第四章 砂漠の薔薇
市場で美味そうな食べ物を探していたルークは、偶然レイルとヤートの姿を発見した。
仲良く手なんか繋いじゃって、端から見たらカップルのような雰囲気だ。邪魔したら悪いな、とルークは回れ右しようとしたが、レイルの暴挙が目に飛び込んできて慌てて駆け出す。
レイルは明らかに不吉な髑髏のデザインの眼帯をヤートに試着させようとしていた。いやっ、確かに、確かに青く輝いちゃう片目を隠すには良いけど、それはちょっと――
「――逆に目立たないか?」
ヤートの真っ当な反論が聞こえた。その通りだし、彼はそれ以外のいろんな意味でも着用を拒否している。
「そうかなぁ?」
レイルの発言にそうだよ、と心の中で答えながら、ルークは二人に合流した。いきなり人混みから汗だくで出現したルークに、二人は面食らう。
「い、いきなりどうしたんだ?」
「あ、ルーク!! 丁度良いや、お前はこっちつけろよ」
楽しそうに笑って、レイルは屋台から新しい眼帯を手に取る。
――なんでコイツは眼帯限定なのっ!?
ルークに手渡された眼帯は、美しい女神のデザインが描かれていた。先程の不吉過ぎるデザインよりはだいぶマシだ……つけたくはないが。
「お客さん! お目が高いねー」
店主の男が明るい声で言った。しかし男が続けた言葉に、ルークとヤートは固まることになる。
「そいつぁ、一家惨殺事件があった家から発見されたいわくつきの物でね! 噂ではこの国の貴族様らしいんだ。だからここでしか手に入らない貴重なもんだぜ! おまけに安いときたぁ」
自身の説明でテンションの上がっている店主に、レイルもノリノリで「買ったぁ」とかほざいている。
「お客さんらも、見たところ外国の商人さんだろ? 良い買い物したなぁ!!」
そう言って笑いながら、店主はレイルに商品を手渡した。この国には珍しい赤髪や肌の色、そして平然と武器をぶら下げているからだろう。南部では茶髪や色黒の肌の人間が多く、砂漠を渡る商人なら武器を所持しているのは当たり前だ。
購入した眼帯をヤートに手渡すレイルの表情は、これ以上ない程に輝いていた。
「これ、大事にしてね」
祈るような仕種で渡されたそれを、ヤートは苦笑いしながらポケットに入れた。
「今、つけないの?」
「……光ったらつけるよ」
レイルの問いにうんざりしながら答えるヤート。そんなやりとりを傍観していたルークの鼻腔を、先程と同じ臭いが刺激した。思わず目を細める。
レイルの表情が一瞬にして殺し屋の顔になった。二人の纏う空気が変わったことに、ヤートも状況を理解したようだ。
「……死臭がする」
周りの人が聞いていないことを確認して、レイルが小声で言った。いろいろな臭いが混ざるこの広場でも、人に死を運ぶルーク達は小さな異臭も嗅ぎ分ける。
「まっすぐこっちに来てる……移動するか?」
レイルが鋭い視線で一点を見ている。その人混みの向こうから、死臭は近付いてきている。
「そこを曲がれば裏通りに出る。ほとんど人はいないはずだ」
ヤートがすぐそばの細い道を指差した。大きな飲食店に挟まれた、あまり衛生的ではない道だった。
三人は小さく頷き合うと、その道を目指して歩き出した。たったの数メートルが異常に長く感じる。
細い道を通り、路地を曲がった所で待つ。待ち伏せの状態で、死臭の正体を確かめるのだ。
追跡者はちゃんとついてきていた。裸足らしいぺたぺたとした危なっかしい足音が聞こえて――ルークは嫌な予感がした。
三人の目の前に現れたのは、先程ルークが駄菓子を買ってやった少年だった。
「君は……」
ルークが慌てて駆け寄る。開きかけた布をしっかりと結んでやる。こんなものが市場で見られたら、間違いなく大騒動になる。
「なんだルーク、知り合いか?」
イヤらしい笑みを浮かべたレイルを、ルークは睨む。
「そんなんじゃない。とにかく座って話そう」
ルークは人の目が無いことを確認してから、路地の隅に少年を座らせ、自分もその横に座る。レイルとヤートはその前に立ったままで話を聞く。
「この子はスラムの子で、さっき可哀相だったから駄菓子を買ってあげた」
少年はもう食べ終わったのか、口の周りがベトベトのままだった。
「おい、お前がそんな甘いことするから、付け上がってんじゃねーか」
レイルが呆れたように吐き捨てた。彼女は同じスラム生まれの人間だろうが容赦しない。
「でも、この子は子供で、しかも目が見えないんだ」
「知るか。私がこれくらいの歳の頃は、オッサンに犯されてた。スラムってのはそういうもんだ」
「でも……」
そう言ったルークに、ヤートが少年が抱える布を指差しながら聞いてきた。
「それで……この吐き気がする臭いは、これのせいか?」
その言葉に、少年がびくりと震える。視線は相変わらずズレている。
「弟さんの死体が入ってる……あんまり、見ない方が良い」
ルークは主に、ヤートに向けて言った。
「……そうか」
ヤートは伸ばし掛けていた手を引っ込めた。実戦経験の少ないヤートに、あの腐敗度合いは見せるべきではない。あんなのを見て平然としていられるのは、沢山の死体に囲まれて生きている人間だけだ。
「おい……」
レイルが少年を冷たく見下ろしながら言う。
「コイツ、目が見えないんだろ? どうしてルークのことがわかった?」
「……に、匂いで」
少年は震えながら、小さな声でそう返した。
「人間の身体というのは、五感のどれかが欠けると、他の部分で補おうとするらしいな」
ヤートが納得したように言った。レイルはまだ納得出来ないようだ。
「とにかく、これで好きなもん買いな。でも、これが最後だぞ」
ルークは札を一枚少年に握らせる。少年は嬉しそうにお礼を言うと、すっと立ち上がって路地の奥へと走り出した。頼りない走り方で、布がまた解けつつある。解けた布からヘドロが零れる。
「あのヘドロ……人体に影響はないのか?」
レイルの言葉にルークははっとする。
「色合いからして、かなり下流の方のものだな。危険かもしれない」
ヤートが目を伏せて言う。
「……まぁ、言ったところでアイツは死体を手放さねーよ」
少年が走り去った先を睨みつけるようにして、レイルは言った。ルークは彼女の発言に苛立つ。
「レイル! お前、自分もスラム生まれだからってキツすぎるぞ!? あの子はお前と違って弱いんだ!!」
その言葉にレイルが目を見開くのを見て、ルークは失言だったと気付く。気まずい空気のまま、ルークは二人を置いて少年を追って走りだし――レイルに止められた。
「てめー……何もわかってねーな」
「何をだよ!? 俺にはスラムの生活がどうかなんてわかんねーよ」
ルークはある程度上流の家庭で育った。正直、明日の食べ物に困る生活とは無縁だった。なのでそういった環境を目の当たりにすると、どうしても助けてやりたくなるのだ。
「甘えと弱さは違うんだ!!」
レイルがルークを睨みつけるようにして言う。彼女の瞳の奥に真実を見つけ、ルークは「そうか」と力無く呟いた。レイルは俯いたルークの横をすり抜けると、まっすぐ少年が消えた道に向かっていく。
「レイル?」
「甘えたガキでも、お前は救いたいんだろ?」
顔を上げたルークに軽く手を上げると、レイルは少年を追って駆け出した。後に残されたルークは小さく「やっぱりお前は良い女だよ」と呟いて、ヤートに向かって笑顔を作る。
「さっきマンゴーの美味しそうなアイスがあったんだけど、一緒に食べながら待ってない?」
ヤートは苦笑しながら了承してくれた。