第四章 砂漠の薔薇
ヤートはその声に素早く反応し、後方にレイルを抱えて跳び退く。玄関まで追いやられる形になる。
一瞬前まで二人がいた地面に、大きな凹みが出来ていた。丁度家の土地と公共の道路の境目。白いレンガで舗装された美しい道のりに、そこだけ地獄の口のようにひしゃげた穴が空いていた。粉々に飛び散ったレンガが周りに散乱している。
「外しちまったなぁジジイ!!」
高級住宅街にはおよそ不似合いな男の大声が響いた。レイルは重たい頭で、それでも声がした方に殺気を飛ばす。
いつの間にか二人の目の前に、四人の人間が現れていた。
やたら目つきがおかしい――精神に異常をきたしている者の目だ――若い男と、やたらグラマラスな美女、金髪の病んだ目つきの少年に、白髪のバーテンダーのような身形の老人。
先程の攻撃は、どうやら老人の攻撃らしい。その証拠に、彼が構えているマシンガンらしき銃からはまだ煙が出ている。
「この頃歳のせいか老眼が酷くてね。老いには勝てんわ」
老人は特に気にした様子もなくそう言うと、レイルを鋭い視線で睨み返してきた。
――何が老眼だ、あのボケ老人!
「まだまだお若いですわ。ナオもそう思うでしょ?」
やたらボディラインを強調した服装をしている女が、にこやかに笑いながら少年に聞く。
「ボク、眠たいから早く終わらせたいんだけど?」
金髪の少年は面倒くさそうに返すと、こちらに向かって手に持っていた水晶を掲げる。
「さっさと殺しちゃおうよ」
そう続けた少年の表情は、子供のものとは思えない程に歪んだ笑みを浮かべていた。
「捕まえるのが命令じゃて……お前さんら、良ければ抵抗は無しでいただきたい。我々と共に来てもらいましょうか」
老人が一歩進み出て言う。レイルはヤートの手を強く握った。老人からのプレッシャーに、レイルを支えるヤートの身体が強張ったからだ。
無理もない。あれは正真正銘、人殺しの目だ。
「お前達は、何者なんだ!?」
それでもヤートはレイルを守るように、立ち塞がった。緊迫した声でそう言いながら、立ち上がることの出来ないレイルを自分の後ろに隠す。
「軍部の者ですよ。ヤート・ロッテン隊長」
「軍部だと?」
老人の答えにヤートは更に身構えた。自分の命を狙う者達だと直感したのだろう。レイルも、悲鳴を上げる身体に鞭打ち立ち上がる。
「そちらで辛そうにしているレイルさんとは、方向性は合いませんがね」
「ジジイ! もしかしてあの女が特務部隊のレイルなのか!?」
老人の横からしゃしゃり出てきた男に、苛立ちながらレイルは答える。
「そーだよ。やっぱり南部の軍ってのは、ロクな奴がいねーな」
馬鹿で粗暴な男は嫌いだ。だがその男は好色そうな目でこちらを見てきた。
「へへ……軍部最高の淫乱女ってのは本当だなぁ。今も身体中火照らせて、かんっぺきに挑発してやがる」
「……うぜー野郎だな! 二度と女とヤれねーように引き裂いてやるよ!!」
レイルはそう返したが、身体は言うことを聞いてくれない。フラフラと立ち上がるのが精一杯のレイルに、相手の四人は余裕の笑みを浮かべている。
「おやおや、どうやら体調が優れないようですね。砂漠で無理して雷なんて起こすからですよ」
老人がレイルに近寄ってくる。銃でしっかり狙いをつけられ、レイルもヤートも動けない。
「私もムカデのように挽き肉に、なんて考えないように。動けばヤート殿の命はありませんよ。動ければ、の話ですが」
レイルは舌打ちしか出来ない。どうせ殺されるとわかっていても、今目の前で殺される訳にはいかない。彼を守るには、今は大人しくするしかないようだ。その矛盾から来る怒りで、レイルは頭がおかしくなりそうだった。
大人しくなったレイルを見届け、老人は満足したようにヤートに視線を移した。
「貴方もわかっていると思いますが、逆らえばレイルさんの命はありません。我々と共に来てもらいましょう」
ヤートも仕方なく彼らに従う。レイルからヤートが離れていく。止めたいのに身体が動かない。そろそろ立っているのも厳しくなってきた。
ヤートを囲むようにして、老人以外の三人が歩き出す。ヤートが一瞬こちらを切ない目で振り返ってきた。レイルは自分の不甲斐なさに唇を強く噛む。
道の向こうに停めていた車に、彼らはヤートと共に乗り込んだ。老人だけがレイルの元に残っている。
「貴女も連れて行きますよ。フェンリルを捕らえられる機会なんて滅多にありませんからね」
老人がそう言ってレイルに手を伸ばした瞬間、彼を無数の銃弾が襲った。
立て続けに襲いくる銃弾を、彼は高齢とは思えない素早い動きで避け切り、仲間達が待つ車に飛び乗る。車はそのままエンジンを掛けて走り去る。
道の反対側から走りながら銃を乱射していたルークが慌てて追い掛ける。その後ろにはクリスとロックの姿もあった。
相手も馬鹿ではないようで、フェンリル全員との戦闘は避けたかったらしい。
車が見えなくなったところで、レイルは地面に前のめりに倒れた。久しぶりの緊張と敗北感に死にたくなる。
しかしレイルの身体は、地面にぶつかる前にロックに抱きとめられていた。暖かい男の体温に、レイルの身体がビクリと震える。
「まーた無理しやがって。刻印が完全に再発してるぞ」
疼き出した身体を見抜くように、ロックはレイルに深い深い口づけを落とした。レイルの口から洩れる甘い吐息に、車を追うことを諦めて戻ってきていたルークが顔を赤らめる。
クリスは少し離れた所で、特務部隊の南部支部に連絡を取っているようだった。ロックから解放されたレイルは抱きとめられたまま愚痴る。
「お前ら、おせーよ」
「刻印が出てなかったらお前だけでも大丈夫なはずだろ? だから無理すんなってあれほど俺は……」
レイルの言葉にムッとした表情で反論するルークに、ロックは呆れたような顔をして言った。
「やっぱりルークは馬鹿だよな! あいつら、かなりやれるぜ。特にあのボインボインの姉ちゃんはヤベーな」
「それはてめーのマグナムがだろ?」
「ロック、我慢できねー」
「うっわレイルの方がめっちゃ可愛い!! 一番っ!! 今すぐここで公然レイプを……」
「止めろお前ら!!」
続きを始めようとしたロックをルークが強引に引きはがしていると、連絡を終えたクリスが真面目な顔をしてこちらを向いた。
「レイル、さっさと終わらせて反撃に出るぞ。敵は南部の軍だが、筋書きは考えてある。今夜にでも反乱分子は排除して、ヤートさんを助ける」
クリスの力強い言葉に、ロックはレイルを片手で抱えたままガッツポーズ。
「よし、ならまずは姫の高ぶりを抑えないとな。良かったなレイル、大好きな公然猥褻だぜ?」
「おいおい! ここは住宅街だぞ!?」
ルークが慌てて再び止めに入る。
「リーダー! 冗談だよな!?」
「俺は、レイルが戦力になるならどっちでも良いんだが」
真面目な顔をしたままクリスは眺めていたが、本気で焦るルークの姿に意地悪は止めることにしたようだ。いや、あれは半分は本気だった。
「もうすぐ南部支部から迎えがくる。あいつらは俺達が来てすぐに引いた。つまり俺達全員は相手に出来ないんだろう。このまま乗り込むぞ」
彼らが走り去った先を見つめ、クリスは低い声で言う。ロックのおかげで少しマシになった頭で、レイルはクリスを見る。
美しい彼の横顔は、静かに怒りを湛えている。この表情を見るのは久しぶりだ。仲間を傷付けられた時にしか、リーダーのこんな表情は見たことがなかった。