を吹き飛ばすようにして開けるのと、ガリアノに切り掛かるのが同時に見えた。
鮮やかな緑髪の男の白く美しい長剣が、ガリアノの愛剣とがっぷりと噛み合っている。一瞬で腰の鞘から剣を抜いたガリアノの反応速度は、フェンリルと比べたとしても見事なものだった。
「これはこれは少将殿。いきなり手荒い挨拶ですなぁ?」
「ガリアノ・スアキナフ。すまないが貴様を反逆者として処分する」
「空挺の金持ちが、常に前線に出る陸軍に敵うとでも!?」
ガリアノは叫ぶと相手の剣を一気に押し返した。あまりの力に侵入してきた男は嫌がって後ろに引く。
一瞬男がこちらを見た。その瞬間、体が自由になる感触を覚える。
「お客様が来ていたようだな。どうやら陸軍は接待の仕方も知らんらしい」
いつの間にかヤートの後ろに忍び寄っていた男が、拘束具を外してくれていた。ヤートは飛び退いて距離を取る。
まだこの侵入者達の目的はわからない。敵か味方かもわからない。軽く手足を振って動きに備える。
「せっかく自由にしてやったのに、その対応はないんじゃないか?」
飛び退いたことが不服だったのか、サングラスの男がつまらなそうに言う。
「……私は貴方方のことは存じ上げません」
相手は先程の会話を聞く限り、空軍少将とその仲間だ。しかしそれ以外のことは全くわからない。
「それもそうだ。敵に捕まっていたヤート・ロッテン殿にご紹介しましょう」
一々カンに障る言い方をする男だった。胡散臭い印象を強める見た目からは、彼が軍に属しているとはとても思えない。
「あちらで剣を構えておられるのが、国民から“光将”と慕われる空軍少将のリチャード殿です。そして私は後方支援を担当しております、アレグロと申します。以後お見知りおきを」
胡散臭い笑顔で手を差し出してきたアレグロを、ヤートは睨みつける。その反応を見てアレグロは肩を竦めた。
「アレグロ殿、無駄話はそろそろ良いだろう。ヤート殿……確認するが、貴殿は既にゼウスのコアを摘出されたのか?」
剣を構えたままリチャードが口を挟む。自分よりも若いその顔には、焦れた様子が滲み出ている。
「……」
返答に困った。どちらに殺されるか選ぶようなものだが、おいそれと軽率な判断は出来ない。
「コアを摘出されていれば死んでいますよ」
「そうか……ならそこでじっとしていてくれ。すぐに終わる」
アレグロの指摘にリチャードは頷くと、対峙するガリアノに一気に接近した。振り上げた長剣が光り輝く。ガリアノも使い込まれた剣を構えて迎え撃つ。
幾つもの戦場を生き抜いたガリアノは、がっしりとした体格の良い大男だ。陸軍らしい正統派な力強い剣捌きで、リチャードを押していく。ガリアノより更に長身のリチャードは攻撃のリーチこそ勝っているものの、腕力の違いにやや防戦気味だ。
二人の剣がぶつかり合う度、火花とまばゆい光が散る。光はリチャードが扱う長剣から零れているようだ。
「リッチ坊やは天才だと思っていたが、陸軍大佐殿もなかなかやるようで驚いたよ」
いつの間にか横に寄って来ていたアレグロに、ヤートは反応が遅れる。
だがアレグロは、特に攻撃してくる訳でもなく、目の前で戦う二人を観察しているようだった。剣がぶつかり合う音が響く。
「天才?」
「剣術の名門、エルメスミーネ家の長男だ。二十二歳にして空軍の少将まで上り詰めた。確かに空軍は慢性的な人員不足は否めないが、それでもこの若さでの昇進は異例のことだ。実技・戦術理論共に優秀で、軍学校は首席で卒業。近頃は反乱軍の殲滅戦にて、被害を最小限に留めたことで表彰もされた」
「……確かに、天才だな」
あまりの攻撃のスピードに、目眩がしたのはその為か。もう抵抗は出来そうにない。自分も、ガリアノも。