第四章 砂漠の薔薇
エドワードがニヤリと笑った瞬間、クリスの頭に強烈な衝動がなだれ込んで来た。
――殺したい。殺したい! 殺したいっ!!
一気に血走った瞳で、エドワードを噛み殺さんばかりに睨みつける。
「……はっ……まさか、なっ」
隙だらけになったクリスに敵が切り掛かる。クリスは僅かに残った理性で刀を振るって押し返す。虐殺に発展しないように注意しながら敵の動きを封じていく。
「心配しなくても私の液体が貴方の身体を蝕んだ訳じゃない」
「……だろう、な……これは、俺自身の問題だ」
最後の敵を斬り刻んだクリスは、エドワードに対峙する。
「おぉ……これだけの精神攻撃を喰らいながら、まだ意識を保っているとは……情報とは違いますなぁ」
小さく揺れる血桜の剣先を見つめながら、エドワードは感心したように言う。間違いなく、気付かれている。自分が“鬼”と化す要因を。
「クリス殿はフェンリル最強だ。そんな最強の戦士が暴走すれば、いくらメンバーと言っても無事では済まない。良くて相打ち、全滅だろうて」
「その為の兵士か……」
フェンリル最強と謳われるクリスは、一方で精神的に不安定なところがある。
血を啜る妖刀を操るクリスは、常に精神汚染と戦っていた。血を求める血桜に精神を乗っ取られると、敵味方関係無く虐殺する鬼と化す。幼い頃、持ち主を選ぶ妖刀に魅入られたクリスの人生は、そこから血に染まり続けた。
フェンリルに所属してからは、普段から大量の人間を殺すことは避け、性欲と同じく、ある程度は抑えることが出来るようになった。沢山の血を浴びることが、血桜を覚醒させる条件なのだ。
「情報によれば二千人程度で鬼と化すとか。おまけに精神的な揺さぶりを掛ければ更に少ない量で墜ちるとも」
「なるほどな……いくら陸軍とは言え、分裂した状態で大人数は用意出来ない。血を吸わせるには何度も挑ませるしかない」
「百人を二十セット。簡単でしょう?」
軽い調子で挑発するエドワードに、クリスは強く歯を食いしばる。
「どちらの方が人でなしなんだろうな!? もし仮に俺が鬼と化せば、お前も助からないぞ?」
「構いませんよ。私達にはもう、死しか残っていませんからなぁ」
「どういうことだ?」
「対フェンリルの為だけに編成された私達に、フェンリルと戦って死ぬ以外の未来はありませんから」
最初から死を覚悟していたのか。その真意を知った今だからわかる。目の前のエドワードから伝わる冷たい、けれど決して揺るがない強い覚悟が。
その覚悟を、クリスは知っている。チームのリーダーとして背負う仲間の命の重みが。掛け替えのない暖かさが。
想像を絶する恐怖の中で、自らも恐怖に染まり、そして今はそれをばらまく存在となった。そんな人間達が寄り集まって、歪んだ信頼関係を手に入れた。
聞かなくてもわかる。その甘美な温もりは、簡単には手放すことは出来ない。人間にとっての本当の恐怖とは孤独で、そこにはもう、戻りたくないのだから。
だからこそ、『何故そこまでするのか?』なんて寝ぼけたことは聞かない。自分自身に問い掛けたところで、上手く言葉にすることも不可能なのだ。
「肉体を持つ兵士は無くなりましたねぇ……」
「……まだ、とっておきは残ってるんだろう?」
自分の呼吸が浅くなっていることにクリスは気付いた。限界は近い。
「もちろんですとも。次は肉体の無い、血と液体をブレンドした兵士が相手です」
エドワードの言葉に反応するように、散らばった数々の兵士の死体から血が集まって来た。少なくなった血を補うように、人型を作り上げる。
剣の形までしっかりと模倣されており、数は減ったが全身から濃い負の感情を排出している。べちゃりと人型が動く度に、地獄の底から響くような悲鳴が耳に届いた。
「こいつは……斬れないな」
斬ればまるごと血の塊を啜ることになる。人型に囲まれたところでクリスは天を仰ぎ見た。頭上から何かの光が落ちて来た。
「予想よりかなり早いな……」
少々驚きながらも安全な場所まで離れる。足元に兵士の死体が当たった。メットを被った兵士の頭が、クリスの足元に転がっていた。