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第四章 砂漠の薔薇


 クリスは耳元を通過した弾丸に舌打ちした。
 無数の銃弾を中庭の土の上を転がるようにして避けたクリスは、屋根の上から人影が自分目掛けて飛び降りて来たので慌てて立ち上がる。刀で相手の銃口を弾き返し照準させないようにする。
 白いシャツにカマーベスト。グレーのスラックスを履いた白髪の老人。
 レイルとヤートを襲撃した一人に、クリスは静かに怒りを表す。自分の芯から冷えるような独特の感覚。神経が研ぎ澄まされ、自然と瞳も鋭くなる。その変化に気付いたのか、相手は滑るように軽やかな動きで距離を取ってきた。
 両手にマシンガンを構えたまま、老人はにっこり笑って丁寧なお辞儀をした。笑っているのに友好的な空気は微塵も出ていない。機械のように冷たい表情と、精密な動きだった。
「陸軍本部へようこそ。クリス殿。私《ワタクシ》はエドワードと申します」
「……軍隊にしては手練れが少ないように感じたが?」
 クリスはそう言って背後の死体の山を軽く振り返る素振りをした。それに老人は苦笑して返す。皺が多い顔に更に皺が刻まれた。まだ人間らしい顔になった、とクリスは思う。
「私達の主人と幹部達とは考えが異なりましてね」
「……皆殺しか?」
「……お嫌いですかな?」
「……まさか。俺も殺す側の人間だ」
「それは良かった。それでは、始めましょうか」
 エドワードはマシンガンをクリスに向け、待っている。
「どうしました? 早く始めましょう」
「……」
 何故か嫌な予感がした。足元から何かが上がってくるような、悪寒とも殺気ともつかない負の感情を感じた。淀みない瞳でこちらを見るエドワード。彼の気が変わらない内に、こちらから仕掛けた方が良さそうだ。
 クリスは音も無く地を蹴りエドワードを攻撃圏内に捉える。後は刀を振り下ろすだけというところで、エドワードは後ろに跳び攻撃を避ける。彼の目はクリスの持つ刀に注がれていた。
「妖刀血桜……見れば見る程美しい、妖しい輝きを放つ」
 そう夢見心地に言ったエドワードの背中が、建物へ通じる扉に当たった。こちら側に引かなければ開かない扉なので、この状態でエドワードに扉を開けることは出来ない。
「えらく余裕だな?」
「いや、なに……クリス殿の相手は私だけではないのでね」
 壁際に追い詰めたというのに余裕の表情を見せるエドワード。
 彼はすっとクリスの後ろを指差した。罠かと疑ったがその考えはすぐに消えた。後ろから無数の気配を感じ、クリスは反射的に振り返り目を疑った。
 自分が先程斬り殺したはずの死体達が立ち上がり、剣を構えている。死体達がクリス目掛けて襲い掛かって来た。
 仕方なくクリスは、エドワードから離れて応戦する。死体だったはずの兵士達を反対に盾にして、エドワードからの銃撃に備える。集団戦の基本だ。
「こいつらっ……確実に殺したはずだ」
 敵の数が減らない消耗戦が続く。クリスが振るう刀――妖刀血桜は、斬った対象の血を啜り切れ味を増す生きた刀だ。使い手であるクリスには血桜が血に喜ぶ感覚がダイレクトに伝わってくる。
 こいつらは確かに殺した。それだけの量の血を流させた。現に今斬っている兵士達からは、ほとんど血が流れ出てこない。
――流れ出てこない?
 クリスは兵士達を観察する。よく見れば、傷口から血がほとんど出ていない。自然に止まっているのではなく、傷口の向こうに血の巡りが見える。つまり魔法か何かで血の動きを操作されている。
 その証拠に腕や片足、果ては頭を斬り落とされた死体までもが、血を吹き出させることもなく攻撃に加わっていた。こんなことが出来るのは、この場で唯一生きているエドワードだけだ。
「おや、その顔は……気付きましたかな?」
 先程からずっと、扉にもたれ掛かるようにしてこちらを静観していたエドワードが言葉を発した。
「お前が親玉みたいだな。こいつらはもう死んでる」
「ええ、そうですとも。若いのに、実に聡明な方だ。私は液体を自由に操作することが出来まして」
「それなら俺にも害があるだろう?」
「説明が悪かったですなぁ。私が操作出来るのは、この液体だけなのです」
 エドワードはそう言って懐からビンに入った赤黒いヘドロ状の液体を見せた。
「それは……?」
「この国の汚点である生活排水の成れの果てですよ。人体すら溶かす有毒物質で、スラムの奥では死体を溶かすために日常的に使われている」
「……死体を、溶かすだと?」
 軽い頭痛を覚えながらクリスは聞き返した。
「毎日何十人という単位で死体を放り込まれたこの液体は、負の感情に満ちている。そんな液体を私は、自分の魔力をブレンドすることによって操ることが出来るのです」
 まるで何かの演説のようにそう強く言ったエドワードに、クリスは先程感じた負の気配の正体を悟った。
「死体に残った血とその液体を混ぜて操ってるのか」
 外道が、と吐き捨てるクリスに、エドワードは顔色一つ変えない。
「その通り、さすがはフェンリルのリーダーだけはある。この能力は貴方の為だけに開発されたのですよ?」
「なんだと?」
「貴方はフェンリル最強にして、軍部全体から見てもトップに限りなく近い強さです。その力で昔、四千人の軍勢を一人で斬り殺したとか」
「……昔の話だ。今はそこまで出来ないさ」
 クリスは無表情に兵士の身体を斬り裂く。ある程度斬り付けてわかったのは、胴体から手足を斬り落としてしまえばその死体は動けないということだった。普通に考えたら当たり前のことだが。
 どちらかというとレイルの趣味になるが、切り裂き魔になりきる。他人の性癖なのでつまらない。
 おまけにやけに刀が疼く。漆黒の刀身が血を啜り赤く輝いている。
「マズイ血でも飲んだか?」
「……ええ、とてもマズイ血を、ね」
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