第一章 城塞都市
苦しんでいたヤートが静かになった。恐る恐るレイルは観察を続ける。背筋を伝う冷や汗には気付かないふりをする。
ヤートがゆっくりと顔を上げて、立ち上がった。先程までの苦しみ等なかったかのように、無機質な表情を浮かべている。青い光は依然、瞳の裏に垣間見える。だがそれ以上に、彼の表情には人間らしさが感じられない。
「ゼウス計画によって覚醒した人間は……」
科学者が冷たい声で続ける。
「大規模なコンピュータネットワークを束ねるマザーコンピュータとして機能する。人間的なあらゆる感情、行動を排除する代わりに、リンクによる莫大な魔力と脳機能の向上を得ることが出来る」
「……魔力の源と繋いだリンクによっての魔力の向上まではわかった」
「そこまでわかっただけでも、講義の生徒としては申し分ない」
レイルのふざけた態度にも科学者は動じない。逆に笑顔が増えている。どうやら褒めているのは本気らしい。
「……魔力をネットワーク化するってのが、いまいちピンと来ないけどな」
「人間とは不思議なもので、不可視なる現象には疑念が生じるものなのだよ」
やれやれ、と肩を竦める科学者に、レイルは苛立つ。
「座学の授業はウンザリだ。早く脳機能の向上によるメリットを教えてくださーい」
今度はレイルが挑発する。相手がここまでシステムを明かすのは、レイルがここで死ぬのを疑っていないからだ。
かなり腹は立つが、今はこの状況を逆手に取ってシステムの穴を探ることにする。どう考えてもレイルはこれから、覚醒したヤートと戦わなくてはならないのだから。
「脳機能の向上により、普通の人間では絶対に成し得ない速度での神経の伝達が可能となる。そしてその神経伝達に耐えられるように、彼の身体はネットワークから引き出した魔力によってコーティングされる。もちろん外的にも、内的にも、だ」
「神経からの伝達速度に筋肉が負けて自壊するのを防ぐのか。確かに最強の戦士の出来上がり、だな。アフターフォローまでバッチリとはなぁ」
「こちらとしても、ヤート君は大事な人材だ。軍人としての広い視野と豊富な経験が無ければ、この計画は成功しなかった。更に彼は、人格的にも素晴らしい人間だ。そんな彼をおいそれと使い捨てにするはずがない。この計画の素晴らしいところは、作戦が終了すれば普通の人間に戻ることだ。君がさっき地下で戦ったプロトタイプとは違い、戦闘中の自我の封印に成功したんだ。戦闘中の彼は完全なるコンピューターとなる。日常生活においては、脳の中にプログラム発動の為の端子は入ったままになるが……」
「……それでも、それはもう人間じゃない。ヤートさん……彼は了承してるのか?」
「彼は軍人だ。私達を守るのが仕事だ。君もさっき、彼のことを“犬”と言ったじゃないか」
「……てめーらみたいな野郎には、わかんねえだろうな」
「犬の気持ちなどわからないさ。狂犬が」
最高の笑顔で言ってのける科学者。
――てめーら全員、惨殺してやる!!
レイルは言葉にすることなく殺気を露わにする。その瞬間ヤートが目を見開き、レイルに向かって剣先を向けて牽制する。
彼の後ろで科学者の一人が無様な声を上げた。レイルは一瞬そいつに意識を取られる。殺意ばかりがレイルの中で膨れ上がっているのだ。
そんなレイルの隙を見抜いたかのように、ヤートの口が素早く術の詠昌を完了した。有り得ないスピードに、レイルは彼の術式すら聞き取れなかった。
やがて、すぐに変化があった。
この空間に、ではない。この部屋唯一の出口はレイルが塞いでいる。
それとは真逆の、普段ならば出口としては使用出来ない窓の外に、大きな岩石の階段が出現していた。材質からして地上の舗装道路や城壁の一部を引き上げてきたようだ。
「さすがは隊長様だな。それでは狂犬よ、ご機嫌よう。犬同士戯れ、噛み殺されるが良い」
悠々と窓から続く階段を降りる科学者達。ヤートに依然として隙が生まれないので、レイルは睨みつけることしか出来ない。フェンリル随一のスピードを持つ、奇襲・追撃要員の自分が動けない。
――今のヤートはマザーコンピューター。
奥歯を噛み締めていたレイルの頭に、突然打開策が浮かんだ。壁一面の映像モニターに視線を走らせ、仲間の状態を確認する。逃走用の車を確保したところだった。
しかし、それだと――
「こちらレイル、応答してくれ」
爆発に巻き込まれた時に壊れてしまったのか、ピアス型の無線機は光すら発さない。レイルは壁のモニターをもう一度確認し、目を丸くした。
モニターには丁度、クリスがばらまいた札が爆発する光景が映っていた。半数以上のモニターが黒く沈黙し、天井のスピーカーからは警告音が響き渡る。
一瞬ヤートの顔が苦痛に歪む。窓の下方から眩しい爆発の光が見えた。
札の爆発がここまで届いたらしい。倹約家のリーダーらしくないばらまき方だが、今は好都合だ。
さすがはフェンリルのリーダー。おそらく彼は、このネットワークのことを本能的に察知したのだろう。
レイルの計画通り、“二回”の爆発により、今のヤートと接続されている大半の機械達を破壊した。彼の脳内は今、大量のエラー処理のために卒倒寸前のはずだ。
自らの放った札が爆発するのを見届けたクリスは、まだ合流出来ていないメンバーを心配して空を見上げた。
ここからでは何も見えないであろうと思っていたが、クリスの深紅の瞳に飛び込んできた光景は、宙に浮く無数の巨大な岩石だった。城壁を砕いたような塊が、最上階に向かって昇っていく。
クリスにつられて上を見たロックが目を丸くした。
「な、なんだありゃ!?」
「……最上階から強い魔力を感じる」
「確かに……でもよ、これだけ強い魔力なのに、悪意も殺意も感じないぞ。人間か?」
「リーダー! ロック! 機械共の様子がおかしい!!」
運転席からルークが叫ぶ。二人も機械達を見る。確かに妙だ。ほとんどの機体のコントロール中枢である頭の部分が青く発光していた。
「……何かの統一命令か?」
「動かないところを見ると……何かを供給している?」
「供給……まさかリンクか!?」
瞬間的に三人は同時に頭上を見上げた。遥か天空から岩石の階段を降りてくる人間が見える。
「レイル、しくじったのか!?」
ルークが焦った声を出す横で、ロックはレーザーキャノンをしっかりと構える。普段は伏射姿勢で撃つ大型銃器だが、今は一刻を争う。敢えて制御に掛ける時間をキャンセルして、前方一面に拡散する“暴発”弾を放つ。
クリスも残った札、全てを敵陣中央に放り込み爆発させる。爆風による自分達への被害も大きいが、今は作戦の遂行の方が重要だ。
岩石の階段は遠く商業区まで繋がっている。あれだけの岩石を浮かせる等、普通の人間には不可能だ。あれが敵の避難経路なのは明白だ。だがここからでは自分達の攻撃は効果がない。それならば、リンクの末端である機械達を少しでも多く潰すのが、自分達の仕事だと判断した。
「ルーク……」
荷台の後ろからクリスは、ルークに優しく声を掛ける。クリスがいたのは遮蔽物の無い荷台だったので、ジャケットに守られていない肌が薄く汚れてしまった。
「レイルは死んでない。お前がそこで死んでないようにな」
運転席にいたルークはフロントガラスのおかげで爆風の直撃は免れた。ただし、割れたフロントガラスの来襲は避けなければいけなかったが。それでもルークも、少しのかすり傷で済んでいる。
「みんな修羅場潜り抜けてんだ。アイツが負ける訳ねーよ」
展開していたシールド――レーザーキャノンには防御用の盾がついている――を直しながら、ロックが笑って言う。
「とにかく、確認のために迎えに行くか」
「まさか、あの階段登ろうとしてる?」
ぎょっとするルークに、クリスは明るい笑みを浮かべて言った。
「まさか! 俺は今かなり熱いんだ。クールなドライブを期待してるぜルーク」
クリスの横で腹を抱えて笑うロックを睨んでから、ルークは車のアクセルを踏み込んだ。壊れた機械達などお構いなしに、突き飛ばして進む。